第8話 天使の輪
つまり薊京介は天使に選ばれた。神はあいつを全力で欲しがるけど、京介の気持ちはどうか分からない。このまま放っておけば間違いなくあいつは天使になってしまうだろうが、俺、榎本界人が本気で訴えかければ、勝機はある。
セムがあの後俺に説明したのは、そんな感じの内容だった。
「確認しておきたいんだけど、天使になるってのは合意の元なのか?」
「いいや、おそらく強制的に出来るだろう。だがそれでも君は進まなければならない。無理そうだからと諦めるより当たって砕けてみるんだ。言っただろう? 求めよ、さらば与えられん、だと」
その言葉は神を信じる人たちの言葉だろうに、神に立ち向かう俺がそれに
京介の家に行った日から一週間。俺とセムは冬の訪れを思わせる、底冷え一歩手前の寒さに負けそうになりながら、真夜中、例のコンビニ付近で作戦を練っていた。
「榎本さ~ん。そこで何してんすか」
考え込む俺の背後で、調子の軽い声がする。いつもの仲間だ。
「見て分かるだろ、猫の散歩だよ」
「え、榎本さん猫飼ってたんすか!」
触るなよ、コイツ噛むぞ、と適当に脅しておく。今は大事な話をしているので、絡んできてほしくないのだ。コンビニ前の仲間の一人は「えぇ~」と渋々俺から離れていった。
「あれから一週間は経ったか。学校にも夜のコンビニにも現れないとはな」
学校に来ないのはともかく。そもそも、そんな頻繁に夜中のコンビニに訪れる中学生が居るだろうか。いや、俺やあの仲間のような連中は例外として。
「しかし君の母上も話していただろ? 私の猫缶を買いに行ったときに偶然会ったと」
「……あぁ、そういえば」
そうだ。母曰く白髪の少年をコンビニで見かけたと。聞く限りその特徴は完璧に京介のそれだった。
しかし母はそう言っていたが、実際は見かけた、ではなく高校生の不良に絡まれそうになっていた所、母さんが怒髪天の勢いで止めに入ったというのが正しいエピソードだ。コンビニ前の仲間たちからの情報提供で発覚した、下らない事実だが。
その時も帽子は被っていたらしい。どうやら、セムの頭上にある天使の輪は物理的に触れるもので、京介のように帽子などで隠すことは可能らしかった。つんつん、と手持無沙汰にセムのヘイローを突いて確かめる。
「君の母上は逞しいな。君ももう少し正々堂々、正直になればいいものなのだが」
「前もそんな感じのこと言ってたけど、一体どういうことなんだよ」
俺は真っ当に、親友として仲直りしたいと思っているし、アイツがこのまま天使になって天に召されるなんて起こってほしくないと思ってる。これ以上俺に何を素直になれって言うんだ。
するとセムは下を向いて「ブニャウ」と小さく鳴いた。咳払いのつもりだろうか?
「聞くに界人、君は初めてムーン・ヘイローを戴く薊京介を見て、どう思った?」
「どうって……」
どうもなにも、親同士の付き合いで遊びに行った時のことだから、ほぼ初対面だったな、程度にしか覚えていない。
「鮮烈な感覚があるからこそ、今もその瞬間を覚えているのだろう? それではあいつの顔は? 体は? あの時あいつの部屋のベッドに座った感想は?」
「な、なんだよ。質問が生々しいぞ」
「当たり前だ。『好きなのか、否か』それが問題だ」
「すっ……!?」
「今更なにを驚く。さっきも言っただろう、正直になるのだと」
「お、俺は別に……」
親友として、という前置詞が出そうになったのを、何故かすんでのところで止めてしまった。
「あの時、部屋で京介の涙を見て、何を思った。はっきり答えろ」
まるで威嚇するかのように口を開き、セムは俺に問いを投げた。
「あの時は泣き笑いだろ! 俺の猫耳とセムを見て、あいつは……」
いや、どっちだ? 笑ったから泣いていたのか、それとも涙が出てしまうのを笑い飛ばそうとしたのか。
分からない。だが、やはりこの「形容しがたい感情」には覚えがある。掘り返せばすぐそこに在ると分かるのに、存在感を放っているのに、いつも掘り進めずに土をかぶせて忘れようとしてた感覚だ。いつも心のどこかで諦めていたものだ。
それは少年ヘイロー。合言葉を組み合わせたあの時、秘密を共有して友情を確かめることで、それ以外の感情に見切りをつけた。
『俺たちは親友だ』この言葉を足枷に感じていた。セムは「その先は」と言った。先というのは分からないが、実はもっと別の何かを期待していた気がする。
段々と名前をつけなかった感情に輪郭が蘇ってくる。そうか、そうなのか。俺はもしかして京介のことを――
「界人、見ろ! 京介だ」
俺は深海のように深いところまで思考の海を泳いでいた。現実へと引き戻したのは、セムの鋭利な爪だった。
「いでで、本当か!」
爪が立った手の甲には冬の寒さがよく沁みて痛い。しかし今はそれどころではないのだ。俺は言われた通り、コンビニ前をじいっと凝視する。
丁度、白髪につば付きキャップを被った白髪の少年――間違いなく京介がコンビニ前に突っ立っている所だった。
なんで突っ立っているのか、その理由は相対する人間を見れば明確だった。
「お、おいおい界人。あの三人組だぞ」
「げぇ、マジかよ……」
背丈だけで見ればそこらの高校生。正直その顔つき髪型には、はっきり言って鮮明な記憶は持ち合わせていなかったが、しかし遠巻きからでも聞こえてくる大きな声とその訛りから、アイツらだと分かる。
「君さぁ前もここ来とったよなぁ? 何もせずにウロウロしてるってどういうことなん?」
「あ、えっと……友達と待ち合わせ、してて……はは」
「そーなん。でもここ危ないから、俺らが君のこと守ったるわぁ。ほなあっち遊びに行こうや」
やはりアイツらだ。理不尽ないちゃもんで絡んできては、絶望していた俺に重ね重ねの不幸を与えた不良高校生たち。もっともセムと出会うきっかけでもあったので、今ではそれほど恨めしくもないのだが。
「前はよう分からんババアに邪魔されたけど、今は誰もおらんからぁ――なあ!?」
その不良は、駐車スペースでたむろしていた仲間たちを威嚇した。寄り集まっても、所詮は喧嘩すらロクにしたことのない子供だ。我関せずといった様子で、皆刺激しないように後ずさりしている。
というか、このまま見ていてもどうしようもないだろう。同じ三人なら今度こそ――いや俺が殴り掛かれば、他の仲間も一緒になって戦ってくれるのではないか。
そう思って勇み足で飛び出そうとしたその時、俺のズボンを爪で引っ掛けて止めたのはセムだった。やめろ、ほつれるだろ。
「落ち着け界人。今はまだ君の出る幕ではない。薊京介は目下、神のご加護の範疇にあるのだ。それに天使候補ともなれば――」
「ぐああ!」
悲鳴に驚き、俺は京介の方を見た。だが心配することはない。不良の一人が京介の手を掴んだ瞬間、足を躓かせたか、何か滑るものでもあったのか、突風でも吹いたのか。
その不良は原因不明の転倒から見事に空中で一回転し、背中から落ちたのだった。
「いでえ……っ!」
なるほど、これが神のご加護って奴か。そう驚嘆しているうちに、もう一人、もう一人と、三人の不良全員が地面でのされる。
何度も何度も不良たちは立ち上がったが、その度に軽い事故が折り重なり、奇跡的に京介は怪我を免れている。
「最も、当の本人が一番恐ろしいだろうな。原理不明の事故が多発し、眼の前の不良たちが独り相撲を始め出すのだから」
確かに考えてみれば恐ろしいことだが、しかしこの怯えようは初見という様子ではない。服の端を掴みながら、今度はどうすれば良いのかと悩んでいる風だった。
「ともかく、あの不良たちが帰るまで君の出番はないようだ。もう少し様子を伺って――」
「このガキ、やったるわコラぁ……!」
「……!」
「おりゃあ!」
俺は不良の一人が懐をまさぐり、そこから銀色のメリケンサックを取り出すのを見てしまった。武器を取り出したという事実が俺の心をドキッとさせたので、ついつい走り出さない訳には行かなかった。
そうして神のご加護が発動する前に、俺の拳は不良の顔にめり込んだ。今度も再び青あざだらけに仕上げて、夜しか出歩けないようにしてやろう。
ふと、後ろのほうでセムの鋭い視線を感じたが、今は知らないフリだ。
「か、界人……!」
「ちょっと待ってろ、京介」
「あぁ! おまえはあん時のクソガキ!」
丁度神のご加護であられもなく転んだところだったので、彼らにダメージを与えることは容易だった。怪現象に続き助っ人の登場ということで、不良三人組はほどなくして「ちくしょー」とか「おぼえてろ」とか、三流らしいセリフを吐いて夜の闇に消えていった。
「ふうっ」
一仕事を終えた、という風に息を吐く。特に俺が何か頑張った訳ではないのだが、少しはいい格好をさせてほしい。京介の前では、気丈に振る舞っていたいのだ。
「あ、ありがとう。界人……」
礼なんていらない、とクールに決めても良かったが、目的は他にある。聞きたいことは山ほどあるが、まずは確認したい。
「なぁ、京介」
「……なに?」
「まだ思い出せるか、アレ」
アレとは、当然あれのことだ。今度こそ、秘密の言葉を交わしたい。
「だ、駄目なんだよ、界人」
京介は俯いて応えた。俺の期待にはそえられない。
「僕とお前は、一緒に居られない。さっきの見たら分かるだろ。もう普通じゃないんだよ、僕……」
「そ、そんな訳あるか! まだ俺達は……」
俺が言い切る前に、その天使候補は肩で風を切るように後ろを振り向いた。待てよ京介。だったらお前は何のためにここに来たんだよ。俺に会えると思って来たんじゃないのか。わざわざ面と向かって言う言葉がそれなのか。俺の言葉を聞いてくれよ。俺は、本当はお前のことを――
「おい、京介!」
「うっ」
そこはつい、手癖という奴だろうか。不良だからという言い訳ではない。普段から俺は少々がさつで、乱暴で、そういう振る舞いをワザとしてみるきらいがあったから、この時もつい勢いよく引っ張ってしまっただけなのだ。
京介が俺の手を振り払う拍子に、ばさり、と彼がつけていた帽子を地面に落としてしまった。普通、この場合落ちた帽子に目が行くものだが、俺達は不思議なもので。二人して真っ先に、頭の上に注目したのだ。
「
俺がそう呟いた時、京介が「あぶない」と叫んだような気がした。あまりに焦っていた様子だったので、それはちゃんとした言葉だったかも怪しい。だが、俺がきちんと聞こえていたとしても、それは意味の無かったものだったろう。
とにかく、その時俺の身には危険が迫っていて、しかしそれは神のご加護によるものだから、回避不可能の必然的な事故であったという訳だ。
「界人、界人ぉ!」
俺は神の手により、車と激突してしまった。
全身の感覚が抹消されたとしか表現できないほどの、ぼうっとした浮遊感の中。京介の叫び声がくぐもって俺の頭にこだました。
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