第10話
「本当にありがとうございますっ……! ミラがいなくなったらと思うと恐ろしくて恐ろしくて……本当に良かった……」
まったく、今日はよくお礼を言われる日だ。
あの後すぐに運び込まれてきた冒険者の女性の治療をすることになったんだけど、無事それが終わった後、彼女のパートナーと言うか恋人の男性が私に涙を流しながら頭を下げられているところだ。
確かに彼女は肩から腰に掛けて大きな切り傷を受けていて意識不明の重体だったけれど、幸い傷口は毒や感染症、呪いの魔術などに侵されていなかったから問題なく治療することができた。
残念ながら体に深い傷跡が残ってしまうけれど、それでも命あっての体だ。
彼はただ素直に喜び、感謝してくれた。
「ルイナさんは本当に凄いですね。あれほどの傷の治療をしておいてなおピンピンしてるだなんて……私でしたらマナ不足で倒れちゃいそうですよぉ」
同席していた職員さんにも褒められた。
私は生まれつきマナが多い方らしく、しかも幼い頃からマナを増やす訓練を続けていたお陰で保有量にはかなりの自信がある。
回復魔法は人体に直接干渉する魔法だからかなりマナの消費が荒いので、普通は複数人で治療するか、マナを貯蔵した器具を用いるんだよね。
だからそれらに頼らずに一人で治療できる私はかなりの異常者らしいんだけど、ここの人たちは単純に腕のいい回復術師として尊敬の目を向けてくれる。
「やっぱりこういうところの方が息が詰まらなくていいなぁ」
その後、状態が比較的マシな容体だった2人の患者さんを治療してからようやく解放された私は、屋上で一人呟いた。
貴族社会と言うのは本心を胸に押し込め、舞台で徹底的に“貴族”を演じる戦場だ。
だから褒められたり感謝されたりしても、その奥底では黒いことを考えているなんて当たり前。
誰も信用してはならない。言葉をまっすぐ受け取ってはならない。
子供のころからそう教えられてきた。
もちろん、私自身もその一人だ。
どれだけ嫌な思いをしても、本当は言いたいことがあっても、その本心をぐっと押し込んで笑顔で“はい”と頷いてきた。
精一杯笑って誤魔化して、波風を立てないように生きてきた。
だけどここはまっすぐ生きる人たちが集まる場所。
感謝の言葉や誉め言葉に余計な意味を考えなくてもいい場所だ。
もちろん中には碌でもないことを考えている人もいるかもしれないけれど、ほとんどの人は素直に本心をぶつけてくれる。
もし私が回復魔法という“価値”がなかったら。
もし私が
きっと私は自分を見失って、おかしくなっていただろう。
ルイナ・ハーキュリーは政略結婚で臨まぬ結婚をするも、寵愛を得られず、誰にも心を開けず、その一生を孤独に蝕まれて死んでいく。
そんな“もしも”の未来を考えると、恐ろしくて仕方がない。
だからこそバークスさんや教会の子供たち、それにここの院長などには感謝してもしきれないんだ。
だからこそ、旦那様に愛を貰えなくたって、私は生きていけるんだ。
誰かの命を救うことができるこの両手が、たくさんの温かい繋がりを作ってくれるから。
私は今日も笑って一日を終えられる。
「なんだ。こんなところにいたのか、ルイナ嬢」
「エヴァン殿下! その、お体は……?」
「お陰様で随分と回復した。こうして出歩けるくらいにはな」
夕日を眺めながら思考に耽っていたところに病衣でその身を包んだエヴァン殿下が現れ、声をかけてきた。
彼は当然のように私の隣へ歩いてきて、私と同じように鉄柵に腕を置く。
さっきまでのボロボロ具合とは一転して清潔な身なりとなったエヴァン殿下は、先ほどまでの戦士然とした様子とは全く違う。
だけどしばらくの間、お互い言葉が見つからないまま時間が過ぎた。
そして沈みかけだった夕日がようやく今日の役目を終えようとするタイミングで、殿下はその沈黙を破った。
「……オレは今日、死んだと思った。いや、
「えっ……?」
「大切な兄さんを失いかけたあの日から、オレはひたすら強くなることを望んだ。今度こそ大切な人を失わないように、戦える力を」
「…………」
「少し長くなるが、聞いてくれないか。今は無性にも誰かに話したい。そんな気分なんだ」
エヴァン殿下はどこか遠い目をしながら、鼻息を軽く吐き出して私に問いかけた。
私は無言で頷いた。
何を語りだすのか分からなかったけれど、不思議と殿下が隣にいるこの状況を悪くないと思ってしまったから。
満足がいくまで、話を聞いてあげよう。
それから殿下は語り始めた。
幼少期の自分の身に起きた事件のこと。
それがトラウマになって、その辛さから逃れるためにただひたすら強さを求めて生きてきたこと。
そして今日、
殿下が語った事件は私も記憶に残っている。
第一王子ヴィレム殿下襲撃事件。
当時の貴族界にかなりの衝撃を与えた大事件だ。
と言ってもまだ幼かった私にはそれほど強い興味はなく、事実として知っているだけにすぎないけど。
確か次期国王の候補として有力であった若き王弟殿下を押し上げようとする狂信的な貴族の手の者によって実行された事件と聞いている。
その結果、ヴィレム王子は何とか一命を取り留めるも体に重い障害を背負ってしまった。
まだ10歳だった殿下が目の前で
だらけ者で全く注目されていなかった第三王子殿下の評価が変化し始めたのも、ちょうどこの事件の後からだった。
第三王子殿下は武に優れ、強き心を持つ。いずれ我が国を危機から護る英雄となるだろう。
第三王子殿下こそ我が国を導く次期国王に相応しいのではないか。
とまで言われていたのを思い出した。
「オレは国王の座なんてどうでもよかった。ただ、兄さんを護れる力があれば、それでよかった。兄さんを護って死ねる日が来れば本望だとさえ思っていた」
それだけがオレが望む生き方だったから、と殿下は続けた。
「だからあの時オレはもう死んでいたはずだったんだ。暗闇の中に閉じ込められて、体の感覚もすべて失って。直接的じゃあなかったけど、国のために、兄さんたちのために戦った結果、オレは死んだんだなって受け入れようとした」
それはきっと、私が懸命に治療している時の記憶。
その時の殿下に意識はなかったけれど、もしかしたら走馬灯のような夢でも見ていたのかもしれない。
「でも声が聞こえたんだ。何もないはずの真っ暗闇な死の世界で。死んじゃだめだ。生きて。生きるために戦ってと。オレに手を差し伸べてきた」
「――っ!」
「何もかも諦めていたはずの俺に手を伸ばしてくれたんだ。逃げようとしていたオレを導いてくれたんだ」
それって、もしかして――
「正直、嬉しかった。強さにしか生きる意味を持てなかったオレに、ただ純粋に生きろって言ってくれたこと」
ああ。私の声、ちゃんと届いていたんだ。
口にこそ出さなかったけど、あの時私は殿下に生きて欲しいと本気で願っていた。
私がどれだけ手を長く伸ばしても、肝心の本人がその手を取ってくれなきゃ、私は救う事なんてできない。
だからマナと一緒に想いをぶつけて呼びかける。
今はただ、生きるためだけに戦って、と。
「――って、自分で言ってて少し気恥しいな。少々話過ぎてしまったか。でも感謝しているのは本当だ。拾い上げてもらったこの命の使い方、今は少し休みながら改めてゆっくり考えてみようと思う」
「エヴァン殿下……」
「長話に突き合わせて悪かったな。オレは一旦病室に戻ろう」
そう言って殿下はくるりと柵に背を向け、ゆっくりと歩き出した。
私は自然と口角が上がったのを感じた。
だからその背中に向かって声を上げた。
「殿下!」
そう呼びかけると、足が止まり、こちらへと振り返った。
「殿下があのまま目を覚まさなかったら、私はきっととても悲しくなっていました。それはきっと、殿下のお兄様も同じです。死んでしまったら取り返しがつかないから。大切な人を傷つけてしまうから……」
私の脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックする。
私が救えなかった命――目の前で死んでしまった、あの辛い光景が。
「殿下ならきっと、見つけられるはずです! 今日見つからなくても明日に。明日見つからなかったら明後日に。生きていればいつかきっと、何かが見つかるはずです」
「ルイナ嬢……」
「見つかるといいですね。素敵な答え」
「……ああ」
きっと今の私の顔は真っ赤に染まっているだろう。
だけどそれは沈みかけの夕日のせいだ。
だから決して目は逸らさない。まっすぐ想いをぶつけるんだ。
「やはり
「えっ?」
「いや、なんでもない。それじゃあ、また」
最後に何か、殿下が言ったような気がしたけれど。
たまたま強く吹いた風にかき消されて私の耳には届かなかった。
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