泣き虫迷子と旅人の歌


地平線から真っ暗な夜がやってくる。

薄闇のビロードのマントに

きらきらと光る星を引き連れて。


旅先で初めて訪れた街は、ちょっとしたお祭り騒ぎで賑やかだ。

今日はハロウィンの日だ。街の愉しげな雰囲気が心地よかった。

そんな初めて来た島で人が来なさそうな高台を見つけた。誰も居ないし、何だか歌いたくなってきたボクは、すう、と息を吸いこむ。


“さあ、歌え。

私の愛する音よ”



「おうた、上手だねぇ」


え?と思い、くるりと後ろを振り向く。

すると、ビー玉みたいなまん丸の目がボクを見つめていた。

溢れそうな涙をためていたその女の子は、きっと今まで泣いていたんだと思う。


「…そうでしょ?」

「うん、すごいねぇー!」


ふにゃっと笑顔を作ったその子。

すると、ほろりと涙が頬を伝っていった。

ボクはちょっと考えてから、女の子と身長を合わせるようにしゃがんで、洗ったばかりのタオルを取り出して顔を拭いてあげることにした。


「あう、ふわふわ」

「ちょっと我慢して、涙拭くからね」


幼い子供特有の、ふっくらした頬っぺたを押さえてタオルで涙を拭いた。ついでに涙の痕でかぴかぴになった所も。


「お兄ちゃん、はなみず…」

「ああもう、ハンカチ出すから」


女の子にハンカチを渡すと、遠慮なく鼻をかんでいた。

子供特有のふわふわの髪を見て、自分も昔はこうやってお兄ちゃんにお世話されてたな、とぼんやりと思い出した。

女の子の顔を拭いてから、少し考える。

そうだ、この島に着いたときに買ったお菓子がある。

あげたら少し、ほっとするのかな?


「これ、食べる?」

「ロリポップ!」


ぐるぐる模様で丸い形の飴に、ロッドみたいな持ち手が付いてる大きな飴を透明フィルムを外して渡してあげる。

喜んでいてホッとした。物珍しくて買ったけど、正直食べきれるか自信なかったのだ。

女の子は少し落ち着いたみたいだ。


「お兄ちゃん、旅の人?」

「うん、そう…」

「髪の毛、きれーな色!」


女の子は、ボクの空色をした髪の毛を指差した。

びっくりしたけれどボクは「うん、ありがとう」と返す。

それよりこの子、一人でいるけど家族はいるのだろうか。見た感じでは、特に変わった風には見えない。


「えっと、お名前は?」


女の子は、リズ!と元気よく答えた。

ボクは更に訊ねてみる。


「リズちゃんは、一人でここまで来たの?」

「ううん、パパとママと一緒にきたの。でもねー、ママ達が迷子になっちゃってね。ママいないねー、いないねーってリズさがしてあげてるの」


……この子、やっぱり迷子だ。


「そしたらおうたがきこえてね、おうたきいてると思って…ふえっ、ママ、パパ、……どこにもいないのっ、ぐすっ、…ひっく」

「な、なかないでリズちゃん…」


みるみるビー玉みたいな青い目に、涙の粒が溜まっていく。どうしよう、小さな子供ってどうやってあやすの…?

思わず戸惑っていると、ボクの背中から女の子の方へ白い毛玉が現れた。

真っ白い猫の姿の精霊、カラだ。


『ミズイロ、歌っておあげなさい』

「ふえっ?!」

『いいから』


そう言われると、歌いにくい

…いえごめんなさい、歌いますって。

緑色の猫目に睨まれながら、息を整える。

まだまだボクの歌は練習中なのにと思いながら、すーはー、と息を吸って吐きだして。

そして、息を吸う。



“さあうたえ

わたしの あいする おとよ

わたしの あいする ものよ


そらに おどれ

せかいの いとしごよ


どうか あなたの しゅくふくを”




昔、一度だけ聞いたことがある〈歌姫〉の歌だ。歌詞の意味は知らない。

ボクはこれを必死になって覚えた。それはお兄ちゃんが喜んでくれたからだ。

本当に、それだけだったのに。


「おうた、もっと聞きたい」


気づけば、リズはまた顔をくしゃくしゃにしながらも笑みを見せていた。

どうしようかなと思ったけど、この女の子が歌で笑顔になってくれるなら。

いいかな、と思った。


「いいよ。リズちゃんのママ達を探しながらね」

「……!うん。ママ達さがす。きっとさみしがってる!」


ロリポップを握って力強く頷いた女の子。そこにカラが近づき、にこやかに話しかけていた。


『お嬢ちゃん、アタシを抱っこすると暖かいわよ』

「やだ!!ちっちゃいネコさんがいい」

『なんでよこの小娘!』

「カラ、大人でしょ?」


話しかけといてキレるの、それどうなのよ。

ボクは女の子のひんやりとした手をとった。今日の夜は少し寒いような気がする。

少女…リズから両親達がいそうな所を訊ねると、少女はあっち、と指差した。


「何があるの?」

「噴水広場があるの。パパとママと、一緒に行くの!」


カラが『待ち合わせ場所なのかしらね』とぽつり。言われてみれば、幼い頃お兄ちゃんから迷子になったら此処に集合だ、と決めてた場所があったな。と思い出す。


「お兄ちゃんは、家族は居る?」

「あはは…兄のような人はいるよ」


幼い頃から親はとっくに亡くなってて、ずっと路地裏で暮らしてた。その時に兄のように面倒を見てくれたのがお兄ちゃんだった。

あの曲を詠う〈歌姫〉を見たのも、その頃だ。


「会いたい?」

「うーん、どうかなあ」


少女はそうなの?と不思議そうに目をまんまるにさせている。


「リズは、パパとママと毎日一緒に居たいよ?」

「大きくなると、いろんな事があるから…」


ボクは曖昧に答えた。こんな子に話すことじゃないと思ったからだ。

少女はロリポップを胸の前でぎゅっとしながら俯いていた。


「リズは、もう…いられないから」


ぽつり、と呟いた言葉は、ボクには聞こえなかった。


それから、少し歌いながらリズと歩いて行くと、街の中心から少し離れた所に着いた。

出歩いてる人は疎らな通りに少し開けた場所があり、そこに噴水広場があった。

まだリズの両親らしき人は来ていなさそう。

少女をベンチに座らせる。ボクも少し開けて腰かける。開けたところはカラがやって来て丸くなった。


「あのね。リズのママ、お腹に赤ちゃんがいて、今度弟か妹が出来るの」

「そっか、お姉さんになるんだね」

「うん……」


と、遠くから人影が見える。

暗がりでよく分からなかったが、近づいてくるとガタイの良さそうな男の人の姿が分かる。暖かな灯りのカンテラを手にしていた。その後ろは、女性だろうか?

彼らはこちらを見つけると、驚いたような声を出した。


「リズ!」


リズちゃんが駆け出していく。

パパ!ママ!と叫びながら、二人に飛び込んでいった。女の人…おそらく少女のママが小さな娘を抱き締めていた。

少女のパパと思われる人が、ボクに気がついた。


「リズと一緒に探してくれていたのですか。すみません」

「いえ、見つかってよかったです」


リズちゃんが、泣きながらママに頑張って伝えようとしているけど、ママさんも涙を浮かべている。


「娘は泣き虫で…、迷惑をかけませんでしたか?」

「あはは…でもしっかりしてましたよ」


話をしているパパさんも、うっすら泣きそうだった。


「そうですか。君が娘を見付けてくれたお陰で、こうして今日会うことが出来ました」


ありがとうございます、と父親が頭を下げた。その父親の後ろから、リズがやって来る。けれど、ボクはその姿を見て驚いた。


「ありがとう。やっと、パパとママに会えた…!」


涙の痕が残る顔でにっこりと笑ったリズの身体が、淡く光っていた。


「……リズ…ちゃん?」


どうして、と声を出したボクは気付いた。

少女の光と、父親の持つカンテラの光が同じ色を灯していると。

リズがカンテラへ手を伸ばすと、その回りにぶわっ…と暖かな風が吹いた。

少女の身体が光となって、カンテラの中に吸い込まれていく。暖かな風が強くなる。少女は少し寂しそうに手を振っている。

ボクは風に耐えられず、慌てて腕で顔を覆った。

それから数秒。風が止むと…少女の姿は霧のように消えていた。



………

………………。



『ハロウィンは死者の国の門が開く日とされているの。

死者の魂はこの日、開いた門をくぐって現世に帰ってくると言われているのよ』


そんなの、知らなかったんだよ!

カラは誰でも知ってるわよそんなこと。とクールな声のトーンでふん、と鼻をならしている。


あれからボクは、ご両親から詳しい話を聞いた。

リズは去年、不慮の事故で亡くなってること。ご両親は暫くの間、落ち込んでいたこと。

それでも、どうにか立ち直った頃に…ハロウィンの季節がやって来た。

ハロウィンの夜に娘の魂が戻って来るなら、迎えに行かないと…と思ったのだそうだ。

それで、カンテラを持って街中を探していたのだと。

カンテラの灯りは死者の魂を導く標になると……この辺りの言い伝えであるそうだ。


「きっと……迷子になって泣いているのではないかと思ったんです。でも、杞憂でしたね」


まさか、君を巻き込んで私達が捜されているなんて、と少し涙ぐみながら話してくれた。


「心配してくれてありがとう、リズ」


母親の声に、カンテラの中の炎が優しく揺らめいた。

その日の夜の間、ボク達は少女の両親の家に止まらせてもらった。



ーーそして、夜明け前。

ボクはあの高台に立っていた。


『…あの人たちに挨拶しなくてよかったの?』

「手紙残してきたよ」


そうじゃないでしょ、とカラ。

だって、絶対に此処に来たかったんだ。


ビロードのマントは取っ払って。

薄紫色の淡いカーテンの先に、地平線から朝の日差しが覗きこむ。


息を吸って吐く。

頭に浮かんだのは、ビー玉のような目の女の子。



“世界の愛し子よ

どうか貴女に祝福を”



旅立つ前に囁くような歌を口ずさんだミズイロの青い目は、微かに泪で滲んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る