第24話 侑子襲来

 和泉侑子様。

 俺の初恋、初キス、初手繋、初告白と色々な初めてを掻っ攫われたお嬢のお母様である。

 長い黒髪と特徴的な紅い瞳。お嬢のお姉様と勘違いされることが多々ある、年齢を感じさせない妖艶な美貌。

 3年振りに帰国された侑子様は俺達の前に姿を見せると、微笑しげな表情で俺達に視線を送る。


 「久しいわね吾妻。それより燈とは結婚した?」


 「し、していませんし、それよりの意味が……。一先ず長旅お疲れ様です」


 そう労いながら吾妻さんは侑子様の鞄を持つ。

 次に侑子様は蛍さんを見詰める。


 「相変わらず元気そうね蛍。吾妻とは結婚した?」


 「えーと……血の繋がった兄妹ですので結婚は出来ないのですが……。長旅お疲れ様です!」


 流れ的に梅原兄妹の最後に俺の番が来てしまう。

 侑子様は俺に一歩近付くと頬に手を添えながら語る。


 「3年振りね茜。私と結婚する気になった?」


 「なっていませんが。長旅お疲れ様です」


 侑子様は俺の突っ込みを華麗に流し、頬に触れる手を徐々に下げていく。


 「大きくなったわね……」


 「人の臀部摩りながら言わないで下さい」


 後方を摩る手が前方へ移動しそうになったところで、俺は侑子様から距離を離し純血を守る。

 不満を溢す侑子様。いや公衆の面前でそうした行為は控えて頂きたいのですが……。


 「茜の成長確認は後々するとして。愛娘の仙子が馬鹿になったという悲報を耳にし、心配になって遠路遥々帰国の途に就いたわけだけれど。どうやら私を差し置いて仙子と結婚するらしいじゃない。私を差し置いて!」


 「お嬢とは結婚しませんし、それと侑子様には結弦さんがいらっしゃるじゃないですか」


 「あれだけ私に熱烈な愛の告白をしてくれたのに今更違うと言うの? それとついでに我が愛娘の婚約を反故にするの?」


 面倒臭ぇ……。

 俺が侑子様を苦手な原因は、この鬱陶しい絡みがあるからである。

 お嬢が増えたような感覚。

 これでも昔は変態化する前のお嬢のような人物であったらしいのだが。やはり親子なのだと改めて認識させてくれる。


 「冗談はさて置き。あの婚期を逃すと思っていた仙子が茜大好きデレデレになってしまうとはね……。どういう心境の変化かしら……? まぁ思春期の子供がエロ本を隠すように隠し事の一つはあるもの。深くは追求しないでおくけれど……」


 結弦さんの方針でお嬢がご乱心された件は、和泉家の間では追求しないことになっている。


 「そういえば茜は義母系のエロ本を隠し持っていたわね」


 「生々しい嘘を吐かないでくれますか」

 

 「で、仙子と結婚するの?」


 「話の軸が逸れまくりで色々と追い付かないんですけれど」


 そんな俺達を見兼ねた吾妻さんが侑子様に苦言を呈する。

 世間話に興じるのは和泉邸に戻ってからということになり、俺達は駐車場へと目指した。

 道中、義母系は無いのでは? と事実無根な非難を蛍さんから受ける展開があったものの、俺への同性愛者疑惑は晴れたようで何よりである。


 行きは吾妻さんが運転したため帰りは蛍さんということになり、助手席に吾妻さん。そして後部座席には侑子様と俺が座ることになった。

 助手席希望の俺だったが侑子様の『私の隣は嫌なの?』という圧力により、俺は憐れにも侑子様の隣へ座る。

 そうした不測の事態が生じたが、車は走り出し和泉家へ向かい始めた。


 移動中、近況を語り合う侑子様と吾妻さんの話に耳を傾けながら、高速道路の変わらない景色を眺める。

 和泉家や他家の状況、昨今の国際情勢など、大人な話題に付いて行けず俺は思考を放棄した。


 「それより姉御、FARCの方の商談は」


 「破棄。今はアフガンでのボランティアが優先よ」


 それより俺にとって重要なのは、蛍さんのウザ絡みにより件の超絶美少女がナカワアイことアイちゃんだと正体を判明させたことである。

 アイは学校の友人ではなく比良坂市の幼馴染ではなく、名前以外依然として正体不明の謎の美少女である。

 彼氏がいる説、同性愛者説、俺の恋は憧れだった説、様々な説を唱えられ、目先の人物を優先しろと説得された。


 「白粉家の御息女がお嬢にご熱心なようですが」


 「興味ないわね」

 

 謎の人物はアイの他に俺の婚約者であったらしい魔女さんもいる。

 筆記試験で1位を叩き出した魔女さんは現世にはおらず行方不明となってしまっているが。

 2人揃って行方不明。皆俺のことが嫌いなんですかね……?


 「石田が恋人が出来たとかで喜んでましたよ」


 「盛大に祝ってあげなさい」


 傷心気味の俺は殺人鬼……ではなくお嬢と入試結果の確認をしたことを思い返す。

 1位楪有栖、2位金枝朱雀、3位月白雪姫菜、4位月宮圭樹、5位和泉仙子……とそれ以上も以下もアイの名前は見当たらなかった。

 6位鈴木蘭、7位三宮菫、8位明智梗吾、9位九條琴子、10位沖永総司……と、お嬢が下位の人物に突っ込まなかったあたり、魔女さんに該当する者はいないと判断される。

 10位以下の人物は掲示されていなかったため11位以降の人物は分からず。仮にアイか魔女さんが11位だった場合でもこの仕様により未明のままだ。

 まぁ春月に通っているか謎のままであるし、都合良く11位になっていました〜というご都合主義的な展開など起こらないと思うが。


 もし仮に、仮にだ。魔女さんだかアイが春月にいたら──俺はどうする?

 俺は一体……何がしたい?


 「──それで茜は私と結婚したいから仙子の求婚を拒絶するというわけね……全て納得したわ」


 「この下り何回蒸し返すんすか」


 いつの間にか話の矛先が俺に向いており、侑子様は俺の太腿を撫で回しながら告げる。


 「茜の熱意には申し訳ないけれど……私には結弦がいるの。だから、貴方の気持ちには応えてあげられない。ごめんなさいね」


 「告白してないんすけど」


 勝手に振られた俺は慰められるかのように頭を撫でられる。

 

 「残念だったな茜」


 「残念だったねあーくん!」


 「もう好きに言ってください」


 ついでに梅原兄妹からも慰めの言葉を受け、俺は侑子様から完膚なきまで玉砕したのだった。


 「そんな傷心中の茜に紹介したい女の子がいるけれど、その子とどう? 付き合う……結婚する気はある?」


 「間に合っているので大丈夫です」


 「仙子と結婚する気はある? 結婚する気はある? 結婚する気はある?」


 結婚しますと返答しないと回答が永遠と繰り返される流れですか、これは。

 というか貴女、お嬢にお灸を据えるために帰国したんじゃないのか。

 親公認で娘を全力で支援する母親に俺の味方は誰一人いないようだった。


 「あのままツンツン状態だったら行き遅れ確定、婚期逃して自暴自棄状態になるんじゃないか、そういう不安はあったの」


 「…………」


 「けれど茜が和泉家に婿入りすると、仙子と結婚してくれるようで、私の不安は解消されたわ」


 「…………?」


 「だから、侑子様の後にお義母様を付けなさい」


 一体侑子様は何の話をしているのか……?

 海外生活が長過ぎて日本語が不自由になってしまったのか……?


 「侑子様、俺はお嬢と結婚しませんが」

 

 「今日は私の帰国と仙子の婚約祝いを兼ねたパーティの開催ね。勿論、私の晩酌に付き合ってくれるわね?」


 「侑子様、俺はお嬢と結婚しな……」


 「──付き合ってくれるわね?」


 「はい……」


 侑子様には敵わなかったよ……。

 非常事態。このままだと俺は本気でお嬢と婚約してしまう羽目になる。

 和泉家に味方はいるわけがないし、それこそ鬼灯家には……燈さんはお嬢一派に毒されているし、俺の婚姻を否定してくれる存在は──。


 ──緋織ひおり母さんがいるじゃないか。

 良い女を貪りに行くとか謎の旅に駆り出して以来消息不明の母親だが、きっと親として俺の意向に沿ってくれるはず──。


 「ちなみに婚姻の件は緋織からは承諾を得ているわよ?」


 「そうなんですね(絶望)」


 侑子様には敵わないと再認識させられた。

 俺の策を事前に封じる先を行く策士に勝てるわけがない。

 俺みたいな小童が人生の大先輩に挑もうなど、勝負の前から敗北していたのだ。


 「じゃ、1時間後迎えを寄越すわね」


 「いえ、徒歩で行くので大丈夫です」


 そうして無様に敗北させられた俺は陰鬱な気持ちのまま、鬼灯家に帰宅することとなる。

 今日は和泉家で祝勝会をするらしく何の祝勝なのかは問わなかったが、強制参加となったため後々伺うこととなる。


 「やはり、こういう結末になってしまうのか……」


 俺は愚痴を溢しながら自宅へと戻る。

 帰宅すると外出用の服を着込んでいた燈さんと出会う。


 「おかえり。侑子様元気だった?」


 「凄く元気でした」


 「茜の方は調子悪そうだけど大丈夫?」


 篝の夢、侑子様の襲来と俺の調子はよろしくはない。

 しかし、この程度で弱音を吐いてはいけない。

 我慢、辛抱だ──。


 「無理はしないで。あぁ、吾妻くんから祝勝会を呼ばれててね。茜も和泉邸行くでしょ?」


 「侑子様直々に誘われましたので断れるわけがないです」


 「侑子様は茜を揶揄うのが好きね。きっと可愛くて仕方がないのね」


 揶揄いの範疇を超えていらっしゃいませんか。

 揶揄いで人の一世一代の結婚相手を決めたりするのでしょうか。

 燈さんは吾妻さんの迎えが来るとのことで待機することになり、俺は気分転換も兼ねて徒歩で処刑場──和泉家へと重い足を運ぶ。


 俺はお嬢と結婚するのか……。

 そうなると雪姫菜の偽恋人契約はどうなるのだろうか? 俺は学園追放されてしまうのだろうか?

 あのお嬢のことだ。俺達の関係性、夫婦の関係を周囲に知らしめるに違いない。そうなれば雪姫菜や楪さん、咲夜の元に情報が届く。


 それだけじゃない。俺が恋していると思わしきアイと俺の婚約者であるらしい魔女さんの件はどうなるのか。

 侑子様には振られ、実質的に彼女達にも振られた惨めな俺だが、やはり未練がましく悩み抱え込んでしまう。

 割り切ればいい──現に別世界の幻影や過去の面影に縋るより、自分に近い存在に目を向けた方が正解だと、それは重々承知している。


 愛が重いそれだけの理由で俺はお嬢を拒絶するのか? アイやら魔女さんを逃げの言い訳にするのか? ……違うとは断言出来ない。


 あの方は日陰者の俺とは違い、性格は他者の交流を拒む口調の悪い荒くれ者で、人の寝室に無断で入る不法侵入者であるが、それでも彼女には人を惹きつける魅力はある。

 別の世界線では傍観者気取りの俺と魔女さんが孤立した根源であるが、今の彼女は転んだ子どもに手を差し伸べ、お頭に因縁付けられていた少女を助ける勇気を持ち合わせる人物である。

 変態的行動により好感度は減少しまくりであるが、目を瞑れば多分魅力のある人物なのである。


 そんなお嬢には相応しい人物がいるはずだと、心の奥底でそんな感情が湧き立ってしまうのだ。

 お嬢からは自分を卑下するなと告げられたが、やはり彼女と俺は釣り合うような存在には見えない。

 それこそ学力試験において2位の成績を示した金枝が相応しいと常々感じてしまう。

 結果的に2位となってしまい叶わなかったが、恋する人と付き合うために2位の成績を獲る努力家な一面。諦め掛けた俺と努力する金枝を見比べてしまう。


 結局どうしたい?

 俺はお嬢と結婚したいのか?

 一体自分自身何がしたいのか?


 「楽しいこと、やりたいこと最優先か」


 「あ、茜くんだ。偶然だね」


 そう後ろから声を掛けられて振り向くと昨日振りの深見と出会う。


 「深見? 最近よく会うな」


 「え、あ、気のせいじゃないかなー?」


 何か惚けた風に呟く深見だが、まぁ俺の家と深見の家は近所なので珍しい話でもない。

 和泉家へ向かう俺の隣に深見は足を進める。


 「また悩み事? この前の夜みたいに乗るよ、相談」


 「いや……」


 遠慮しておくと告げようとした俺だったが、深見の不貞腐れた表情により言葉が止まる。

 困っていたら助けたい──俺の脳裏に深見の言葉が浮かぶ。

 孤立無援と化していた俺は、縋るように深見に事の顛末を打ち明けることにした。

 お嬢のお母様が帰国され、娘と婚約を結べと脅迫──お願いされていること。お嬢は魅力的だが俺は相応しいのか、本当に結婚すべきかどうか迷っていること。結局何がしたいのか分からないこと。それらを全て告げる。


 「茜くんは……和泉さんが好きなの?」


 「別に好きではない」


 「あ、そこははっきりするんだね。……良かった」


 「良かった?」


 「あ、いやー! 有耶無耶になっている中で断言出来るものが一先ず一つあって良かったねと! そ、そういうことだよ!」


 確かに分かり切っていない中で俺の中で断言出来るもの。お嬢が好きかと問われれば別に好きではないですね……という、大変失礼な意思が明確になっている。

 結婚はしたいか? 嫌だ……という意思も断言出来る。では何故お嬢と結婚したくないのか? お嬢が苦手ですので……という、これまたお嬢が聞けば錯乱されそうな確固たる意思が明確化されていた。


 「以前茜くんが言っていたあの人……会いたい人、その人のことが好きなんだね……」


 「だが、俺はその人に嫌われてしまっているらしい」


 「あ、そうなの? へぇー……」


 「嬉しそうだな」


 「勝手な被害妄想はよくないと思います」

 

 被害妄想。アイと魔女さんが俺を嫌いだというのは俺の勘違い、思い込みかもしれない。

 そう、二人は諸事情で俺の前に姿を現さないのであり、決して俺のことが嫌いなわけではないのだ。そう自分に言い掛けると精神的に楽になってきた。

 そして、何故に俺はお嬢と結婚せねばならないのかという不満も湧き立つ。両家共に公認であり娘さんも賛同されているが、俺個人の意思はどうなる?

 吾妻さんから抱え込みすぎて爆発するなよと助言されていたが、今まさに俺の感情が爆発しそうである。


 「やりたい事、見つかったみたいだね」


 「俺に結婚する意思も覚悟もまだないと侑子様に直談判する」


 「そっか……。ねぇ、茜くん」


 深見は俺の手を取り真剣な眼差しを送りながら告げる。


 「私も行くよ」


 「二つの家の問題、それにお前を巻き込むわけには……」


 「私は大丈夫。だって私──茜くんの共犯者でしょ?」


 そう悪いような──思わず見惚れてしまうような微笑みを浮かべた深見に、俺は何も返答出来ず手を引かれる。

 違う──深見は違うけれども、彼女からアイを想起させるのは何故だろうか?


 それにしても凄い一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。

 風……なんだろう吹いている確実に──(以下略)。


 そうして俺と深見は和泉家へ直談判しに行ったのだったが、結論を述べると──俺と深見は大恥をかくことになった。

 という未来が分かるのは数時間後のことだった。

 ……嫌な事件だった。

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