第16話 カンタレラ
「いい加減機嫌直してください」
「ころして……もうきえたい……」
傷心中の彼女は借りてきた猫のように気落ちしており、現在鬼灯家で紅茶を啜っている。
和泉家に送還してもよかったのだが、状況の整理が追い付いていないため鬼灯家へ招いてしまった。というよりは和泉家への帰宅に駄々をこねたお嬢に押し通されたというのが事実だが。
「あかね、ねとられた、もうだめぽ」
お嬢世界線のお嬢は、俺と魔女さんの仲に軋轢を生ませようと謀略していたらしい。
が、それとは裏腹に二人の仲は深まるばかり。
そして、最終的には恋人同士となり、やがて結婚を迎えた……と。
自身の行為が二人の恋を成就させたという自爆に気が付いたお嬢は、魂の抜けた言葉を発さない置き物となっていた。
俺は乾燥した餓死寸前のお嬢に呼び掛ける。
「どうぞ」
「ウン……」
瀕死のお嬢は覚束ない足取りで俺の元に寄ると、一気に脱力し俺の膝に飛び込んだ。
通常のお嬢であれば調子に乗るのだが、憔悴中の彼女はそのような元気もなく無言で顔を突っ伏す。
この状態の方が楽だな、常時この調子でいてくれれば胃腸が休まるなと、そんな野暮な事を考える。
お嬢の機嫌をどう直そうかと思案していると、今更ながら驚愕の事実を自覚する。
──俺、結婚したのか?
お嬢のように結婚に無縁な存在である俺が……伴侶を見付けて結婚だと?
しかも相手は魔女さんと。いや……魔女さんは仮の呼称ですから、本名は全く別なのだが。
魔女さんは筆記試験1位の人物であるという。この場合楪さんが該当するのだが……。俺は楪さんと結婚したのか?
しかし、お嬢世界線では1位が魔女さんであった、1位は楪有栖ではないというお嬢の謎めいた発言もある。
「わけが、わからないよ」
過度のストレスによりお嬢は限界寸前であった。
お嬢の自制心が崩壊すれば、また
ご乱心を防ぐためお嬢の欲情を適度に発散させなければならないという、不名誉な役割を与えられてしまったわけだが。
一先ず膝枕をすれば機嫌が直ると思っていたのだが。相変わらず彼女は淡々と「ひさこ、あかね、けっこん」と呟く無機物な機械となっている。
お嬢の相手に苦悩していると、やがて彼女は事の顛末を呟き出した。
「そもそも楪有栖って誰なの……。あの脳内お花畑淫売天然女知らないわよ……」
お嬢曰く、彼女の世界線では楪さんは1位ではなかった。というか、記憶を遡っても彼女は春月にいなかったらしい。
楪さんが謎の人物であるという疑問は置いておいて、それにしても更に謎が残る。
彼女は魔女さん同様に外部生であるというのに、何故魔女狩りが起きなかったのかという点だ。
「それは私の貫禄が影響してるかもしれないわね……」
「は、はぁ……」
お嬢は魔女狩りを繰り返さないため、掲示板の前に寡黙に佇んでいたらしい。
周囲の生徒は優美な絵画のようなお嬢に見惚れ、また恐れ慄き、掲示板の前に近寄ることが出来なかったという。
一位が何者かという違和感を溢す生徒はいたものの、お嬢の眼力により気圧され立ち去りを余儀なくされた。
やがて立ち寄る生徒も少なくなり自身も撤収を始めたところ、俺の気配を感じたため辿っていくと、あろうことか俺と遭遇したという。
「色々と突っ込み所がありますが、未然に防げたというわけですね」
「その通りよ。ただ……
「アトラクタ……? 何です……?」
お嬢は語る。お嬢の経た世界線αと今現在の世界線βは出来事、人間性や様々な事柄が違っていると。
世界線αでは、魔女さんが1位であり、俺と魔女さんとお嬢は破滅の末路を迎えた。
しかし、現在の世界線βではあらゆるものが異なっている。
1つ目に1位が魔女さんではないこと。
2つ目に楪有栖という乱入者がいること。
3つ目に月白雪姫菜の性格が明るいこと。
4つ目に魔女狩りが起きなかった、防いだこと。
5つ目に鬼灯茜、俺の性格が違うこと。
以上の点を踏まえて、お嬢は世界線αから世界線αに遡ったと予測していたが、歴史が異なる世界線βに移動したと結論付けた。
雪姫菜の性格が明るく、あのウザったらしい雰囲気ではなかったというのが意外だが、俺の性格が違うというのはどういう……。
「こうも改変されているとなると何者かの介入を疑うわね。……まさか、いやそんなはずは──」
「どうかしましたか」
「
そんな馬鹿げた話が──とは言い出せなかった。
現に未来からやって来てしまったお嬢がいるのだから、その可能性が無いとは言い切れないだろう。
しかし、そう判断するのは時期尚早ではないだろうか。数多ある世界線の中の一つがこうなっていた、だけで済む話ではないのか。
話が壮大に盛り上がったおかげで頭が熱くなり、膝枕していたお嬢を押し除けて紅茶を口に含む。
そして、手招きするお嬢に誘われる形で、再び膝枕をするという体勢に戻り話を再開した。
「仮にそうだとした場合、お嬢は誰だと思います……?」
「天然と腹黒ね」
腹黒は雪姫菜だとして、天然は誰。あぁそうか、楪さんか……。
楪さんは外部生でありながら1位を叩き出した強者であり、世界線αでは存在の欠片のない人物であったから候補として含まれる。
雪姫菜は世界線αと性格が違うから、であるらしい。とは言われても、αの方では存じていないため決定力に欠けるのが本音だ。
「お嬢の世界線では腹黒はどういう性格だったんですか」
「そもそも腹黒女は、奴と私が親友同士とか譫言を抜かしていたのだけれど、世界線αでは余り接点は無かったの」
「あの仲睦まじい光景がαではなかったと。となるとそっちのお嬢は……本当に友達がいなかったんすね……」
「私のぼっち疑惑はいいのよ! ……要は世間話をする仲ではなく、お昼に席を共に食事する仲ではなかったというわけよ……」
「本題に戻るけど」とお嬢は咳払いをし、話を元に戻す。
「世界線αでの腹黒はね、確かに今と同じで人気者気質のある一面はあった。けれど、それは腹黒の表向きの面で、裏では冷酷残忍、人を破滅させる事に生き甲斐を覚える悪魔的な人格破綻者だった」
余り今と大差がないような、とは告げなかった。
「腹黒女はね、
お嬢の話が事実がどうかの論議は置いて、話が盛大過ぎるし、雪姫菜の小根が腐り過ぎている。
「結局卒業と同時に奴の末路はどうなったのか知らないけれど、まぁ悪人に相応しい行末を辿ったでしょうね」
「よくその状況で無事卒業出来ましたね」
「まぁこの社会を巻き込んだ内乱は話が長くなるから追々するとして、兎も角私は腹黒が嫌いなのよ。何より私不幸です〜みたいな悲劇のヒロイン染みた目が嫌いだった」
お嬢の雪姫菜評に聞き入っていると一つの疑問が浮かぶ。
そもそもの話、この内乱の責任を他人に押し付けた張本人が雪姫菜であるということを、何故お嬢は把握しているのだろうか。
そんな当然の如く湧いた疑問をお嬢に訊ねると、彼女は真実を告げた。
「それは奴の口から私が煽ったと事実を聞いたのよ。何故腹黒が私に真実を語ったのかは、恐らくこの内乱に私が無関係の傍観者だったから」
「ここでもお嬢は静観していたんですね」
「当時の私はお好きにどうぞ的な姿勢でいて、後に茜と魔女の二人を煽りの種に使用したと知った時は、奴に詰問しようとしたけれど──もう遅かった」
「遅かったとは?」
「あの腹黒……自主退学していたのよ」
その後に腹を据えかねたお嬢は月白本家に突入したのだが、当然の如く取り合ってもらえず結果的に有耶無耶に終わってしまったらしい。
「結構その、凄惨ですね」
「えぇ……思い出したらあの腹黒に殺意が抱いてきたわ。一度半殺しにしてあげようかしら」
「αとβの雪姫菜は別人かもしれないので勘弁してあげてください」
「まぁ奴を後々半殺しにするとして、今は……こう違うのよ。今の腹黒は、私って可愛過ぎてごめんね〜みたいな自分大好き人間で別人なのよ」
それがお嬢の雪姫菜がタイムリープした者の一人ではないかと推測する要因でもある。
世界線αでの雪姫菜は悲劇のヒロインであり、世界線βの彼女は自分を超絶天才美少女と見做していると。
αでの雪姫菜も癪に障るが、現在の彼女のそれはそれで不愉快に感じているらしい。
「雪姫菜の疑惑は一先ず解決したとして、楪さんはどうなりますか」
「天然は……
「先程の考察と打って変わって雑っすね」
「天然はポッと出の馬の骨で情報が少ないのだから仕方ないじゃない!」
ご尤も、楪さんの情報は少ない。
彼女は1位を取る秀才で、お菓子作りの好きな、丁寧で普通などこにでもいそうな子という印象しかない。──春月で1位を勝ち取る時点で矛盾しているが。
1位を取れる……それが、筆記試験の内容を事前に把握していたのだとしたらどうなる? 網羅された答案を暗記し、それを書き写すことで、所謂カンニング的な行為だとした場合──。
「……お嬢、世界線αでの雪姫菜の筆記試験順位は何位でしたか」
「はぇ? ……えーと、うーん……うんと……! 覚えてないわね、てへっ!」
「そすか。まぁ人の名前を碌に覚えていないお嬢なので期待はしていませんが」
「ちょ、ちょっと! その露骨に使えねぇなコイツな態度出すの辞めてくれる!?」
超絶天才の雪姫菜が世界線αでも3位だったのならば、彼女が疑惑から外れるのでは? とも推測出来るが、狙って3位を取った可能性も拭い切れない。
楪さんに本題を戻すと、彼女が不正で1位を取る人間性をしているようには到底思えないのだ。何の根拠もないが。そもそも二人がタイムリープ者という確証もないのだが。
しかしまぁ、お嬢(タイムリープした者)、楪さん(タイムリープ疑惑)、雪姫菜(タイムリープ疑惑)、俺(タイムリープを知る者)に何と癖が強い面々だろうか。まぁ二人に関しては俺達が勝手に言っているだけだが。
「まぁ楪さん何者説と二人タイムリープ説を終わらせるとしてですね。俺の性格が違うとは、αの俺は何を仕出かしたんです」
魔女狩りでの俺は、乱闘騒ぎを起こした荒くれ者であったとのこと。
その糾弾には不愉快を覚えるだろうが、理性のない獣でないのだから暴力に駆り出すわけがない。
そう、世界線αで暴れ回った人物は俺ではなく、別の誰かなのである。きっとお嬢が記憶を捏造してしまっているのだろう。
魔女さんと孤立したのはどうなんだという話になるが、暴力を起こしたのは別の何方かで、俺は言葉による解決を求めた結果、そのような末路を辿ったのだろう。納得。
「αでの茜は、直ぐ手は出るわ、未成年喫煙飲酒賭け事を行うわ、絵に描いたような不良少年だったわね! 他の女に言い寄られても興味を示さず、一向に私に一途な感情を向けていてくれてた部分は、やっぱり私的に高得点よね! 余りにも他の異性に応えないことから同性愛者疑惑も立ったけれど、やっぱり私を一番に思ってくれたからなのよね! まぁお嬢様の集う春月において、茜の存在は物珍しさがあるというか、ある意味注目の的であったのが事実で、そんな茜を付き従えている私は鼻が高いというか、お前ら如き有象無象が茜と付き合うだなんて笑止千万と鼻で笑っていましたが──まぁ、私を思っていてくれたというのは全て私の幻想で、ご存知の通り他の女に奪われた、私は哀れな道化師なんですけれどね」
「えぇ……」
「しかししかししかし! それはあ・く・ま・で! 世界線αでの出来事に過ぎないの! この世界線βでは、私の小学校の夢『茜のお嫁さん』を無事叶えることが出来るッ……!」
「えぇ……」
「仮に魔女狩りが天然で再発したとしても、無事私はそのフラグを払い落としたわけだし、何より奴もいないことだし、私の勝ちは約束されたようなものじゃない……! これも全て計画通り。もう
お嬢は勝利宣言を言い放ち高笑いを行った。
俺の胸板に顔を擦り付ける怖い人を引き剥がそうとするが、しっかりと背中に腕を通して固定されているため、脱出することは叶わなかった。
俺じゃない俺の話だが、俺は1位の魔女さんと結ばれたのが事実であるようである。
別の……というのは頭では分かり切っているが、やはり俺が結婚したらしい相手、その人物が今現在行方不明なのは、何というか複雑な感情を抱いてしまう。
俺と結ばれる──揃って不幸な未来を辿るよりかは、別の高校に入学し、別の誰かと結婚する方が、彼女にとって幸せなのではないのか。
せめて名前くらいは知っておきたいという願望もないわけではないが、お嬢と結婚する覚悟はないので遠慮しておく。
──だが、どんな人間だったのかくらいは、現在機嫌が良いお嬢に訊ねても、物騒な対価を要求されずに済むのでは。そんな淡い期待を抱いてお嬢に問う。
「うーん……そうね、天真爛漫な向日葵のような笑顔。不撓不屈な前向きな性格。私とは大違いな、暑苦しい太陽のような女だったわ」
「やけに高評価ですね」
「……仮にも茜を射止めた女だもの。認めないけど認めてあげる。私は、奴のそういう性格は大嫌いだったけれどね」
そう言ってお嬢は苦笑いを浮かべた。
「ですが神の見えざる手によるものか、奴は今はいないというわけ! 奴のおかげで茜の好きな性格は理解出来たし、奴の真似事をすれば茜と結婚出来るというのが事実証明されているのよ!」
「えぇ……」
「ん……? 奴と私の立ち位置が替わったとなると……茜と私が孤立すれば、その可能性は大いに上昇する? 成程、そういうことだったのね……!」
お嬢はおかしな案が思い浮かんだらしく、意気揚々と頭のネジの外れた提案を言い放つ。
「それ即ち、逆に! 私と茜が揃って孤立すればいいのよ! 世界線αでの私の役割は……お頭か腹黒辺りに依頼すればいいわね! ああもう……自分自身が天才過ぎて惚れ惚れしちゃう……!」
「あんた今、自分自身がとんでもないこと言ってる自覚あるんですか」
このままではお嬢に道連れにされてしまうため、俺は懸命に彼女を諭すが、脳内恋一色に染まったお嬢には効かなかった。
こうなったら結弦さんに頭を下げて、お嬢の頭を矯正してもらう他ないと、他人任せな案が浮かんだその時──神の手助けか、はたまた偶然か、結弦さんの名前で着信があった。
お嬢を祓い退けて部屋から出ると、電話に応答する。
「はい……茜です。どうしましたか……結弦さん」
『声が大分疲れているな。そうか、また仙子がお前の家に上がり込んでいると思って車を向かわせたんだが……いや、それはいいんだが……』
やけに言葉を詰まらせる結弦さん。察するにお嬢を連れ戻すのが本題ではないのだろう。
「……どうか、しましたか?」
『──
「エッ」
『仙子が馬鹿になったと連絡したら……面白そうだから帰国すると。今週の日曜日に成田に戻ると言い出してな……。侑子の迎えなんだが、お前を連れて来いと。急で申し訳ないが付き合ってくれると助かる。それとだが、帰国の件は仙子には内密で頼む』
「アッ……ハイ」
そんな恐ろしい人物が急遽帰国すると結弦さんから伝えられ、俺の日曜日は暗い日曜日と化すことが確定した。
しかしだが、侑子お母様にお嬢へのお灸を据えるという事では大いに喜ばしいことなのでは。
俺は無音となった電話を片手に持ちながらその場に立ち尽くした。
ちなみに結弦さんは、和泉家への婿養子である。
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