第8話 茜が逃げる!

 「なんだこりゃ……」


 「いーやー!」


 俺達を迎えた結弦さんは得体の知れない娘に目を疑う。

 玄関前で俺に縋り付き駄々を捏ねて帰宅を拒む、行儀の悪いお嬢がそこにはいた。


 どうしてこんな事になったのか。

 今日は喫茶店で解散しようと互いに納得したはずだったのだが、和泉家に近付くにつれて、お嬢は寄り道をしようとする、最期には物騒にも『休憩、していかない……?』とホテルを懇願してくる。

 そんな煩悩塗れの変態を無視し続けていると、お嬢の足取りは徐々に重くなり、最終的には力付くで彼女を引っ張った。


 「重いので解放してください。結弦さん、お宅の娘さんを何とかしてくれませんか」


 「いやよ、和泉家に婿入りしなさい! 主人の命令がきけないの!?」


 半泣きのお嬢は俺に抱きついて結弦さんを睨む。そんな彼女を見て、結弦さんは頭を抱える。

 確かに過去のお嬢は我儘気質な一面はある。だが、今生の別れを拒絶するかの如く帰宅を拒むことはなかった。

 結弦さん視点からすると、家出した娘が男の家に一泊し結婚宣言。帰宅すると男から離れたくないと駄々っ子状態になっていた。訳が分からない。


 「私が茜の家にお邪魔しちゃいけないのなら、茜が和泉家に住めばいいのよ! 燈さんも快く迎えるから、後生だから私と愛の巣を営んでください!」


 「仙子……お前」


 「お父様もそうでしょう!? お父様も鬼灯家が大好きだから、特別困ることなんて何もないじゃない!」


 「それは、そうだが……」


 ──まずい、お嬢の怒涛の迫撃に竦んだ結弦さんが、お嬢に同調されかけてしまっている。


 「孫──見たくない?」


 「俺はもう祖父になるのか……」


 「お嬢の戯言に洗脳されないでください」


 一先ずこのまま苛烈な言い争いを広げても何も進展はしないので、客間で話を付けようとお嬢は提案する。

 自然に家に招き入れるお嬢の謀を見抜いた俺は、彼女の提案を一蹴し、再度帰宅の意思を示す。


 「……何があった?」


 結弦さんはお嬢を一目し俺に訊ねる。

 未来で俺と結婚出来なかったお嬢がタイムリープしたなど今は言えるはずがない。とりあえずは適当な出任せで話を着ける。


 「高校生になってお嬢は成長したんですよ」


 「逆に退化してるように見えるが……そうか。娘の成長も早いな」


 ──今ので納得してくれるんですか。そう一安心したのも束の間、


 「……だが、ただの成長で娘がこんな馬鹿になるわけがない。何を隠している」


 やはり結弦さんには誤魔化しは通用しない。

 一瞬で看破された俺は言葉に詰まる。

 だが、そんな沈黙を保つ俺に対し、結弦さんは深く追求することはしなかった。


 「仙子が馬鹿になった理由は、話せる時が来たら話してくれればいい。……当分は周りの人間も騒ぐだろうが、直ぐに落ち着くだろう」


 「恩に着ます」


 「本当は世話掛けた礼に食事に連れて行きたいところだが……。この馬鹿は見ておくから今日は家に戻れ」


 「馬鹿お嬢を宜しく頼みます」


 「二人揃って馬鹿馬鹿連呼しないでくれる!?」


 とは言ったものの依然としてお嬢の呪縛から解呪されてはおらず、俺は彼女に取り憑かれてしまっている。

 結弦さんに一向に耳を傾けず、お嬢は我儘を爆発させていた。その我儘な面を見て、彼女はやはりお嬢そのものだと感じる。

 最終手段としてお嬢から解放される術があるが、それは本心からすればしたくはない。しかし致し方ないがその選択を取る。


 「お嬢がいい子でいれたらご褒美をあげますよ」


 「……ほんと? 例えばどんな?」


 俺は数時間前にも同じ失敗をしたなと思いつつ、全く考えていなかったご褒美とやらを慮る。

 先程は何でもすると失言し、お嬢の提案に乗っかる形となってしまった。俺は二度は失敗しない。こちらが提示する側であるのだ。それを踏まえて、抱き付く子どものようなお嬢を見て脳裏に浮かぶ。


 「頭を、撫でます」


 「…………」


 ──しまった、誤ったか。

 思えばお嬢には既に膝枕の上で撫でているし、手も繋いでしまっている。耐性を得た彼女にとっては、安すぎるご褒美だったか。


 「……撫でて、くれる?」


 「は、はい」


 何だこの反応は。

 本来のお嬢ならば、頭撫でごときで籠絡するわけないと暴れ回るはずなのだが。

 おかしい、こんなに上手く納得するはずがない。きっと裏が──。


 「──私を抱き寄せて、甘く囁きながら頭を撫でて欲しいなぁ。台詞はこれ『仙子はいい子だね。いや、俺を虜にさせた悪い子だ。そんな悪い子にはお仕置きが必要だな……』よ」


 惚気るお嬢の一瞬の隙を見付けた俺は、拘束から脱出する。

 抜け出したと同時に結弦さんはお嬢を締め付け、俺を早く帰れと急かす。


 「謀ったわね!? 純情な乙女の心を弄んで、この責任はどう取ってくれるの!?」


 「いい加減にしろ馬鹿。頭を冷やせ」


 「結弦さん、お嬢をお願いします。お嬢、明日は迎えに行きますね」


 「うん待ってる……じゃなくて、お父様……離してッ!」


 背後から響き渡る、縋るような声に振り返れなかった。お嬢に同情するから、絆されるから、決してそんな理由ではない。


 「茜が! 茜が逃げる! う、うぅ……ウ゛ア゛ア゛アァァァ……!」


 化け物か?

 業火へ引き摺り込む亡者ような呻き声に怖気立った俺は、足早に和泉家から逃げ出す。

 復讐されないだろうか。迎えに行くの止めようかと自問自答していると、道中誰かさんからの着信が来る。


 「はい、酸漿かがちです。どちら様でしょうか」


 『その声、茜ね』


 携帯番号から見破れるのは当然だが、お嬢は別の観点から俺の嘘を見抜く。

 

 『私相手に嘘が通用すると思ってるの? タイムリープ前は保存していた茜の音声から、色々とお世話になった私なのよ』


 この人は先ずは声質で真偽を判断するのか。

 お嬢が俺の音声を保存していると言う趣味は一旦置いておくとして。


 「もう勘弁してください」


 『少々、はしたない姿を見せてしまったわね。ごめんなさいね』


 あの姿は少々どころではないとは思うが。

 先程までの狂気に満ちたお嬢とは一転、彼女は平静さを取り戻していた。


 『今日は、一先ずこの悲劇を受け入れるわ。茜も納得は出来ないだろうけれど、愛し合う二人の間には決して相容れない家の壁があるの』


 「納得はしますし、愛し合っていませんし、鬼灯家と和泉家の仲は良好ですよね」


 『あぁ、茜。どうして貴方は茜なの?』


 「お嬢の茶番劇に付き合っている暇はありません。切りますね」


 『ちょい、ちょいちょいちょい! 聞いて、真面目な話がしたいの!』


 お嬢は咳払いをし、本題へ移り出す。

 要約すると、学校では何もするなと命令したのを肝に銘じろ、私の側から離れるな四六時中共にするようにしろ、ということであるらしい。

 余程警戒していることから、日時も出来事も何もかも不明ではあるが、俺の先行きが決まる重要な事なのだろう。

 何が起きますと訊ねれば、きっとお嬢は結婚を対価にしてくるはずだ。この先は自分の目で確かめてくれ、ということなのだろう。


 『まぁ本当は茜の声が聞きたかったから真面目そうな理由付けて電話しただけなんだけれどね。……てへっ!』


 「……」


 『無言で切ろうとしないで! 茜の声は私の癒しなの……! 私の人生を注ぎ込んだ傑作[新しいフォルダ]の深層に隠してある[茜音声データ]が1TBテラバイト消失するなんて……。アレクサンドリア大図書館が火災に遭ったのと同様の悲劇よ』


 俺は通話を切った。

 お嬢からの怒涛の追撃を掻い潜り、俺は何とか無事に四肢欠損せず家に辿り着くことが出来た。


 「燈さん、ただいま帰りました」


 絶え間なく続く通知の知らせ。それも無視していると次にはメッセージが入る。


 和泉仙子:『なんで出てくれないの』


 和泉仙子:『ねぇ、見てるんでしょ』


 和泉仙子:『茜の意地悪』


 和泉仙子:『










  でんわ でろ』


 「怪文書送ってくるの止めてくれませんか」


 『いい? 何度も言うけれど、明日は何もしないこと! お姉さんとのお約束、約束出来る? 約束よ、出来なかったら結婚してもらうから!』


 やっぱ凄ぇよ、お嬢は。

 その後もお嬢とのお約束事項を伝えられるが、色々こなす内に聞き流していたため、ほぼ聞いていないような状態になっていた。

 まぁ別にあのお嬢が語る内容だ。特別重要視する情報は一切なく、惚気話が大半に違いない。


 「それでは、明日はお迎えにあがりますね」


 『うん、私を攫いに来てね』


 最後の一言は全くもって意味不明であったが、ようやくお嬢から解放されたので気が休まる。

 ソファーに溶け込むかのようにもたれかかっていると、帰宅していた燈さんが俺を労う。


 「今日もお嬢と長電話?」


 「えぇまぁ」


 「本当に2人は仲がいいわね。やっぱり付き合ってるの?」


 付き合う以上に結婚を強請られるとは言い出せず。

 俺は事情を全く知らない燈さんを羨ましく感じながら、明日の準備を行うこととした。


 そして夜──、


 ふと目が覚めてしまった俺は──俺を至近距離で拝むあるはずのない紅い双眸を見て恐怖で気絶した。

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