人魚姫は魔法使いと月夜に踊る


ざわざわざわざわ。

……おやおや。

今日は夜だというのに、いつになく人間達が賑やかです。

カンテラをもっていたり、包帯を巻いていたり、布を被ったりしている人々もいますね。

一体これから、何が始まるのでしょうか?


「Trick or Treat!」

「Trick or Treat!」


子供達は楽しそうにTrick or Treat!と言っては、大人からお菓子を貰っています。

何かのパーティーでしょうか、子供達は羽を着けたり、獣の耳に見立てた頭飾りを付けて仮装をしています。


「…あれは、何と言っているのですか?」


不思議そうに辺りを見ていた元人魚の少女、セレナが二人の魔法使いへと訊ねます。

その片割れ、ハーフアップツインの髪を揺らして振り向いた少女、ソフィアが明るく答えます。


「あれはね『イタズラされたくなければお菓子を下さい!』って言ってるの」

「ハロウィンの決まり文句です」


ソフィアに続いて、ローブを着た青年…ルートヴィッヒが答えます。

ぽそりと「…もうそんな季節なのか」と青年が呟きました。

セレナはすかさず彼に訊ねました。


「…ハロウィン?」

「そう。この日は、死者の魂が地上に戻ってくると言われている日だ。だから生身の人間は、死者に連れていかれないように、仲間だと言って紛れる為に死者や魔物の仮装をするという言い伝えがあります」

「今はそれが転じて、子供達が仮装をしてお菓子を貰いにいくイベントになってるのが一般的なんだよね」


あら、私の説明が要りませんでしたね。

流石魔法使いの師弟、息がぴったりです。

因みに、ハロウィンの夜には……何故か不思議な出来事が起こると起こらないとか。


「…ソフィア、お前仮装をするか?」

「しませんよー師匠。私はもうそう言うのは卒業したんでーす」

「へー。どうだか」

「ひっどーい!……でも、あのオカマ魔女にはTrick or Trickしにいきますけどぉ」

「とりっく おあ とりっく」

「それはどっちも悪戯では…」


なんだか物騒な話になってきました。

ソフィアの目がきらんと光っていて、結構本気かもしれません。


「ルーイさん。大人も子供も仮装をしてなんだか楽しそうです」

「セレナは、仮装をしたい?」

「興味があります……ああいうのとか」


セレナが指を指したのは、魔女の帽子としましまのハイソックスが可愛い、ちょっとシックなワンピースを着た女の子の姿でした。


「そうか。……分かった」


魔法使いの青年が呪文を呟いて杖を振ると、セレナは瞬く間に服装が変わっていました。

魔女の様な三角帽子に、黒とオレンジを基調にしたワンピースドレスに、同じ色合いのパンプス。それとしましまのハイソックス。ご丁寧にふわふわの銀髪もツインテールになっています。


「これでいいかい?」


セレナが、わあ…とうれしそうにその場でくるくると回って自分の格好を確かめています。

それに、「いいなー、私もお揃いにしてほしい!」とソフィアが羨ましそうに彼女の師匠へ口を尖らせています。

そんなことを言い始めるのはお見通しだったのでしょうか。「言うと思った」と言って苦笑した魔法使いは、ソフィアにも同じように魔法を掛けて服装を変えていました。服装に明るい髪色も相まって、二人は何だか姉妹のよう。

それから、ルーイ自身も少しシックな装いに変えていました。背に蝙蝠の様な羽の飾りと、口に牙を付けています。


「…何の格好です?」

「これは吸血鬼の仮装です」


何だかんだでしっかりと仮装をした三人は、街の中へと入ります。

ハロウィンの夜、と言うことで昼間の様にお店が開いており、沢山の人が集まっておりました。皆さん楽しそうですね。

ソフィアはいつの間に屋台で買ってきたのでしょうか、お菓子を持っていました。


「セレナさんにもあげる!」

「…美味しい!」


温かいパイの包み焼きや、大きなアメ、ソフトクリーム等…少女二人は美味しいものを食べて笑顔を見せています。不思議と外で食べるものはいつもよりも美味しく感じますね。

お祭りを楽しんでいる二人とは別に、ルーイは冷静に辺りを見ています。一体何をしているのでしょうか。


「ルーイさんは?」

「師匠のことは気にしなくていいよ。いつもの仕事をしてるだけだし」


魔法使い師弟の二人は、違法魔法の取り締まりをしています。

魔法の中でも人から代償を必要としたり、苦痛が伴うものを違法魔法と呼び、禁じられているのです。

さる魔法大国の王様から、その違法魔法を使う魔法使いを捕らえる様に命じられた二人は、旅をしながら仕事をしている、というわけなのです。

つまり、いまルーイは違法魔法が使われてないかチェックしているということなのです。


「でも、こんな所で」

「ハロウィンはねぇ、死者が悪戯代わりに生きてる人に違法魔法掛けたりするときがあるの。『呪い』っていうんだけど」

「……ええええ!」


驚いている元人魚の少女に、ソフィアは口の前で指を縦にして「静かに」のポーズを取りました。


「セレナさん、しー」

「ごめんなさい」


口をつぐむセレナがうつむきます。

大きな声がでてしまうのは、まだ声を出すことに慣れてないからでしょうか。


セレナは、ソフィアから分けてもらったお菓子を食べながら、なんとなしに人通りを眺めます。

お化けの格好をした人や、つけ羽を背中につけている人、中には角や牙をつけて仮装を楽しんでいます。街の皆は笑顔で楽しんでいました。

セレナは少し、不思議な気持ちになっていました。もしも会ったのがこの日だったのなら、王子様は人魚の姿でも受け入れてくれたのかもしれない、なんて思ってしまいました。

そんな訳、ないか。そう思っていた。

……そんな時でした。


『…マナ』と、ぞっとするほど優しい声が、セレナの耳に届きました。

びくっと肩を震わせて、周りを見回します。ですが、周りの人々は彼女には目もくれずに通りすぎていきます。


「どったの?」

「あ、…いえ、空耳でした…」


ソフィアに聞かれたセレナは、思わず誤魔化してしまいました。

彼女を『マナ』と呼ぶ人は、ここには居ないはずです。彼女が慕う王子様も、お妃様も、その彼らに仕える人々も、彼の国にいるのですから。

ですが、そこにルーイが声を掛けてきました。


「セレナ、顔色が良くない」

「…ルーイさん。いえ、空耳が…」


空耳?とルーイは怪訝そうな顔付きに変わります。

そこに、また『マナ』と呼ぶ声がした気がして、セレナは顔を青くさせました。

魔法使いの顔に、一瞬だけ王子様の幻が重なって見えたのです。セレナがあの日、泡になるか悩んで悩んで…心の奥に閉まった大事なあの人の姿でした。

わたしを呼ぶのは、まさか……


「……王子さま…?」


口からぽろりと言ってから、セレナは咄嗟に自分の口を両手で覆いました。


「セレナ?」


ルーイは心配そうにセレナの方へ駆け寄りますが、彼女は顔を青くさせたまま後ずさりました。


「わ、わたし……」


かたかたと肩を震わせた少女は、人混みの方へと駆けていきます。

『マナ』『僕のかわいい宝物』そう呼ぶ王子様の記憶を、かき消すかのように。

…海で暮らしていた人魚姫は、一目惚れをした王子様を追って、海の魔女にその声と引き換えに人間になる魔法を掛けて貰いました。ですが、それは王子様と結ばれなければ泡になるものでした。

人魚姫は好きになってもらおうとしましたが、王子様は、別の国のお姫様と結ばれる事になりました。

彼女は本来は泡になっている筈でしたが、そこで旅の魔法使い二人に助けられ、魔女から声を取り戻しました。

それから、人になることを願った彼女に魔法使いから心を分けてもらって、今のセレナがいます。

……ですがどんなに記憶の奥に閉まっても、大好きだった王子様の事を、完全には忘れられませんでした。

セレナは、王子様に似た声で呼ぶその名前を、聞きたくありませんでした。聞いていたらまた思い出してしまいそうで。

それから…ルーイに一瞬、傷付いた様な表情をさせてしまったことが、何故か気になって…胸が傷みました。

まるで彼に分けてもらった心が、セレナの内側で悲しいと訴えているかのようでした。


少女は聞こえなくなるまで遠くへ走ろうと思って街中を駆けていると、ふと視線を向けた先に何かを見つけました。

少し開けた場所で仮装をした人々がダンスをしています。


「……あ」


セレナはその光景を見て、びっくりして足を止めました。陸に上がったばかりの頃、お城で王子様に手を引かれて踊る練習をした記憶がよぎります。

そんな彼女を、待つ人影がありました。


「…おやおや、人魚姫ではないですか」

「……!海の魔女…」


血色の良くない肌に、妙齢の姿をした(女装をしている)魔女がそこにいました。まずいと少女の直感が告げます。

しかし、セレナの耳に『マナ』と囁く声がしました。慌てて耳を塞ぎました。

彼女の心が作り出した幻想が、影となってひたりと手を伸ばしてきていました。


「顔色が良くない、何か悪い幻想でも見ましたか?」

「……こ、来ないで!」


びりっ、と魔女の体がひりつくように動きが止まりました。魔女は舌打ちをし、絞り出すような低い声でつぶやきます。


「ちっ…人を操る声の力か……。『ハロウィンの夜の幻』で弱っている今がチャンスだと思ったのに」

「……ハロウィンの…夜の幻?」


何か気になることを魔女が呟いたと思った時でした。彼女の後ろから、後を追いかけて来た二人が現れました。


「…セレナ!」

「……!」


ルーイは魔女から庇うように少女の肩に手を回しました。急にやって来た青年に、セレナが驚いてその顔を見ます。少し息を切らしていました。

青年は自身の知らない間に魔女が現れて、動揺しているのかもしれません。


「あ、あ、あのさっきは…」

「…。気にしなくていい」

「ほほーう。これは、ソフィアちゃんにTrick or Trickをしろってことかなぁ?」


一方ソフィアの方は、二人そっちのけでオカマな魔女を見て瞳を輝かせています。

完全に、飛んで火にいる夏の虫ってやつですね。

魔女は二人が現れてから、苦虫を噛み潰した様に不機嫌な表情を作って彼らをじろりと睨めつけていました。

それから、魔法使いに向かって叫びました。


「…ルートヴィッヒ!何をしてるんですか人魚姫から離れなさい!」

「俺は彼女を魔女の魔の手から守っているだけだ。貴様が居なくなれば離れる」

「ぐっ…!わ、私の方が付き合いが長いでしょう」


魔女は何故かとてもダメージを受けています。

魔法使いが目の前で他の女性の肩に手を回して抱き寄せてるせいでしょうか。

あら、いい大人がこっそり泣いてます。魔女の(一方的な)魔法使いへの想いは強いようです。


「あはは、勝手に師匠のストーカーしてますからね」

「ムッキィー!小娘、何度も言っていますがストーカーではありません!」

「いやどの口がいってんの」


ソフィアは当然でしょと言いたそうに魔女を目を細めて半眼にしてじとーっと睨みました。

…それはそうと、セレナは先程からルーイの顔を見て困惑しています。彼らが駆けつけてから、空耳が落ち着いていました。

なので、パニック状態から少し落ち着きを取り戻したようでしたが、今度は魔法使いが近くて驚いているのでした。

青年は整った顔をしているので、近くにいると心臓に悪いとセレナは思いました。


「落ち着きましたか?お姫様」

「…空耳が聞こえなくなりました…」

「それなら良かった」

「……ねー、師匠。私の魔法手伝って下さいよー」

「ああ、いつでもいけます」

「先に言ってよお!」


なんだか微笑ましいような、少し楽しそうにしている三人を見て、魔女は歯噛みをしていました。魔女をそっちのけな三人のやり取りに、少々可哀想な気もしてきました。

今宵はハロウィン。ちょっとふわふわするクオリティになりやすい、とでも言っておきましょうか。


「くう!私だって何時までもやられてばかりではありませんよ……「くらえー、ハロウィン限定Trick魔法!」


魔女は真上から巨大なジャック・オー・ランタンの頭にタックルされて、ぐはっ!と低い悲鳴を上げました。

ソフィアは、生き生きとしたようにルーイと目を合わせて、目配せをしました。

セレナは、あ、と呟いて口を抑えました。ジャック・オー・ランタンの頭の上に生えたアホ毛に、火が付いていたのを。

これは、間違いないやつですね。


「ふっふー。いきますよ師匠!

これが、かわいい私の……Trick or Trickだー!」


魔法使いの師弟が、もはやお馴染みの派手な魔法を魔女に食らわせると、乗っかってたオレンジのカボチャ頭が景気よく爆発しました。

魔女はまた空の彼方に吹き飛ばされてしまいましたが、爆発と一緒に綺麗な炎の花が夜の空に打ち上がりました。

街の住人はその炎の花に目を奪われて、魔女のことは気にも止めなかったようでした。

悪戯のわりには、威力がかわいくなかった気がしますが…やっぱりこの二人、容赦がないようです。


………。

………………。


「勝手に走って、ごめんなさい」


魔女を吹っ飛ばした後。

改めてセレナは、二人に頭を下げて謝りました。急に空耳が聞こえてきたこと、王子様の幻覚が見えてたこと。それを言わずに逃げたことを。


「いや。…君のそれは、ハロウィンの夜の幻だと思います」


ルーイは語ります。

ハロウィンの夜に現れる幻影達が引き起こすイタズラの事をそう言い、内に閉まった記憶を引き出して、人を惑わすのです。心に隙がある人や、未練があるとかかりやすいのだと、そう言います。


「…あ…もう未練はないと…思ってたんです」


セレナは、これじゃあ、駄目ですね…と俯いてしまいました。

顔を見合わせる魔法使い師弟の二人は、少しの逡巡の後、頷きあいました。


「思うんだけどね、セレナさん」

「は、はい」

「吹っ切るには、何をしたらいいかわかります?」


「……へ?」とセレナが首をかしげました。

それにソフィアが、ニッコリとウインクを一つ。「楽しい思い出を作って、上書きするんだよ」と可愛らしく言いました。

彼女が指さしたのは、ダンスをする人達の姿です。魔女が現れて忘れていましたが、ハロウィンの仮装をした人々が思い思いに踊っていて楽しそうで、足を止めたのでした。

それから、にこりと笑ったルーイがセレナに向けて、手を差し出しました。


「踊りませんか、人魚姫?」

「…は、い?」


え、え、え?…と、困惑を続けるセレナの手を取って、ルーイはスマートな動作でダンスをしている人達の中に入り込みました。


「わっ、踊れるんですか?!」

「一通りは。魔術の師匠がマナーとか上流階級の嗜みにも明るくてね」


そんな話をしながら手を取りあって向き合うと、二人の距離がとても近くなります。自然とお互いの顔がよく見えるようになります。

魔法使いの方は顔色を変えずにくるくる回ってますが、セレナは焦ったり赤くなったり青くなったり忙しそうです。

……あ、動きが止まりました。

セレナが足を踏んづけてしまったようですね。


「ごめんなさい!」

「わかった。…こっちに合わせてくれればいい」


セレナは小さく頷きます。

二人はくるくる、くるくると回ります。

黙ったまま、少女はぼんやりと考えます。

あれから、すっかり空耳が治まっていました。

それは、なんでだろう。と聞かずにはいられませんでした。


「あの時、庇ってくれたとき。わたしに何かしたんですか」

「空耳と幻覚のことか?……多分ですが、分けた心が近くにきたからだと」

「心…?」

「君に分けた心だよ。同じ音がしているのが分かる?」


顔をあげると、大きな月と目が合いました。

そのあとに、ルーイの顔が目に入りました。

胸の中が、ことこと、と音を立てています。顔を合わせた人からも、同じリズムで音を立てていました。


「…あ。なんとなく分かりました」

「え?」

「お月様が、すごく綺麗です」


わたしの今の名前は、こんな素敵な物から貰えたのかと。そんな素敵な月に照らされたその人も、とても綺麗だったと。

元人魚の少女は、貰った心がはじめて安心するものだと、そう思ったのでした。


「それは、どういう意味?」

「……?」


そっちの心の方は、まだまだのようです。






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