第31話 夕暮れ時の悪夢


 ジャンクフィールドの周辺には林となっている場所がいくつか存在する。


その一か所の近くに、騎士の部隊の拠点があった。


この拠点には複数のテントが張られており、一切のズレなく綺麗に整列されている。


そのうちの一張のテントの垂れ幕から、顔を覗かせる人物が一人。


騎士の部隊の隊長であるリオである。



「日が暮れる」



リオは見上げながら、ぼそりと呟いた。


彼女の目には、一面の青に赤色が混じりつつある空の景色。


この日は、もうすぐ夕暮れ時になりつつあった。



「この調子じゃあ、今日中には見つかりそうにないか」



もう一言そう呟いた後、彼女のテントの中に入る。


このテントは、彼女専用のもの。


中には机と椅子、それから平たい布のマットとその上に薄い毛布がかけられた簡素な寝床が置いてある。


リオはスタスタと早足で椅子へと向かうと、



「くそっ! 」



座るのではなく、思いっきり蹴飛ばした。


蹴られた椅子は倒れ、テントの隅にまで吹き飛ぶ。



「あーもう! イライラする! どうして上手くいかないんだか! 」



リオの口から怒声が飛び出した。


椅子を蹴飛ばしてもなお、彼女の怒りは静まることはなかった。


何に対して怒りをあらわにしているのかといえば、貴族の娘が見つからないことである。


リオの計画では今日中に捕らえられると予想していた。


そして、明日には部隊を引き上げ、サタトロンと貴族の娘をバハのいる王都にまで連行するつもりであった。


それが実際には確保する前に取り逃がしたと聞き、こうして今もなお見つからない現状に彼女の心情は怒りに満ち溢れていた。


騎士の報告で取り逃がしたと聞いた時、彼女は意味が分からなかった。


彼女が捜索に出る前に得た情報では、貴族の娘は多少魔法スキルが使える程度で戦闘経験のない戦闘の素人。


訓練で鍛え上げられた騎士相手には一切歯が立たない弱者。


尾行を感づかれて逃げ出されたとしてもすぐに追いつけ、抵抗されたとしても力づくで抑えることができる。


苦戦する要素が見られなかった


苦戦することなど考えもすらしなかったほど、リオにとってはあり得ないことであった。


故に彼女の怒りの矛先は、取り逃がした部下と一向に発見の報告を寄こさない部下達にある。


彼女にとっては、彼らは苦もなくできる簡単なことすら出来ない人達。


リオの彼等への評価は最悪であった。



「使えない雑魚共が! 人の足引っ引っ張ってんじゃねぇっての! 」



口には出してはいないが、この任務が終わり次第、騎士団からの追放をバハに直訴することを考えている。


そうまでしないと、彼女は自分の気が収まらないと思っていた。



「バハ様から直々に命令が来るなんて早々なのに。これが最後のチャンスかもしれないなのに」



リオは本来、彼女の父が当主を務めるナイトブレイド家の騎士団の所属である。


今は、父の他の騎士団の空気も知っておくようにとのことで、バハの騎士団に出向というかたちで所属している。


いずれは元のナイトブレイドの騎士団に戻ることが決まっており、その日が数えるのも容易いほどに近づいていた。


リオは元の騎士団には戻りたくはなかった。


出向して彼女はバハという貴族を知り、心惹かれたのだ。


位にこだわらずに平等に接する他の貴族にはあまり見られない人となりに感動した。


年上ではあるが若く美しい容姿に魅了された。


そして、現ベイル家の当主として周囲から期待と羨望の眼差しを向けられる彼に憧れたのだ。


初めは軽く思うだけであったのだが、次第に思いは強くなり、今では彼の力になりたいという気持ちでいる。


そうするために、バハの騎士団の正式に入団するという目標をこの日まで持ち続けていた。


故に彼女はこの任務の話が自分の元に来た時は、大いに喜んだ。


この任務が完璧に成功すれば、力を認められバハの騎士団に正式に入団できる希望があるかもしれないと思ったからだ。


だからこそ、この任務には心配も苦戦も許すことはできないのだ。





 「え!? ほ、本当!? それは本当のことなの!? 」



リオ専用のテント前にて、彼女は嬉々とした声を上げる。


驚きと喜びが混じったような表情をしており、イライラとしているような様子は見られない。


それは空が完全に赤色に染まった夕暮れ時に、騎士から報告を受けてのこと。



「アイブックス家の娘を捕らえました」



この騎士の報告を彼女は耳にしたのだ。


今日はもう見つからないのだと思っていた彼女にとっては、かなりの吉報であった。



「よし! よし! よおおおおおおし! 」



気分が高揚しているかリオは、何度もガッツポーズを繰り返す。


部下である騎士達の前では威厳を示す態度を心掛けている彼女だが、この時ばかりは気にしてなどいられなかった。


それほど嬉しかったのだ。



「よで? 今はどこにいる? 」


「拠点の入り口に入ったところにいます」


「消えた連中が不甲斐なかったしろ、ここまで手こずらせてくれたんだもの。どんな奴か顔を見ていたい」



リオは騎士と共に、拠点の入り口となる場所へと向かった。


この時の彼女は、まるで今まで欲しかった物をプレゼントされ、それを受け取りにいくときのように足取りが軽いものであった。





 リオは拠点の入り口の付近にまでやってきた。


そこには多くの騎士達が集まっており、笑顔で仲間達と談笑をしている。


彼らは拠点に残っていた者達ではなく、貴族の娘の捜索に出ていた騎士達だ。



「今、拠点にいる騎士達の数は何だ? 」



リオは傍らに立っていた騎士に聞いた。


その騎士は、先ほどリオへ貴族の娘を捕らえたことを報告してきた者である。



「四十名です」


「全員じゃない? 足りない数は最初に娘を捜索していた隊か? 」


「ええ。未だ連絡は来ず、捜索をしいている騎士達からも見つからなかったと連絡を受けています」


「そう・・・」



リオの言う足りない数は十名。


不甲斐なかったにしろ、ここまで連絡はなく見つからなかったことが少し気になった。


だが、



「明日にも連絡が来ず、拠点にも戻らないのであれば王都に戻った時に捜索を依頼しよう」



すぐに大した問題ではないと判断した。


おおよそ貴族の娘を取り逃がしたミスを犯したことを恥じているのだろう。


リオは行方不明の騎士達が連絡も拠点にすら帰ってこない理由をそんなものだと決めつけた。


彼らは騎士団からの除隊させるつもりであるため、リオにとっては正直どうなろうと知ったことではなかった。



「それで、娘はどこなの? ひょっとしてあそこ? 」



リオは指を差した。


その方向には、何かを取り囲むように集まっている騎士達で人だかりができていた。


そこに彼らの興味を大いに引くものがあるのか、ガヤガヤと賑わっている様子もあった。



「はっ! そちらです。おい! 隊長のお通りだ! 道を開けろ! 」



騎士の掛け声で人だかりを形成していた騎士達が散り散りになり、その中にあったものをリオは目にする。


そこにいたのは一人の少女。


紫色の長髪で、垂れた横上はグルグルと螺旋を描いている。


黒いワンピースを着ており、その上から皮製の胸当てや小手を身に着けていた。


そんな少女は縄で腕ごと胴回りを縛られた状態で、地面の上に座っていた。


そんな惨めな状態であるにも関わらず、その少女には気品というものを感じられた。


その気品溢れるオーラは貴族のような尊い存在にしか放つことが出来ないことをリオは理解している。


リオは一目見て、この少女は貴族の家の子供であると確信した。


すなわち、この少女こそが探し求めていたアイブックス家の娘で間違いないと。



「ふーん・・・ありがとう。お前達はよくやった」



リオは騎士達へ感謝の言葉を贈りつつ、貴族の娘の元へと歩み寄る。


貴族の娘の目の前までにやってきて、リオは彼女を見下ろす。


貴族の娘は俯いており、リオからは顔を見ることはできなかった。



「流石は貴族の娘ってところかしら」



だが、この状況におかれても騒ぎ立てることもしなければ、体の震えさえ起こさない彼女に元貴族の者として関心していた。



「ねぇ、聞きたいんだけど」



リオが貴族の娘に話しかけるも返答は帰ってこない。


それでも、リオは話を続けるために口を開く。



「あのサタトロンっていう奴に誘拐されたんじゃないの? それがどうして懐いてるってわけ? 」



ニコニコと笑みを浮かべながら、リオは貴族の娘に問いかけた。



「おや? 」



その質問に反応したのか、貴族の娘は顔を上げた。


こちらもニコニコと笑みを浮かべている。



「騎士で女の子。部隊を任せられるほどの実力・・・とすれば、ひょっとしてナイトブレイド家の方ですか? 」



貴族の娘はリオの問いかけに答えることはなかった。


あえて答えなかったのだろう。


しかも答えないばかりか貴族の娘もリオに問いかけていた。



「今こっちが聞いてるじゃん? ちゃんと答えてよ。あんたの家では、質問には質問で答えるよう教えられたの? 」



そのことが気に障ったが、リオは笑顔は崩さずに問いかけに答えるよう催促する。



「ナイトブレイド家の方で間違いないようですね。しかし、思ったよりも幼いですね。ケイラ・ナイトブレイド様」



しかし、貴族の娘はまたも問いかけに答えることはなかった。


貴族の娘はナイトブレイド家のことを知っているようであった。


だが、彼女の口にした名前はリオ・ナイトブレイドではなかった。



「・・・」



それに反応したのかリオはピクリと体を震わせる。


すぐに何かを言い返すこともなく、体も表情すらも動かなくなった。


まるで、凍り付いたかのように微動だにしない。



「失礼。かの有名な若き剣聖様とこのような場所でお会いすることなど夢にも思っていなかったので、つい・・・」



リオが何も言い返してこないことを良いことに、貴族の娘は自分の言いたいことを口に出し続ける。



「しかし意外ですね。自分よりもっと年上の方だと・・・」



だが、貴族の娘の口は言葉の途中で止まった。


その時、拠点内にパンッと大きく乾いた音が響き渡った。


リオが貴族の娘の頬を手のひらで強く叩いたのだ。


よほど力が入っていたのか貴族の娘は地面に横たわってしまっていた。


叩かれた彼女の頬も赤くなっている。


リオが貴族の娘の頬を叩く一部始終を見ていた騎士達は皆、青ざめた表情をしていた。



「ちゃんと・・・会話しようよ。それに私の名前はリオ。あなたの言う剣だけが人生みたいなつまらない人のような名前じゃあないの」



リオは横たわる貴族の娘に言った。


笑顔のままであったが、内心怒りに満ち溢れていた。


リオにはケイラという名の姉がいた。


自分よりも遥かに強くて優秀な騎士で剣聖と称えられている。


そんな姉と比べられることが多く、リオはケイラのことを嫌っていた。


自分をケイラだと勘違いされるのは、リオにとっては嬉しいと感じないどころか侮辱にも値することであった。


貴族の娘は知ってか知らずかリオの地雷を無遠慮に踏み抜いていたのだ。



「手痛った。あんまりさ、貴族の子を痛めつけたくないのよ。自分にやってるみたいでさ。で? なんで? 」


「あの方は死にゆく私を助けてくださいました。その恩を返すため一生を尽くすと決めたのです」



今度こそ貴族の娘はリオの問いかけに答えた。


流石に煽り続けるのは不毛であると判断したのだろう。



「はっ! しょーもな! 」



リオは貴族の娘の答えを聞き、鼻で笑った。



「勘違い・・・いえ、騙されているのよ。あの顔だけ良い冴えない男に。あいつがあんたの両親を殺したの」



さらに、サタトロンを侮辱するようなことも言った。



「いえ、騙されているのはあなたのほうですよ。このままだと彼と私、殺されますよ? それを理解しているのですか? 」



意外にも貴族の娘は一生を尽くすと決めた相手が侮辱されたにも関わらず冷静であった。


この場に、その相手であるサタトロンがいれば「え!? 奇跡が起きた! 」と驚いたに違いないだろう。



「何を言うかと思えば。あいつはともかく、あんたは殺されないわよ。保護されてどこかの貴族に家に引き取られるはず」


「いえ、しますよ。私の両親を殺したように。バハという卑劣な男は絶対に私を殺すでしょう。その汚れ仕事をあなたは手伝っているのですよ」


「知ったような口をきくな。これ以上バハ様のことを悪く言うのは私が許さない」


「哀れな人。バハとかいう一国の貴族で満足するような矮小で燃えカスのような人間に良いようにされて」



やはり、だめであった。


貴族の娘はバハを侮辱し、リオを煽るようなことをした。


体の内で燃え滾る怒りの炎を貴族の娘は押し殺すことはできなかった。


この場に、サタトロンがいれば「うん。まあ、そうっスよね・・・」と何かを諦めたような顔をしたことだろう。



「許さないと言った! もう容赦はしない。そのうざったい顔をグチャグチャにしてあげる」



激怒したリオは、貴族の娘の顔を踏みつけるつもりなのか片足を大きく上げた。


その時、遠くの方から、カンカンとけたたましい鐘の音がした。



「敵襲ーッ! 敵襲ーッ! 」


「どこだ!? 敵は!? ぐわああああああ! 」


「は、速い!? ぎゃああああああ!! 」


「なんだ? そ、空を飛んでいるぞ! 弓だ! 弓で応戦を! あああっ! 」



鐘の音に負けないぐらいの騎士達の声も聞こえてきた。


どうやら何者かに襲撃を受けているらしく、すでに何人か犠牲になっているようであった。



「て、敵襲だって!? 援護に向かえ! 残りはここで防衛・・・それから捕まえた男の方の見張りも忘れるな! 」



敵襲の報を受け、リオはすぐさま近くの騎士へ命令を出す。



「いいんですか? あなたは加勢に行かなくて」



慌ただしく周囲の騎士達が動く中、リオと貴族の娘だけがその場から離れることはなかった。



「どうやら魔物か何かに拠点を襲われているようでしてね、お嬢様。守ってあげるので一発だけ顔を踏ませてもらいますよ」



リオは上げた片足を貴族の娘の顔に目掛けて下ろし始めた。


敵襲には当然ながら対処はする。


この憎たらしい貴族の娘も敵から守る必要がある。


そんなやりたくないことをしなければならないのだ。


一発でも踏みつけておかなければ、やってはいられないとリオは思っていた。



「踏みつけられるのは流石に勘弁です。あの方の前で、踏みつけられて歪んだ不細工の顔を見せるわけにはいかないので」



踏みつけられる寸前で、貴族の娘はごろんと横に転がる。


貴族の娘は仰向けの姿勢となり、彼女の顔の横にリオの足が下ろされた。



「チッ」



リオは悔しそうに舌打ちをする。



「それに守っていただかなくても結構ですよ。それに加勢にも行かなくて結構です。ここにも魔物はおりますので」


「何を言って・・・」



貴族の娘が見上げるリオは困惑したような顔をしていた。


そんなリオに構うことなく、貴族の娘もといビショップは、



「[怪物化]」



[怪物化]のスキルを使った。


その瞬間、ビショップの体が山羊の魔物へと変身し始める。



「うっ!? スキル? 一体、なに・・・が・・・」



リオは慌てて、ビショップから離れ彼女の体が変貌していく様をただ見上げるのみになった。


ほどなく変身は終わり、リオの目の前に怪物化したビショップである巨大な山羊の魔物が現れる。



「なに・・・これ? そんな・・・人が魔物に・・・おかしいおかしいおかしい! おかしいって! 」



リオは、はっきりと目にしていた。


少女の姿であったビショップが悍ましい山羊の魔物に変身する様を。


だが、その目で見た事実を素直に受け入れられはしなかった。


これは夢。


うなされるようなひどい悪夢を見ているのだと思いつつも、彼女は腰の鞘から剣を抜いたのだった。


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