第10話 クソスペ傲慢女

 春月高校(正式名称は私立春月学園高等科)は、家柄、財力の優れた生徒が通う名門の学園である。

 初等科・中等科・高等科と小中高一貫校であり、お嬢は初等科からの進学組の内部生である。


 春月は内部生とは別に外部からの募集を募っており、成績優秀に内申点の高い生徒は入学を認められる。

 入学の条件は、端的に言えば優秀な人間は認められるということであり、内部生に求められる家柄と財力は必要としない。

 表向きには自由、平等、博愛を謳っているが、実態は内部生と外部生の間では隔たりがあり、身分の違いから差別が起きるという、階級社会を成しているらしい。


 学園の敷地面積は北海道大学と同じ規模の面積を有しており、噂では学園内で遭難者が発生するほどであるという。

 様々な施設が備えられており、各部活動の運動場や映画館などの娯楽施設も豊富であるらしい。最早一つの町と言ってもいい。

 寄宿している生徒もいるらしく、一人暮らしには苦労しない。ただ大体は世話係が付いているらしく、本当に一人暮らしをしているのは外部生くらいだという。


 ともあれ成績優秀と内申点が高いとは言い難い、俺が何故か春月に入学を許してしまった。

 対して楪さんは俺とは正反対で、あの振る舞いに反して優秀な人物なのだろう。

 そんな俺達は青春謳歌するぞ、と宣言したものの、この差別が蔓延る学園で楽しめるとはつくづく思えなかった。


 ぬか喜びする俺に対して、希望に満ちた表情で学内を眺める楪さん。平民を側に控えさせ、中心を陣取るお嬢の様子はというと。

 先程までの振る舞いはどこへ消えたのやら、凛とした佇まいで先導を切るではないか。

 微塵にも消え失せたと思っていたお嬢の本質が発揮されており、威風堂々たる見目麗しい彼女の姿があった。


 周囲の生徒は恐れ慄きお嬢に道を譲る。

 正に鉄の女の如く、お嬢は縦横無尽に学園内を掻き乱す。

 鮮血皇女の悪名を轟かせているお嬢の威圧に気圧されて、他の生徒は散り散りになっていく。

 お嬢は一言も発さず教室へひたすらに進む。目的地への道なりが朧げだったのか迷子になりかけたが、お嬢の下僕として陰ながら誘導することで面目を保つ。


 「というわけで枚数によって意味が──って、鬼灯さん聞いていますか!?」


 うっかりお嬢に見惚れてしまうという失態を犯してしまった俺は、隣で語る楪さんの話を聞き流してしまっていた。


 「あぁ、勿論聞いていますよ」


 「その反応は嘘ですね! 嘘は──めっ! ですよ!」


 楪さんは子どもを叱り付けるように、俺に人差し指を差し出す。

 その可愛らしい仕草に俺は傷付いた心が癒され──突如振り向いたお嬢は俺達を睨み付ける。ヒェッ……。

 お嬢の眼孔に気圧された楪さんは、俺の背後に隠れて萎縮してしまう。

 

 「貴女ね……私の大事な下僕に色目を使わないでくれる? 何よその「めっ!」って……。それは自分のことを可愛いと自覚している人間が出来る凄技よ? あざとすぎて蕁麻疹出そうね」


 「ひぇぇ……い、色目なんて使っていません! そもそもです、私と鬼灯さんが仲良くするのに何で和泉さんの許可が必要なんですか!」


 「いい? 茜と私はマリアナ海溝より深い絆で結ばれているの。ポッと出の馬の骨如きが茜と仲良くしようだなんて笑止千万。これからは茜に話す時は私を介してからにしなさい」


 楪さんに敵愾心を抱くお嬢を静止しようとすると、お彼女は続け様に言い放つ。


 「第一茜は私の婚約者なの。人の旦那に馴れ馴れしくしないでくれる?」


 「婚約者じゃありません」


 「ほほほ、ほら! 鬼灯さん自身が恋人じゃないと否定しているじゃないですか! お、お付き合いしていないのなら、尚更別に問題ないと思います!」

 

 目の前で楪さんに因縁を付けるお嬢と、俺の背中を必死に掴む楪さんとの板挟みになってしまった。

 言い争いが激化してしまうのを避けたい俺は、白熱する二人を諭して改めて教室へ向かう。

 俺の右手を組むお嬢、左手の袖を握る楪さんに挟まれながら、全く嬉しくもない両手に花となる。


 二人は水と油のように相性が悪い。

 楪さんのお嬢に対する第一印象は消え果てたのか、「和泉さん……嫌いです」と俺に告げてきた。

 お嬢もお嬢で、「あの脳内ピンク女、絶対万年発情期だろうから注意しなさい」と鏡を見て欲しい発言を放つ。


 ──青春は何処へ。

 俺とお嬢、そして新たな学友である楪さんの三人で学園生活を満喫するのではなかったのか。

 関係に亀裂が入った二人の間を取り持つにはどうすべきか。そもそも最初に煽ったお嬢が発端ではなかったか。

 自分自身を慕う人間を好むお嬢が、どうして慕ってくれたであろう楪さんを敵視するのか、俺には理解が及ばない。

 ……実は、過去のお嬢と楪さんの間で何かがあり、それを未だに引きずっているということでは。

 

 そうこう思案しているうちに俺達は目的地である教室へ辿り着く。

 そもそも俺とお嬢は同じクラスであり、偶然か必然か楪さんも同様であった。

 お嬢に席を案内し俺は自身の席へ座る。離れ離れであったことに名残惜しそうな表情を浮かべながら、彼女は不満げに席へ着く。

 対して前の席に座る楪さんは「席、前と後ろだったんですね」と和気藹々とした表情を浮かべる。

 教室の一番後ろの窓際という素晴らしい好立地の俺に対して、お嬢は一番前の廊下側と見事に離れてしまっている。どうやら安寧を得られたようである。


 「先生を脅迫して茜の隣にしてもらおうと思うわ。……だから、少しの間離れ離れだけれど我慢してね」


 突如出現したお嬢は俺の膝の上に居座ると、冷たい手で俺の頬を撫でる。

 黒薔薇の乙女様の奇行に、周囲の御令嬢は黄色い歓声をあげ、御令息は怨嗟の籠った視線を送る。

 お嬢の奇妙奇天烈な行動に、一気に俺への注目が集まる。内部生として顔が知られているお嬢とは違い、外部生の俺は新参者に等しい。

 あの有名人のお嬢に、そんなことをされるあの男は何者なのか? そんな疑問が湧き立っているかのようだった。


 「やっぱり茜の膝の上に引っ越そうかしら……」


 「もう許してくれませんか」


 お嬢は俺の要求に素直に応じ立ち上がる──かと思いきや、お嬢の所業を咎める人物が一人いた。


 「そこのクソスペ傲慢女、目の前で発情されるの気色悪いんだけれど。いい加減にしてくれない?」


 クソスペ傲慢女……。

 その人物は、お嬢の因縁の相手であるお頭本人であった。

 お頭は見下すように嘲笑いながら取り巻き二人を引き連れ、お嬢と対峙する。


 「あら誰かと思えば、お頭じゃない。同じクラスだったのね。……不思議ね、以前の私だったら僻みに噛み付いていたはずなのに、茜の膝の上という安住の地にいることで、何か途轍もない優位性を感じるの。これが彼氏持ちの特権というやつ?」


 「一人で変に納得してないで、いい加減鬼灯さんから離れてください! 鬼灯さんも迷惑しています!」


 優越感に浸るお嬢を引き剥がそうとする楪さん。俺もお嬢を押し出そうとするが、彼女は断固として俺から離れようとしない。

 そんな揉みくちゃな奇妙な有様に、蚊帳の外になったお頭は顔を歪めるが、対して取り巻きの二人は腹を抱えていた。

 この状況は一体。俺はクソスペ傲慢女に終止符を打つべく、お嬢の耳元で囁く。


 「いい加減にしないと今後一歳膝枕しませんよ」


 「ハヒッ……ハ、ハイ……離れます。──それで何か用? 織田舞姫おだまきさん? 改めて問うわ、私に何か?」


 名残惜しそうに俺の膝から退席したお嬢は、咳払いをすると凜とした佇まいに舞い戻る。

 先程まで膝の上で荒れ狂った人物とは思えない瞬時な切り替えに、楪さんと三人組は目を疑う。

 痴態なんて何もなかったかの如く振る舞うお嬢に、その精神面の強さに感服してしまう。


 「そういえば貴女、私の大大大好きな茜に狼藉を働いたわね。その罪、死を持って贖いなさい──」


 鉄槌を下そうとするお嬢を宥めていると、平静を戻したお頭が俺に見据える。そして憫笑しながら俺に矛先を向ける。


 「ハァ? 何の事……って、よく見たらあんた、クソスペ傲慢女の彼氏じゃない。ねぇあんた、こんな女のどこに惚れたのよ? 趣味悪すぎでしょ」


 何度お嬢の婚約者もとい彼氏を撤回しなければならないのかと、億劫な気持ちになっていると、楪さんが俺の背中に隠れつつ援護射撃をする。


 「ちちち、違います! ほ、鬼灯さんは、和泉さんの彼氏ではありません!」


 「そうよ、彼氏じゃなくて婚約者よ」


 「お嬢が話に加わると余計混乱するので、ちょっと黙っていてください」


 「ウボァ……」


 項垂れるお嬢を軽く慰め、何か本題を見失っている気がするが、俺はお頭の認識を改めるべく、楪さんと共闘しながら異議を唱える。


 「彼氏じゃないなら何よ、もしかして奴隷? うっわ、可哀想。こんなクソ女の奴隷とか同情しちゃうわね」


 タイムリープしてきた変態の相手に疲弊する俺を……可哀想だと、同情してくれる、だと……?


 「そうね、素晴らしい提案をしてあげる。私の飼い犬になりなさいよ。見れば解る、あんたの被虐心。あんたドMね?」


 確かに俺には、かつてのお嬢の振る舞いに奇妙な爽快感を覚えるドM疑惑があった。しかし、現状のお嬢にはそのような魅力は感じられない。


 「彼氏だとか、飼い犬だとか、鬼灯さんの意思を無視するのは、やめてください!」


 不気味な白黒の物体と化したお嬢。その悲惨な有様は、かつての栄光を微塵も感じさせない。

 人の寝室に侵入するわ、人の貞操を奪おうとするわ、虚言を放つようになってしまった、この残念な人に付き合う義理はあるのかと考えた。


 「ハァ? あんたも外部生ね? 私はそこの飼い犬と話しているの。庶民は大人しく縮こまっていなさい。それとも何? 私に喧嘩売ってる?」


 「けけけ、喧嘩、売ります! 私は貴女も嫌いです!」


 「へぇー、まぁ外部生だから見逃してあげようとも思ったけれど、あんた私の家知ってる? 庶民のあんたとは格が違うの。私の一声であんたの両親路頭に迷わせることだって出来るのよ。寛大だから忠告してあげる。それでもこの私とやり合うつもり?」


 お頭と傍で蔑視する二人に物怖じせず、真っ向から対峙する楪さんの肩に手を添える。

 そんな震えつつも勇気を振り絞り代弁してくれた彼女に好意を抱き、俺は一端に終止符を打とうとすると──復活したお嬢は、俺を静止する。


 「……言ったでしょ、茜は何もしないでいいって」


 「ですがお嬢──」


 「私を誰だと思ってるの? 私は和泉仙子。茜が尊敬して愛してやまない、お嬢なのよ」


 しかしながらお嬢──お嬢とお頭は相性が悪い。

 お頭に返り討ちにされた前例に危惧した俺は、再度お嬢の精神崩壊を回避させようとするが、彼女は断固として譲らなかった。


 「……お願いします」


 お嬢に気圧された俺は後を委ねた。


 「それでも……退きません。鬼灯さんは和泉さんの彼氏でも……貴女の飼い犬でも、ありません……! 撤回してください……!」


 「彼氏じゃなくて婚約者だと──何度言ったら分かるのかしら」


 お嬢は双方の間に挟まり、お頭と何故か楪さんに睥睨した。お嬢の眼光は楪さんを萎縮させ、お頭一同を身構えさせる。

 お嬢に怖気だった楪さんは、再度俺の背後に身を隠す。一応この人、貴女の味方だと思うんですが。


 「ッ……今度は和泉仙子? 今更出てきて何のつもり? それとも何、自称彼氏(笑)が私に奪われそうになって嫉妬してるの?」


 「呆れたわね、貴女如きに嫉妬する要素がどこにあるというの? 私と茜は一心同体、桃園の誓いを結んだような相思相愛の間柄。分かったら身の程を弁えて失せなさい」


 「楪さんにも向けて言うのはよしてください」


 やけに楪さんを敵視するお嬢を咎めるが、彼女の猛攻は治らなかった。


 「私ね、今凄く機嫌が悪いの。一つ目はそこの脳内ピンク女が茜の気を引こうと気弱な女を演じ、あざとさを爆発させていること。ブッ殺すわよ」


 「わ、私は、演じてなんか……あざとくも、ないです……!」


 「そして二つ目。織田舞姫、貴女が茜にぶっかけた挙句に誘惑しようとしたこと」


 「んなっ……!」


 お嬢の言葉の綾がおかしい。

 お嬢の意味ありげな発言に周囲の経緯を見守っていた御令嬢と御令息が騒めく。そしてお頭本人は顔色を紅潮させ、側の二人は吹き出していた。


 「鬼灯さん……! ええと、何を、その! ぶっかけられたんですか……!」


 「その、コーヒーを少々」


 俺と楪さんは囁き合い、お嬢とお頭の動向を見守り続ける。

 もう勘弁してくれないだろうか。

 学園生活を謳歌しようと宣言すればこの様だ。俺はお嬢とお頭の道連れに、変態という汚名を着せられてしまう。

 しかし、白熱化する彼女達の口論に介する隙はなく、他の生徒達も二人の動向を見物する有様。黒薔薇の乙女とお頭の激戦だ。変に仲介して巻き込まれたくはないのだろう。

 致し方ない。深傷を負うだろうが、二人の諍いを仲介出来るのは俺しかいない──。


 「何やら騒がしいですね」


 注目を一心に集める存在。

 その人物は車椅子に乗る白髪の女性。そんな彼女はお嬢とも負けず劣らずの威圧感を醸し出しており、彼女の一声により、教室内に沈黙が訪れる。

 「綺麗な人……」と楪さんを感嘆を漏らす。俺もそれに同意してしまいそうになるほど、彼女には謎の雰囲気があった。


 ──視線が交わる。

 何故だろうか。

 彼女とは初対面であるはずなのに、そうでないと錯覚してしまうのは。

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