第38話 燃えるスラムの町
あたりが完全に暗闇に包まれた頃。
この日は月が大きく欠けており、より暗い夜であった。
ここジャンクフィールドにおいては、夜にも開ているような店はなく、町中の人通りは限りなく少ない。
この日も静かなよるになるはずであった。
「うわああああああ!! 」
ジャンクフィールドの住民区。
この町の多くの者が住まう区画にて、一人の男が叫び声を上げる。
彼は住んでいた建物から慌てた様子で飛び出していた。
彼だけではなく、そこに住んでいた多くの者が我先にと建物から飛び出していく。
男は足を止めると建物を見上げて、
「どうしてこんなことに・・・」
と、震える声で呟いた。
建物は燃えていた。
軽く火が付いたという程度ではなく、建物を包むように轟々と燃え盛っていた。
本格的な火事である。
多くの者が建物から逃げ出すことが出来たのだろうが、中には逃げ遅れて焼けてしまった者もいることだろう。
「み、見ろ! 」
建物から逃げ出した多くの者達が茫然とかつての家を見上げる中、一人の男が声を上げた。
叫ぶというよりかは悲鳴のようであった。
男の視線の先には、燃え盛る建物。
自分達が逃げてきた建物ではなく、他の建物である。
それらは一つ、二つと限られたものではない。
周囲のほぼ全ての建物が火事に見舞われていた。
住民区全体が炎に包まれているようであった。
火に怯えて悲鳴を上げる声や身内が焼かれたのか泣き叫ぶ声も絶え間なく聞こえてくる。
ただの火事ではない。
多くの者がこの異常事態に疑問を持ちつつも、どうすることも出来ずに茫然としていた。
「ここは危険だ。ひとまず安全なところに避難するんだ」
火事から逃げ延びた集団の中で避難しようとする者達がいた。
そこに向かって馬に乗った騎士が向かっていく。
「あ・・・騎士か? なんでこんなところに騎士が・・・」
「なんでもいい! 助けてくれぇ! 」
ジャンクフィールドに騎士は存在しない。
何故、今ここにいるのかという疑問を持ちつつも、多くの者が騎士の元へと駆け寄っていく。
皆、自分が助かることに必死であった。
誰しもが死にたくはないと思っていた。
そんな思いを踏みにじるがの如く、騎士達は馬上から剣や槍を振り回して駆け寄ってきた者達を切りつけてゆく。
一人、二人と次々と住民と死体となっていく。
「うわあああ!! 助けてくれー! 」
住民区にて、悲鳴の種類が増えた。
それは自分達を殺しに来る騎士に対する恐怖の声である。
騎士達は住民を殺しに来たのだ。
目についた建物に火を放って周り、逃げ延びた住民は見つけ次第殺害。
そのために騎士達はこの町に来ていたのだ。
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ジャンクフィールド近辺の丘。
そこからはジャンクフィールドの町の全体が見下ろすことが出来る。
ここにバハ率いる騎士団の陣地が敷かれていた。
バハが休憩するためのテントが一つ置かれた簡易的な陣地だ。
バハの護衛となる騎士達も配置されている。
「計画は順調のようだな」
バハはこの陣地から、丘からジャンクフィールドを見下ろしていた。
彼の目に映るジャンクフィールドの町は、余すことなく赤く燃えていた。
「はっ! 廃墟区画から始まり、雑兵斡旋所区画、住区画とすべての区画に焼き討ちは完了。生き残った住民の殺害を開始したとの報告です」
バハの傍に控える騎士が言う。
「町の外へと逃がさないよう待ち伏せ部隊の展開も抜かりはないな? 」
「はい。そちらも抜かりはなく。すでに五十名ほど逃げ出そうとした者を討ったという報告があり、逃げ出した者は確認されておりません」
「よしよし。本当に順調に進んでなによりだ。俺の見立てでは、あと三時間・・・いや、一時間くらいで終わるだろう」
バハはニヤリと笑みを浮かべた。
ジャンクフィールドの建物への放火と住民の虐殺。
これがバハの計画の内容であった。
ジャンクフィールドの町の存在は貧困層を助長させるとして、長年王国でも問題視されていた。
しかし、町の解体後の住民の扱いについて誰も良い案を出すことが出来ず放置され続けていた。
この問題にバハは、出世の足掛かりとして目を付けたのである。
住民は一時的にバハが保護し、各々で適した場所に移住させるとして。
移住先の新たな住居の確保や雇用などの諸々の問題については、バハ自身が責任をもって対処するとして強引にジャンクフィールドの解体計画を提案したのである。
しかし、現状の有り様を見れば、それが偽りの計画であることは明白。
バハは、ジャンクフィールドの住民を保護するつもりは一切無かったのだ。
彼も他の多くの貴族と同様に貧民層を軽蔑しており、保護するよりも虐殺したほうが手っ取り早いと考えていた。
虐殺した上で、適当に移住先と雇用先をでっちあげるつもりであったのだ。
そのでっちあげの作業はバハにとっては容易なことであった。
故に、バハは笑みを浮かべたのだ。
この虐殺が終われば、ジャンクフィールドの問題を解決し、その大きな功績を得たも同然だと。
すべて思い通り。
バハは、そう思い込んでいた。
しかし、世の中思い通りに行かないほうが多いとはよく言われること。
すぐに、バハはそのことを思い知らされることになる。
「ほ、報告! 」
一人の騎士が慌てた様子で、バハの元へと駆けこんできた。
「何事だ? 」
大したことではないないだろうと、バハは余裕の面持ちで騎士に応える。
「廃墟区画で活動していた騎士隊の一隊が・・・ぜ、全滅しました! 」
「・・・なに? 」
バハは眉をひそめた。
浮かれていたニヤけ顔はそこにはなく、今は険しい表情である。
「全滅しただと? ジャンクフィールドの雑兵にでもやられたのか? 」
「そ、それが・・・私の隊が見つけたときにはすでに・・・」
「バカな! そんなことがあるか! 誰にそんなことが出来るっていうんだよ! 」
バハは騎士を怒鳴りつける。
騎士はバハに言い返すことも出来ずに、ただ俯くばかり。
一つの騎士隊が全滅した。
しかし、その原因が分からない。
これは由々しき事態であり、放置することは出来なかった。
故に、バハの頭の中には、ここにいる騎士を数名向かわせて状況を把握させるつもりであった。
しかし、この考えは頭の隅に追いやられることになる。
「ほ、報告! 」
他の騎士が報告に駆け込んできたのだ。
様子を見るに、この騎士の報告もただ事ではなさそうである。
「雑兵斡旋所区画の騎士隊の一隊が全滅しました」
「なっ、なに!? 」
バハは報告を聞いて驚いた。
「報告! 」
またもや他の騎士が駆け込んでくる。
今度は一名だけはなく三名同時。
「住区画の騎馬隊の一隊が全滅! 」
「廃墟区画の騎士隊の一隊が全滅! 」
「住民区画側の外に展開していた騎士数名が死亡! 」
「なっ・・・!? 」
バハは報告に対して、碌な反応をすることが出来なかった。
その後も次々と騎士隊や騎馬隊などの全滅報告が続く。
嵐のように立て続けに来る騎士の報告にバハは成す術なく、
「・・・一体、何が起こっているんだ」
思考停止状態に陥りかけていた。
「な、なんだあれは!? 」
そんな中、一人の騎士が叫び声を上げる。
その声に続いて、他の騎士達も驚いていたり困惑した様子を見せ始める。
騎士達はジャンクフィールドの町を見ているようであった。
バハもジャンクフィールドの町へと視線を移す。
「な、なんだあれは!? 」
すると、バハも騎士達と同様に驚愕の声を上げた。
ジャンクフィールドの町を見下ろせば、遠く離れた場所からでも分かるくらいに巨大な化け物がいた。
その巨大な化け物は二体。
一体は黒い山羊のような見た目の化け物。
もう一体は銀色の蝙蝠のような見た目の化け物。
その二体の化け物が町を破壊しながら暴れる光景をバハ達は目にしていた。
「あれは魔物・・・か? 何故こんなときに・・・どこから現れたっていうんだよ! 」
バハは訳も分からず、自分の疑問を吐き出すことしかできなかった。
しかし、それがバハの思考を動かすきっかけとなった。
急に現れた魔物。
その現象にバハは心当たりがあった。
(魔物を召喚したっていうのか? 一体、誰が・・・ま、まさか、召使いの奴か!? )
バハは、あの二体の化け物もとい魔物が召喚されたのだと考えた。
見るからにあの二体の魔物は強力な部類の魔物。
バハは召使いとの取引で、グウルシードと共に魔物召喚具をばら撒いている。
魔物を召喚できる人物であれば誰であるかは検討もつかないが、強力な魔物を使役する人物であれば話は別。
バハにとっては、召使いしか心当たりがなかった。
それでも、彼だと断言することは出来なかったが、
(いや・・・実は生きていたとか? 奴ならありうる話だ)
召使いが実は生きていたとすれば断言することが出来た。
(しかし、何故・・・そうか。奴め、俺に切り捨てられることに感づいて、この土壇場で裏切ったことか。奴も俺を切り捨てるつもりってわけか。冗談じゃねぇ! )
バハは、騎士隊の襲撃、魔物の召喚を召使いの仕業だとして結論づける。
彼の思考では、それは一番可能性のあることであった。
「報告に来た者達、よく聞け!任務を中断して陣地へ戻ってこいと伝えろ! 魔物と交戦中の隊以外だ! 」
バハは、報告に来ていた騎士達へ、ジャンクフィールドにいる隊を陣地へ戻るよう伝えた。
魔物と交戦中の隊が例外なのは、時間稼ぎである。
バハはジャンクフィールドから撤退するつもりであった。
召使いの狙いは何かといえば自分の命であるとバハは考えたのである。
途中で計画を放棄する形となるが、多くの隊を失うという被害を受け、実際に魔物に襲撃された事実もある。
バハにとっては、いくらでも計画の失敗の弁明は可能であるつもりであった。
「ぐわああああああ!! 」
「ぎゃああああああ!! 」
遠くの方で悲鳴が上がる。
陣地の端の方であり、騎士達の悲鳴である。
今度は何かとバハはそちらの方へと目を向ける。
「な・・・なんだと」
バハは唖然とした。
自分から数メートル先に巨大な魔物がいた。
陣地にいくつか置かれている松明の明かりによって、その姿をはっきりと目にすることが出来る。
魔物は赤い鱗に覆われた翼の無い龍であった。
二本の後ろ足で立ち、バハと騎士達を見下ろしている。
その赤い龍の足元には数人の騎士が地面に転がっていた。
さきほど悲鳴を上げた者達だろうか。
爪で切り裂かれたのか地面に転がる騎士達の下に血溜まりが出来ており、例外なく皆すでに死体になっているのだろう。
この陣地に配置された騎士達は皆、精鋭と呼ぶに相応しい高い実力の持ち主ばかり。
そのはずの数人がすでに倒れた。
残った騎士達は赤い龍に対して、バハを守るように立ち、剣や盾を構えている。
主人を守ろうという実に勇猛な姿である。
しかし、よく見れば体が震えており及び腰な様子。
バハは少しも安心することは出来なかった。
この中に赤い龍を倒せるものがいるどころか、全員で立ち向かっても勝てるような未来は想像することは出来なかったのだ。
バハは魔物との戦いの経験はないものの、この赤い龍の魔物は別格の存在であると直感で感じていた。
絶望がそこにいる。
バハはそう言わんとするような怯えた目で赤い龍を見上げては、腰を抜かして地面に座り込んだのであった。
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