第9話 凄い連帯感を感じる
今日の天気は春の香りが漂う絶好日和であるらしい。だというのに俺の寝起きは絶不調気味であった。
自分のベットであるのに寝心地が何故か悪く、更には悪夢に魘された。
そういえば先日、お嬢が俺のベットを寝床としていた。そのせいか、彼女の匂いに包まれて寝てしまう羽目になった。
悪夢の原因はお嬢の怨念だったのだろう。お祓いに出さなくては。
「フフフ、おはよ」
「うわっ……またですか」
目の前のお嬢は俺の髪を撫でながら微笑む。
おかしい。昨日は迎えに行くと伝えていたはずだったが、当の本人は既に目の前にいるではないか。相変わらずの至近距離を保ちながら。
色々問い質したい事はあるが、寝起き故にその気が起きず、俺はベッドから上がり制服に着替えようとする。
そして、枕を抱き締めながら期待した表情を浮かべるお嬢の首根っこを掴み、部屋から追い出す。そして扉の鍵を施錠。
解錠され再び入られる、追い出し施錠。という流れを三回程繰り返した後、俺は一応主人のお嬢の額に手刀を浴びせる。
「痛ッ! あー、これはもう責任よ! 乙女の可憐な肌を傷付けた責任を──」
「出ろ」
「あ、はい……ごめんなさい……」
覗き魔のせいで無駄な体力を消耗してしまった。お嬢の気骨の源は何なのだろう。俺にも少し分け与えて欲しい。
お嬢と同じ春月の制服に身を固めた俺は、静かに扉を開ける。
お嬢は萎縮しながら正座を保ち、俺の顔色を窺っていた。
「茜の着替え姿をどうしても見たくて我慢出来なくて……。私のこと、嫌いになった……?」
「まぁ元から別にそんな好きでもないです。なので今更何されようが変わらないから安心していいですよ」
「ヴッ(痛恨の一撃)」
衝撃を受けたお嬢は、輪郭が作画崩壊するかのように歪む。
多少は人の評価を上げたいのなら、その奇行を辞めて頂ければいいのだが。それを読み取ったお嬢は告げる。
「我慢出来ないの……茜を見ると自制が出来ないのよ!」
そんな自信満々に言わなくても。
「よく考えて見て茜。私の愛の暴走は、それ以上の歯止めを効かせている役割があるということを。ねぇ茜……私がもしこの色情を強制的に堰き止めさせていたら、どうなると思う? よーく、思い出してみて」
俺はあの辛く耐え難い嫌な事件を思い出す。
あの時のお嬢は完全に理性を失い、暴走する機関車となっていた。つまりそうか、乱心されたくなかったら適度に発散しろというのか。
嫌すぎる。お嬢と接していく中で、これが当然の日常として含まれていくのは、余りにも悲惨すぎる。
「それを繰り返せばお嬢への評価は一切上がりませんよ」
「それは致し方ないのよ。ついうっかり茜を襲って、それこそ絶縁でもされたら私は迷わず縊死を選ぶし。それに我慢は体に悪いって言うでしょ? だからこそ、こうして茜への痴情を発散しなくちゃいけないの」
付き合わされる身を案じてくれないだろうか。
「第一、私を好きにさせた茜が悪いのよ」
「理不尽過ぎません?」
「私が茜と結婚出来ない悲劇なんてお断り。だから神と茜に愛される私は、未来を覆してやるわ! そのために二人で精一杯抗ってやりましょう! えいえいおー!」
「一人で頑張ってください」
お嬢との論争に付き合わされ、大分時間を浪費した俺達は朝の支度を終え、現在も睡眠中の燈さんに行ってきますと小さく告げ、学校に向かい出す。
道中、手を握ろうとするお嬢と振り払う俺との攻防があった。結局屈服させられた俺は、お嬢の冷たい手を握らさせられている。
ご満悦なお嬢に先導されながら重い足を歩ませていると、彼女はふと急に立ち止まる。
そしてお嬢は神妙な面持ちで告げる。
「──学校を辞めるわ」
「急展開過ぎて頭が追い付かないんですが」
「そもそもね、最悪の結末に真正面から対峙する必要はなかったのよ。だから、学校に通う選択肢から回避すればよかったの」
話の意図を理解出来ない俺だったが、要約すると俺達の最悪の未来は学校に通う事で発生する。
その出来事を上手く立ち回る事で回避しようとしていたお嬢だったが、そもそもその出来事自体に巻き込まれなければよいのではと考察した。
ではどうすればよいか。それは二人揃って学校を辞めればいいのである。そうすればその出来事から回避され、今後世界軸の改変によって起きるであろう二度目の出来事に巻き込まれることはなくなる。
「早速私と茜の退学届を出してくるわ! 学校に直談判よ!」
「いや待ってください。自分自身の進路を決めるやり取りは保護者の同意が必要では。というか俺を巻き込まないでください。退学は一人でしてください」
「そうね、お父様と燈さんは絶対納得してくれないだろうし……ぐぬぬ! ──ハッ……!」
今度は真剣な表情で俺の肩に手を置いて告げる。
「──二人で失踪しましょう」
俺はお嬢を放置して学校へ向かおうとするが、彼女は俺の肩を掴んで抑え込む。
「遅刻するので離してくれませんか」
「確かに最初は苦労するわ……。知らない街に呑まれながら、慣れないことに戸惑い、喧嘩もあるはず。だけれども、やがて二人の間には子どもが産まれ3人の愛の巣を営む。私はそんな愛の逃避行に憧れを……」
「離せ」
「あ、はい……。ごめんなさい……」
萎縮したお嬢は瞳に涙を浮かばせ、震えながら頑固として掴んでいた手を離す。
お嬢は生まれたての雛鳥の如く、心細そうに俺の背後を静かに歩く。
そんな弱気のお嬢の態度を見た俺は、溜息を吐いて彼女の手を掴む。
「遅刻するので行きますよ」
「やっぱりデレた?」
「調子乗らないでください。ぶちのめしますよ」
「私への扱い、ちょっと酷くない……?」
あの後も案の定駄々を捏ねるお嬢を宥めながら通学路を進んでいると、庭木に上半身を突っ込ませている不審者を見掛ける。その人物は頭隠して尻隠さず、下半身のスカートが無防備になっていた。
お嬢並みの危険人物だと危機回避能力が働いた俺は、何事もなく素通りしようとすると──、
「私以外は見ちゃ駄目よ──ッ!」
「ちょ、目が──」
不審者の下半身を視界に収めた俺は、お嬢の謎の嫉妬により両目を負傷する。
俺が一体何をしたのだと理不尽な痛みに蹲っていると、不審者は俺達の存在に気が付く。
「──はっ! 誰かそこにいますね! 初対面の方で申し訳ないのですが、今見ての通り万事休すでして、私を助けてくださると非常にありがたいです!」
「いや何があったのよ……」
「いやあの、可愛い猫がいたので触ろうと思いまして! そうしたら抜けなくなりました!」
全然何があったのか分からない。お嬢も同意見のようで、俺の瞼を撫でながら溜息を吐く。
「要は庭木の枝に引っ掛かったわけね。……はぁ、全く仕方ないわね」
「いやぁお恥ずかしい限りで……んんっ……! あっ、そのっ……! 私、腰が弱くっ、そのっ! んん、はぁっ、別の場所を……掴んで、くれるとっ! あぁん!」
「茜に嬌声を聞かせないでくれる!? 茜、耳!」
お嬢から耳を塞げとのご命令を承ったので、俺は素直に従う。
早朝の通学路で身を縮こませながら目を瞑り耳を塞ぐ俺は、本当に一体何をしているのだろうか。
視力が回復し視界を開くと、そこには不審者の尻を引っ張るお嬢の姿があった。この人達は一体何をしているのだろうか。
「ッ……しぶといわね。茜、手伝ってくれる? 大きな蕪理論でいくわよ」
不審者を引っ張るお嬢を引っ張ればよいのだろう。応じた俺はお嬢の腰を掴む。
「あっ……茜にこの腰を掴まれている感覚。まるで後背──」
「お嬢は大人しくしていてください」
急に発情し力の抜けた使い物にならない変態を退かし、俺は庭木の中に手を入れ、服に絡んだ枝を一本ずつ解く。
「出られますか」
「んんー! っはぁ……いや、駄目……んんっ、何だかいけそうです……! あぁそこ! いく……あ、いくぅー!」
「ちょっと二人で何乳繰り合っているわけ!? 私も混ぜなさいよ!」
拘束が解け、復帰したお嬢が強引に彼女を引っ張ることで、ようやく庭木からの脱出が達成される。
同様に尻餅を着いたお嬢の手を引っ張り、次に砂や葉っぱ塗れになった謎の人物の頭や肩を払う。
「大丈夫ですか」
「……あっ、はい」
謎の人物に手を差し伸べると彼女は手を受け取り、何故かお嬢は俺達の手を払った。
お嬢は頬を膨らませながら強引に俺の手を握り、動揺する彼女を威嚇する。
「えーと、その……いやぁー! 大変お見苦しいところをお見せしました……お恥ずかしい限りで。ありがとうございます!」
「……はぁ、全く。貴女その制服、春月の子でしょ? 春月の人間がそんなことをしちゃ駄目よ」
面倒見の良いお嬢は、彼女の乱れた髪を整え制服を正す。
「ええと、もしかしてお二人も春月高校の生徒さんですか?」
「そうよ。和泉仙子、一年よ」
「あやっ、和泉仙子さんも春月高校に入学された新入生だったんですね! これは奇遇な。まるで運命を感じますね!」
正確にはお嬢は中学からそのまま進学した内部生だが。どうやら彼女は俺と同じ外部生であるらしい。
同郷に親しみを感じていると、凝視する彼女の視線に気付く。視線が合うと彼女は目を逸らし、俺に訊ねる。
「あの、貴方のお名前は?」
「彼は鬼灯茜。同じく春月に通うことになってしまった一年よ。そして──彼は私と結婚を誓い合った恋人同士よ」
「誓い合っていませんし恋人じゃありません。経歴を捏造しないでくれませんか」
即座に否定する俺に対し、お嬢は俺の腕を抱きながら集中線が入りそうな勢いで堂々と宣言する。
「恋人同士よ(駄目押し)」
「少し黙っていてくれますか」
「あ、はい……路傍の石になります」
お嬢を無力化させた後、改めて彼女に自己紹介をする。
「少々虚言癖のあるご主人様の下僕である鬼灯茜です。外部生同士仲良くしましょう」
「外部……? ええと、この度は春月高校に入学することとなりました、一年の
互いに挨拶を済ますと沈黙が訪れる。何だろう、このお見合いのような居心地の悪い雰囲気は。
だが初っ端の警戒に対し、丁寧で普通な対応を取る楪さんに俺は良い印象を抱いていた。お嬢と比較してしまうせいか、とても彼女への好感度が高い。
そんな楪さんは髪を弄りながら呟く。
「お二人に出会えて良かったです。その、私友達いなくてですね、ちょっと不安だったんです。でも安心しました」
俺は楪さんの人を疑わない純粋な心に胸を打たれる。俺はともかく、お嬢は極悪非道の黒薔薇の乙女様だ。そんな二人に全幅の信頼を寄せる彼女に、若干の罪悪感を覚えた。
お嬢によって汚れた心が浄化されていく。お嬢も楪さんのような良い子だと、胃腸の痛みが和らぐのだが。
「学校生活、楽しんでいきましょうね! えいえいおー!」
──それお嬢もやっていたけれど流行っているんですか。
ともあれ、凄い連帯感を感じる。今までにない何か熱い連帯感を。
春の風……なんだろう吹いてる確実に。
お嬢の面倒を見るのは控えよう。とにかく青春を楽しんでやろう。
お頭やお嬢の邪魔は入るだろうけど、決して流されるなよ。
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