第14話 超絶天才美少女雪姫菜ちゃん

 「この不幸の手紙を送り付けた犯人はお前か」


 俺は悠長に読書を嗜む雪姫菜に向けて、呪いの手紙を見せ付けた。

 彼女は本を閉じると一呼吸置いて、心外と言わんばかりの雰囲気で語り出す。


 「まぁ失敬、乙女の恋文を愚弄するとは……。私、心に傷を負ってしまいます……」


 「あの文章のどこに恋愛要素がある。ただの脅迫文だろう」


 「あら、しっかりと『お慕い申し上げている』と綴られていたではありませんか」


 ただの恋文なら不幸を告げる文言は必要ないと思うのだが。

 嘘泣きを披露する雪姫菜に対し、俺は本題へ移る。


 「それで、一体何の要件で呼び出した」


 「口調と雰囲気が大分変わられましたね。私、そちらの方が好みですよ」


 「何の要件で呼び出したのですか」


 「……警戒されてしまっているようですね。そう窮屈にせずに自然体で接してくれて構わないのですが」


 お嬢の証言を全て信じ込むのは愚策だが、雪姫菜は狡猾な人物と伺っている。嘘八百であるが楪さんはお嬢に対して狡猾と侮辱されているし、俺の周囲には楪さん以外腹黒人物しかいないのか。

 雪姫菜も一癖ある人物だと判明した以上、俺は対応を見極めなければならない。


 「私は車椅子に乗る虚弱脆弱病弱な美少女。そんな相手に貴方を屈服させられるとお思いですか? 和泉さんと違い暴力で貴方をどうこう出来る立場ではありません。……ですから、そう警戒しないで自然体になってください」


 「分かりました。では失礼」


 雪姫菜は「立っているのも疲れるでしょう」と俺に席へ座るように促す。

 着席した俺に対し、暑いお茶を振る舞う。一口含み、口の中に苦味を広ませる。


 「敬語は要りませんよ。しかし……貴方も猫被っているのですね」


 「別に猫被るつもりはない、楽なだけだ。逆にこっちの口調の方が気を使う」


 上下関係、社会的な繋がりでは当然と敬語口調は規則であるのでお嬢を含め、周囲は俺より立場が上の人達と接するせいか、敬語口調が染み付いてしまった。

 信頼関係のある……所謂親しき仲であれば、砕けた口調でも構わないのだろうが、生憎俺に親しい間柄の人物はいない。


 「随分とお疲れでしょう。誰も無礼とは言わせません。私の前では敬語など要りませんよ? 友達ではありませんか?」


 「雪姫菜は内部生だ。外部の俺がこんな接し方では反すると思うのだが。それに俺には友達の定義は分からん」


 「内部と外部の柵は私が良いと承諾したのですから遠慮せずに。それに私達は名前で呼び合う者同士。これは、友達以上の間柄では?」

 

 観念した俺は、この口調に徹することに決める。

 そうして改めて本題に切り出す。


 「この手紙の意図は。俺とお前に親密になるほどの付き合いはない。面倒だから本心を晒せ」


 「一目惚れという線があるのでは?」


 「馬鹿な俺は他人の深層を読み取る心理戦は苦手だ。もういい、帰らせてもらう」


 立ち上がろうとした俺に対し雪姫菜は静止をかける。

 「いいのですか?」と一言告げられた俺は、致し方なく彼女の言葉に従った。

 何れ語る間に漏らすだろうと思った俺は、別の話題を繰り出す。


 「お前は猫被っていたのか。だが、俺には余り大差がないと思うが」


 「茜さんは私が此処でどう呼ばれているかご存知ですか?」


 いや残念ながら全く。とは告げられなかった。

 お嬢とお頭の闘争に終止符を打つ実力者としか言いようはない。道中他の生徒に絶え間なく話し掛けられる点から、学内屈指の人気者と言えるだろう。


 「白雪姫、と呼ばれているのです……。私らしいと思いません?」


 「……は、はぁ」


 「そう、私はお姫様と比喩されるほどの超絶美少女にして白雪姫の具現化、美少女という単語の実体化! 美少女とは誰か? その答えは『月白雪姫菜』!」


 雪姫菜は怒涛の勢いで熱弁し始める。俺は彼女の語りに口を挟む余地はないと判断し、大人しく聞き入ることにした。


 「他者を救済し人々の耳を傾ける聖母の顕現化! 圧倒的な魅力を放つ学内唯一屈指の人気者! 美少女とは何者かと調査を行えば、一億人中一億人の答えは『月白雪姫菜』! ──でしょう?」


 雪姫菜の熱論には不思議と頷いてしまう雰囲気はあった。

 確かに美少女とは? と問われれば『雪姫菜』と返答するに違いない。それほどまでに彼女には威厳が備わっていた。


 「そんな超絶天才美少女雪姫菜ちゃんにも欠点はあります。それはご覧の通り身体が弱い、ということ」


 確かに雪姫菜は車椅子に乗っていることから、何かしらの疾患を抱えていることが見える。


 「おまけに体力も左程ありませんから、こうして長話をすると直ぐ息切れするのです。少し休憩を」


 雪姫菜は自身の湯呑みを口に注ぐ。疲労を感じさせず彼女は続けて語り出す。


 「ですが私は障害を持ちつつも挫折せずに自己研鑽に励み、一般人以下の体力を手に入れた。不撓の努力家、それが私です。だから──」


 「こうして」と続けると、雪姫菜は車椅子から離れ、机の天板に体重を預けながら立ち上がった。

 雪姫菜の症状の具合は分からないが、彼女の突然の動向に俺は思わず支えようと体が動く。


 「──補助は不要です。貴方は、待っていてください……!」


 手出し無用と。雪姫菜の制する声色に俺は動きを止める。

 その動作は歩くというよりも、腕力のみで全身を持ち上げ、下肢を引き摺っていた。

 机の天板に身を投げ出し凭れ掛かりながら、彼女は距離を縮めていく。

 腕が痺れ出し重みを支えることが出来なくなったせいか、雪姫菜は床に膝を付ける。


 「……っ、はぁ……はぁ、今日は、立てるかな……と、思ったのですが……」


 息切れを起こし、へたり込む雪姫菜は脚が思うように効かない苛立ちからか、スカートを強く握り締める。

 しかし尚も彼女の瞳の色は色褪せておらず、確固たる意地が見受けられた。


 「……っ、常人ならば、行為を抑えるでしょう……しかし、私は……ッ、月白雪姫菜……! これくらい、容易い……!」


 綺麗だと再び感じた──。

 逡巡していた憂苦は消え失せ、俺は床に片膝を付け手を差し伸べる。


 「俺はここにいる」


 這いつくばりながら腕の筋力のみで、雪姫菜は俺の元へ近寄る。

 やがて手は届き、固く握り締まる。

 手の感触が伝わったと同時に雪姫菜を引き寄せる。全身の力が抜けた彼女は俺の身体に身を委ねた。

 思いがけない自分自身の行動に肉体が追い付かなかったからか、足を滑らせて揃って倒れ込んだ。


 「無事か、怪我はないか」


 「……お気遣いなく。……ええと、あぁ。固い緩衝材が、身代わりに……なってくれた、ようですので……」


 お姫様に傷を付けたと知れ渡れば、俺は存在を抹消されてしまう恐れがある。

 呼吸を整える雪姫菜は、俺の胸板に拳を打ち付ける。


 「傷心中の病弱美少女を、一言慰めようとは、貴方は思わないのですか?」

 

 「別に思わない。それに重い。早くどけ」


 「まぁ……なんて酷い男! 乙女に、この障害を持つ私に……どけ、と冷徹に切り捨てるとは! 随分と配慮の欠けた、男……!」


 「お前はそういう扱いを嫌ってと判断した結果だが」


 痺れを切らした俺は、雪姫菜を抱え上げて車椅子の元へ座らせようとする。その直前、彼女は我儘な申し出を述べる。


 「このままでいられますか? お姫様抱っこは、乙女の憧れ。私の夢の一つですので」


 それくらい容易だと嫌々従うことにした俺は、暫くの間彼女が満足するまで継続することにした。


 「私はお姫様抱っこを堪能し、貴方は乙女の柔肌を身に感じる。双方利点があるでしょう?」


 「魅力を感じさせるほど肉付きは付いていないが」


 「また! 次は肉体性的な侮辱! 人権侵害で人権保護団体に訴えますよ?」


 「洒落にならないことは止してくれ」


 顔立ちは整っている雪姫菜に魅力がないというのは言い過ぎたかもしれない。

 そんな彼女に権力を行使して俺への実力排除に移られたら物騒であるため、俺は誠心誠意の謝罪を行う。

 ご機嫌斜めの雪姫菜を煽てていると、やがて称賛の言葉に機嫌を良くした彼女は細声に囁く。


 「惚れましたか?」


 「いや別に」


 「私のことを好きになりましたか?」


 「別に」


 雪姫菜は納得いかないといった様子で俺の頬を抓り始めた。余り痛くない攻撃だが腫れてしまうため咎める。

 拗ねた面倒臭いお姫様は、どういった言葉をご所望であるのか。


 「そうだな、好意的には評価しよう」


 「乙女への回答としては赤点ですね。居残り勉強確定ですよ?」


 納得してくれた雪姫菜に降ろしても良いと許可を頂き、彼女を車椅子に座らせる。

 時刻は夕暮れ時。生徒は皆帰宅したのか部室外は静寂を保つ。薄暗い空から差し込む光が部屋を灯す。彼女はどこか寂しさを感じさせる景色に浸りながら告げる。


 「私、恋をしたいのです」


 「すればいい」


 「他人事みたいに仰らないでください。貴方も当事者ですよ」


 何故に俺がと、率直な疑問が浮かぶ。


 「この私が恋文を綴った相手なのですから」


 「冷やかしだろう」


 「存外、出鱈目ではないかもしれませんよ?」


 雪姫菜は悪戯心を溢れさせながら唇に指を当てた。

 その挑発するような仕草に複雑な感情を抱く。

 この学校だ、外部の無法者の俺より魅力的な奴は山程いる。

 そんな彼等に告白なんて沢山受けている雪姫菜に、彼等を差し置いて俺を選ぶ理由が分からない。


 「あれほどまでに人を愛せるとは──愛の言葉を告げられるとは、瞳の色を輝かせるとは……恋心は人を変える。……それを見て聞いて、羨ましく、奪いたく、恋をしたくなってみたのです」


 「そうか」


 「私と恋をしてみませんか? この先の行く末はどう映るのか……二人の景色を描いてみませんか? 死が二人を分かつまで」


 真剣な表情の雪姫菜は俺に手を差し伸べた。

 どこか茶化すような声色とは一線を画す、嘘偽りを感じさせない。

 恋がしたい──そんな彼女の夢に対して俺の返事は、


 「いや、やはり無──」


 「──は? 今のは承諾する流れだったのでは!? 私の一世一代の告白を無理と一蹴!? 超絶天才美少女の私を、振る……!? あってはならない、こんなことがあっては……! 答えなさい、何が不満なのですか……!?」


 何か似たような光景を思い出してしまった自分がいる。

 雪姫菜は魅力的な人物と言えるのは確実だ。世の男ならば、彼女の返事を快諾するに違いない。

 だがしかし、人と付き合うことは──、


 「俺は人と付き合うことは生涯を掛けて彼女を愛する、すなわち結婚だと考えている。だからそんな野暮な気持ちで人と付き合うことはしたくない」


 雪姫菜の覚悟に俺の覚悟が追い付いていないのだ。

 第一俺は内情を全く把握していない初対面に等しい彼女を好意的には評価していても愛してはいない。


 「は? 貴方馬鹿ですか? 中高の恋愛など遊びの一環……! 今の時期からそんな真剣になってどうするんですか!?」


 「知らん。重いと言われようが馬鹿にされようが、これが俺の信念。誰にも揺るがせるつもりはない」


 「貴方……開き直りましたね……!?」


 存分に俺を煽るがいい。俺の強固な信念は変わらない。

 そして諦めるがいい。お嬢で鍛えられた俺の精神は怯まない。


 「仕方ありませんね。このような策を講じるのは想定外だったのですが──」


 雪姫菜は呟きながら鞄の中を漁る。やがて彼女は何かを手に取った。


 「今手元に10万円があります。私と付き合うなら毎日この金額を支払いましょう」


 雪姫菜と付き合うと毎日10万円が支給される……!? 一月で大凡300万円……!? 年収3600万の高収入に……!?

 それは魅力的な提案。自身の矜持を投げ捨ててでも彼女の飼い犬と化すべき──いやそんな甘い話があってたまるか。

 危うく洗脳されかけた俺は、紙一重自我を保ち首を横に振った。


 「駄目ですか。致し方ありませんね……いいのですか? 貴方は自身の選択が誤っていたと、後々後悔する羽目になりますよ?」


 「俺に脅しが通用すると思うのか?」


 「その蛮勇が最悪の形で身に降りかかる事を悔やみなさい。このような強硬策を講じるのは、私個人好いてはいないのですが──」


 雪姫菜は携帯を弄ると何かを俺に見せ付けた。


 「馬鹿め、何をする気だか知らんが俺の首を縦に振ることは未来永劫不──!?」


 そこには──雪姫菜と共に床に倒れ込む写真、俺が雪姫菜を抱えている写真が何故か保存されていた。

 この写真を人質に取るということは──俺の中で最大の悪寒が発揮される。


 「見せますよ──和泉さんに」


 まずい、非常にまずい事態だ。

 これでは、この写真がお嬢の手元に移ると──、

 俺はお嬢に殺されてしまう……!

 いやそれ以前にこの盗撮写真をいつの間に……!? そんな疑問を解決するかの如く、彼女は真相を暴き出した。


 「この部屋には隠したカメラがありまして。その撮影した写真を私の携帯に常時保存されるようになっています。あぁ、携帯の写真を消しても無駄ですよ? 何故なら──パソコンの方にも保存されますので」


 このような不埒な写真をお嬢に露見した場合、怒り狂った彼女に雪姫菜諸共始末されてしまう──。

 双方諸共悲劇の死──いや、今のお嬢にならば懸命に説得すれば誤解は解けるはず。言い聞かせれば納得してくれるようになった彼女だ。急いては事を仕損ずる──。


 「見てください」


 携帯を弄っていた雪姫菜に再度写真を見せ付けられる。何も変哲のない変わり映えのない写真、というわけにはいかなかった──。

 何故かその写真は、俺が雪姫菜を床に押し倒しているような構図になっているのだ。車椅子の少女を乱暴しようと襲い掛かる暴漢、そのような景色が生まれていた。

 この短時間で編集を──どうやって、そんな疑問も生まれた束の間、彼女は良い笑顔を放つ。


 「この写真が学内で公になると貴方はどうなるでしょうか? 学校にいられなく、国家公務員の厄介になる危険性があるのでは?」


 「そんなの信憑性が──」


 「学内屈指の人気者の私と外部生の貴方、皆様はどちらの方を信じるでしょうか?」


 確かに雪姫菜と俺では雲泥の差がある……!

 例えるならば蟻と像のような関係……! 雪姫菜の戦闘力が53万ならば俺の戦闘力は5……! 敵うはずもない……!

 勝敗は最初から既に決していた。俺が誘き出された時点から……! 俺は雪姫菜に従う道筋しかなかったのだ……!

 何が屈服させるとお思い? だ……! 人の弱味に漬け込む、魔性の女め……!


 「俺の夢はもう終わった、煮るなり焼くなり好きにしろ」


 「雪姫菜ちゃんの完全勝利。貴方は月白雪姫菜の彼氏の称号を得られたのです。これは名誉なことですよ」


 「そんな仮初の称号、嬉しくも何ともないんだが」


 完全屈服させられた俺は、今日から雪姫菜の彼氏となってしまった。

 この件がお嬢の元に伝わると大変な由々しき事態となる。俺と雪姫菜諸共自爆する爆弾を抱えた今、俺は自身の身を案じた。

 そんな俺は、お嬢のある名言が脳裏に過ぎる。


 ──最悪の結末に真正面から対峙する必要はなかった。


 そういうことだったのか。

 俺が回避するためには、この選択が最も好ましい。

 失踪して東北辺りで身を隠す。お嬢の刺客に追われる長い旅になるだろうが、まぁ何とかなるだろう。


 「……しかし関係性が公になると、嫉妬に狂った和泉さんに刺殺される恐れがありますね。仕方ありません、私達の恋人関係は二人の秘密、ということにしましょう」


 「二人の秘密、だと?」


 「あの和泉さんが貴方に無駄な愛情表現を押し付けるその裏、実は私と貴方が恋仲という事実を考えると……それはもう、哀れで可哀想で、とても興奮してしまいますね……」


 お前には人の心がないのか?


 「しかし、あの激重和泉さんは恋愛下手ですね。優秀な彼女ですが、その辺りは利かなかったのでしょうか? あれで実は奥手な可能性も……? 当事者の意見をお聞かせ願えますか?」


 「知らん」


 雪姫菜は「そうそう」と続けて俺に問う。


 「何故貴方は和泉さんとお付き合いしなかったのですか?」


 再三お嬢を受け入れないという理由は、愛が重い、という点だけではない。

 残念になってしまったお嬢。確かに今の彼女にも魅力的な一面は僅かながらにはある。転移前の彼女に敬愛していた事実がある俺は、あのままのお嬢に本性を曝け出されれば、可能性がなかったとは言い切れない。


 ──決してお嬢にも誰にも打ち明かさない事実。

 忘却された過去の夢のような物語。

 そんな微かな夢に溺れていてもいいだろう?

 

 「会いたいと思っている人がいる。それが付き合わない理由だ。だから俺はお前との関係を拒んだ」


 「それは、とても素敵な夢ですね」


 「素敵な夢?」


 「えぇ、貴方はその人のことが好きなのでしょう?」


 好き、なのだろうか?

 顔も名前も碌に覚えていない、ただその出来事のみを記録した相手に、俺は付き合いたいと望んでいるのだろうか?


 「そうか。そうだといいな」


 「まぁ今日から? その相手を差し置いて、この私! 月白雪姫菜が貴方の彼女なのですが? 告白する前から振られてしまったようなもの……あぁ可哀想」


 この女には改めて、人の心がないのか?


 「今日から宜しくお願い致しますね、茜さん?」


 嘘彼女から差し出された手を俺は握り返した。

 俺は悲惨な末路を辿る地獄に片足を踏み込んでしまったのだった。

 俺はふと雪姫菜が読んでいた本の表紙に目が移る。

 その本の題名は『神曲地獄篇』であった。

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