第15話 魔女狩り

 独裁者雪姫菜の降伏勧告に屈服した俺は、彼女に隷従することになってしまった。

 独裁者の協議の上、お互いに条約が締結され、俺はその条項に履行する文書に調印を行なった。

 その文書の内容は以下の通りである。


 1.月白雪姫菜、及び鬼灯茜は恋人関係となることに合意する。

 2.鬼灯茜は月白雪姫菜を尊重し、敬愛の念を抱くこと。

 3.鬼灯茜は月白雪姫菜に隷属し、要求には誠実に応えること。

 4.鬼灯茜は月白雪姫菜以外の異性に対し、恋愛感情を抱かないこと。

 5.関係を内密とし、第三者の前では友人を装うこと。

 6.賃銭の支払いは認められず、鬼灯茜は対価を求めないこと。

 7.交際期間は一ヶ月とすること。尚、延長を可能とする。

 8.交際期間の延長は月白雪姫菜の可否により判断すること。

 9.上記の項目に違反した場合は、10に記す罰則に処する。

 10.死刑に処す。


 不平等条約を押し付けられた俺は、彼女の奴隷となってしまうことが確定した。

 お嬢の下僕と雪姫菜の奴隷を請け負う俺の胃腸は爆発寸前。胃腸薬の服用が増すばかり。


 希望に満ち溢れた学園生活。そんな淡い夢も掻き消え儚く霧散した。

 これは真っ先に帰宅せずにお嬢に同行した方が良かったのでは。

 お嬢の要件の後に雪姫菜の案件を始末するのが最善だったのかもしれない。


 本件をお嬢に相談すべきか。

 しかし常日頃精神が不安定の彼女に対し、雪姫菜と契約上の恋愛関係となりましたと告げれば、嫉妬に我を忘れたお嬢に刺殺される危険がある。

 そうなれば俺は絶命しお嬢は警察の厄介となる。俺達だけではなく和泉家と鬼灯家が道連れになってしまう。その不幸な末路だけは避けなければならない。


 思考と動向が読めないお嬢への対処はどうすべきか。

 以前のお嬢ならば何とかなったのだが、今の彼女は非常に面倒臭い。

 これはそう、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応すればいい。

 そうすれば万事解決。俺の学園生活は平穏なものとなる。


 そんなこんなで解放された俺は帰宅しようとしていたが、学校内で迷子となってしまっていた。

 地図は雪姫菜の悪戯により破棄されてしまったため、正面玄関の場所が分からず途方に暮れる。周囲に人影はなく帰り道を聞き出すことは出来ず。

 窮余の一策でお嬢に助けを求めるという手段もあるが、事の顛末を悟られるのは避けたい。

 独裁者に縋るのは釈然としないが、腹を据えて奴に聞き出すしかないのか。


 「あら茜じゃない」


 「げっ……お嬢」


 紆余曲折し最終的に思考を放棄した俺は、周囲一体を散策していると今一番会いたくない人物に遭遇してしまう。


 「何よその殺人鬼に遭遇してしまったみたいな反応は。鋼の精神を持つと評判の私も傷付きそうなんだけれど……」


 責任を取って籍を入れろと強請るお嬢を押し返していると、彼女は表情を曇らせて告げる。


 「──それより、どうして茜は学校にいるの? ねぇねぇ、どうして?」


 勘の鋭いお嬢の発言に悪寒が走り、強烈な殺気が迸る。

 詰め寄って詮索するお嬢に尻込みする俺だったが、お嬢と遭遇する危険を鑑みて対策は用意している。


 「やはりお嬢を一人にするのは心配で、一度帰宅はしましたが戻らさせて頂きました。ご命令を破った罰は如何様にでも受ける所存です」


 「なら、この書類の各自項目に記入をしなさい」


 お嬢から手渡された婚姻届を一瞥し破り捨てると、彼女は泣き喚いて俺に差し迫る。


 「意思の相違がある中で婚姻を結んで、それで本当にお嬢は幸せなんですか」


 「だ、だって私のことが心配で戻ってきたんでしょ……? これはもう、私のことが好き確定じゃない……! 我が世の春が来たものじゃない……!」


 散らかしてしまった紙片を拾い集めて仕舞うと、お嬢は得意然に新たな紙を見せびらかす。


 「フフフ……残念だったわね。二枚目があるから別に心配はないのよ! 紛失や茜に破棄される対策として手元に予備が十枚あるし! 家には数千枚保管してあるし、執拗に送り続ければ茜も『やれやれ仕方ねぇなぁ……』と観念してくれるはず!」


 「その熱意を別の物に有効活用してください」


 妄想に浸り出したお嬢の姿を見て話題が横に逸れたことに安堵を覚える。

 このままお嬢が結婚に熱中すれば、学校に俺がいるという問題は有耶無耶になるはず。そうしてお嬢に道案内を頼み無事帰宅すれば、一先ず今日の雪姫菜の問題は解決となる。

 楽勝だ。後はうっかり失言をせぬよう口を噤んで、お嬢の相手をしていれば──、


 「──臭い」


 お嬢は苛立った低い声色で呟いた。

 内臓を手で掻き回されたような異物感に吐き気を催す。

 踏み出した足を思わず止めてしまったが、違和感を悟られぬよう改めて歩み出す。対してお嬢は俯いて呟き続ける。


 「私の大好きな茜から癪に障る異臭がする。……この私を散々挑発し嘲笑うかのような上品な汚臭──腹黒女雪姫菜かしら? ねぇねぇ、どうして茜から奴の臭いがするの?」


 俺の視線が逸れぬよう顔を掴むお嬢の冷たい手。

 幸いにも心臓に手は置かれていないため動悸はバレることはない。

 そう……俺は雪姫菜の件も問い詰められると予測し、事前に適正な回答を準備している。


 「お嬢が心配で戻った頃、雪姫菜と偶然出会い頭にぶつかってしまいまして。彼女と一瞬触れ合う機会があったため匂いが残ったのでしょう」


 「…………」


 眼球に釘を突き付けられるような錯覚を覚えつつ、瞬きせずに瞳を見据えるお嬢に視線を返す。

 瞳の渇きを堪え、疚しい気持ちは一切ないと視線を交わす。


 「なーんだ、そうだったのね! 出会い頭だけだというのに茜の匂いを書き換える強烈な悪臭……ちょっと自己主張強すぎじゃないかしら……」


 お嬢は俺に消臭剤を吹き掛けると抱き付いて上書きを始める。

 二度の死線を潜った俺の胃腸は限界に近い。これ以上危機に陥らないことを神に祈りつつ、俺達は再度歩き出した。


 非常に歩き難い体勢の中、相変わらずしがみ付く厄介な主人に問う。


 「そういえば、お嬢こそどうしてあの場に」


 お嬢はその一言に満面の笑みを閉ざし、深刻な面構えに一転させた。

 お嬢は最悪の出来事の一端を垣間見ていたのだろうと察しが付く。

 余程俺に介入をさせたくないせいか、彼女は出来事の説明を拒み曖昧に濁し続けてきた。

 お嬢の責任感や矜持があるのだろうが、俺個人も当事者なのだ、担わせてくれてもいいだろう。報告連絡相談は大事だ。


 「一体何が起きたのか教えてください」


 「入試結果……見た?」


 「いいえ、興味ありませんので特には」


 春月に入学する条件として、筆記試験、面接、内申の調査を求められる。

 この場合面接と内申は関係ないため省くが、外部生は入試のテストを行う。外部生とはあるが、内部生も進級のテストを行うため、同じ内容のテストを外部内部問わず行う。

 その外部内部交えた結果、生徒の実力を示した上位の順位付けが掲示板に貼り出されるのだ。

 馬鹿筆頭の俺は順位など無縁であるため、見に行く気すら起きていない。それがどう最悪と関わっていくというのか。


 「これを見て」


 そうしてお嬢が指を差し出した先には件の結果が掲示されていた。

 10位から1位の人物の名前が記されており、なんと5位には我が主人たる和泉仙子お嬢様の名前がある。


 「流石お嬢っすね」


 「えへへ……ご褒美に何かくれる?」


 お嬢のご要望を一先ず一蹴し、続けて上の順位の名前を眺めた。

 3位に月白雪姫菜という名前があり驚愕してしまう。

 自分自身のことを超絶天才美少女と持て囃すくせに3位なのかよと。そこは1位を狙っておけよ、仕返しに弄り倒してやるかと誓った後、栄光ある1位の人物は──。


 「うーん、ご褒美はどうしてもらおうかなぁ。子守唄しながら添い寝か、私を全肯定甘やかしタイムか迷う……」


 我が友人である楪有栖という名前が記されていた。

 大物疑惑のある彼女だが実際に優秀だったとは。

 お嬢に楪さん、ついでに雪姫菜と優秀な人物に囲まれてますます肩身が狭まる。

 ともあれ、この順位とやらに何の因果関係があるのか。そう訪ねようとすると思考が正常に戻ったお嬢が解説を行う。


 「ご褒美は後で堪能するとして、私のいた世界線では1位が外部生だったという理由から崩壊が始まったのよね……」


 「……どういうことです」


 「違うのよ。そもそもの話が」


 お嬢の要領を得ない発言に頭が混乱しかける。

 彼女は一呼吸置いて言葉を発した。


 「1位は楪有栖じゃなかったのよ」


 楪さんが1位ではない……とお嬢は仰るが、事実そこには彼女の名前がある。


 「矛盾はさて置き。私が何故茜を侍らせるのを拒んだのか、私の世界線での歴史を語るわね。そう……あれは、私が本心では茜大好き、でも素直になれなかった糞無様な道化だった頃……」


 「前置きはいいので早く語ってください」


 入試結果が貼り出され10位から1位の誇り高き名前が掲示された。

 栄光ある内部生が全順位を飾るのだという慢心を打ち砕いたのは、1位が外部生であるという事実だった。

 内部生を差し置いて堂々と1位を飾ったその人物に対し、呆気に取られた生徒はやがて疑心や不満が生まれ始め、不正やら賄賂やらと馬鹿げた言い掛かりで糾弾され始めた。

 そんな魔女狩りと化した状況の中、異を唱える者が現れる。


 「それが私の婚約者よ」


 「…………」


 お嬢世界線の俺は魔女を擁護する立場に回り、終始一貫して魔女の立場であり続けた。

 論争が繰り広げられる中、とある生徒が発した一言により俺の堪忍袋の尾が切れたらしく、その生徒を成敗したらしい。

 そんな暴れ回る荒くれ者の俺を止めるべく、周囲の傍観者も静止に入ったが、その激戦は先生が駆け付けるまで続いた。

 結果的に俺は1週間の停学処分となり、魔女を糾弾した者達はお咎めなしと、不穏な結果で幕を閉じた──。


 「──それ別人じゃないですか」


 「不届者に鉄槌を与えるあの時の茜……ちょっと怖かったけれど、逆にそれが痺れるというか。赤鬼の血が騒いだかと、当時の私は興奮してたわね」


 「お嬢じゃあるまいし俺は暴力で訴えませんが。というか、傍観していたなら俺を止めてください」


 「そうね……あの時の私は、何も出来なかったのよね」


 古傷が痛むかのようにお嬢は自身の腕を摩りながら過去を偲ぶ。

 平和主義者の俺が乱闘騒ぎを起こすなど心底信じ難い光景であるが、しみじみと語る内容から事実である可能性があるだろう。

 外部生という理由だけで非難される生徒。不愉快を覚えるだろうが首を突っ込む真似はしない。

 それにしても、だ。


 「皆、馬鹿っすね」


 「はぇ……?」


 魔女さんに罵詈雑言を浴びせる連中にしろ、暴力で訴える俺疑惑の人物にしても、こんな馬鹿げた出来事で俺が失墜するのは、筋書きのない寸劇だなと感じた。

 このような経緯を辿るから、お嬢は再三何もするなと忠告し、俺の介入を拒んだのだろう。

 それにしても我が主の和泉仙子お嬢様は、下僕である鬼灯茜の不始末を傍観していただけだったのか。


 「その間、お嬢は何をしていました?」


 「え、あ……違うの! 私は……私は」


 お嬢は何故か顔を俯かせて言葉を失う。

 いや別に貴女を責めているわけでは──。


 「私が……私は何もしなかったの。あの下僕は何余計な事をしているのかと静観していただけだった……! あの時、発言力のある私が一声掛ければ、悶着は片付いたはずだった……! だけれども、私は何もしなかった……私が悪いのよ……!」


 「お嬢は何も悪くは──」


 「それだけじゃないのよ! 茜とその子が親密になるのを嫉妬した私は、二人の仲に亀裂を生ませようと陥れたりしたのよ……!」


 俺とお嬢……ではなく魔女さんが不幸になるのは、お嬢も原因に関わっていたのか。

 自責の念に駆られたお嬢は、俺に縋り付いて顔を歪める。

 その姿は、転移してしまった初日と似ている表情だった。


 「つまり、諸悪の根源はお嬢だと」


 「そう……! 学校の環境や他の人達じゃなくて、私が悪い……! 茜が孤立したのは私のせいなのよ……!」


 「そうですか、なら相応の罰が必要ですね。では今回の反省として、ご褒美とやらは無しで構いませんね」


 「あ……え、えぇっ!? あ……はい。そ、それだけなの!? し、失望……しないの!?」


 今更失望とか、この人は何を言っているのだろうか。

 第一、これを体験したのは俺ではなくお嬢世界線の俺である。事実無関係。

 ただ傍観していただけのお嬢は何も悪く……いや、陥れようとしたんだったか。一応悪いのか。

 だが、過去の反省を踏まえたお嬢は、もうこのような失態を重ねないと俺は…………信じている。

 子どもを助け、お頭からの手を取った和泉仙子という人物が、ただの傍観者兼暗躍者になり得るとは思えないからだ。

 

 「失望しませんし悪くないので、さっさと元のお嬢に戻ってくれませんか。面倒臭いので」


 「傷心中の美少女を慰めようとは思わないの……?」


 「別に思いません」


 「……ウッ! その無関心な仕草が逆に唆られるというか……私の傷心中な心を刺激して癖になるというか……!」


 変な性癖に目覚めていたお嬢は、徐々に普段の姿を取り戻しつつあった。

 半分復活した彼女は開き直った様子で俺に指差して宣言した。


 「私が悪い! けれど、元凶は私ではないの! だから、私はあんまり悪くないのよ! 一番悪いのは突っ掛かった茜! だから責任を取って私の夫となるべき!」


 「どういう経緯で俺とお嬢が結婚する羽目になるんすか」


 「結婚……ん、結婚? 待って、茜とその子が結婚したのは……んあああああ──ッ!」


 突如錯乱し頭を抱えるお嬢に恐怖を覚える。


 「私が二人を陥れようとすると逆に二人の結束力は高まった……! んがぁ、だ、だから……ふ、二人は……け、けけけ結婚して……! それつまり、私が、私が二人の結婚を推し進めたことに……!」


 「一人で自問自答しないでください」


 「……私って、ホント馬鹿ね」


 お嬢はその一言を境に気絶した。

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