第4話 大人になるって悲しいこと
今回の件で体力を消耗していたのかお嬢は寝息を立てたため、彼女をベットに寝かし付けた。
そんな俺もソファーで横になっていると夕食を取るのも忘れて、気が付くと寝落ちしてしまっていた。
小鳥の囀りと部屋に入り込む陽光。
一見何気ない一日の訪れを感じさせる日常かのようではあったが、唇が触れ合いそうになる程の至近距離で俺を拝む紅い双眸を見ると、恐怖感を催さずにはいられない。
そこには瞬き一切なしに俺を見詰めるお嬢の顔面があった。
「あ、起きた。おはよ」
「ヒェッ……何してるんすか」
「んん……昨日はごめんなさいね。最高の朝ね! 茜の温もりに包まれて大分捗ったおかげかしら……?」
時刻は7時。俺が起きるまでお嬢は俺の寝顔を観察していたのである。何時に起床したのか訊ねると4時頃とのこと。
俺はその間お嬢が何をしていたのか訊ねようとしたが、止す事にした。俺の本能がこれ以上深淵を覗いては危険だと訴え掛けているのである。
一先ず朝食の支度でもするかと体を起こそうとすると、何やら香ばしい匂いが漂う。
既にトーストとサラダ、牛乳が二人分用意されており、俺はお嬢に手を引かれながら席に座る。
何故か対面ではなく俺の隣に座る彼女に違和感を覚えながら、俺達はいただきますの挨拶を行った。
「ごめんなさいね、台所勝手に使っちゃって」
「いいですよ、それくらい構いません」
トーストにメープルシロップを掛けて頬張る。その様子を微笑みながら見詰めるお嬢。
俺の反応を期待するかの視線を無視しつつ、俺は牛乳を口に含む──。
「新婚さん、みたいね……」
不意な口撃に対処が出来ず、牛乳が気管に入り咳き込む。
そんな俺をあらまぁと言わんばかりに、お嬢は俺の口元を布で拭く。
俺は彼女の虚言を無視し、ありがとうございますと一言詫びを入れ、サラダに手を出す。
「一昨日八百屋さんで買った新鮮な野菜よ。『そこの美人な奥さん。美形で忙しい旦那さんもこれを食べれば精力抜群だぜ』って言われたから思わず買っちゃったの。フフフ、あのおじさんお上手ね」
一昨日は、お嬢はタイムリープしてなかったじゃないですか。
大分頭のおかしい妄言を繰り広げるお嬢に触れず、俺は一心不乱に食に没頭する。
「今晩は何が食べたい? あ・な・た?」
俺の頬を突きながら囁くお嬢。いいから貴女も食え。
「そ、そんな……! 私が食べたいだなんて……!? も、もうっ……仕方がないわね……! 今晩は私をどう「いいから食べろ」──むっ! んんん……!」
俺はうるさい口を塞ぐべく、お嬢の口の中に無理矢理突っ込む。
この面倒臭い素振りを続行されると俺の精神がますます疲弊するのが目に見えるので、辛抱堪らず突っ込む事にする。
「どうしたんですかお嬢。急に正気の沙汰とは思えない振る舞いをして。トチ狂いましたか」
「ちょ、正気の沙汰とは思えないとか……私に対する態度酷くない……? いいじゃない、新婚さんムーブがしたかったのよ! 茜の意地悪! ケチ! 女誑し!」
「それで対価として今回は何を教えてくれるんですか」
「えっ……今ので対価発生しちゃうの? まぁいいわ、満足したし……」
お嬢は小さい口でトーストを頬張りながら、唸り続ける。
「学校の裏山にある大きな木下で告白して結ばれた恋人同士は、将来結婚出来るらしいわよ」
「なんですか、その恋愛漫画にありがちな設定は」
「これは裏設定だけれど、あの木の下には沢山の人骨が埋まっているらしいの。告白して振られた方は、骸の呪詛によって先祖代々永劫に独身生活を謳歌することになるらしいわ」
「振られた時の代償が大きすぎませんか」
閑話休題、お嬢は話を打ち切って本題へ戻る。
「それで夕食は何が食べたい?」
「今日も居座るんですか」
「えっ?」
「「…………」」
お互いに認識の食い違いがあるようである。
お嬢は何を言っているのか訳が分からないと心底不思議そうな表情を浮かべていた。
「私の家はここよ……?」
「和泉家の一人娘として家を空けとくのはまずいでしょう。昨日は諸々の事情で泊めましたが、今日は帰宅して明日に備えといてください」
「新婚早々夫婦別居なんて……! 茜は鬼なの!? 一人寂しくタイムリープしてしまった天涯孤独の儚い美少女を崖から突き落とすというの!?」
それを言われると耳が痛い。
が、俺は駄々をこねる我儘な中身大人を懸命に諭す。
「別に一生離れ離れになるわけじゃないでしょう。明日は和泉家に赴いて出迎えにあがりますから」
「いやよ、茜依存症の私が0.1秒茜を補給出来ないだけでも禁断症状が起きるというのに……和泉家──分かったわ。今日は大人しく退くとするわ」
珍しく理解が早いお嬢に俺は謎の危機感を覚える。悪知恵の働く彼女のことだ、何か余計な事を思い浮かんだに違いない。
そして朝食を食べ終え、二人揃って食器洗いをしていると、お嬢はお出掛けに付き合って欲しいとお願いする。
場所は昔付き合わされた近所の公園。昔懐かしい公園で童心に帰って遊びたいという、闇に染まった彼女らしからぬ回答に、俺は裏があるのではと勘繰ってしまうが、本心であるのには間違いない。
俺は承諾し、お嬢のデートとやら謎のイベントに付き従う事に決めた。
軽く運動の出来る服に着替えた俺達は、お嬢が寄り道し目的地から外れることが多々あったものの、公園に到着した。
公園の遊具や遊ぶ子ども達に親御さんをなんとも言えない表情で眺めるお嬢。
その儚げな表情から察するにこの公園で遊んだ思い出に浸っているのだろう。
「奴らは好きな人と結ばれたから……ああして幸せそうに遊んでるのよね」
「純粋無垢な子ども達の前で闇を発揮するの止してくれませんか」
「私達の子どもも、健気にああやって遊ぶのかしら」
「もう勘弁してくれませんか」
懐かしい、と言えば俺自身もそうだ。
破天荒で行動派な幼いお嬢に拉致され、俺達は二人仲良くこの公園で遊んだ。
あのブランコはそう、お嬢が靴飛ばして大きく飛躍させた靴を取ってこいということをした。
あの滑り台はそう、滑り台の先に待機する俺を、滑って加速したお嬢が蹴飛ばすことで、どこまで突き飛ばせるかという飛距離を測るもの。
あの砂場はそう、俺を首から下まで埋めて、夕方になる頃までに脱出出来るかと、時間を競うもの。
「懐かしいなぁ……」
「その、ごめんなさい……」
幼女のすることか……これは?
発覚すればいじめ問題として取り上げかねない遊び行為を、当時の純粋無垢な俺は何も疑わず微笑ましく過ごしていた。
そして、お嬢は真っ先にブランコに駆け寄ると漕ぎ始める。
「茜も、ほら!」
お嬢の調教が染み付いていた俺が離れた場所で待機していると、一緒に乗れと要求する。
座りながら漕ぐ彼女に対し、立って漕ぐ俺。
落下の危険があるのと子どもが真似してしまうため数秒で終えると、彼女は大分ご立腹であるようだが、俺の意図を理解してか何も言わなかった。
シーソー、滑り台、砂場をその他の遊具堪能した俺達は、ベンチに座って休憩を取っていた。
自販機で買ってきた飲み物をお嬢に手渡すと、彼女は相変わらずらしくなく「ありがとう」と一言述べる。
「お汁粉……? こんなのも売ってるのね」
「好きでしょう、お汁粉」
「…………」
お嬢の好物であるお汁粉。彼女は甘い物全般が好物であるので、機嫌を直すには甘い物を与えると大抵何とかなると組の人に伺った。
特段機嫌が悪いというわけではないが、長年の癖から何の考えもなしにお汁粉を選んでしまった。
「……好き」
「好物は変わってないようですね。安心しました」
──何に安心したのだろう、そう思った束の間。
「……好きな人も、変わらないわ」
「随分と一途ですね」
「えぇ、私はしぶとく諦めの悪い女なの。欲しい物は意地でも手に入れる主義者よ」
俺は買ってきたお汁粉を口に含む。俺には苦手な味だ。
「甘い」
「そう? こっちはそうでもないわよ?」
お嬢に同じお汁粉を手渡される。俺は特別それに躊躇せず、お嬢のお汁粉を口に入れる。
「……甘い」
何も変わらない同種であるはずだが、彼女のそれは、より甘い気がした。
何か言いたげに微笑むお嬢を無視していると、遊んでいた一人の少女が転ぶ。
その様子を見たお嬢は少女に真っ先に駆け寄り、慣れた手付きで少女の膝を洗い、昨日俺があげた絆創膏を貼る。
俺は幻覚を見ているのだろうか。あのお嬢が人助けだと……?
人助けよりは、人を搾取するお嬢が慈愛に満ちたような行動を取るとは……。
「痛くはない?」
「う、うん……お姉ちゃんありがとう」
「ありがとうが言えて偉いわね。次は気を付けてね」
──誰だこの人。
お嬢は少女とその母親に礼を言われ、照れながら俺の元へ戻る。
「どう? 惚れ直した?」
「一言余計ですが……俺は感動してます。あの冷酷無情な不動明王のようなお方が、あのような行動に取られるとは……成長しましたね」
「……何か凄く馬鹿にされてる気がするけれど。そうね、私も一応は大人なのよ」
「大人になるって悲しいことですね」
「そろそろ怒ってもいい?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます