第35話 今際の際だぞ

 「会合は終わったようですね、茜くん。お待ちしておりました」


 月宮さんに見送られ応接間を後にした俺を出迎えたのは、雪姫菜の従者である咲夜である。

 彼女が俺の前に姿を出すということは雪姫菜の思惑が関わっているということであり、今後の行き先に不安しか感じられなかった。

 やはり最近、雪姫菜を愚弄した件に加え先程の不躾な思慮への報復……仕打ちを受けるのだろうか。


 気乗りしない心境で咲夜の案内を受け、俺は前回偽彼女の謎の嫉妬により拉致監禁拘束を受けた拠点へと辿り着く。

 そんなこんなでオカルト研究部部室へと到着したものの、部長である雪姫菜は女子だけの懇親会に参加されているためおらず。

 椅子に座り部長の到着を待つ間、暇を持て余すため『雪姫菜語録』を読むかと思い立った俺に、咲夜は飲み物を差し出す。


 「茜くん、どうぞ。雪姫菜お嬢様より、あの男に差し出す紅茶はない、水道水で構わないと命じられているため水ですがご容赦下さい」


 「歓迎されていないことは伝わった。とりあえずありがとう」


 水を口に含む俺の姿を真正面で佇み無表情で眺める咲夜。

 雪姫菜語録に目を通しつつ視線を送ると、やはり彼女の視線は俺に絞られていた。


 「……」


 「……何か用すか」


 「暇なので構って下さい」


 そういえば拉致監禁拘束事件以降、咲夜とは遭遇……会う機会がなく、ほぼほぼ初対面に等しい彼女のことを何も知らないなと思った俺は彼女に質問を投げ掛けることにした。


 「貴女のお名前は」


 「誇らしき我が雪姫菜お嬢様の従者メイド、超絶完璧万能従者此花咲夜ちゃんです。ぴーすぴーす」


 相変わらず表情の変わらない顔のまま両手でピースをする変に愛嬌のある仕草をする咲夜。


 「可愛いですか可愛いと言って下さい」


 「可愛い可愛い。うちの腹黒偽彼女より可愛い」


 「我が主人への侮辱は私への宣戦布告と看做します」


 「加減が分からん」


 鞭と猿轡と蝋燭を用意する咲夜を宥めると、彼女は冗談ですと一言告げて物騒な代物を片付けた。

 声色や表情から冗談か本気であるのか察せられず一切分からない。


 「私って綺麗ですか」


 相変わらず淡々と抑揚のない声色で訊ねる。

 咲夜を凝視すると彼女は照れて目を逸らすなんてことはなく、お互いに見詰め合う無言の時間が到来した。

 容姿の良し悪し顔面の好みは人それぞれなのだろうが、この学園の連中と比較すると咲夜は整った顔をしていると思える。


 「綺麗だな」


 「……」

 

 率直に述べると再び沈黙を催す。


 「俺は咲夜の瞳が好きだな」


 「つまり私のことが好きだと」


 「そこまでは言っていない」


 「雪姫菜お嬢様の従順なメイドたる私が他者と恋愛関係に発展するなど到底有り得ませんが、率直に好意を申し上げられるのは悪い気がしませんね」


 咲夜は戸棚を漁ると菓子を出し俺に差し出す。

 雪姫菜御用達な菓子であるのか絢爛な水饅頭を用意され、ご厚意に甘えて頬張ると口内に涼やかな餡子の甘さが広がる。

 そんな風に水饅頭を堪能する俺を傍観する咲夜は突然野次を飛ばし、


 「食べていいとは仰っておりませんが」


 「食べる前に言ってくれないっすか」

 

 「冗談です」


 食事を再開すると無言で俺を凝視する咲夜。

 そんな彼女に向けて口の付けていない水饅頭に爪楊枝を突き刺し彼女の口元へ運ぶ。

 羞恥心なしに無抵抗で受け入れる咲夜は、小動物のような小さい口で頬張る。

 飲み込むと再び秀麗な佇まいに舞い戻り俺の顔面に瞳を凝らす。

 またもや水饅頭を送り出してみると召し上がる。

 そんなやり取りを繰り返していると用意された水饅頭は無くなっていた。


 「雪姫菜お嬢様のおやつだったのですが。あーあ、茜くんに全て盗み食いされてしまいました」


 「最初の一個以外全部食べたのは咲夜だからな?」


 「なら盗み食いの共犯者ということですね」

 

 共犯者……? うーん……。

 いまいち納得しかねる俺だったが一応口に付けたので無理矢理納得させる。

 そういえば結局何の要件で俺は咲夜の手招きを受けたのだろう。我がオカルト研究部部長の雪姫菜は男子禁制の懇親会を開催されているわけであるし。

 普通なら部活に精をなすのだろうが、あの腹黒性悪女のことである。大方俺への拷問が主になるのであろう。

 悠長に和菓子を堪能してもいいのか、便所へ行くと抜かして逃げ出すべきなのではと考えが浮かぶが、超絶完璧万能従者によって一瞬で鎮圧され引き戻されてしまうのが見える。

 となれば俺は無駄に傷を増やさないために部長の到着を大人しく待つしかない。要は諦めるしかないというわけである。


 「座らないのか」


 いい加減背後から監視される視線に嫌気がさした俺は、咲夜にそう促す。

 「お言葉に甘えて」と一言述べた咲夜は、椅子に腰を下ろし──という一般人的な行動は取らず、何故か俺の膝の上に座る。


 「何してんすか」


 「座らないのかと仰られましたので」


 「俺の上に座れと誰が言ったよ」


 不躾なメイドは俺の文句に耳を傾けず、そのまま膝の上に居続ける。

 いやまぁ想像以上に軽いから負担にはならないが、それよりもだ──。


 「そう易々と異性の上に座るな。勘違いするぞ」


 「勘違いとは何を勘違いされるのでしょうか」


 膝の上に座る無作法なメイドを追い払おうとすると、咲夜は体の向きを変えて俺の腕に手を添える。

 お嬢のおかげで耐性を得ている俺は今更この程度で狼狽などはしないが、やはり羞恥心がないというわけではない。

 澄んだ空のような青い瞳が目に映ると、俺の抵抗感は薄れていき見惚れかけてしまう。


 「茜くんが何を不安視しているのか私には想像出来かねますが──」


 やはり綺麗な瞳だと──常々感じてしまうのだ。


 「私は勘違いされても構いませんよ」


 此奴何を仰って──。

 一応お前の主人と俺は偽りの恋人同士なのだが、従者の咲夜がそんな台詞を吐いても問題はないのだろうか。

 問題大有りですと、こんな場面を我がご主人様のお嬢と我が偽彼女の雪姫菜様に見られでもすれば、俺は本当に死んでしまうと精一杯抵抗する。

 またもや俺に死亡ルートが追加されてしまう。

 一つ目は雪姫菜冤罪写真。二つ目は雪姫菜偽彼女暴露。そして新たに追加された俺と咲夜の謎の関係性。


 「待て──何をする気だ」


 「…………」


 咲夜は両手で俺の顔面を固定させると視線を交わさせる。

 俺の周囲の女性陣は雪姫菜以外剛腕であるというジンクスがあり、やはり咲夜も引き剥がせないほどの力を持っていた。

 これまたお嬢のおかげで鈍感さがなくなっている俺は、このメイドが俺に何を仕出かそうとするのか想像が付く。


 「正気かお前」


 「接吻キス、お嫌いですか」


 「そういう問題じゃなく。止せ、止すんだ……お前が本当にすれば俺達は一巻の終わり……。もう取り返しの付かない事態に陥るし、何より俺はそれに対する責任を負わねば──」


 魔女さんとアイへの二股疑惑のあった俺が言えることか? と変な責任感が湧くが。

 ともあれこんな一部始終を御二方に目撃されれば、俺の人生はこんな不名誉な形で幕を閉じてしまう。

 そんなのは御免であると必死の抵抗をするが、それも虚しく脆弱な俺では完璧メイドには敵わず。


 互いの距離感は徐々に縮まり──。


 「冗談です」


 そう茶化すように告げると咲夜は俺から顔を離す。

 安堵した俺は昂る鼓動を落ち着かせ荒れた呼吸を整えると、大罪人の脳天に軽く拳を打ち付けた。


 「痛いです」


 「俺の葛藤を返せ、馬鹿メイド」


 何にしても死なずに澄んだと渇いた喉に水を通す。

 ただの水道水であるというのに、変な安堵感からか美味さが増しているように錯覚する。


 「あのさぁ……雪姫菜にしても咲夜にしても、異性を勘違いさせるような言動は止せ」


 「和泉様は問題ないのですか」


 「お嬢は諦め……いや論点が違う。好きでもない人間と偽恋人契約を交わし、口付け行為だなんて……」


 「童貞(笑)かっこわらい


 「童貞で何が悪い。極悪彼女から既に聞いているだろうが、俺には一人の人間を一途に愛し、愛した人間のみとしか行為を致さないという、極めて真面目な……紳士な信念が……」


 つい最近、二股をしていた俺が言えることなのだろうか。

 紳士とは名ばかりの屑野郎である。

 更に第三者目線からすれば、俺はお嬢から好意を寄せられているにもかかわらず他の異性と接点を多く持つキープ君に見える。

 この場に雪姫菜がいればキープ屑野郎ですよと一蹴されそうでもあるが、俺はアイを一途に恋焦がれているため決してキープ君などではないはずだ。


 「結局は何方が本命なんです」


 「雪姫菜お嬢様一筋です」


 「雪姫菜お嬢様はさておき。やはり和泉様ですか、それとも楪様、いやはや梅原様、はたまた織田様、大穴で和泉様のお母様、ここ一番の深見様でしょうか」


 「仮にも主人をさておいていいのか。……ん、深見……?」


 「深見一華様。随分と親しい間柄なようで」


 何でコイツ深見を知っているの?

 いや陰の暗躍者を称する咲夜ならば俺の交流関係を把握していてもおかしくはない。

 となると俺が危惧している、うっかり雪姫菜との偽恋人契約を暴露した件も把握されている可能性が──。

 特に突っ込まれない辺り俺と深見の密談は知られていないなと安堵する。それとも気を利かせて突っ込まないのか。いや、咲夜は空気が読めませんと自認していたし……。

 

 「件の本命様を差し置いて雪姫菜お嬢様とお付き合いになられているとは、一体どのようなお気持ちになられるのか心境をお聞かせ願えますか」


 「お前には優しさという感情はないのか」


 「私には幼少期において感情形成に失敗したため、人を気遣う配慮するといった優しさは備わっておりません」


 「よくそれでメイドなんてやっていけてるな。いや……そんな重い話は止せ。反応しにくい」


 「まぁ嘘ですが」


 苛立った俺は咲夜の頰を抓ると彼女は「痛いです。暴力反対」などと無表情せ呟く。

 清清したところで手を離すと咲夜は頰を摩る。


 「傷物にされてしまいましたね」


 「責任は取らんぞ」


 「仮にそうなったとしたら茜くんは本当に娶るのですか」


 「俺の信念として、やむを得ないがそうなる」


 「やはり私が好きなのですね」

 

 「もうそういうことでいいよ」


 面倒臭くなった俺は自暴自棄に投げ出す。

 それより結局俺は何の要件で呼び出されたのか。

 近頃の金枝騒動のおかげで俺は癒しを求めており、一刻も早く和泉家飼い犬であるゴリちゃんの散歩をしたいというのに……。

 要件もないようなので勝手に帰宅しようと鞄を背負うと、扉の前に佇んでいた咲夜は何故か施錠した。


 「何故鍵を閉めた」


 「…………」


 「何か言えよ怖いから」


 無言の視線を送る咲夜に俺は後退り。

 そんな咲夜は自身のスカートの裾を掴むと捲り上げ──俺はすんでのところで目線を逸らす。


 「現役女子高生の下着を拝める機会だというのに。この好奇を逃していいのですか」


 「逃していい。いいからその奇行を止めろ」


 「ほれ、ちらりちらり」


 咲夜は俺の元に瞬時に詰め寄るとスカートを捲し上げる。

 奴の意図が全く飲み込めない俺は怯え竦む。

 

 「いい加減俺を解放してくれ。俺には愛くるしい飼い犬の散歩があるんだ」


 「犬の散歩ですか」


 「俺にはお前の揶揄いに付き合う暇はないんだ。そろそろ帰らせて──」


 咲夜はどこからもともなく用意したリード付き首輪を自身に装着すると、そのリードを俺に握り締めさせた。


 「わんわん」


 「…………」


 「犬耳も御所望ですか。申し訳ないのですが予備品に犬耳はなく今度取り寄せておきます」


 申し訳なさそうに詫びる咲夜は、俺の前に跪くと黙って俺を見上げる。

 自然と体がお手をしそうになり、他人が見れば変態間違いなしの行為を仕出かそうになると、施錠されていたはずの扉が解錠され勢いよく開く。

 そこには車椅子の雪姫菜を補助するお嬢と手荷物を両手に抱える有栖の姿が──。


 「茜……?」


 「茜さん……」


 「あらあら……」


 藤袴や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり。

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