第32話 六位の和泉仙子

 「──こうして鬼灯邸へ訪問出来るようになったのは、私の巧みな話術によりお母様とお父様からお許しを得られたおかげ! 良かったわね、茜!」


 「いや俺は別に嬉しくも何ともないんですが……。まぁ外出の許可が下りて良かったですね」


 帰宅した俺に包丁を携えて出迎えたのは、昨今変質者としての名声を稼ぎつつある、お嬢張本人であった。

 有栖と蓮の二人と密会した件を嫉妬され、遂に命を奪いに来たのかと覚悟した俺であったが、どうやら我が家の夕飯の準備をするために訪問されていたらしい。

 薄暗い中、灯を照らさずに料理に没頭するお嬢の姿は恐怖心を湧き出させるが、声色から察するに不機嫌ではなさそうなので一先ず安堵する。


 「無許可で鬼灯邸に忍び込めば流石の私も勘当。自由奔放に定評がある私といえども、その辺りは弁えるわよ」


 「無許可で他人の家に侵入するのを自由奔放の一言で済ましていいんですかね」


 「ともあれ己の矜持など前世に捨て置いた私は、お母様とお父様の前で泣き落としの土下座を披露したわけ! 可愛い娘に甘いお父様が同情してくれたおかげで、今の私がいるわけなのよ!」


 「先程巧みな話術で説得したと言いませんでしたか」


 鬼灯家に料理を振る舞わさせてくれとご両親に土下座で懇願したお嬢は、幾つかの制限を設けられて我が家に降り立つ許可を頂いたようである。

 そんなお嬢は制限を破ると座敷牢に収監されて、一生俺の姿を──陽の目を拝むことは出来なくなるらしく、その制約から俺の安全は保証されているようだった。


 「俺を第一に考えてくれるのは非常にありがた迷惑……ありがたいですが、土下座までされると鋼の精神を持つ俺といえども罪悪感があります」


 「それを贖罪する方法があるけれど聞く?」


 「どうせ結婚しろと抜かすんでしょう。お嬢の魂胆など見え見えですよ」


 喚き散らすお嬢を無視し大人しく席に座っていると、料理をお嬢が机に添える。

 どうやら今晩の主役はハンバーグらしく、三段重ねのハンバーグ+大盛りのライス付きが運ばれてきたときは目を疑った。

 お嬢の綻んだ表情を見ると、先程特盛カレーを完食し食欲がありませんとは決して言い出せず、俺は礼を述べて一先ず受け入れた。

 これはサラダで誤魔化しつつ味噌汁を流し込んで完食する他ないと覚悟した俺は、お嬢の視線に更なる罪悪感を覚えながら口に運ぶ。


 「美味しい?」


 「えぇ、とても」


 「良かった」


 俺の一言に微笑を浮かべるお嬢に、普段の変な行動や他人に厳しい点がなければ真っ当な人物なのになと、本当に勿体無い人だと感じてしまう。

 何か懐かしさを覚えながら食に没頭していると、ただ俺を見詰めるだけのお嬢が目に映る。

 そんなお嬢と視線が合うと、ただ表情を綻ばせ、俺が食事するのを黙って眺めるだけであった。


 「実は金枝一派に襲撃されまして」


 「金枝……? 誰……?」


 俺は食事を一旦中断し、これまで遭遇した出来事を切り出す。

 案の定、金枝への記憶がないお嬢は首を傾げる。


 「一位を取ったら付き合えとお嬢に要求してきた、白薔薇所属の十人委員会七席の御三家の御曹司ですよ」


 「肩書きが長過ぎるのよ……。それに一位を取ったら付き合えとか何様のつもり? 傲慢にも程が──って、襲撃!? 何されたの!?」


 微かな記憶を遡りようやく状況を理解したお嬢は、俺に突き詰める。


 「お嬢を俺に寄越さないと集団で暴行するぞと脅されまして。まぁその目論見は有栖のお陰で掻き消されたんですが」


 「私の知らぬ間に私を奪い合う激戦が広げられていたなんて……それで、茜は何と……?」


 「暴行するならお好きにどうぞと」


 「いやいやいや、そこじゃないのよ! いや、茜が暴行され掛けたのも気掛かりだけれど……! それよりも、この問題で何が一番重要なのか分かる……!?」


 俺はお嬢の言葉に頭を捻る。

 お嬢が着目している点、それは何か。

 しかし、幾ら頭を悩ませてもお嬢が何を重要視しているのか皆目見当も付かず。


 「私を寄越せという金枝の要求に対し、茜は何と返答したのかということよ!」


 「端的に言えば、お前にはお嬢はやれんと返答しました」


 「!?」


 お嬢を手に入れるために学力試験で二位の好成績を収め、更に下僕の俺へ決闘を挑む好青年だと見做していたのだが、金枝の本心は傲慢なお嬢を屈服させたいということだけであった。

 そんな相手にお嬢は預けられないと決闘を退いたというのが大筋の流れだが、何かお嬢は勘違いしているようである。


 「それすなわち、私が大好きだからお前にはやれないと──?」


 「違います」


 俺がお嬢の指摘を一蹴すると、彼女は大きく溜息を吐きながら塞ぎ込んだ。


 「どうせ私のような可憐な美少女を好き放題したいとかいう、思春期特有の糞餓鬼の煩悩を茜が跳ね除けた……そういう流れだったのでしょう? 和泉仙子と結婚するのは俺だッ! と、跳ね除けてくれたら良かったのに……」


 「よく分からない理由で拗ねないでください」


 「けれどね、茜が金枝へ行った振る舞いは、無意識のうちに私を少なからず思っているということになるのよ」


 机に突っ伏していたお嬢は拳を天高く掲げる。


 「本当にどうでもいい人物なら金枝と私が恋人になろうがどうでもいいでしょ? なのに茜は金枝の要求を跳ね除けたわけでしょ? ということは茜は私のことをどうでもいい存在ではなく、大事に想っていてくれるということになるでしょ? つまり私のことが大好きということになるのよ」


 「その理屈はおかしい。まぁ、雪姫菜よりは大事に想っているのは確かですよ」


 「エッ……何それ? 私とあの女が同程度……?」


 俺が余計な一言を付け加えたことによりお嬢は混乱を催してしまった。

 雪姫菜の格付けが上位なのか、彼女と同程度なのは喜んでよいものか、そう自問自答しているようであった。

 ちなみに鬼灯茜の大事な人物ランキングは下記の通りとなる。


 一位:未来永劫の一位である鬼灯篝

 二位:鬼灯燈、侑子様、結弦さん、転移前お嬢

 三位:ゴリちゃん、梅原兄

 四位:梅原妹を含める和泉家面々、アイ

 五位:深見率いる藤袴面々、有栖、咲夜、蓮

 六位:雪姫菜、転移後お嬢、鬼灯緋織

 七位:金枝、お頭


 「──というようになります」


 「どうして私が下から二番目なのよ!? あの腹黒女と同順なのも不服だし、何より色ボケ天然女と負け犬より下位なのが……!」


 「まぁ金枝やお頭と同順じゃなかったのは良かったじゃないですか」


 「良かったじゃないですか、じゃないのよ! 一個下が金枝とお頭なんて左程大差ないじゃない!」


 確かにお嬢と雪姫菜の一個下が金枝達なのは違和感がある。というわけで順位を変動させることにした。


 六位:転移後お嬢

 七位:雪姫菜、鬼灯緋織

 八位:金枝、お頭


 「結局、色ボケ天然女と負け犬より下じゃない! ……というか、私の破滅の切っ掛けである転移前の私が二位ってどういうこと……!?」


 「転移前のお嬢は暴言暴行すれど、今より理性的で自制心もあったので比較的マシなんですよ」


 「じゃあ何……? 転移後もこっそりあの私を継続していた方が勝利の可能性は高かったということ……!?」


 ──ゼロとは言い切れない。

 しかし、お嬢は稀に好感度を稼ぐため、この順位はやはり違和感がある。

 そのため再度全順位を修正することにする。


 一位:鬼灯篝

 二位:鬼灯燈、侑子様、結弦さん

 三位:ゴリちゃん、梅原兄、アイ

 四位:梅原妹を含める和泉家面々、転移前お嬢

 五位:藤袴面々、有栖、咲夜、蓮

 六位:深見、転移後お嬢

 七位:鬼灯緋織

 八位:雪姫菜

 九位:金枝、お頭


 「転移前の私が四位に落ちぶれているし、負け犬と現私に至っては同順に変動しているのだけれど」


 「最近の深見の言動は……その、まぁお嬢と同じと言いますか」


 「それより、このランキング一覧表を見て気が付いたけれど」


 ──あ、まずい、俺は失敗を犯してしまった。


 「この咲夜と蓮、それに有栖。こいつら誰よ」


 お嬢が咲夜と蓮は対面しておらず馴染みがないにしても、有栖は……楪さんの下の名前くらいは憶えておかないと駄目でしょうよ。


 「咲夜と蓮は春月で新しく出来た友達です。有栖は楪さんですよ」


 「貴方いつからあの色ボケ天然女を下の名前で呼ぶようになったのよ!? ……まぁいいわ、それより咲夜と蓮? 茜が友達……? 詐欺とかじゃないの?」


 「そんな俺に友達が出来ることが不思議なんですかね」


 「……蓮、蓮……あぁ、早乙女蓮ね? 咲夜……コイツは知らないわね」


 あの記憶力に乏しいお嬢が蓮の名前を記録しているとは、前世のお嬢と蓮は何かしらの関係があったのだろうか。

 まぁ一応は白薔薇に所属しているし顔立ちも良いから記憶に残るような人物といえよう。


 「茜の謎友達の件はさておき最終的に金枝との問着はどうなったの」


 「大分話が横道に逸れましたね。最終的には馳せ参じた有栖に頬を二回も打たれ、負け犬の遠吠えを吐きながら金枝は撤収していきました」


 「……どういうこと?」


 金枝騒動は有栖の平手打ちにより終息したと伝えると、お嬢は徐々に顔を青ざめさせていく。


 「金枝を打ちのめしたのは茜じゃなく色ボケ天然女だったのね……」


 「俺が手を出せば退学になりますので」


 お嬢も蓮と同様に有栖が退学になることはないとの見解を一致させた。

 そもそも一生徒が退学の権限を有しているとは思えないが、それほどまでに白薔薇と十人委員会の権力は凄まじいのだろうか。

 何にしても一度はお嬢の面前で二度目は俺を呼び出すという執念深さから、三度目の襲撃を警戒しておいた方がいいだろう。

 それにお頭一派が陰湿な嫌がらせをしてこないとも限らない。これで解決したと判断するのは尚早だ。


 「それにしても我が愛する茜を呼び出しとはね、私から手を引けと脅迫とは……腸が煮え返りそうよ。そうね、少々お灸を据える必要があるかしら」


 「ですが彼は十人委員会の七席。下手な行動は──」


 そういえばと──我らがお嬢も何故か白薔薇の十人委員会十席であるということを思い出す。

 しかし席次は奴より下。頼みの綱の雪姫菜も九席と二人揃って下位に属する。

 下位の席次と外部生が訴えかけても事が解決するとは思えない。

 懲罰やらの除名処分でもあればよいのだが、俺達如きに他の面々が動く、除名会議なんてもので賛成多数になるとも到底思えない。

 他生徒に対しての振る舞いは知らないが、俺達以外には実害がないのだ、現時点では。


 「これはもうお嬢と金枝が付き合うしかないんですかね」


 「そんな状況になるくらいだったら退学した方がマシよ。……ん? 退学?」


 俺達の最悪の未来を回避する手段として一つの策──俺達が揃って退学するという方法があった。

 入学早々退学はちょっと……と遠慮した俺であったが、どうやらお嬢はこの手段を未だ残していたらしい。


 「私達が退学するために金枝を半殺しにしてやりゃいいのよ! 退学じゃなくとも停学の処罰を受ければ、きっと私達は糾弾され、やがて私と茜の結束力は高まり……!」


 前世での俺はアイの糾弾に不愉快を覚え、多数の生徒を巻き込んだ乱闘を起こし停学になったらしい。

 そんな停学になった問題児の俺と糾弾されたアイは、逆に結束力が高まり恋人となったらしく──。

 要はその状況を意図的に作り出し、俺とお嬢の仲を深めようというのが彼女の企みである。

 金枝を成敗することで鬱憤を晴らし、ついでに二人が疎まれることで結束力は高まる。一石二鳥であると。


 「絶対に辞めてくださいね、そんな愚行」


 「早速明日金枝を半殺しにするわ! やる気出てきた!」


 「変なところで積極性見せないでくださいよ。本当勘弁してください」


 「もう無理なの……悪を成敗するという私の正義心は歯止めが効かない」


 お嬢の漲った正義心を食い止めるのは不可能に等しい。けれども──、


 「あんた、こんなふざけた理由で退学や停学の処罰を受けたら、侑子様や結弦さんに顔向け出来るんですか。それに俺の合格祈願のために太宰府まで赴いたあのやる気、それはどこへ行っちゃったんです」


 「あのねぇ茜、我が家の家系、分かってる──?」


 「あっ」


 「ストーカーする男を半殺しにして処罰を受ける、逆に良くやったと褒められるのが我が家の性質よ? 対話よりも実力行使、それが和泉よ?」


 常識人な結弦さんがお嬢の愚行を許すとは……。

 ──どうすればいい、事前に結弦さんに密告し、ご乱心されたお嬢を食い止めるべきか。座敷牢に投獄させておかねば今のお嬢ならやりかねん。

 お嬢一人の行動で俺も犠牲になるのは……あっ、お嬢一人に責任を被せれば、お嬢一人のみ処罰を受ける可能性も?

 俺は部外者。この問題には関与していない。主人の下僕として責任問題が発生するが、お嬢一人に責任を押し付ければ俺の処分は阻止されるのでは──?

 俺の行動方針としては一先ず結弦さんに連絡し、お嬢に巻き込まれんように柔軟に対応する──それが最善では。


 「一応忠告しておきますが、そんなことをして俺がお嬢と結婚するとでも、好意を抱くと本当に思っているんですか。本当に貴女は、それで俺が結婚すると、本気でお思いですか?」


 「…………辞めます」


 お嬢ご乱心騒動は、あっさりと解決した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る