第11話 黒い白雪姫
車椅子の少女の到来に、熾烈な言い争いが鳴り止む。
お頭はお嬢に一瞥すると舌打ちを放ち、相棒二人を引き連れて席に戻る。
あのお頭を一言だけで引き下がらせるとは、彼女は学内屈指の有力者なのだろう。
「彼女には気を付けなさい──」
お嬢も旗色が悪いと睨んだのか、俺の手を握り締め自身の胸に添える。やがて名残惜しそうに涙ぐみながら手を離し、自身の居場所へ引き返していった。
そんな今生の別れと言わんばかりの様子のお嬢に得体の知れない恐怖を覚えながら、状況の整理が追い付いていない俺と楪さんも席へ座る。
事の一端に終止符が打たれたことで、やがて教室内に喧騒が戻る。やはり話題は俺とお嬢の件で盛り上がっているようで、他人の視線が痛く感じる。
「おや、隣でしたのね」
空席だと思い込んでいた俺の右隣は、どうやら彼女の席だったらしい。
口に手を添えて上品に微笑む彼女の仕草を見て、何故か安堵してしまう自分がいる。
救世主の如く燦然と輝く後光。諍いを鎮める威厳のある鶴の一声。お嬢も一応お嬢様なのだが、格の違いを感じさせられる。
それよりも俺は、見苦しい激闘を解決してくれた彼女に頭を下げ礼を述べる。
「先程はありがとうございました。主に代わってお礼を申し上げます」
「いえ、別に構いませんよ。それより和泉さんの所作、少々斬新なお姿でしたが一体何が?」
「その、自分が恋人か飼い犬かの認識の違いで一悶着あったようです」
「──は?」
俺の回答に彼女は唖然とし言葉を失う。どうやら説明が曖昧だったようだ。俺は改めて事の経緯を語る。
お嬢が駄々を捏ねて俺の膝に座り、
その不埒な態度にお頭が因縁を付け、
部外者を巻き込んで鬼灯茜は彼女か下僕かの論争が勃発し、
楪さんを脅迫するお頭に対し、復活したお嬢が再戦を挑み、
最終的に車椅子の彼女の降臨により休戦に至った。
「鬼灯さん……ちょいちょい」
事の顛末を説明している最中、楪さんが俺に指摘する。
遠く離れた席から、生気のない無表情で俺達を凝視するお嬢がいた。
何か呟いている……恐らく呪詛を唱えるお嬢に、周囲の生徒は怖気付き、俺も堪らず身が震える。
「仰られている意味が……あ、失礼しました。
「ご丁寧にどうも。よろしくお願いします、月白さん」
「雪姫菜──とお呼び下さい。月白なんて他人行儀な呼び方はおやめ下さい。さん付けは結構ですので雪姫菜、雪姫菜です。いいですね?」
「アッ、ハイ」
月白さん──雪姫菜の圧力に屈した俺は、致し方なく彼女を名前呼びするに至った。
「楪有栖さん、ですね? 有栖さんとお呼びしてもよいでしょうか?」
「はひっ、だだだ大丈夫です!」
楪さんは敬礼を返しながら了承する。
庶民の二人は、圧倒的お嬢様気質の雪姫菜様の威厳に気押され、あわあわと取り乱すばかり。
そんな緊張する楪さんに、雪姫菜は手を差し出す。
「緊張しなくてよいですよ。私達は友達ではありませんか」
「ふ、ふひぃ……お、お友達……ふへっ」
「これから三人で学園生活を満喫していきましょうね。えい、えい、おー」
そして、三人で謳歌する誓いを契った。
この先、山あり谷ありで沢山の苦難や挫折を味わうかもしれない。しかし、俺達三人ならばきっと、それ乗り越えていけるだろう。
俺は今後の先行きに未来への希望を見出す。明日はきっと、素晴らしい未来が待っているだろう……ん、ちょっと待て。
お嬢は……?
先週入学式を終え、実質的に本日が初の授業となった。
大体が内部生を在する春月だったが、ご存じのとおり俺達外部生もいるため、初回は自己紹介を交えながらの軽い授業となる。
休憩時間は既に交友関係は形成されているためか、一人を除いて孤高となっている人物はおらず、皆緊張感なく和気藹々としていた。
注目を浴びた俺と楪さんは蚊帳の外になりかけたが、雪姫菜の存在により完全に孤立化することはなかった。
そして午前中の授業を終え、昼食の時間となり、学食へ興味を示した楪さんの意見に同意し、食堂へ向かうことになったのだが──。
「私と茜は屋上で二人きり蜜月の時間を過ごすという、最重要な予定があるから、お二方はどうぞご自由に親睦を深め合ってくれる?」
微笑みを浮かべ温和な口調で発するお嬢だったが、言葉の裏には欲望で満ち溢れていた。
俺の腕を断固として握り締め、意地でも屋上へ連行しようという強い意志が伝わる。
楪さんの提案を無下にするのは心苦しく、尚且つこの上流階級の人間が訪れる食堂に興味があった俺は、当然お嬢から離れようとする。
「あ、あの鬼灯さん……学食来てくれないんですか……?」
楪さんの心細い声色に俺の胸が痛むが、対してお嬢は一切感化されず跳ね除ける。
「フフフ……ごめんなさいね。今日は茜のために丹精込めて作ってきた愛情たっぷり愛妻弁当があるの。私のお弁当を食べればあら不思議。一瞬にして服が弾けて絶頂に至れること間違いなし」
「どういった原理なんです」
お嬢の後半の発言は置いて、弁当を用意してきた彼女の誘いを拒絶するというのも、それこそ人の心を持ち合わせていないお嬢のようになってしまう。
食堂への好奇心は惜しいが、また後日伺えばいいと納得し、俺はお嬢のご命令に付き従うことにする。
「そうですね、お二人も屋上に──ちょ、何するんすか、やめてく──」
と、楪さんと雪姫菜も屋上へ行こうぜと提案しようとする刹那、お嬢は俺の口を瞬時に遮る。
「……めっ! 勇み足は厳禁よ……! いいから、茜は大人しくしていなさい……! ──というわけで、私達は屋上に行きますので、ごめんあそばせ……フフフ」
お嬢は俺を伴い颯爽と立ち去ろうとするが、雪姫菜が一声掛ける。
「貴女、本当に和泉さんですか?」
雪姫菜の問い掛けに一瞬足を止めるお嬢であったが、彼女は言葉を無視して再度歩む。
鋭い指摘……というよりかは、冷酷で独善的な黒薔薇の乙女と渾名される人間の人格が変われば、偽物と疑うに違いない。
俺はタイムリープしてしまったお嬢を風邪で頭がイカれたと判断したが、雪姫菜は明確に本人か別人かと疑ってしまっている。
「もしもーし、聞こえますか〜? 難聴……いえ、地獄耳に定評のある和泉さんがそのようなはずは……」
「…………」
雪姫菜は無言で佇むお嬢に近付くと、お嬢の周囲を回り始める。
「もしもーし、和泉さーん? 今時難聴系なんて流行りませんよ? 無視しないでください、私泣いちゃいますよ? 和泉さん、ねぇ和泉さん?」
「…………」
車椅子の美少女がお嬢の周囲を回りながら、お嬢の名前を連呼する奇妙な光景に俺と楪さんは呆気に取られる。
いや暢気に眺めている場合ではない。俺はお嬢の下僕として、一応彼女の危機を始末するのが役目。
「お嬢を虐めるのも程々にしてあげてくれませんか」
「あら茜さん……失礼。あの和泉さんの玩具を独り占めにする幼児のような独占欲に知的好奇心が湧いてしまいまして。あぁそれと……これは虐めではなく、親友同士のお戯れですよ」
「親友……。お嬢と雪姫菜が……ですか?」
急遽明かされる真実に俺は戸惑う。あの一匹狼のお嬢に実は友達認識されている人物がいた──?
「えぇ、少なくとも私は和泉さんとは親しい間柄だと思っていますよ」
常日頃俺は、お嬢の乱暴狼藉振りから周囲には敵だらけじゃないかと不安に感じていた。
依怙地なお嬢といえども、何れ彼女の心が消沈してしまうのではないかと。
だからせめて最近の言動により薄れつつあるが、俺はお嬢の味方であろうと誓っていた。
独り身なのではないかと、そう睨んでいたが実際には雪姫菜という味方がお嬢にはいたのだ。
「お嬢……良かったですね」
「だあああぁぁぁ──ッ! 誤解しないでッ! こんな腹黒病弱女と私が友人なわけないでしょ!?」
「そんなっ……! 一時期は良き好敵手として反目しあいましたが、今では軋轢も無く鴛鴦の契を結んだような朋友ではないですか!」
「茜いい?
お嬢は雪姫菜を紛糾するが、雪姫菜自身は泰然と構え、それ以上にこの応酬を楽しく感じているようだった。
対等な関係……とでもいうのだろうか、お頭とは違った雰囲気を醸し出している。
相変わらず傍観者になってしまった俺と楪さんは、暫しの間内輪喧嘩を見物する。
「あー……お嬢達を置いて、二人で食堂に行きましょうか」
一向に治る気配がないと感じた俺は、楪さんを食堂に誘うことにする。
痴話喧嘩を仲介しようかと右往左往していた楪さんは、俺の言葉に表情が綻ぶ。
「……! あ、でも……止めなくていいんでしょうか……?」
「何れ止みますよ。それよりも早く行きましょう」
「……あ、はいっ!」
俺達は二人を放置して学食へ向かい出す。
特に会話もせず淡々と目的地へ向かう最中、楪さんが俺に尋ねる。
「あ、あの……和泉さんって、中学生の頃はどんな人だったんですか?」
「俺とお嬢は小中は学校が別でしたので、そちらの実情は余り把握していませんが、家でのお嬢は何か気に障ることがあれば、直ぐに暴力に訴える荒くれ者でした」
「うわぁ……」
まずい、うっかりお嬢の真実を語ってしまったせいか、大分幻滅されてしまっている。お嬢の風評が悪化する前に擁護せねば。
「ですが今のお嬢は改心し、人のために生きよと博愛主義者に変貌し、人助けを得意とする聖人になっていると思われます」
「そ、そうは見えませんでしたけれど……」
確かに。
納得した俺だが、自ずと言葉が続く。
「……今は暴力を振るうことは無くなりましたが、自身の欲望に忠実な変態に堕落し、不法侵入に猥褻と警察にお縄になりそうな人物となりました」
「そ、そうですか……」
お嬢の擁護が出来ない……。
──いや、お嬢の良い部分はある。
あるはず、あるはずなのだが、思慮を巡らせても謎の威厳があるという魅力しか浮かばず。
自身の思考を研ぎ澄ませろ、俺ならばお嬢の良い点が見つかるはずだ。頑張れ茜、頑張れ……! 俺は今までお嬢の付き合いに耐えてきた。俺は出来るやつなのだ……!
「ただまぁ、あんなでも偶には格好良いんですよ」
──公園での少女と路地裏の少女の一連の出来事が脳に過る。
本人を目前にしたら増長されてウザ絡みされそうな台詞を放ってしまったことに、俺は思わず周囲にお嬢がいないか見回す。
姿が見えないことで一安心し、俺は楪さんに顔を向ける。
「鬼灯さんは、ええと、その……! 和泉さんのことが、好きなんですか……!?」
どこに俺がお嬢を好きだと錯覚する要素があったのだろう。
「あっ、あっあっ……私何言ってるんだろう……!? すみません、忘れてください!」
「好きじゃないです」
「え、あっ、えぇ……!?」
そこは好きですと返答すると勘違いしていたのだろうか。楪さんは俺の即否定したことに驚く。
面倒臭い上に変態な人格に変貌したお嬢を好きになるわけがない。それ以前に俺は……いや、自分を卑下するのは止そう。
俺は彼女に質問を質問で返す。
「楪さんはお嬢のことは嫌いですか」
彼女は俺の問い掛けに言葉を詰まらせる。
この質問に「嫌いじゃないです」と即回答しないあたり、楪さんはお嬢へ苦手意識を抱いていることが明らかである。
そりゃそうだ。狡猾な女と侮辱され、ブッ殺すと脅迫されたのだから。
どう返答しようかと考えあぐねる彼女に対し、少々意地悪な質問をしてしまったと自嘲してしまう。
「……まだ人当たりの強い強情な部分もありますが、今後和泉家鬼灯家一同でお嬢に道徳を学ばせていくので、大嫌いにならないであげてくれませんか」
「鬼灯さんが言うのなら、が、頑張ります……!」
楪さんは拳を握り締め気合を入れる。
彼女は「和泉さんはいい人……!」と繰り返し連呼し自己暗示をかける。いやそこまでしなくても……。
「茜」
すると背後から俺の名前を呼ぶ馴染みの声が耳に伝わる。
蛇に睨まれた蛙とは今現在を指すのだろう。俺は息を呑んで背後に振り返る。
「茜」
そこには満面の笑みで車椅子の雪姫菜を押すお嬢がいた。
案外お二人仲が……。思いの外追い付くのが早──いや、今は散々お嬢を侮辱していたことに対する弁明を──。
いやここは、変に言い訳もせず真摯に対応した方がいい。俺はありのままの事実を語っただけだ、俺は何も悪くない。
「いつから聞いてましたか……」
「荒くれ者あたりからよ」
──もう最初からじゃないですか。
随分早くに追い付いていたのに、何故にこの二人は俺達に声を掛けなかったのか疑問に思う。
するとお嬢は無言で拳を上げ親指を上に立てた。
そして、得意満面な笑みを浮かべて言い放つ。
「私も愛してるわよ、茜!」
「好きじゃないってお伝えしましたよね」
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