第2話
私が侯爵家に嫁いでから早くも1ヶ月が経った。
と言ってもそれはただの書類上の関係。
お飾りの妻に過ぎず、旦那様が住まう本家から少し離れたところにある別荘でひっそりと暮らしている。
私はそんな生活に――
「これ! 私がずっと読みたかった魔導書だ! わぁー! 何処探しても手に入れられなくてモヤモヤしてたのに!」
大満足していた。
両親の管理下から外れ、面倒くさいパーティなんかにもほとんど出席しなくて良い。
何も求められず、一日中好きなことをして暮らして良い。
周りのことは何でもメイドさんたちがやってくれるし、実家にいるよりもはるかに快適な生活が私を待っていた。
そして何よりこの図書館!
ハルベルト家はどうやら先代が書物収集を趣味としていたということで、この別荘には莫大な蔵書が存在していた。
そこには私が大好きな魔法に関する書物がたくさんあって、ここへ来てから毎日読み漁っているのに未だ1割すら読破できていない。
『魔法なんぞ貴族には不要な技術だ。そんな野蛮で危険なものは平民に扱わせておけばよい』
っていうのがお父様の口癖で、我が家に魔法関連の本がほとんどないのは勿論、私が魔法を学ぶことすら許してくれなかった。
魔法というのは体内に眠る
その力を用いれば何もないところから炎や水を生み出したり、普通では治せない傷を癒したりといろんなことができる。
数百年前までは魔女の外法とされていたけれど、今では冒険者や国の兵士まで用いるポピュラーな技術になっている。
私は幼い頃、近くの森で遊んでいたときに派手に転んで泣いていたところを流れの魔法使いのお姉さんに助けられたことがある。
大きな紫色の三角帽を被っていて顔はよく覚えていなかったけれど、足を怪我した上に友達とはぐれて置いていかれてしまった私のところに現れて、
「大丈夫。痛いのはすぐに飛んでいくわ。ほら!」
そう言いながら私の擦り剝けた膝に手をかざして、温かい緑色の光で包むと瞬く間に傷が塞がった
痛くて痛くてしょうがなかったのに、あっという間に立ち上がれるまで回復したんだ。
当時の私はそれを神の奇跡だと思い込み、お姉さんのことを森の神様なんだと思った。
でもお姉さんはそれに対して首を横に振った。
「いいえ。これはれっきとした人間の力。いつかきっと、あなたにも同じことができるはずよ」
町のすぐ近くまで送ってくれたお姉さんは、最後にそう言い残して森の奥へ消えていってしまった。
それから何度か、お姉さんにお礼を言おうと森へ踏み込んだけど、あれから一度も出会えていない。
でも、お姉さんが言い残した言葉は本当だった。
「あっ、奥様! お待たせいたしました。お昼の準備ができましたので、お越しいただけますか?」
読書に集中していたので、すぐ近くまで来ていたメイド――メアさんの存在に気づけなかった。
彼女は私の4個上のメイドさんで、綺麗な赤色の髪と銀のカチューシャが特徴的だ。
この別荘の中では一番偉い立場にいるメイドさんで、ここに来て初めてできた私のお話友達でもある。
それにしてももうお昼ごはんの時間か……うーん、今いいところなんだよなぁ……
どうしよう。ここまで運んできてもらおうかな?
一瞬そんな考えが頭をよぎる。
「分かりました! すぐ行きます!」
でもそんな考えは振り払って、私は読みかけの本にお花模様のしおりを差し込んだ。
メアさんなら頼んだらきっと嫌な顔一つせずここまで料理を運んでくれる。
でもそれじゃあダメだ。私、ダメ人間になっちゃう。
それに――
「メアさん。ちょっと左手見せて」
「えっ、左手――ですか? はい、どうぞ……?」
やや困惑しながらも、メアさんは左手を私に向けて差し出した。
細く色白だが力仕事もこなしていることから、私のそれよりもがっちりとした五本指。
でもその薬指にはやや厚めの包帯が巻かれていた。
「指、怪我したんですよね? ちょっと包帯取ってみてくれますか?」
そういうとほんの少しだけメアさんが躊躇う。
でもすぐに包帯の拘束を解いて私にそれを見せつけた。
そこには第一関節から第二関節の先まで斜めにぱっくり裂けた傷があった。
ものすごく痛そう……早く治してあげなくちゃ。
「ちょっとだけ我慢してね。痛いのすぐ飛んでいくから」
「えっと、奥様……?」
私はメアさんの指を両手でやさしく包み込み、体の奥底からマナを流し込む。
元通りの正常な指を強く想像すると、ゆっくりと淡い緑色の光が包み込んだ。
メアさんは目を見開いて驚いていたが、抵抗するようなことは無くそのまま黙って見守ってくれている。
そして、
「はい! これでよし! もう痛くないでしょう?」
「これは……回復魔法? 奥様回復魔法の使い手でいらっしゃったのですか!?」
すっかり傷が塞がって他の指と同じように綺麗な指に戻った薬指を撫でながら私を何故かキラキラした目で見てきた
それどころかもう片方の手を添えて今度は私の手をぎゅっと握ってくる。
この国――いや、この世界において回復魔法というのは実はとても貴重だったりする。
まずマナを感じ取ることができる人間が人口の7割と言われ、その中でさらに魔法を扱える段階までたどり着ける人間は3割ほどしかいない。
回復魔法は他の魔法と違ってどうやら非常に高度な技術のようで、扱える人間は魔法使いの中でも1割未満とまで言われている。
そのためどこの国でも回復魔法の使い手は貴重な存在で、国やお金持ちが大金を叩いて抱え込むパターンも珍しくないんだって。
でも私はそもそもお父様に魔法に触れることを禁止されていたので私が回復魔法を使えるってこと知っている人はほとんどいない。
私も隠れてこそこそ魔法の勉強していたから誰かに喋る機械もなかったし……
「あ、はい。まあその、一応……」
「凄いです奥様! 旦那様にそのお力を見せればきっと――あっ、も、申し訳ございません! 今のは――」
私が顔を顰めたのに気付いたのか、メアさんは慌てて謝ってきた。
別に私が回復魔法を使えることはバレてもいいけど、態々自分から申告して関係を改善しようとは思わない。
一度私を突き放した人に媚びてまで権力を得ようだなんて私はそんな図太い女にはなれそうにもないから。
「大丈夫です。さ、ご飯食べに行きましょう!」
「は、はいっ!」
少し考え込んでしまったけど、私がいつもと変わらず笑顔で返事をする。
お母さまが言っていた。
心の中でどんなことを思っていようと、女の子は笑顔でいる方がいいことがいっぱい起きるって。
あなたは笑顔だけは立派ね。
と、よく言われた。
姉妹の中で何もかも他の姉妹に劣っていた私が。
魔法以外なんのとりえもない私が、唯一無条件で褒められたのが笑顔だったっけ。
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