第6話 何でもするとは言ってはいけない

 お嬢の行きつけである喫茶店[Geranium]に着いた俺達は、カップル限定カフェを注文していた。

 開幕早々疑問点の残る注文であったが、値段が割安なのと美味しそうであったので特別突っ込みは入れず。

 客は俺達とご年配の老夫婦以外おらず、そしてメイド服の女性店員一人。

 一人作業をこなす店員を眺めていると、お嬢に顔を掴まれ、視線を彼女に向けさせられる。


 「私という可憐な乙女がいるのに他の生娘に目を遣るなんて! 茜はあぁいう娘がタイプなの!?」


 「いや別に」


 「……そういえば、茜はどういう女の子が好きなの?」


 お嬢に問われるまで己の好きな女性像を描いたことはなかった。

 とは申されても、俺自身がどのような女性が好きなのか分からない。


 ……そういえば、お嬢は未来の俺は恋人がいると言っていた。それが誰なのかということに興味が湧かないわけではない。

 お嬢以外の女性関係、というか親しい友人のいない俺が、誰かを好きになるというのが信じられないのだ。

 未来の恋人は誰ですか、とお嬢に直接問えるかと言われれば、それは否だ。きっと彼女は対価に結婚しろと要求するに違いない。


 「教えるので代わりに俺の未来の恋人は誰なのか、それを教えてください」


 「随分と吹っ掛けてきたわね。それを教えるということは、どうなることか茜には、その覚悟はあるの?」


 「ないので遠慮しておきます。ただまぁ──明るい性格、かもしれませんね」


 「明るい子…………」


 お嬢は口を噤む。


 「私ね!」


 ……現在のお嬢は、まぁ情緒不安定で随分と精神が脆くなった。だが度胸はある、空回りしたが行動力もある。煽てると増長する、そのため扱い易くなった。

 前世……過去のお嬢は、神経質で常日頃不機嫌であったが、やはり己の意志を明確に持っており、人を引っ張る統率力があった。煽てると反論しつつも機嫌が良くなるため、扱い易くなかったわけではなかった。

 違う点は、性欲に忠実……愛に一直線。当時から俺に好意を抱いていたらしいが、暴力や暴言がなくなり態度は軟化した。


 「お待たせしました。カップル限定特大パフェです。それとコーヒーと林檎ジュースとなります」


 「ありがとう。あ、貴女見ない顔ね。新人さん? 天笠あまがささんは今日いないの?」


 「えぇ、まぁ一応。店長は腰を痛めたので当分休みを頂いております。……失礼ですが、店長と顔見知りなのでしょうか」


 「そりゃ、私は大学からここ──」


 お嬢は顔をハッとさせ失言をしたと自覚する。狼狽える彼女は俺に救いの手を差し伸べてきたので、下僕の役目を忠実に果たす。


 「いえ顔見知りというわけではなく、以前からこちらの店の良い評判を聞いていたので、その店長さんに会いたかっただけですよ」


 「そうですか……店長に伝えておきます」


 では失礼します──と店員は俺達から離れる。

 場を収めることが出来て安心した束の間、お嬢の表情は曇っていた。


 「あのね、私ね、通い始めたのは大学生の頃からだったんだけれど、常連だったの」


 お嬢は俯いて語り始め、俺はそれに聞き入る。


 「中高よりは比較的落ち着いたといえども、茜には迷惑を掛けていて──そんな相談をよく天笠さんにしていて」


 「初めてになったんですね」


 「だから、そう──高校の私は来ていないから、天笠さんからすれば初めてのお客さんなの。私のことを知らないの」


 弱味を見せない孤独の独裁者が、本音を明かせる人物がいたということ。

 お嬢がどのような未来を歩み、どのような人達と巡り合い、どのような思い出を得たのかは知る由もないが、高校以降の全てが白紙になった。


 また作り直せばいいじゃないですかと、軽々しく無責任な言葉を掛けられない。だから俺は、スプーンで掬ったパフェをお嬢の口に突っ込む。

 白いクリーム塗れになった彼女は口元を拭うと、


 「んん……! 茜ってば、出し過ぎよ……!」


 「頭おかしいんですか」


 「あー、また人を狂人呼ばわりしたー! もぅマヂ無理、病む……」


 「でも」とお嬢は続ける。


 「ありがとう。慰めようとしてくれたんでしょ?」


 もう違います。

 お嬢は穏やかに微笑みながら、俺の口にスプーンを突っ込む。クリームと果実の果汁が口内に甘く広がる。

 甘過ぎる味覚を誤魔化すため、コーヒを飲み口直しする。


 「そういうところも、そういう茜だから──私は茜が好きなの」


 「……そうですか」


 「そうよ。というか別に落ち込んでないわよ? 茜が入れば十分だし、それ以外何もいらないし。これで私の彼氏、恋人に、結婚してくれたら満足なんだけどなぁー」


 お嬢は一つに絞らず幅広く世界を見た方がいいと思う。


 「俺は貴女が思っているほどの男では──」


 お嬢は俺の口に指を当てて遮る。


 「それ以上の発言は駄目。自分を卑下するのはやめなさい」


 「すいませんお嬢、失言でした」


 「貴方はね、この和泉仙子がずっと好きな男なの。それだけでも名誉なこと、だから自分を誇りなさい」


 お嬢は駄目な子どもを慰めるかのように俺の頭を撫で、自身の指を唇に触れさせる。


 「どう? そろそろ生涯添い遂げたいと思ってくれた? 今のは自分自身でも良かったと思うのよ。私が茜にやられたら、惚れる、というか濡れる。まぁとっくの昔に惚れてるけれど、フフフ」


 「お嬢はその一言で好感度を下げているという自覚がないんですか。まぁ別に……一言無くても惚れませんが」


 「あぁーッ! 見過ごさないわよ、今ちょっと溜めがあったわね! 茜のデレが片鱗を見せたわ! もう少し、これは直ぐ落とせるわね……! いいから結婚しちゃいなよユー!」


 「ホント勘弁してください。老夫婦が凄い微笑ましそうにこちらを見てます」


 調子に乗るウザ過ぎるお嬢を無視し、コーヒーを口に注いでいると、店の扉が開き来客を知らせる。


 「はぁー、どこも混んでてやってられないわね」


 「舞姫の力なら混んでいても譲ってくれるっしょ?」


 「そこで舞姫の権力をフル活用しなくてどうするのって感じ」


 その来客は、お嬢の精神を徹底的に打ちのめした張本人とその取り巻き二人であった。

 お嬢はその来客の訪れに顔を顰める。仕返しに繰り出すと思った俺は、すかさず彼女を宥める。


 「お嬢、落ち着いてください。暴力はいけません」


 「私をリードの効かない狂犬だと勘違いしてる? もう私も大人よ、やり返すなんてことは──」


 すると来客が老夫婦と俺達以外おらず目立つことから、俺達は3人組の目に必然的にとまる。


 「あっれぇー? 誰かと思えばぁー、不細工に、哀れに彼氏に泣きついてた、黒薔薇の乙女様(笑)じゃないですかぁー?」


 「絶対泣かす──」


 馴染みの店を殺害現場にするのは勘弁と、今にも人を殺しに行きそうな勢いのお嬢を抑える。

 お嬢を挑発する主犯と、その光景を嘲笑う二人は、店員に誘導されて席に着く。

 とりあえず落ち着いてとお嬢にパフェを持っていく。パフェを頬張るが彼女の機嫌は治らず、一向に3人組を威嚇している。


 「舞姫、からかいすぎでしょ。和泉に闇討ちされたらどうすんの」


 「あんな雑魚女に私が負けるわけないでしょ」


 「だって、ねぇ……? 和泉の家は……」


 お嬢の話題で盛り上がる3人組。大声で会話しているので、その内容は俺達に伝わる。

 不愉快だと感じた俺は、3人組にお願いするため席を立とうとするが、何故かそれをお嬢に阻止される。


 「お嬢は優雅に席に座って俺の帰宅を待っていてください。安心してください、平和的に解決させてみせますよ」


 「や、やめて……! 茜が行くと拗れるから……! でも、茜が私のために行ってくれる嬉しさで葛藤しちゃう……! 一応聞くけど何をしようとするの……?」


 「お嬢は俺がそんな野蛮な直ぐ手を出すような人間に見えます? そりゃ勿論、頭を下げてお願いに決まってるじゃないですか」


 「過去の歴史がそう語っているから止めてるの……! 何もするなって言っているけれど、私のために怒ってくれる嬉しさで遂に手が……!」


 お嬢の承認を得たことで、俺は3人組の前に赴く。

 開口一番頭を下げて俺はお嬢の非礼の数々を詫びる。

 当人同士にどのような経緯があったのかは分からない。だが、お嬢にも一因があったはず、あの振る舞いを経験していれば。


 「あの方は変わろうとしています。ですから、そこら辺で勘弁してくれま──」


 頭上から熱い感覚が伝わる。主犯の彼女が飲み掛けのコーヒーを俺に垂らす。


 「その溢しちゃったコーヒー、拭いたら考えてあげる」


 俺は床に膝を付き、溢したコーヒーを布巾で拭こうとするが、


 「誰がそれ使っていいって言ったの? 舌で、飲んで、掃除しなさいよ。そうしたら考えてあげる」


 「うっわ、舞姫性格悪すぎ。やり過ぎでしょ」


 「もうよくない? どーでも」


 舌で掃除は気が引けるなぁと躊躇っていると、お嬢が表情を暗くして立ち上がる様子が目に映る。

 ──あれは、まずい。あの感情を削ぎ落とした能面の面は、非常事態宣言が発令される。

 床を掃除しなければならない、このままでは命を落とす3人組のためにお嬢を阻止しなければならない、思い出の場所が殺人現場になるのを避けなければならない。

 優先事項──お嬢を宥めるに決定。そして、お嬢の殺意を何とかしてなくそうと奔放しようとすると、


 「お前が拭けよ、クソお客様」


 すると店員さんが主犯の顔面に布を投げ付けた。


 「ッ! 客に何するわけ!?」


 「お代金は要らないので、さっさと帰ってくださいますか、お客様」


 唐突に新しく店員さんと主犯の争いが勃発するのに対し、蚊帳の外になった俺達はどうかというと。


 「──離して茜! そいつ殺せない!」


 今にも主犯の心臓を捻り出しそうな勢いで怒り狂うお嬢を抑える。

 お嬢は手を伸ばし、主犯に掴みかかろうとする。俺は荒ぶる彼女の耳元で囁く。


 「──今度結婚以外の何でも言うこと聞くので、ここは抑えてください」


 「ウッ……耳元に茜の美声と魅力的な提案が……!」


 お嬢をへなへなに戦闘不能状態にさせたところで、俺は急遽勃発した紛争に戻り、仲介役を取り持とうとする。


 「あの、掃除は俺がするので二人とも矛を収めて頂けると──」


 「こっちは客なんですけれど! 客にむかって何よ、その態度!」


 「知るか糞客が。うちの大事な店で汚い声で騒いで、床を汚しやがって。そもそも、うちはお前らみたいな下品な客はお断りなんだよ、分かったら金はいらねぇから失せろ」


 「──ッ! 二度と来るか、こんな店、さっさと潰れて野垂れ死ね!」


 主犯は財布から1万円を取り出して机の上に叩き付けると、途中から傍観に徹していた二人を連れて店を出て行く。

 店内にはコーヒー塗れの俺。豹変して思いの外ブチ切れた店員さん。床に倒れ込んだお嬢。


 何だろう一体これは。

 ただ、一切手を出さずに乗り越えた自分を褒めよう。

 自分の始末を片付けるため、再度床を掃除しようとすると老夫婦が声を掛けてくれる。


 「ごめんねぇ……年長者なのに何も出来なくてねぇ、君大丈夫? 少ないけれど……はい。これで濡れた服をクリーニングしてね」


 奥様は俺に1万円を握り締めさせるではないか。

 これは……一体?

 いやいや、とても惜しいが受け取れるわけがないと、奥様に手を震えさせながら返そうとすると、


 「大事な彼女さんのために怒った男気に惚れ込んだんだよ、私達は。いいから受け取りなさい」


 「あ、はい……ありがとうございます」


 それと彼女じゃないです。

 彼女と誤認されたお嬢は、先程とは一転気を良くしていた。


 「茜」


 「な、何でしょうかお嬢」


 「何でもするって──言ったよね?」


 お嬢を落ち着かせるための発言が墓穴を掘ったことに気が付いた。

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