第4話
あの青年から連絡があったのは、数日後のことだった。私は再び、あの大学を訪れた。今度は、朝の早い時間だ。
「何度も足を運んでいただいて、ありがとうございます。こちらへ」
青年は、前の時と変わらない笑顔で私を迎えた。
初めに通された部屋で、手術用のガウンに着替え施術室へ入った。照明を落とされた、暗い部屋だった。パチンと電気が点けられると、歯医者にあるような後ろへ倒れるタイプの診察台が、いくつも並んでいた。
「ここで記憶データの移植手術を行います。全身麻酔を使いますから、台に横になってさえいただければ、眠っている間に処置は終了します」
促されて台に座った。ウィーンと音を立てて、背もたれが倒れていく。体が水平になるにしたがい、下を向いた照明が正面になる。複数の電球が埋め込まれたそれは、いくつもある昆虫の目のように私を見つめていた。
青年が口頭で色んな確認をしている間に、看護師さんらしき人が私の体に様々な機器をペタペタ取り付けた。そして腕に点滴が挿入される。
「この点滴で、すぐに眠ります。さ、マスクをつけますよ。酸素の吸入です。ゆっくり呼吸して、気持ちを落ち着けてくださいね」
言われた通り、ゆっくり息を吸って吐く。そうしていると急に頭の中に薄靄が立ち込め、意識が包まれていった。
気がついた時、私は診察台ではなく、ベッドで横になっていた。体を起こし、辺りを見回す。白いばかりの部屋に陽光が差し込んで、眩しい。目を細めると、ドアが開き青年が現れた。
「あ、目が覚めましたか。調子はどうです?」
「別に普通ですけど」
「それは良かった。何か違和感は?」
「いえ、別に……」
「そうですか。では、今日はこれで終了です。着てらっしゃった服はここにありますんで、着替えてお帰りください。次回、その後の経過についてヒアリングを行います」
またもや呆気なく告げられた。彼が部屋を出てから、言われた通り元の服に着替える。それから私も部屋を後にした。こんなに簡単に済んじゃうなんて、やっぱり拍子抜けだな、と思って。
大間違いだった。
大学から出て帰路を辿っていると、手を繋いで歩いている母息子らしき姿を見かけた。まだ体に大きすぎるランドセルを背負った男の子は、しきりにお母さんへ話しかけている。きょうね、がっこうで、どんぐりひろったんだよ。ビニールいっぱい、みんなであつめたの。せんせいも、びっくりするくらいあつまって、うれしかった。せかせか話す男の子に、お母さんは「うん」とか「すごいね」なんて言いながら聞いていた。すれ違ってからも、背後から二人の声が聞こえてきた。その声が遠ざかっていくと、
突如、嵐のように頭の中へイメージが湧き出した。
重力が増したような体の疲れ。おかあさん、という小さな男の子の声。せり上がってきた嫌悪感。「自分」の低めた声。ジュワジュワという油の音。珍しくしてきた口答え。抑えられなくなった感情。それが爆発した時の解放感。男の子の泣き声。我に返った時の絶望感――
全く知らない、確実に自分のものではない記憶が押し寄せて、あまりの情報量に脳がパンパンに膨れ上がったようだった。どうしよう、どうしようという思いが恐怖になって胸で渦巻き、涙が溢れ、このままでは本当に頭が破裂してしまうと思った。私は踵を返した。走って走って走って、あの大学へ駆け込んだ。
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