2
「ラーヴァ」
一瞥もなくにべも無く、茨の王は校門を通り過ぎた。
「おい、ちょ、ラーヴァ!」
素っ頓狂な悲鳴めいた声。
だけど足元乱れない。
どうせ止められないと、高を括るってた。
あんな、事が、あったのだから。
一瞬だけ迷いが足裏に生じたが、踏み間違えぬさ茨の王は。
「なぁ!らぶ助っ!」
何を思ってそんなあだ名をつけたのか。
今をもっても理解が出来なかった。
そしてこれからも。
「待てってっっっっつ!」
「!な!にするんだ貴様は!」
空木の楓が肩に触れたのをラーヴァは感じた。
茨が邪魔して不確かだけど、確かに触られた。
振り返ったそこに、昨日と同じく顔を顰めている空木の楓が居た。
なんだか、何もかも茨に呑まれたら良いのにと、ラーヴァは眼を閉ざした。
「あーいってぇ…って、らぶ助!呼んだんだから止まるくらいしてくれよっ」
「…」
空木の楓は痛む右手、ひとさし指の腹を親指で撫でる。
紅く腫れただけで出血は無かった。
でも痛いので親指で慰め続ける。
下校時刻はとっくにすぎていて、辺りはそこそこ真っ暗闇。
季節は秋の紅葉過ぎ去り寒いばかり。
街灯の下、空木の楓の鼻は赤くなっていた。
「…昨日は、ごめんな」
「…」
笑うと歯が見えて、それが可愛いと評判の笑顔だった。
そんな評判知らない空木の楓は無反応に首を傾げる。
イラついても怒ってもなんでもなくても、無視だけはしないひと、だと思っていた。
反応が無いのが珍しくて、空木の楓は無防備な手を掴もうとした。
「懲りない愚か者は嫌いだ」
「…そう、ハッキリ言われるとすげぇ傷付く」
触れる前に吐かれた言葉はまさしく茨の棘のよで、空木の楓の胸が痛んだ。
感情が表情によくでてしまう性分だから、悲しいって顔に出る。
そんな顔を初めて見たラーヴァは、気まずくなって顔を逸らした。
いつもは空木の楓ばかりが話すから、口を閉ざされると生まれるのは沈黙ばかり。
それを破ろうという気はないラーヴァは、ただただ沈痛に時間を消化し続ける。
「…あのな」
ふたりが佇む通学路、車が走って冷たい風が身体を撫でる。
遠ざかるヘッドライトに目を細めた空木の楓が、ようやく口を開けた。
ラーヴァは自分でも気づかぬ内に安堵の息を吐いていた。
「…俺は、らぶ助ともっと仲良くなりたいんだ」
まるで女子供のようなそれを、空木の楓は耳まで朱に染めながら続ける。
真っすぐ茨の王を見つめながら続ける。
「俺、こんなの嫌だ」
馬鹿馬鹿しい。
子供の我が儘だ。
鼻で笑ってしまいそになったが茨の王は自分を律する。
ずっとそうしてきた。
ずっと自制し続けてきた。
憤りなどとっくに壊れて何も感じない。
今あるのはただの揺らぎ。
蝋燭の炎のそれだ。
「俺は、俺は嫌だなって思ってる」
空木の楓はそう言ってラーヴァの右手を盗った。
茨が触れた。
皮膚も触れた。
棘が触れる。
ぬくもりが伝わる。
「…それは、お前の願望だ。俺には関係無い」
目を閉ざして言の葉紡ぐ。
どうせ見えやしないと無自覚に、茨の向こうで眉間にしわが寄る。
「なぁらぶ助」
「…なんだ」
「お前は嫌じゃ、ないのか?」
掴む手に力が籠った。
茨なんて恐れもしない。
なんにも怖がらない。
なのにこわいよって声が震えてる。
耐えきれず。
「…嫌に、決まってる…」
耐えられなくて。
堪えられなくて。
我慢できなくて。
ラーヴァは、空木の楓についぞ本音を零してしまった。
ぎゅっと手繋がる。
茨が空木の楓をこないだみたく傷付ける。
なのになのに、振りほどけない。
だってだって、怯えてる。
ラーヴァの眦が、知らぬ間に濡れ始める。
「…んじゃ、こうしようぜっ」
空木の楓がそう言うやブレザーのポケットを探る。
冷えた指でようやく取り出したのは、白い花。
空木の楓はそれをラーヴァの右手の中に、その上を両手で包み込んだ。
薄く赤が肌汚したが、ふたりは何も言わなかった。
「これはな、俺の友達のゲンゲって奴の花」
その名に聞き覚えがあったラーヴァは、金色の髪に碧眼に、四葉のクローバーに呪われた同級生を思い出した。
話した事は無いが、時々空木の楓がその名を口にするのでどういう人物なのか人となりや容姿は知っていた。
四葉の王子様と呼ばれていて、彼の金の毛の間から時々生える四葉は幸運を呼ぶ、らしい。
そのため色々人気の人物だった、と遠くから見た気優しい笑顔を茨の王は思い返す。
己とは正反対の存在。
心がざわめくが凍結させる。
「んでこれは、特別な幸運の花なんだ」
空木の楓はラーヴァに絡みつく茨を目で辿る。
とげとげでちくちくだ。
誰しも傷つける。
本人さえも傷つける。
拒み孤高の王とする、呪いの植物。
それが嫌だった。
嫌だと感じた。
血を流して理解した。
こんなの嫌だと。
嫌だって。
「…頼む、茨」
空木の楓は語り掛ける。
物言わぬ茨に懇願する。
意思があると疑わない。
願えばきっと、叶うと信じてる。
「茨、もうこれ以上、ラーヴァを傷つける止めてくれ。俺がラーヴァを守るから、ずっと傍に居るから、だから、止めてくれ」
流血なんてどうでもいい。
傷がなんてどうでもいい。
わかるよと、触れて願う。
まかせてよと、希う。
あなたにかわりに守るよと。
あなたとおなじく守るから。
目を瞑ると涙が溢れた。
大事な事を伝えたいのに、喉がぐっと締まって苦しい。
だから絞り出した。
「…好きなんだ…だから…」
空木の楓はぎゅっと両手に力を込めた。
不思議と痛くなかった。
なんだかすべすべしてて暖かい。
目を恐る恐る開けると、茨が王からはらはらと落ちて消えて去ってゆく。
いつもは隠れて隠してた、炎の双眸と目が合った。
街灯に晒された肌はきめ細やかで美しい。
艶やかな黒髪、その側頭部に真っ赤な薔薇が一輪、咲いている。
「薔薇…薔薇だ」
いつもは真一文字の唇が弓なり笑ってる。
「茨、という植物は正確には無いからな」
「そう、なんだ」
薔薇を冠した笑うラーヴァがあまりにも美しくって、空木の楓はついつい「きれー…」惚けてしまう。
「…お前、本当に、馬鹿だな」
良く知ってる、冷たい反応ばかりの声。
今も言葉冷たい。
なのに優しい声色で、空木の楓は笑ってしまった。
「ひっでぇこと言うなよ、傷付く」
「俺を綺麗だのなんだの、言うからだ」
そう言ってラーヴァは自分の手の内を見た。
白い花だったものが茶色く乾いて枯葉、粉々に砕け風に攫われた。
破格の幸運、だがその最後は無残で、頼り切ったものの末路に見えて背筋震えた。
「いいだろ、好き、なんだ、から」
好き、と改めて口にした空木の楓は全身が熱くなるのを感じた。
寒かった冷えたはずの身体が汗かきはじめて、恥ずかしい。
暗がりで良かったと顔を真っ赤にさせた空木の楓を、ラーヴァは抱き寄せた。
「きゅ、きゅうにど、したんだよ…」
高まってく鼓動が伝わってしまう不安と、どこまでもやわこい暖かい嬉しいで、空木の楓は混乱した。
そんな空木の楓を他所にラーヴァは「ありがとう…俺も愛してる…」そう本心囁いて、抱き締める両腕に力を込めた。
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