今回も、知らない歴史物語を、この後どうなるのかとワクワクしながら読んでいきました。それから、「嵐神(バアル)こそわが救い ~シチリア、パノルムスに吹きすさぶ嵐~」の続き物であるのも、興味深かったです。
勝負は時の運とは言いますが、何が味方にするのかは、本番の瞬間まで分からないのですね。古代の人たちが、戦の女神を信仰する理由も何となくわかった気がします。
質問に関する自主企画ですが、自問自答は新しかったです。自身に背負わされたプレッシャーをも「嬉しさ」ととらえて奮い立つ、ファルトの姿に心打たれました。
最後に大変遅くなりましたが、自主企画への参加、ありがとうございました!
作者からの返信
まずはレビュー、ありがとうございます。
ローマ、カルタゴ、そしてポエニ戦争……歴史で習うものの、その内容はあまり知られていないので、そこを解説し、かつ、物語として描くことに腐心しました^^;
そのあたりに触れていただき、とても嬉しかったです。
そして何よりキャッチフレーズの「女神は誰に微笑むのか?」。
これこそ、拙作を象徴している名文句だと思います!
ここからは応援コメントへの返信です。
パノルムスもアエガテスも、ちょうどいいお題にめぐりあえたと思っています。
そしてその結果、続き物になれたというのもラッキィでした^^;
字数が足らなくて書かなかったのですが、当時の人々は、戦いの前に占いをして、その占いに従って戦っていたようです。
従わなかった指揮官が、それで罪に問われるくらいでした。
ところがファルトは(占いをしたかどうかはわかりませんが)、おのれの判断で戦いに出ました。
それはやはり、カトゥルスからの信頼をおのれの糧としたためであり、そのための「儀式」として、自問自答があった方がかっこいいな、と思って、このような演出にいたしました。
そこに感じ入っていただけたようで、何よりです!
それでは、こちらこそ、素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました!
拝読致しました。
海運国カルタゴも遂に。
地位も名声も実力もあるはずなのに、やはりそこはローマ(^^;)
ローマの強さ、それは、最後の様子でも見てとれますね。
戦に勝った将は功を認められ、戦を任せた上司は部下のために尽力し、民は若き英雄を歓迎する。
そして英雄は奢らずに、神への感謝を忘れず神殿を捧げる。
あたりまえにして、なかなか難しいような気がします。(^_^;)
勤勉にして謙虚、でもちと頭が固くて、なのにどこか柔軟な。
そんなローマが面白かったです!(*´▽`*)
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
カルタゴは、国家としては強かったんですが、いかんせん、それを運用する人が、人の組織がうまく機能していなかったんでしょう。
一方のローマは、柔軟性をここぞとばかりに発揮。
ファルトを提督として、乾坤一擲の大勝負に出て、見事に大勝利を飾ります。
……やっぱり、この辺の姿勢や人の差が、命運を分けたなぁと思える戦いでした。
ちなみにファルトはのちに執政官になっていますので、ローマの人たちは、このことを忘れなかったのでしょう。
こういう、古き良きローマというのを一度書いてみたかったので、それを面白いとおっしゃっていただいて、作者として望外の喜びです!
ありがとうございました。
自主企画の方から拝読いたしました。
第一次ポエニ戦争、世界史で名前が出てきたかなというくらいの印象で、読み始めましたが、
この戦いの裏には、ローマ側の人物たちの熱い思いやドラマがあったんですね……!
カトゥルスからファルトに指揮を譲るシーンは、特に引き込まれました。
象に乗って戦っていたり、船でぶつかりあう海戦など、この時代ならではの戦闘描写もおもしろかったです。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
第一次ポエニ戦争って、第二次ポエニ戦争のおかげで、影が薄い印象です。
第二次はハンニバルやスキピオの丁々発止のやり取りがあり、まさに大戦争であり、ドラマがありますから^^;
でも、第一次ポエニ戦争もまた、相応の「熱」があるのではないか、と調べたところ、こういうドラマがあったことを知り、筆を執った次第です。
史上初の「三頭」体制、そしてその「三頭」を活かした、指揮権委譲……。
共和政ローマという国は、こうして人と人が「任せる」という利点を十二分に生かした戦いをしてくるところでして、それは前例を打破することも厭わないところが凄いし、「熱い」と思ったのです。
古代のスペクタクル、ということで、今ではない戦いの描写、象や船の戦いの描写も、脳内で想像しながら必死に書きました(笑)
その辺もお褒めいただき、嬉しかったです。
ありがとうございました!
03からすでに胸アツでしたが、04はさらに熱くなりました。
この時代の海戦が、船の舳先を相手の戦艦の腹にぶつけて沈ませることとは知りませんでした。火矢でも放つのかなってイメージでした。
船にユートゥルナと命名したのが作者様の創作だったとは……! やられました!
ラストに神殿の名が出てきたとき、感動の鳥肌が立ちましたよ。
これが単に歴史本を読むのではなく、歴史小説を読む醍醐味ですね!
作者からの返信
まずはコメント付きレビュー、ありがとうございます。
第一次ポエニ戦争ってあまり目立たない戦いですが、ローマの努力というか、人々の想いや考えが上手く組み上がって、やがてカルタゴに勝つ、という熱い戦いなんで、その辺を描きたいと思って書きました。
なので「熱い」とおっしゃられると、とても嬉しいです。
そしてまた、人の営みというか、戦いも変わらないところがあります。
昨今の情勢もまた、それと通じるところがあると思います。
この時のローマのように、人々の営みが守られるようになってくれれば……と願います。
さてここからはコメント返信です。
資料を見ると、この時代の海戦は、ぶつかり合いが主体でした。
そのぶつかり合いを覆したのがコルウス(烏)という、タラップを強引に敵船につなぐ荒業です。
こんなの思いつくローマはホント化け物です(笑)
でもそのコルウスすら捨てて、ここ一番でガチンコ勝負をするところが、ローマの怖さです^^;
カトゥルスがユートゥルナ神殿を建てたのは史実です。
一方でファルトが何を作ったが不明だったので、いっそのこと……と思って、その辺を改変して、ファルトの旗艦をユートゥルナにしちゃいました^^;
こういう想像をするのが、おっしゃるとおり、歴史ものの醍醐味だと思います!
ありがとうございました!
こんばんは、御作を読みました。
海と陸でひとつの戦略の元に連携しているのがローマの強さですね。
そして。ファルトの活躍がローマ市民にちゃんと認められていたこと、カトゥルスが彼に応えようとユートゥルナ神殿を築いたこと。
この時期のローマが無敵やなあと改めて思いました。
……え、たった一人でキリキリ舞いさせた人が居る?
たぶん、人間の枠から外れて神様に片足つっこんだのでしょう。
彼の登場を予感させつつ、面白かったです。
作者からの返信
おっしゃるとおり、執政官という立ち位置の者が前線で海陸含めて指揮を執ることができる、それがローマの凄まじさだと思います。
ファルトの功績をローマ市民が認めたのは史実です。
カトゥルスがユートゥルナ神殿を築いたのも史実です。
でも、ファルトの旗艦名がユートゥルナというのは、私の創作です^^;
これはユートゥルナ神殿の存在を知って、逆にファルトさんとの「縁」を創作したのです。
でも、それに類することはしていたと思います。
……そんなわけで、まだまだ発展途上のローマ。
まるで少年漫画の主人公のような感じですが、何だかその少年漫画のラスボスみたいな奴がカルタゴから出てきます(笑)
ラスボスをラスボスとして機能させるだけの器量がカルタゴにあったらなぁ……でもなぁ……^^;
ありがとうございました。
ローマは海戦に勝利してこれで何とか一息つけることになりました。
この時はこれで終わったと思ったでしょうね。
面倒な男が復讐を誓って活動を開始しているのですけども。
作者からの返信
マーレ・ノストゥルムがこのあたりから始まっていく感じですので、そういう意味でもメルクマールな海戦だったと思います。
ガチンコ勝負で地中海の覇者・カルタゴを倒したら、そりゃあもう、めでたしめでたし……と思いたかったでしょう(笑)
しかし……面倒な男がカルタゴにいるとは、この時は思いもよらないことでした(遠い目
でも恐るべきことに、その面倒な男の「やり方」を見取り稽古で盗んでしまう男が、ローマから出て来るのがなぁ……^^;
ありがとうございました。
海戦の描写、熱いですね。迫力がたまりません。
充分な訓練期間を得たローマ艦隊のぶちかましの前に、さしものカルタゴ艦隊もたまらず撤退……。
今度はサランボーちゃんが死ななくてよかったです^^
【象じゃないよ船だよ】
そして戦後の凱旋式ですが、自分の判断じゃなく市民に問うというのがメテッルスさんさすがですね。
きっと、熱烈な歓迎で迎えられたことでしょう。
凱旋式を挙行した執政官あるいは前執政官がお返しに神殿や浴場を建てるというのは、勝って驕らぬよう己を戒める意味もあったのかなあと思ったり。
ファルトさんのものが残っていないというのは、後に崩れたとか破壊されちゃったとかでしょうかねえ。
面白かったです!!
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
地中海史といえば、海戦がないと!
……というワケで、またまたやらせていただきましたァん(笑)
しかもコルウス装置というメカで戦って来たヤッターマ〇のようなローマ、最後はガチンコ勝負でした^^;
サランボー、そういう名のカルタゴの娘が出る海外小説からの借用ですが、私もお気に入りで、沈まなくて良かった(笑)
凱旋式はけっこう名誉なことで、そして限られた人しかやらせないんで、もめたのは事実です。
ましてやファルトは特例で指揮官になった人だし。
……でも、ローマ市民たちは「やって」って言ったんでしょうね。
古き良きローマって、こういう感じなんだろうなぁと思います。
凱旋式のあとの「お返し」については、勝利を記念して伝えるという意味があり、よく凱旋将軍の「宣伝」になっていたみたいです。
ファルトのものも、もしかしたら残っているかもしれませんが、ちょっと私には調べられなかったんで、こんなエンディングにしました^^;
ありがとうございました!