第7話 神が彼を取られたので、いなくなった

「――京介は、余命半年なんだ」


 思うことは沢山あったが、最初に出てきた言葉は「そうだったんですか」という一言だった。字面だけでは冷たく見えるだろうが、その言葉の端が消えかかるように返した俺を、京介の父は申し訳なさそうに見ていた。

 病名は不明。まだ名前もついていない病らしい。余命の限り、最後まで家族と共に過ごすというのが薊家の判断だった。病状は脳に関係するものとだけ教えてもらったが、正直それ以上の情報はあまり知りたくなかった。

「京介なら、二階の自室に……」

 きっと俺の反応もあってのことだろう。京介の父はまるで罪を償うように、あるいは自白するようにしてそのことを明かした。「分かりました」と一言だけ残して、俺は二階へ向かう。


 ぎぃ、ぎぃ、と木の軋む音を立てながら、若干急な階段を上がる。明かりの漏れたあいつの部屋のドアの前に立って、問いかける。

「京介、入って良いか」

「あぁ」

 きっとリビングの声が聞こえていたのだろう。あまり驚いた様子もなく、しかし力ない声がドアの向こうから聞こえた。




 部屋に入って真っ先に目にしたのは、ニットの帽子を被った京介の姿だ。生気の乏しい目と脱力した肩が痛ましく感じられると共に、庇護欲のような、あるいはそれに似た『うずうずとした何か』に駆られる。そんな胸の居心地の悪さがあった。

「界人、こっち座って良いよ」

 京介がぽんぽん、と叩いたのは自身のベッドだった。その端に体重を預けて、俺は早速本題に切りかかる。もう遠回りは御免だ。

「お前、あと半年の命なんだってな」

「……ごめんな、何も言ってなくて」

 思わず「良いんだ」と返しそうになったが、しかし俺の本音はそこではない。きっとお前は、俺の気持ちをおもんばかって本当のことを言いたくなかったのかもしれないが――

「でも、すぐに教えて欲しかった。俺達の仲なんだから、もう隠し事はナシにしようぜ」

「あぁ、そうだよな……」

 タールに沈むように、それでいて掴みどころもない。そんなどんよりとした空気が部屋を満たす。

 さっさとお開きになってしまいそうな気配が漂う前に、俺は今だ! と心の中で腹をくくり、学生鞄からしていたブツを取り出した。


「京介、ン」

「えっと、なにそれ……?」

 猫と猫耳だ。かわいいだろう。そう言って俺はセムを両手に抱えながら、頭にはバラエティグッズの猫耳のカチューシャをつけていた。

「買ってきたの、それ」

 税込みで1100円、と伝えると、京介の顔が一瞬で綻ぶのが分かった。

「ふはっ!」

 わははっ、と爽快に笑うその姿は、病気に侵された者とは思えない程に明るい。腹を抑えて目を細め、涙を流しながらしばらく笑い続ける美少年を、俺は安堵しながら見守った。


「あーっ、も~ほんと。京介って真面目にこういうことやるからさぁ……」

 なんだか馬鹿にされたな。いや、評価されているのか? ともあれ、もうこの猫耳を外してもいいだろうか。

「駄目だよ~、写真撮らせてよそれ。久々に撮りたくなっちゃった」

「わっ、おい、やめろ!」

「かわいいなぁ。その猫も本物? 輪っかついてるじゃん」

 そうして京介がカメラを片手に、さっきまで微動だにしなかったセムを触ろうとしたその瞬間。

 ぐにゃうっ! とセムが身をよじらせて、脱兎の、いや脱猫の勢いで俺の手から離れ、そして鞄の中に逃げ込んでしまった。

「わっ!」

「おい、セム、どうしたんだよ……!」

 鞄を覗き込みながら、小声で叫ぶ俺にセムは丸まりながら応えた。

「ううむ、一旦帰るぞ。話はそれからだ」

「界人、その猫どうしたんだ? 僕なにか不味いことしたかな」

 心配そうに見つめる京介に悟られまいと、俺は咄嗟に首を横に振りながら否定した。

「結構人見知りだったみたいだ。ごめんな、また明日学校で話せるかな」

「えっ、あ……うん。もちろん」

 この時間が終わってしまうのが余程ショックだったのか。俺が帰ると分かるや否や、途端にさっき同様の脱力した姿になってしまった。俺だってもう少しここに居たいけど、今は仕方ない。




「なんだったんだよセム、イイ感じの雰囲気だったろ!」

 両親に素早く挨拶を済ませ、薊家を飛び出した後の帰り道。鞄を覗き込みながら俺は文句を垂れた。

 せっかく仲直りできそうだったのに。お前の指示通りで動いてるんだから、お前がハプニングを起こしちゃ元も子もないじゃないか。

「……とにかく聞くのだ、界人」

 深刻そうに、セムは俺を見上げて続けた。一体どんな言い訳が繰り出されるのかと嫌味な目つきで待ってみたが、その後に続いたセムの言葉は、俺のさっきまでの浮ついた気持ちを地に叩き落とすような、看過しがたい内容だったのだ。




「――薊京介は、天使に選ばれていた」


「はぁ?」

 思わず、帰路の途中で素っ頓狂な声を出してしまった。何をいきなりそんな突拍子もないことを。

「いいか、これは同じ天使たる私が言うのだから間違いない。それに突拍子もないことではないぞ」

「なんだと」

「根拠はある。まず第一に薊京介は――さっき一目見ただけだが、天使である私から見ても、あれは彫像に残され広場へと飾られても文句なし。それほどの美形だった」

 要は美少年だって言いたいんだろ。そんなこと言われなくとも……。

「加えてヘイロー集めの話だ。もし、仮にあんな美少年が天使ごっこに勤しんでいるところを神が見てしまったら、君ならどうする? 主なる父であれば、うっかり惚れて本物の天使にしてしまいたくなるのも無理はないだろう?」

 無理はないだろう、じゃないだろ。そもそも天使になるってどういうことだ? 肝心なところの説明が抜けている。とにかく俺はセムの言葉をかいつまんで、先の内容を確認した。

「じゃあなんだ。あいつは美少年だから、そしてヘイロー集めをしてたから天使に選ばれたと? じゃあ仮に選ばれたらどうなるんだ? 羽が生えて空でも飛べるようになるのか」

「元より我らに羽は無いが……そうだな。人間が天使になれば――」




「――だろうな」


 道のど真ん中で俺は脚を止め、言葉を失った。辛うじて出た言葉は「馬鹿な」という、どうしようもない一言だった。

「馬鹿馬鹿しいと思うか。神は自分の似姿で人間を作ったのだぞ。その情緒や嗜好、行動原理だってどこまでも人間だ。理解できないことはあるまい。惚れたから自分のものにするだけだ。しかし相手が悪いな、これは」

「じゃあ、じゃあ諦めろってことか。神様相手だったら大事な親友を取られても仕方ないっていうのかよ!」

 激昂する俺に、セムはかえって少々気が立ったように、尻尾をぶんぶん振って応えた。猫らしさを突如出されても、俺にはそれが何のアピールなのか分からない。犬ならご機嫌なものだが、そうでは無さそうだった。


「違う。私が言いたいのは、腹を括れということだ!」

「はぁ?」

 俺の情けない疑問符が、セムの調子を上げてしまったようだ。鞄から飛び出さんほどの勢いで、ぐわあっと大口を開けて叫んだ。

「良いか、これは修羅場なんだぞ! 『榎本界人』と『薊京介』と『神』による――」


 セムが騒ぐものだから、いつの間にか数人の通行人が物凄く怪訝な目で俺を見ていたのだが――しかし、そうした恥ずかしさも薄らいでしまうくらい、俺は自分の置かれた状況にすっかり当惑していた。


「三角関係なのだ!」

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