第2話 湯けむり上がる故郷

 ふるさとは遠きにありて思ふもの。 

 

 北陸の地元に近い金沢出身の著名な詩人室生犀星さんは、流石に良いこと云うなあ……と感心してしまう。中学生の頃に「小景異情」の作品で読んだ覚えがあった。

 けれど、身近にある故郷だって負けてはいない。「おわら温泉街」はあまり知られていないが、今も変わらず疲れを癒すまほろばの里である。

 

 かつてこの地には加賀百万石の國があったらしい。日本史嫌いで早弁すると寝ていたので良くは分からんけど、母さんが自慢げに教えてくれた。


 我が家から一歩表に出てみれば、大正時代にタイムスリップしたようなとてもひっそりした町並みが続く。

 夕暮れになると、九頭竜湖くずりゅうこの畔にはガス灯の火がひとつずつ順繰りにともる景色が間近となり見えてくる。


 次第に木造づくりの隠れ宿からカップルの熱い息づかいが届くレトロな温泉街となり、お金持ちの奥座敷とも耳にしていた。

 一方では母さん曰く、女ひとりで訪ねてみても、川のせせらぎに耳を澄ませて、白く濁る湯の薫りをゆったりと感じ、日本海から獲れる旬の魚介を食べれば、心も体もリフレッシュできる湯けむりの里だともいう。


 たとえ結婚して嫁いだとしても、生まれ育った故郷から他の街には疑いなく行きたくないと、ずっと思っていた。


 まつりは三年ぶりの開催となり、一日千秋の思いで待つ人々が多いと聞いている。寸分たがわず、自分も同じだ。このところ、そわそわと落ち着かない日が続いていた。


 母さんのおはぎを食べ終わると、身支度をそそくさと整え、職場に顔を出さなくてはならない。カーテン越しの空があけぼの色に染まっているのに気づく。


 今朝もメイクは素っぴんに近い。いや、正直に言うと化粧するのが苦手となる。塗れば塗るほどきつね顔になるのでやらないだけ。


 タヌキ顔なら良かったのに、ああ残念。


 生まれつき優しく見える眼差しだけは宝物として大切にしたい。内心、素肌美人という言葉に憧れている。



 まだ、七時前だというのに和食職人たちは慌ただしく弁当づくりに励んでいた。


「皆さん、おはようございます」

 元気な挨拶が日課となる。


 ああーここでも良い匂いがする。今日のメインディッシュはのどぐろの焼き魚だ。折り詰めの真ん中に鎮座するのだろう。会う人、会う人に明るく言葉を交わしてゆく。


「美味しそうね」


「ああ、北陸名物だから鮮度が一番や。お茶漬けちゃん、張り切ってるのう」


「もちろんや。まつりの日だから」


「お嬢さまで出稼ぎなのに大変なこっちゃ」

 職人たちから妙な挨拶が戻されてくる。


「ありがとうね」


 お嬢さまは余計だが、自分には丸山圭子という正式な名前がある。なのに、仕出し弁当の職場ではどうしても「お茶漬けちゃん」とあだ名で呼ばれてしまう。


 でも、不思議、何となく気に入っていた。

「出稼ぎ」という言葉も的を得ており、気になどしている暇はない。

 今日は特注弁当の予約が三百個も入っているのだ。ああ……大忙しや。母さんの姉となる春子叔母さんの為にも、弁当の折り詰めに精を出してひと頑張り、配達までしなくてはいけない。

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