第25話 侑子愉悦

 信頼出来る相棒深見を引き連れた俺は、和泉家の門の前で改めて気を引き締める。

 これから侑子様に直接「お宅の娘さんとは結婚する気はございません」と辞退するのだと思うと、緊張で胸が張り裂けそうな気分である。

 しかし、俺には隣に並び立つ相棒がいる。彼女の存在が俺の緊張を微かに和らげてくれる。


 何の祝勝会なのかは依然不明ではあるが、お祝い事ならばと俺は近所の和菓子屋で購入した菓子折りを携えていた。

 侑子様が好みそうな羊羹を選別した俺は、喜んで頂けたら恐悦至極だなと自然に購入していた。

 この賄賂で交渉を有利に進められればいいのだが、相手は侑子様である。羊羹程度で「結婚しなくていいよ」となるとは到底思えない。


 「後には引けないが本当にいいのか。私の娘を愚弄する気かと侑子様に斬殺され、はたまた私と結婚してくれないのかとお嬢に刺殺されるかもしれん」


 俺達は侑子様に日本刀で一刀両断、お嬢に鉈で腹部を切り裂かれるかもしれないのだ。生き延びたとしても座敷牢で監禁され、一生日の目を拝めないかもしれない。


 「そこまでしないと思うけれど……覚悟はあるよ」


 「野暮な質問だったな」


 覚悟を決めた深見の瞳には熱い火が篭っているように感じられた。

 俺は門扉を開錠する和泉家から頂いたカードキーをかざし、死地に赴く覚悟を持った俺達は足を踏み入れる。

 和泉家の玄関に通じる石畳を歩いていると、庭池の鯉に餌をやっている石田さんと彼に戯れ付くゴリちゃんの姿があった。

 気配察知に鋭いゴリちゃんは俺達に気が付くと駆け寄り飛び付いて顔面を舐め回そうとする。

 そして、餌やりの作業を中断させた石田さんが来訪に気が付き、俺達の元に寄る。


 「おっ、あーくんじゃん。姉御に大分遊ばれたらしいけれど胃腸大丈夫? 胃薬あげようか? はいどうぞ」


 飴をあげる感覚で胃薬を俺に手渡す石田さんは、萎縮していた深見を一瞥すると顔を引き攣らせる。


 「その子彼女? ヤバいよ、お嬢に殺されるよ?」


 「彼女じゃないです。友達です」


 一応先日激闘を繰り広げたお嬢の顔見知りであることを石田さんに伝えると、彼は朗らかに微笑んで深見に歩み寄る。


 「あ、どうもー。石田満いしだみつるです。飴あげようか? はいどうぞ」


 「あ、ありがとうございます。ふ、深見一華です。茜くんとは幼馴染です」


 「幼馴染ねぇ、いいねぇ青春だねぇ。あーくんもお嬢も同年代の友達は少ないから仲良くしてあげてね」


 会釈する深見は腹を曝け出すゴリちゃんに興味を抱くと、撫でていいですかと石田さんに許可を求める。

 全然いいよと気軽に了承され、ゴリちゃんと戯れる深見を眺めていると、石田さんは俺に耳打ちをする。


 「本命?」


 「違います。それよりお嬢は」


 「お嬢なら小谷こたにと外出中だよ。凄い暴れてたね、ヤバかった」


 侑子様の意向により緘口令が敷かれており、お嬢には帰国の一件は伝えられていない。

 そんなお嬢は侑子様と鉢合わせにならないべく、俺の家に行くと駄々を捏ねたが吾妻さんの命により小谷さんと外出しているらしい。

 最近ではお嬢の痴態は名物になっているらしく、和泉家の結弦さん以外は一種の娯楽となっているらしい。

 お嬢の豹変具合に大分馴染んできたようで何よりである。


 「そういえば石田さん彼女が出来たらしいですね」


 「おっ、そうなんだよそうなんだよ。いやぁ〜大分課金した甲斐があったよ。俺の嫁見る?」


 「課金という単語でおおよそ理解したので大丈夫です」


 遠慮するなとスマホの画面を見せられると、そこには眼帯をした小学生くらいの白髪美少女が『ふぇぇ……お兄ちゃんのエッチ』と喋っていた。

 期間限定の排出キャラであるSSRの正宗ちゃんは3%の確率で手に入るらしく、彼女にするために5万円を貢いだと苦労話を語られる。

 石田さんの苦労話を受け流しながら、ゴリちゃんにお手を教え込む深見を眺めていると、俺は何か重要な事を忘れている気がした。


 「あー……そういえば、副島そえじまから買い出し頼まれてるんだった。悪いけれど、また今度ね」


 買い出しに行くと抜け出した石田さんを見送り、俺も深見の隣でゴリちゃんと戯れる。

 いやゴリちゃんより優先すべき事が──そうだった、俺達は侑子様に直談判するために和泉家へ訪れていたのだった。

 何を呑気に世間話に興じゴリちゃんと遊んでいるのか。覚悟と本題を見失っていた俺達は、深見と共に、付いてくるゴリちゃんを引き連れ侑子様の元へ向かう。


 「今更だけど私、場違いじゃない……? ここにいていいのかな……」


 侑子様に直談判するために俺の付き添いに来た深見だったが、どうやら疎外感を覚えているようだった。

 俺は和泉家の組員全員と顔見知りだから何の問題もないが、対する深見はお嬢と蛍さん以外初対面に等しい。

 そんな中、俺の相棒を買って出た深見は肝が据わっている……度胸があると言える。

 現に先程対面した石田さんは金髪に耳ピアスとおまけにスプリットタンまでしてある外見である。

 ちなみに舌が割れているのは、高校時代に刃物を舐める真似をしていたところ、うっかりくしゃみをしてしまったらしくそれで裂けてしまっただけらしい。


 「俺の友人なら問題ない。だから何も気にするな」


 「そっか……凄いね、茜くん……」


 お嬢と俺は基本的に友達がいないため、その中での友人とやらは珍しがられ歓迎される傾向がある。

 和泉家の面々は癖の強い人物ばかりではあるが基本的に人柄は良いため、初対面の深見は最初は戸惑うだろうが徐々に慣れるであろう。


 「さて、本腰を入れて行くか」


 「うん、そうだね」


 気合いを入れ直した俺達は、改めて侑子様の元へ向かう。

 庭を駆け回っていたゴリちゃんは屋内には通せないとのことで一匹の仲間が脱退してしまったが、ようやく俺達は強敵の元へ辿り着くことになる。


 「侑子様。あーくんといっちーが挨拶に来られました」


 「通しなさい」


 蛍さんにより和室に案内された俺達は、侑子様のお許しが出たため襖を開ける。

 すると、そこには──一糸纏わぬ全裸の侑子様が妖艶な笑みで微笑みながら酒を嗜んでいた。


 「み、見るなぁ──っ!」


 「目がァ──ッ!」


 幼馴染の──お嬢の実母の全裸を拝んでしまった俺は色々な疑問が湧き立つも、深見により目を刺突され痛みに蹲る。

 目を負傷した俺は自分が一体何をしたのだ、こんな展開前にもあったなと理不尽な痛みに悶え苦しむ。


 「あちゃー、そういえば全裸でしたね。参りましたね!」


 「参りましたね〜じゃないですよ! 何で素っ裸なんですか!?」


 「あら、私の家で私が全裸じゃ駄目という規則はどこにあるの? 部外者にとやかく言われる筋合いはないわね」


 「客を持て成す服装じゃないでしょうが! いいから服を着てくださいよ!」


 侑子様と深見の問答が勃発し、侑子様が万全の準備が整うまで目を瞑れと深見に命令される。

 視力を一時的に失った俺は瞼を摩りながら、目を開けてもよいと許可を頂くまで待ち続ける。

 予期せぬ事態もあったが「よし」との一声を深見に頂いたことにより、俺は霞む視界の中で景色を取り戻す。

 ところで、お嬢にも申したいのですが目潰しじゃなく手で視界を覆うとかじゃ駄目だったんですかね……。


 「我儘な生娘ね。茜は華麗なる私の肢体をご覧になれて嬉しい。私はありのままの姿を曝け出せて気持ちが良い。相互利益があるのに何が不満なのかしら?」


 「この展開どこかで見た気が──じゃなくて、茜くんの前ではしたない姿を曝け出さないで下さいよ!」


 「私のギリシャ彫刻のような美貌をはしたないと一蹴するのは不愉快極まりないわね。第一貴女の貧相な肢体を曝すわけじゃないのだし別によくない?」


 「今私の身体が貧相だとかそれは関係ないでしょうが! ですから、年頃の男の子の前で破廉恥だと言っているんです!」


 「あら純粋なのね、お可愛いこと……。そもそも私達は親子同士(義理の)だから問題ないけれど?」


 「和泉さんと茜くんは結婚してないでしょうが! 駄目だ、この人達には敵う気がしない……」


 深見を論破した侑子様は高笑いを浮かべ勝利の愉悦に浸る。

 大分序盤から疲弊した様子の深見だったが、しかし彼女の覚悟は揺らいでいないようで、侑子様と真っ向から対峙するという意思が見えていた。


 「それで今宵の宴には貴女は招待していないのだけれど……一体どちら様?」


 「俺が呼びました」


 「──茜が?」


 俺の発言に侑子様は凍てつくような視線を突き刺す。

 他者を怯え竦ませる重圧の籠った声色。場の空気は一転し俺達は気圧されてしまいそうになる。


 「お嬢との……結婚の件です」


 「結婚……? 茜と仙子の婚姻で、どうして部外者の彼女を呼ぶ必要があるの? ……あぁ、祝辞の担当者?」


 「違います。侑子様、俺は前々から仰っているようにお嬢とは結婚する気はありません」


 「…………」


 俺の明確な否定に侑子様は退屈そうに足を組む。

 そして、机の上に置かれていた煙草を口に加え火を付けると、一呼吸し煙を吐いてから告げる。


 「貴方は仙子の全裸を見た挙句、顔射したらしいわね。その責任はどうするの?」


 えっ、何それは。

 紛う事無く冤罪な見覚えのない事件を告げられ、俺は自身の思考を加速させ記憶を辿る。

 ……そ、そういえば、転移初日のお嬢に全裸で襲い掛かれ、それを鎮静させるために紅茶をぶっ掛けたことがあったな。


 「……茜くん?」


 「ご、誤解です。兎に角違うんです。あれはそうせざるを得ない状況だったというか、それで仕方なくですね」


 味方のはずの深見からも敵愾心を向けられ俺は必死の説得を試みるが、俺への疑惑を晴らすことは叶わなかった。


 「全裸、見たわね?」


 「結婚式の段取りはいかように……」


 「諦めないでよ! ……ええとですね、ご紹介が遅れましたが藤袴高校1年の深見一華です! 茜くんとは幼馴染です!」


 戦意喪失した俺の代わりに深見が先陣を切り開く。

 侑子様は深見の自己紹介に違和感を覚えたようで問を投げる。


 「あら、友達のいない茜に仙子以外の幼馴染がいただなんて……。もしかして詐欺師? いるのよねぇ、最近茜の幼馴染を詐称する詐欺師が」


 「茜くんは私達以外友達のいない人ですが断言します、私は茜くんの幼馴染です!」


 俺の友達が少ないネタはいつまで擦られるの?


 「それで自称幼馴染さんが何用? もしかして茜と結婚するのは私ですと寝取り宣言に来たの? 貴女も茜が好きなの? もしかしてお付き合いされてる?」


 「あ、いや……まだそういう関係では……」


 「あらそう。結婚する意思も覚悟もない部外者が和泉と鬼灯の問題に口を挟まないで頂戴」


 家の問題、それを聞いた深見は言葉を詰まらせる。

 そして、唐突に矛先は俺へと向かう。


 「もしかして茜──貴方は深見さんが好きなの?」


 その一言に深見は俺の顔を凝視する。

 俺が──深見を好き?

 自覚したことがなかった。彼女とは小学校高学年からの付き合いの幼馴染。肩の荷を重くすることがなく自然に接することが出来る唯一の存在。お嬢に並ぶ程の時間を共にした一人。


 最近は恋の悩みとやらが多い。

 雪姫菜からは恋心を自覚され、蛍さんからは恋心を説き伏せられた。

 雪姫菜曰く──それは素敵な夢だと、

 蛍さん曰く──それは憧れだと、

 アイやら魔女さんに向ける感情は偏に愛に括られるのだろうが、結局のところ俺個人が本当に彼女を好きなのかという問いには、はっきりと好きだと断言することは出来ない。

 幻想や面影より目先が正解だと、そうなるのであれば俺にとっての深見は一体──。


 「分かりません……ですが、深見は俺にとって大事な一人であるのは断定出来ます。楽しいこと、やりたいことを一緒にして行きたい存在です」


 言葉が勝手に紡ぐ。

 すると俺の感情の防波堤は崩壊し、自然と言葉を続けていた。


 「侑子様。確かにお嬢もその一人であるのには疑う余地もありません。しかしですが、やはり結婚となると俺には相応な身分も、彼女を幸せにするという意思も覚悟もありません。それに俺には……」


 「……続けて?」


 「俺には……叶うとは到底思えない、けれども微かな夢に乞うように望む、そんな恋心とやらが──会いたいと思っている人がいます」


 散々お嬢を重いと馬鹿にしていた俺だが、俺も重い感情を患ったその一人ではないのか。


 「だから、ですね──」


 一向に俺の前から姿を現さない謎の二人、正直言ってフラれたも同然ではあるが、それは俺の被害妄想。きっとこれこそ幻想に過ぎない。

 自分勝手だが、自分本位ではあるが、それでも俺は、


 「そいつらに振られるまで、俺は誰とも向き合える気にはなりません」


 「振られる前提? 貴方ねぇ……情けなくならないの? ん? そいつらってことは……茜、二股なの?」


 ……二股?

 …………俺が二股?


 「俺、二股してるじゃないですか!」


 「自覚なかったの?」


 人と付き合うことは結婚と認識している俺にとって、一夫多妻制が設けられていない日本では、俺の思想と恋心に矛盾が生じてしまっていた。

 何より二股……二股なんて最低じゃないか。これではアイに振られても魔女さんが大丈夫ならばと保険を掛けているように見做される。


 「茜が最低な二股野郎という驚愕の事実が判明したことはさておき、まぁ貴方がそう望むならそれでいいんじゃない?」


 「まだ両者とも告白結果が出ていないので二股が確定したわけではないですが。……ん? それでいい?」


 「別に仙子と結婚しなくてもしてもいいわよ。茜が仙子と結婚して欲しいのは事実だけれど、このご時世に見合いや許嫁を強制する気はないし」


 あっさりと問題が解決してしまい、俺と深見は顔を見合わせる。

 いや貴女そう仰られておりますが、再三の圧は一体何だったのか。


 ── 侑子様は茜を揶揄うのが好きね。

 ──姉御に大分遊ばれたらしいけど。


 俺の中で燈さんと石田さんの言葉が全ての疑問を解決する。

 この人は、兎に角人を弄び揶揄うのが大好きな人間だったと。だから単純に俺を揶揄っていただけだと。

 吾妻さんや蛍さん、燈さんが本気で侑子様を静止しなかったこと、この場に結弦さんが同席していないことから、事の一旦は侑子様のお遊びだったのだと紐付けられる。


 「俺を揶揄って楽しいですか?」


 「凄く、楽しいわね」


 そう愉悦な笑みを浮かべる侑子様に、あぁそういえば昔からこういう人だったなと思い起こされる。

 

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