時操る彼女とお菓子の魔女


ばりばり、ぽりぽり、ごっくん。

ーー絶えず咀嚼音が響いている。

眼前に佇む大きくスラッとした体躯の魔物が、可愛くラッピングしたリボンを解いて、中身のクッキーを長い指で摘まんでは口に運んで貪っていた。

魔物の側には、空っぽになったお菓子の包みが無造作に置かれている。

その光景を見ていた勝ち気な女子…夏実は、怪訝そうに呟いた。


「あんたが今回の獲物?」


時間帯は夕方。彼女達の通う雀宮学園の中で、オレンジと影の色の二極化した空間ーーオウマガトキが現れていた。

夏実と友人のハイネは、家庭科室に閉じ込められていた。

普通の教室よりも広い部屋の中、並べられている筈のテーブルやキッチンは、ねじ曲げられて上に吊るされていたり、部屋の端に山のようになって積まれている。

教室の異界化も、この部屋のチョイスも納得がいく。きっとどっかのクラスが調理実習でも行ったのだろう。

魔物のどこかぎこちない動きは、子供の頃に見た人形劇のパペットを思わせる。


『あたくしは、手作りのお菓子が食べたいのよ!』


ごてごてカラフルなパッチワーク風のドレスと、人形に似た顔と腕……さしずめ、お菓子の魔女といった風貌の魔物は、お菓子を食べながらそんなことを訴えた。


「手作り?」

『そう。人間は愛情を込めてお菓子を作るのでしょう?あたくし、それを食べるのが好きなの』

「……だからって、他の人から奪うのは違うんじゃない?」


どこか無邪気に話す魔物を相手に、夏実は茶色いボブの髪をかき揚げてから腕を組む。左耳には、カーネリアンの付いたピアスが覗いている。

お菓子の魔女は…ぎろりと目を血走らせて彼女を睨み付ける。


『……なんですって?』

「なっちゃん」

「学園の生徒が持ってきたお菓子を盗っていたのはあんたね」


しかも、ご丁寧に手作りしたものしか盗らない変わった盗人だった。

最初は、魔物の仕業だとは思わなかったが、人の仕業にしては不振な点やおかしい所があったのだ。

魔物の小さな唇が綺麗な弧を描いて、口の端を大きく吊り上がった。


『…ふふ、そこのお嬢さん。美味しそうなものを持っているわ、いいわ。いいわあ…』


魔物は波打つ白髪の少女…ハイネへ視線を向けていた。その少女はとくに慌てず、ああ、とポケットからお菓子の包みを出して


「これのこと?」


と訊ねる。

魔物は笑いながら大きな舌で舌なめずりをした。

夏実は少女を見て目配せをする。二人で頷きあい、再び魔物へと向き直る。


「分かった。いいよ」


そう言った白髪の魔女が、お菓子の入った包みを机に置いた。


『……ああ、いいのかしら。うふ、うふふふふふふ』


お菓子の魔女は、それを長い指で摘まんで胸の前に両手を重ねる。

狂喜し笑い出した魔物は、くるくると部屋の中を回りながら踊る。

広い部屋の中で壁にぶつかり、体を跳ねさせて縦横無尽に飛び回りだした。

二人は直ぐに魔物の攻撃の外へ避ける。


『とってもしあわせ、とてもしあわせだわ。あははははははーーーーー』


そのお菓子の魔女の動きを冷静に避けると、夏実はピアスに手を当てる。

すると、ピアスが光り、手の中に懐中時計が現れた。金色で綺麗な装飾のそれを開いてから、ぼそりと呟いた


「巡る時よ…」


カチ、カチ、と規則正しい音を聞きながら、もう片方の手で腰のホルスターから引き抜き拳銃を構えた。


「私を置いて〈停滞〉せよ」


懐中時計から、薄い膜のように光の粒が広がると、夏実の周囲の時が全てが止まったようにスローモーションへと変わる。

物も、人も、魔物の動きも全て止まったように固まっている。

その中で夏実だけがコツコツと歩く。

何てことはない、夏実以外の周りのしただけ。

なので周りから見たら、夏実がものすごいスピードで動いてるように見える。


彼女は構えた拳銃を何も解っていないであろうお菓子の魔女の側へ合わせる。

狙いは魔物の腹にある、宝石のように輝く逆十字のロザリオの中心。

夏実は引き金を撃った瞬間


「時よ巡れ、再び〈循環〉せよ」


と呟く。

果たして、拳銃の弾は魔女のロザリオを撃ち抜き、彼女は訳もわからないままそのショックで倒れこんだ。

ロザリオは黒く染まり、砕けた中心からは黒い霧が吹き出していた。


『な、に?何が、起こって…』

「……たかだか魔女になりたてのあんたが名乗るには、その肩書きは重いのよ」

『……あ、うう……』


形が保てなくなった魔物は、黒い霧へと還って異界へと流れていく。腹から徐々に形が崩れていき、みるみるうちに霧散していった。

固い表情をした夏実を見たハイネは、


「せめてあげたお菓子を食べるまで待っても良かったんじゃない?」

「駄目よ。あれは…力を増す魔物じゃない」

「…あまりにも無邪気な魔物だったからね」

「魔物は何処までいっても、魔物なのよ」


そう。

どんなに優しい魔物でも、人間に危害を加えるつもりがなくても…野放しの魔物ほど、危険なものはない。

それを、夏実はよく知っている。


魔物が消えると、教室の異界化が解けて元の家庭科室に戻っていた。オウマガトキも終わると、すっかり日が暮れていた。

部屋の隅にぐったりと倒れ込む男子生徒の姿があった。

…今回の被害者か、と思いながら、ハイネに部屋の外に待たせている後輩男子の航星を呼ぶように伝える。


「…おーい。大丈夫?」


夏実が声をかけると、その男子生徒はうっすら目を開けた。

それから夏実を見た瞬間、ぶわっと頬を赤く染めて


「…長谷部先輩!これ食べてください!」

「……え?」


男子生徒はラッピングされたお菓子の包みを夏実に差し出した。

当の夏実は、急に不意を付かれたようにぽかんとするしかなく。

……戻ってきたハイネと航星は、お菓子の包みを差し出す彼と、困惑した夏実を目にして思わず、ぶはっと吹き出していた。



それから後日。


「あれから、可愛い後輩くんとは何かあった?」

「いや、別に」

「うわ、部長冷たいっすね。だからうちの部に悪魔が居るって噂されるんですよ」

「誰が悪魔だ」


結局お菓子の魔女は、男子生徒の美味しいお菓子を作りたい、という想いを利用して取り憑いていたらしい。

彼はお菓子作りが好きで、聞けば夏実がたまに通うケーキハウス屋の息子だった。そこで彼女をお客さんとして見かけて、憧れていたということだった。


「いや…誕生日にお菓子食べにいきませんかって言われたんだけど、お断りした」

「え、今日じゃないですか」

「ほら、ハロウィンは忙しいし」


そんな夏実の拗ねた様な言い方に、ハイネと航星は顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

ハイネが夕日が沈みかけている空を見る。コウモリの群れが霧の様に飛んでいる。

ーーハロウィンの夜は死者に紛れて影や魔物がやってくる。

近年は仮装した人々が街へ出ることが多くなった。その為か、異界のモノが紛れるのに容易くなっていたのだ。

魔物を祓うのは本職の退魔師がやってくれるが、この日はどうしても忙しくなる。

そのため、学生の彼らも近隣のパトロールをする為に夜の街を歩いているという訳だ。

地域郷土研究部の…本来の活動の一貫である。


「それはそうだけど…」


ハイネは口ごもりながらも、取り出した銀のロッドで、早速見つけたコウモリ型の影に振りかぶって打ち落としていた。

続いて航星が、大きく片足を回し蹴りにして、スライム状の霧を蹴散らしていく。


周りにいる人達は疎らだが、三人の姿は見えないかの様に歩いていく。

三人が身に着けているピアスとペンダントに組み込まれた気配を遮断する術式が掛かっている証拠だった。


「見ましたよ僕。例の彼がすごい凹んでいるの」

「悪かったわね」

「いいの?後輩くんが落ち込んでいると、また魔物に憑かれちゃうかもよ」

「…あんたら、やたらあっちの肩を持つわね」


「そりゃあ、ねえ」「そうですよねー」とにまにましている二人に、夏実一人が少し面倒そうにしていた。

丁度電柱の影に隠れていた四つ足の形の魔物を見つけると、即座に撃ち抜いた。


「…ぶ、部長?ふざけ過ぎましたすみません」

「別にいいわよ」

「……じゃあなっちゃん。今度ケーキハウスに行こう。後輩くんも元気になるかも」

「んー分かった。……考えておくよ」


そんなことを言いながら、

三人はハロウィンの仮装をして楽しそうにしている人達に紛れて、影や魔物を霧に還して回っていた。

まるでどこかの童話小説の透明マントを被って街の中で悪さをするみたいな、スリルのあった夜だ。


それから、なんやかんやあって

夏実はその男子生徒にスイーツを振る舞われたり、二人で出掛けたり、最終的には絆されてお付き合いを始めるのだが…。

まだまだ、それは先の話になる。


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