第1話 母さんのおはぎ

 ───今日は故郷の「おわら祭り」の日。


 甘い薫りに身も心も解き放たれる。朝早くに心地よい目覚めを迎えてしまう。鼻腔をくすぐるとても良い匂いだ。

 台所からはグツグツと小豆あずきを煮る懐かしい音がする。のんびりゆっくり作らないと焦げてしまうと聞く。何か自分の性格に似ているような気がしてくる。五感をやさしく撫でるような雰囲気に酔いしれてゆく。


 きっと、犯人は母さんだろう。


 時刻は六時前。昨夜「 余命 十年の花嫁 」のドラマに釘付けとなりながら、涙を流したままいつの間にか寝ていたらしい。ああ、ダメやん。化粧を落とすのも忘れていた。


 また、そばかすが増えてしまう。


 縁日は仕事が忙しい。「寝坊は許されないのでよろしくね」そう伝えていたことを思い出す。せっかく良い余韻に浸っているのに、母さんの声がお邪魔虫のように届いてくる。


「圭子、お祝いや。萩もちをようけ作ったでぇ。早う、起きてや」


「母さん、ちょっと 待ってえーな」


 まだ、顔は洗顔の泡まみれである。


 母親の呼び名はママ、かあちゃん、おふくろなど色々あると聞く。でも、自分にはこの呼称が一番しっくりくる。

 彼女にとって、まつりは心が浮き立つ大安吉日なんだろうか……。もうとっくに還暦の歳のはず。いくつになっても子供みたいな母さんである。



 私は丸山 圭子、二十九歳。

 三人姉妹の長女なのに、根っからのノンビリ屋で変わり者である。

 

 世間で言うアラサーながら、恋や仕事にも慌てることなく、湯けむりの里でのんびりとスローライフを満喫している。


「ひとつでええよ」


 男の子みたいな返事をしてしまう。


 ただでさえ、男っぼい声をしているのに情けなくなる。本当は娘として、もう少し女らしくいたいのに自分でもがっかり。

 突然目の前に現れたおはぎの大きさと数の多さに目を丸くし、ぞんざいな言い方になっていた。とてもじゃないけど食べきれない。


「もう、あんたたら。一生懸命に……。」


 母さんのぼやきとも思える言葉に憂いすら感じてしまう。悔しがりようと言ったら半端なものではなく、眉間にシワを寄せている。


 昔から祝い事がある度、おはぎが食卓に並ぶ習わしとなっていた。

 嫌いだった訳ではない。朝からあずき色の握り飯がてんこ盛りでドーン。かなり異様な光景だ。いつからこんなに沢山作ったのだろうか……。夜なべ仕事かと思うと、少しだけ可哀想に思えてくる。


 懺悔する気持ちはないけど、朝食代わりに北陸名産のほうじ茶と合わて口いっぱいに頬張ってみる。まるで幼子のようで、他人に見せられたものでない。


 でも、ああ……良い薫り。小豆からフワッとする匂いがしている。


 母さんのおはぎは大き過ぎて形もおにぎりみたいで不恰好となる。けれど、もちもちとした食感が良く、あんこがなめらかでやさしく、奥深いコクのある甘味を感じてくる。さらによく煎じた香ばしいほうじ茶の香りと相まって堪らなく美味しい。


 母親は旅館の女将おかみをしており、娘から見ても愉快で、とにかくお喋りな女性である。何にでも関心を寄せて、身につけた知識を自慢気に披露しなくてはならないようだ。また、今朝もひとつウンチクを語ってくる。


「春は牡丹の花に似ていることから“こし餡のぼたもち”、秋は萩の花から“つぶ餡のおはぎ”と決まっているんや。名前が変わるだけで風情が違うもの。和菓子は季節の代名詞やろう」


「母さん、ええ加減にしてぇな。もう、耳にタコが出来てしまうから」

 

 けっして母親との仲が悪い訳ではない。これまでおはぎが作られる度に何度も同じ話を聞かされる身になって欲しい。ボケてしまったのだろうか。とはいえ、おはぎの味だけは確かなものである。


 母と娘の関係は面白い。おそらく、男の人には分からないだろうけど……。父さんもいつもビックリしているようだ。照れ臭くて言えんけど、母さんのおはぎはどんなに不揃いでも、あったかくて日本一の味である。

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