第17話 二人寄れば文殊の知恵
「ほらお嬢! 我儘言わずに帰りますよ! マリトッツォ買ってきたので良い子にしてください!」
「子どもじゃないんだから甘い物で釣ろうとしても無駄──ちょ、離し……いやだあああァァァ……!」
案の定玄関前で帰宅を拒む、見るに耐え難いお嬢が再びあった。
お嬢を連れ戻しに来たのは、若頭の
お嬢を引き摺る蛍さんを眺めている吾妻さんは、やはり信じ難い光景のようで青ざめていた。
「……組長からお嬢が馬……成長されたと聞いていたが、想像を絶しているな」
「辛いです……」
「お前が弱音を吐くほどとは……。そうか……うん、大変だな、頑張れよ」
俺の肩に手を置き他人事のように同情する吾妻さん。
唐突なお嬢の変貌具合に彼も怪訝に思っているのだろうが、俺の気苦労を察してか突っ込むことはなかった。
「ちょ、いい加減に──吾妻! この
「組長から多少手荒な真似をしてでも連れ戻せと命を受けてるんで無理ですね」
車に連れ込まれる寸前、往生際の悪いお嬢は大声で喚き散らす。
「じゃないと、貴方が燈さんにただならぬ劣情を抱いている事を茜にバラすわよ!」
「もう既に言っちゃってるじゃないですか! ──おい蛍、お嬢の口を塞げ」
「この甲斐性なし! 度胸なし! 童貞! 離し……! ん、んもう──」
手足を拘束され口に布を押し込まれたお嬢は、車の後部座席に放り込まれる。
燈さんの件とやらは、特に否定しないことからその恋心とやらは事実なのだろうが、俺は気を遣って聞かなかったことにした。
一仕事を終えた蛍さんは、汗を拭うと俺達の元へ駆け寄る。
「兄さんは燈さんのこと好きなんですか? それとお嬢……ヤバいですね☆ ねぇ
「蛍は車に戻ってマリ何とかでも食べてろ。いいな?」
「ウィッス! じゃ、あーくんまた後でね!」
蛍さんは敬礼すると車の助手席に乗り込む。
嵐のような人物が二人消え去ったことで喧しかった場が静寂になる。
俺達は家の庭の腰掛けに腰を下ろし、お土産に頂いたお菓子に手を出す。
「吸っていいか?」
「いいですよ、どうぞ」
吾妻さんは懐から煙草とライターを取り出し、一本を口元に加え火を付ける。
煙草の煙が周囲に広がり、また口の中に甘い味が伝わっていく。
そのお互いに特に言葉を発しない沈黙を打ち破るかの如く、吾妻さんは俺に問う。
「組長からは深く追及するな、お嬢は成長したんだ、ありのままの事実を受け入れろと、大分疲弊した様子で伺っていたが、実際には何があった?」
最近まで冷酷無慈悲だったお嬢様が、その従者に猛烈な愛の攻撃を仕掛ける性格に変貌してしまったのだ。誰もがそう感じて当然であろう。
その豹変具合は改造手術に失敗して人格が変わったか、別人がお嬢に成りすましているか、そんな陰謀的な何かが生まれてしまうかもしれない。
実際は、側から見るとお馬鹿になってしまったお嬢だが、未来から過去に戻ったタイムリープ者なのである。
この事実を突き付けて皆様方は、15の娘が実は成人女性の記憶を保持した未来人であると受け入れられるだろうか。
そういえば、お嬢の実年齢は幾つなのだろう。10年後の未来と言っていたことから25歳であるのか? ……ああいった大人にはならないようにしよう。
「まぁ思春期の子どもは大人に言い出せない秘密抱えて当然だからな。無理には言わんでいいが」
口を噤んでいた俺の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
吾妻さんは「だが」と付け加える。
「流石にどうしようもない時は俺に組長や燈、他の奴、一応蛍を頼れよ。抱え込んで爆発すんのが一番良くないことだからな」
「……ありがとうございます」
「お前は堅すぎる。もっと肩を楽にしてお嬢みたいに我儘でも言え。んじゃ、俺は帰るとするか」
そう言って吾妻さんは煙草の吸い殻を携帯灰皿に入れて立ち上がった。
車の運転席に乗り込む吾妻さんを眺めていると、ふと後部座席から凄まじい形相で俺を見つめるお嬢がいたので、恐怖で視線を逸らす。
見送りの挨拶を済まし車が見えなくなるのを見届けると、何故だか少し気が晴れたような気がした。
甘い味は苦手だ。
マリトッツォに和泉家からのお土産と書き記し、それを冷蔵庫にしまう。
結弦さんに吾妻さんを含めた組の方々、燈さんに一応蛍さん。味方がいると思うと、この窮地を乗り越えられる自信が湧いてくるようで、俺の気は楽になった。
──侑子が帰国することになった。
「……」
── 今日から宜しくお願い致しますね。
やっぱり、何も楽になってなどいない……! 状況は芳しくない……! もう駄目だ、お終いだ……!
侑子様と雪姫菜の件が俺には残っていた。
侑子様の件は左程悲観的になることではないとして、重要なのは腹黒お嬢様である。
俺は行動を誤ってしまったせいか、雪姫菜の奴隷もとい契約恋人と成り果ててしまった。
『私達だけの秘密ですね☆』とウザすぎる脅迫をされた俺は、この偽恋人関係が周囲に知れ渡ると、人生を終えてしまうことになったのである。
1つは雪姫菜に強引に猥褻しようとする偽造写真を基に、俺が変態強姦魔の冤罪を吹っかけられてしまう。
この処置を受けると自主退学はやむなく、はたまた和泉家や鬼灯家、近所の皆様方に変態としての汚名を着せられてしまう。
その醜態は必然的にお嬢の元へ知れ渡るため、最終的には怒り狂ったお嬢に刺殺されてしまうだろう。
2つはこの捏造写真をお嬢に見せられてしまう。
そうなれば当然嫉妬に狂ったお嬢に腹を包丁で割かれる死が待っている。
1つ目のルートでは、写真→退学→死亡となり、
2つ目のルートでは、写真→お嬢→死亡というプロセスを踏んで結局死亡するため、どっちみち俺の死亡は免れないのである。
更に隠しルートである、お嬢に二人の関係性を告白した場合でも、告白→お嬢→死亡となるため、どう足掻いても俺の死亡は待ち構えている。
この死の結末から逃れるためには、俺はこのふざけた関係性を内密に、お嬢に知られないままひっそりと終えるしかないのである。
流石にお嬢が殺害なんて……、と俺の中の僅かな彼女への信頼が馬鹿げた世迷言だと一蹴したが、俺の生存本能が危険を訴えているため、兎も角俺はやり過ごすしかないと決意した。
お嬢に雪姫菜、侑子様の重圧が陰鬱な気分を催す。
家にいても窮屈な気分が晴れないので、俺は気分転換に散歩に駆り出すことにした。
時刻は20時。家族の団欒を醸し出すかのように住宅は灯りを照らし、途切れ途切れの街灯が物寂しさを感じさせる。
静寂した住宅街を目的地を定めず気の赴くまま散策していると、やがてある場所に辿り着く。
自販機で適当な飲み物を購入し、真っ先に公園のベンチに腰を下ろす。
俺以外に人はおらず、缶を開ける音が周囲に響く。
購入した物は染み付いた癖を象徴するお汁粉。
しっかりと確認すべきだったと後悔しつつ、捨てるのも罪悪感があるので飲み切ることにする。
甘い感覚に耐えつつ飲み終えると、そこには何故か2本目のお汁粉が悠然と存在感を顕にしていた。
癖なのか疲れなのか分からないが、どうやら無意識のうちにお汁粉を2本購入していたらしく、お汁粉は俺も飲んでくれと訴えているような気がした。
後で手を付けるから我慢しろと自然と溜息が溢れる。
お嬢曰く、1位の魔女さんはいないと。
お嬢や雪姫菜に侑子様と由々しき事態が駆け巡る中、やはり今の俺にとって重要だったのは、所詮別世界であるが俺の話だった。
天真爛漫な前向きな太陽のような女性とお嬢は評した。
そんな女性と俺如き人間の屑が結ばれるとは、世界線αの俺はどのような徳を積んだのだろうか。
1位が魔女さんではなく楪さんに書き変わっている。
楪さんの謎介入はさておき魔女さんは何処へ。
「そりゃ、魔女狩りに内乱だなんて避けるわな」
まぁ同じ存在など所詮幻想に過ぎず、超常的な人物はお嬢のみであると思っているが。
もうあれだ、世界線αの俺と世界線βの俺は別人だ。別の物語で納得すればいい。
顔も知らぬ相手に未練がましく悩み込むのは馬鹿らしい。無駄な思案は辞めて、3人の対処を練る方が優先ではないのか。
気が重くなるのを感じながら今後の対策を案じていると、俺の背後から足音が聞こえる。
「──茜くん?」
掛けられた声に振り向くと、同じ中学だった友人の一人である
「深見……」
「あ、やっぱり茜くんだ。4人で中学卒業祝いパーティーした以来だね。元気にしてた?」
余り見たことがない服装、恐らく察するに普段着なのだろう、そんな装いの深見は買い物袋を下ろして俺の隣に座った。
彼女が髪を靡かせると甘い匂いが鼻腔を蕩かす。
「元気じゃ無さそうだね。やっぱり和泉さん絡み?」
一瞬で的中させる辺り俺は分かりやすい顔をしているのだろうか。
「乗るよ、相談」
「いや、別にいい」
深見の好意はありがたいが俺は彼女の申し出を跳ね除ける。
3人の問題は俺個人の問題なのだ。他人を巻き込む必要はない。
ふと彼女に顔を向けると不貞腐れた表情をしていた。
「そうですかー、深見一華は頼りにならない使い物にならない役立たずだと」
「そうは言っていない。勝手な被害妄想は止めろ、理不尽が過ぎる」
「じゃ、話してみなよ。楽になるかもしれないよ」
深見の性格からして無言を貫くのは愚策に等しく、一生彼女は俺を解放してくれないだろう。
かと言って、お嬢の変貌、雪姫菜の偽恋人、侑子様の帰国、全てを相談するのは1日で解決するとは思えない。
深見にはお嬢絡みと察せられているので、お嬢の相談事を行えばよい。だが、未来からお嬢がやって来たと告げられても与太話と受け止められる可能性がある。
となれば、そう……お嬢が変貌したことを──。
「お嬢が俺のことを、その」
「うん」
「好きになって、しまった」
「──は?」
人を軽蔑する冷めた声色が発せられ、俺は伝え方を誤ったと判断する。
自惚れた発言ではあるが一応は事実である。しかし、これでは言葉が足りなかったようだ。
「お嬢が……素直に、好意を……向けてくるようになった」
「ちょっと待って……うん、待って。和泉さんは、やっぱり茜くんのことが好きなの? 告白…………されたの?」
「結婚してくれと懇願されていてな……」
「付き合ってじゃなくて結婚!? え、あ、あの和泉さんが!? あー、えと、それに対して茜くんは?」
「無理ですと何度も伝えているが、一向に諦める気配がない」
深見は口を開いて唖然とした表情を浮かべていた。
さも当然の反応である。
彼女の知るお嬢は、俺を奴隷の如く扱う悪鬼羅刹のような人物だったのだから。
「愚かね」が口癖であったお嬢が、口を開けば「愛してる」と連呼する様は、さぞ信じ難い光景であろう。
「…………何があったの?」
俺もお嬢の未来に何があったのか分からないが、今はこう伝えるしかない。
「お嬢は改心し成長した。ただそれだけだ」
「成長の方向性がおかしい気がするけれど……」
無茶のある言い分であるのは自覚している。
「それで……茜くんは、和泉さんと付き合う、結婚するの?」
「その気はない」
「……へぇー。ならどうして? 和泉さん綺麗な顔立ちしてるし、頭は良いらしいし、家柄も凄くて、色々と凄い人なんでしょ?」
第一はあんな人になってしまったというのが原因であるが、俺には別の目的がある。
雪姫菜曰く、素敵な夢と称した。
というか、現状雪姫菜と偽恋人契約を交わしているため、他の異性に目移りしたら死刑なのだが。
「会いたい人がいる。……ただ、俺自身彼女について何も知らないし、仮に会って何がしたいのか、それすらも分からない」
彼女の名前を知れば、俺は会って満足するのだろうか? その先に何を求めるのだろうか?
「というか、俺には契約上だが恋人がいる。現状ではその会いたい人と恋愛どうこう出来る立場じゃないんだが」
「──は? 今なんて言ったの?」
深見は眼孔を見開き顔面を近付け、更には胸倉を掴む勢いで恫喝をする。
その迫力に今更ながら自身が失言をしたことに気が付く。
──これは非常にまずい事態である。俺は雪姫菜様の条約により他者の前では友人として振る舞わなければならない。そして、この関係性が漏れた場合、俺は死刑に処されてしまう。
「れ、恋愛出来る状況ではないと……!」
「その前!」
「契約上の恋人がいまして……!」
「何それ!」
「俺にも分かりません……!」
第三者に口外するなという条件の元、俺は深見に事の一端を伝える。
「──そんなこんなで見事屈服させられた俺は、あろうことか彼女の偽恋人となってしまった。この件が他者に漏れた場合死刑になってしまうというわけだ」
「……脅迫じゃないの? それ」
やっぱり脅迫か。
深見は憔悴しつつ愕然とした様子で溜息を溢した。
更にと付け加え、お嬢にこの件が漏れたとしても死亡する恐れがあると伝えた。
「それは……考え過ぎじゃないのかな」
「いいや、今のお嬢を舐めてはいけない。あのお方は失う物が何もない圧倒的覇者。結婚出来なければ他者諸共生き遅れにさせる覚悟のある人物。油断すれば一巻の終わりだ」
「何を根拠にそう断言出来るの……!? 流石にそこまではないでしょ……!」
「深見は普段のお嬢の姿を拝見してないから、そのような御託を抜かせるんだ。はぁ、これだからお嬢検定無資格者は困る」
「そんなマイナーな資格保持しているの茜くんだけだと思うけど……」
有資格者無資格者の問題はさて置き、俺の相談に乗ってしまった深見には、耐え難い事実を伝えなければならない。
「真実を知ってしまった以上、深見は俺の共犯者になってもらう」
「え、共犯者……?」
「この事実が露見すれば雪姫菜とお嬢は俺達を始末しに来る。要はアレだ、二人だけの秘密ということになる」
「二人だけの、秘密……」
深見は胸に手を添えて何かを小声で連呼する。
そういえばと俺は感謝の礼にお汁粉缶を手渡す。
誤って購入してしまったと告げると、深見は微妙な顔をしながら受け取る。
お汁粉を口に含んだ深見は「温いなぁ」と率直に感想を述べる。
購入してから大分時間が経過してしまったのだ。少し申し訳ない気持ちになる。
若干暖かくなりつつある春の夜といえど若干冷えを感じた俺は、そろそろ帰宅するかと立ち上がる。
「助かった。その、今日は面倒を掛けた」
「あ……うん! ……だって私、共犯者でしょ?」
「また」と去り際に一言告げ、俺はその場から立ち去ろうとするが──、
「茜くん──!」
不意に呼び止められたため俺は深見に顔を向ける。
彼女は買い物袋を無惨に地面に散らばせながら、俺の元へ駆け寄る。
若干息を荒げながら詰め寄る彼女の様子に尻込みしてしまう。
「え、何……」
「えーと……今週、そう今週! 時間、ある!?」
日曜日は侑子様の帰国に際し、結弦さんに同行しなければならない。となれば土曜日。お嬢に拘束されなければ時間が空く。
その旨を深見に伝えると、
「だったらさ和泉さんと偽の件、二人で話し合おうよ! 三人寄れば文殊の知恵って言うでしょ!」
二人だが、とは野暮な突っ込みは入れなかった。
しかし、深見が休日を返上してまで俺個人の問題に力添えしてくれるご好意は申し訳ないと感じる。
そのため俺は申し出を丁重にお断りすることにした。
「大丈夫だよ。私帰宅部だから暇だし」
「いや、そういう問題ではなく深見の時間取るのに罪悪感が──」
「私が大丈夫なの。だから私は大丈夫なの。分かった?」
「はい……」
どういう理屈なのか。
詳細の予定は追々連絡すると伝えられ、無様に敗北した俺は深見と別れる。
……和泉家(お嬢以外)と燈さん、深見と他の友人、俺には味方がいると再認識させられた。
それにしてもだ、世界線αの悲劇の末路を辿った俺は、今の人達を頼ろうとは考えなかったのだろうか。
それは俺個人が一番分かり切った話なのであるが、何故だか俺にはそれが分からなかった。
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