第10話
研究所を出るとオレとハナはすぐに《ゴッドピースメイル》を着装した。
ナツもシャロンになった。テルコの気配をより強く感じ取れるかららしい。
シャロンをオレが背負い、彼女の指示するままに走り回った。
四時間たっぷり走り、県を越え、やっとその気配を捉えられた。
夜空に溶け込むような山の頂に、ほんの少し屋根が見えている。
洋館があるのだ。
『コウモリ』はそこにいるとシャロンは確信した。
鬱蒼と木の茂る山を見上げる。崩れた石段が長く続いていた。
「もう間に合わない……」
時間にして夜九時を過ぎている。単純に考えれば間に合うものではない。
背中でシャロンは大きな目に涙を溜めている。
「まだだ。最後まで足掻くんだよ」
石段を上がっていく。後ろにハナが続く。
腐葉土の匂いがむせそうなほど濃い。先ほどの雨に溶けて、夜気に混じっているのだ。
石段が重みで軋み、久しぶりの訪問者に文句をつけているようだ。
段差が小さく数も多い石段を足早に登る。数を数えるのは早々と放棄した。
進行方向に気配を感じ、足を止めたのが中間辺りなのは分かった。
気配の主は『イカ』であった。
『コウモリ』が学校を襲撃してきた時に、体育館の屋根にいた白いヒューマノイドである。
恐らくだが、シレル――いや、『クモ』と戦った時に病院にもいた。《エレメンタルテリトリー》を解除する寸前に、二階にいた気がする。
仁王立ちで行く手を阻むように立っている。
イカでいう胴体とえんぺらはまとめ髪のように後ろへ流れている。頭そのものがイカなのだ。
頭部から六本の足が目に当たる透明なバイザーへ入っている。バイザーの下から出ると、丸みのある胸アーマーに入り込み、腹部から腰当のように飛び出ていた。
今までのヒューマノイド同様、顔らしい顔はないが、バイザーが見据えているのは、オレだ。それだけは分かる。
後ろでハナが《エレメンタルテリトリー》を展開しようとしたが、オレはそれを止めた。
「どうする気だ?」
訊いたのは背中のシャロンだ。
「ナツはハナと一緒に洋館へ。あいつはオレが止める」
言いながらシャロンを降ろした。
「倒すべきは『コウモリ』だ。弾もHPも無駄に出来ない。洋館へ行って、『コウモリ』がいるのを確認したら、屋敷だけを《エレメンタルテリトリー》で囲め」
ハナが強く頷いた。
「HPに気をつけろ。『コウモリ』を逃がすわけにはいかない」
「サエジマくんだけでは――」
「オレもすぐ行く。いいか。天井だけじゃなく、壁、床を使うんだ。立体的に考えろ。お前が要だぞ」
ハナの返事がない。
「大丈夫か? 固まってるぞ……」
「ハナ。テルコを救う鍵はお前にある。『コウモリ』をお前がキャプチャーできるかどうかだ。プレッシャーは撥ね退けろ」
「頑張って――みます」
固まりながらも言ってのけたハナにオレは頷いた。
その間、『イカ』は微動だにしなかった。
手に持った槍が鈍く月光を跳ね返す。
「君も気をつけるんだぞ。テリトリー外では《ゴッドピースメイル》だろうとケガをする。ヘタをすると命だって――」
「分かってる。お前も最後まで諦めるなよ」
シャロンが頷くのを確認すると、オレは石段を見上げた。
「ということで――」
『イカ』が立つ数段下まで登った。
槍の射程には余裕で入っている。
目線の位置に腰アーマーのようなイカ足が六本うねっていた。
「暫く、オレに付き合ってもらうぞ」
一呼吸――
オレと『イカ』の間を風が過ぎた。
それを合図に同時に動く。
『イカ』が振り降ろしてきた槍を抱え込み、右に振った。『イカ』が体重を左に移動したのを利用し、石段横の林へ倒れこむように入った。
絡み合いながら木々の隙間を滑り落ちる。
石段を登っていく二人の足音が聞こえた。
オレは『イカ』から離れた。
頂側へ跳ね、上のポジションを取る。
『イカ』は槍で滑りを止め、膝立ちでオレを見上げた。
チッ――小気味良いほどの舌打ちが林間に響いた。
「あれ? お前、もしかして喋れるの?」
問いには答えず、『イカ』は槍を構えながら駆け上がってきた。
滑り込むように木の陰へ身を隠す。
暗視モードの視界が白い姿を捉えた。
『イカ』は幹の間を縫うように近付き、槍を真横に薙ぎった。
タイミングを見計らい、体勢低くそれをかわした。穂先が鋭く頭のすぐ上を通り過ぎる。
モーションが大きかったせいで、相手は上半身を晒していた。
指を軽く握った掌――掌底を突き出した。
だが、そこに白い姿はなかった。
ずさざさと斜面を滑って間合いを空けた。いや。向こうはまだ射程内だ。
今度はこっちが避ける番だ。頂上側へ向かって勾配を登る。
正直、ハナたちが洋館へ行った以上、長居する理由は無いのだ。
少しでも上を目指す。
立ち木を足場に八艘飛びの如く『イカ』が追ってきた。
槍を頭上で回転させている。旋風が夜気をかき乱す。
プロペラのような風圧が頭上を通り過ぎた。
『イカ』が前方三メートルで足を止める。振り向きざまに槍を突き出してきた。
こちらも一気に距離を登り詰める。
穂先をかわし、柄に沿って『イカ』へ接近した。
再び打った掌底は柄で逸らされた。
意図を察しているのだ。
投げに転じるために手を取ろうとしているのだが、『イカ』がそれを許さない。
柄を押さえても、槍を捻らせ手を外してくる。
槍が身体を離れたその隙を狙い、本体へ蹴りを放っても、銀光を残しながら斜面を滑ってかわすのだ。
斜面を登れば、今度は背後からの槍攻撃だ。
こんな攻防をもう十分近く繰り広げていた。
その間にハナは屋敷へと突入し、《エレメンタルテリトリー》を展開している。
『コウモリ』を発見し、戦闘に入った――と報告があったのはつい二分前だ。
リーダー登録はしていないため彼女の状態をモニターできていないが、まだ何とか
早く行くんだ――という気持ちと、焦るな――という気持ちが混在して攻撃は散漫だ。
そもそもヒューマノイドは、《エレメンタルテリトリー》で、《トリックシード》を使ってでなければ倒せない。
ここでいくら戦っていても詮無い。
「ちょっとタンマ! 提案がある」
『イカ』が反応して、動きを止めた。ポジションでは向こうが斜面の上だ。痩せた木と木の間、そこで槍を構えたまま止まった。
聞いてもらえるまで言葉を重ねるつもりだったから、拍子抜けで逆に言葉を失ってしまった。
『イカ』が小首を傾げた。
咳払いを一つしてから改めて続けた。
「オレは一人の少女の命を救うためにここにいる。お前はなんでここにいるんだ?」
『イカ』はいらいらしているようだ。
でも何に?
分からんが、とにかく話を進めよう。
「もし理由がないなら、まずオレに彼女を助けさせてくれ」
チッ――舌打ちが木立を夜空へ抜けていった。
「人間だけが崇高な理由を持っている訳じゃない。お前の理由はお前じゃなくても成り立つ。だからお前を行かせるつもりはない」
『クモ』よりも流暢に『イカ』が喋った。言葉にかなり慣れている証拠だ。
しかも言っていることは間違っていない。
「なるほど一理ある」
「だろ」
「理屈ではそうだけど――」
「なんだ?」
「納得できない」
『イカ』の目の辺りがギラリと光る。
「ほう。どこがだ?」
「お前はお前の目的を言っていない。どんなに理詰めでも、それはお前の言葉じゃない」
「――うちは自分の口で言ってる。だからこれはうちの言葉だ」
「それはただの音の連なりだ」
「違う! うちの言葉だ!」
『イカ』が滑り降りてきた。
オレは迎え撃つように斜面を駆け登った。
「人間は心で考える! 理屈じゃないんだ!」
「なら心を教えろ!」
『イカ』は槍を突き出した。
こっちも止まらない。そして避けない。
勝負をもう決めないと時間が無いんだ!
槍の切っ先が顔面へ真っ直ぐ向かってくる。
『イカ』の手が微かに止まった。
オレは頭だけを少し横に倒して距離を詰めた。ヘッドセットのギリギリを切っ先が通り過ぎた。
突き出した両手で槍ごと『イカ』の手を包み込む――
「――!」
『イカ』が息を呑んだ。
え? 何で?
頭で疑問が渦巻いたが、身体は動いていた。
手を捻りながら足を払った。
『イカ』の身体が浮かんだ。斜面をもんどりうちながら落ちていく。
その先には太い木立が待ち構えている。
「ったく! オレって!」
言いながら跳ねていた。
普通なら間に合わない距離だったが、《ゴッドピースメイル》がその差を埋めてくれた。
オレは大木の前で『イカ』を受け止めた。
思った以上に金属的ではない身体を抱き止め、地面を削りながら制動を掛けた。
木立の一歩手前で地滑りは止まった。
ふう――とオレの安堵のため息に、『イカ』の舌打ちが重なった。
「お情けか――?」
「じゃないな……」
「なら、何のつもりだ?!」
『イカ』が跳んで距離を取った。槍の穂先はこちらを向いている。
何だろう……?
オレも分からないのだが。
強いて言えば、手を取った時に何で恥らったかを訊きたいから――だが、理由にするには憚れる。ここは無難に……
「さっきお前、心を教えろって言ったけど、それこそ理屈じゃないんだ。そう言いたくて助けた」
微妙に弱い。
「理屈じゃないなら何だ?」
『イカ』が食いついた。
慌てて思考が言葉を繋ぐ。
「こう……胸が反応して、頭で考える前に動いてるって感じだ」
「……分からんよ」
「オレもだ」
『イカ』が睨んだ。抗議の空気を発している。
「それが人間だ」
ごまかすように笑顔を見せると、『イカ』は鼻白んだのか、槍を下げた。
オレはゆっくりと斜面を登りだした。
「お前とはまだ話が済んでないからな。決着はまた今度な」
走り出した背中を舌打ちだけが追ってきた。
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