第8話

 雨がどんどん強くなる。

 オレたちは病院へ向かっていた。

 ナツはテルコに付き添い、救急車で先に行っている。

 途方に暮れていたオレたの前に、テルコの叔母さんと名乗る人物が現れた。

 二十代後半であろう。背が高くてスタイルも良いが、化粧や身につけているものも派手であった。言動も蓮っ葉な印象が強く、オレの苦手なタイプだったが、テルコが行った病院へ連れて行ってくれると言うので、便乗させてもらった。

 町から離れ、雨の中、赤いミニバンで山道を進んでいる所だ。

 三列シートの一番後ろにオレは陣取った。

 隣にハナがいたような気がした、はっきり覚えていなかった。

 目は窓へ向けているのに、後方へと流れていく雨しか見えず、何の気晴らしにもならなかった。

 テルコの叔母さんと何か話した気がするが、思考が停止していた。上手く答えられず、会話は途絶え、病院内まで無言の道中となった。

 病院は切り崩した山の中腹にあった。淡い肌色の建物と白い建物の二棟から成っている。

 肌色の建物は四階建ての入院病棟。奥行きのある白い二階建ては外来棟。

 根拠のないオレのイメージだ。

 自動車は白い建物の正面入口に乗り付けた。

 車回しがあったため、雨に当たらずに中に入ることができた。

 自動車を置いて先行する叔母さんを追いかける。

「車はあのままで良いんですか?」

「いいの、いいの」

 イロハの問いをあしらい、叔母さんはずんずんとロビーを突っ切っていく。

「受付はよろしいのかしら――」

「気にしない、気にしない」

 コマチの心配も一蹴し、叔母さんはナースステーション横の通路を奥へ進んでいく。

 スタッフは目礼のみで誰も止める者はいない。

 通路はL字に左へ折れ、突き当りにはエレベーターがあった。それ以外何もない通路だ。このエレベーターに乗るためだけに存在するのに、傍目には分からないように設置されている。怪しすぎる。

 五人が乗ってもまだ余裕のあるエレベーターで下へ――意外と浅い。地下二階くらいだろうか。出ると通路が延び、またL字で左へ折れていた。

 息苦しさを覚える壁だけの通路を、叔母さんを先頭にひたすら歩く。外観で見えた建物の奥行き分を歩いたかもしれない。十分――いや、そんなになかったかもしれない。時間の感覚が消失する通路を進み、たどり着いたのは再びエレベーターであった。

 さっきと同じくらいの広さだ。今度は下がる、下がる。登ってきた山の高さはあったかもしれない。

 ここまでくれば、ただの病院ではないことに薄々感づいた。

 エレベーターの階数表示は二つ。乗った階と向かっている階だけだ。

 自分の単純さに、自分で驚いていしまう。この秘密基地然とした感覚に落胆していた気持ちが上向いてきた。地階へ行くに従い、上昇する感覚が麻痺していた思考を呼び覚ますようだ。

 そこでやっと気付いた。ハナがずっと押し黙ったままだ。

 失敗らしい失敗はしていないだろうに。彼女が落ち込む理由が分からず、声が掛けづらかった。

 無言の函内に耐えかねたのか、イロハが小声で叔母さんに訊いた。

「ここはゴウトクジ縁の病院ですか?」

「全部じゃないわ。あくまで出資者の一人よ」

「病院――なんですか?」

「一般の病院ではないわね。奥にあった建物。あそこで《ゴッドピースメイル》が研究されてるわ」

 コマチの問いに答えた後、叔母さんがオレを見た。

「君のブレスレットもあの建物で検証したのよ」

「へえ――」

 特に興味の無い話題だったので、それで済ませると、叔母さんの視線に睨みが加わっていた。

「……何でしょう?」

「君には質問はないのか?」

 いくら気持ちが上向こうと、思考が回復しようと、心配なのはテルコのことだ。

「テルコは?」

「今のところ、容態は安定しているそうだ」

「そうか……」

 まだ見ていなくても、それを訊けば安心するものだ。

「さっきも言ったがな」

 叔母さんは不愉快そうな顔を隠しもせず言った。

 心が落ち着くと思考は回りだす。

「あの『コウモリ』は《ゴッドピースメイル》と同化した。有り得ることなのか?」

 叔母さんは眉をしかめた。

 一瞬の沈黙に到着チャイムが重なった。ようやく着いたようだ。

「詳しくはテルコの担当医から訊きなさい」

「医者なんかで分かるのかよ」

 エレベーターのドアから奥の部屋へ廊下が一本続いている。

 窓もない白い部屋は、見たことの無い機器とモニターで埋められていた。

 ガラス窓で二分した奥の部屋のために存在するのだと分かる。

 ベッドと生体情報モニターのみの集中治療室だ。

 テルコはそこで横たわっていた。白いシーツが小さく上下している。硬く目を瞑り、薄く開いた口が苦しそうだ。

「生体エネルギーの半分以上を吸われている。生命活動を停止している状態だ。これ以上悪くはならないが、治療も出来ない」

 ホシクボ・レイカと名乗る女医は、はっきりと言い切った。

 確かに容態は安定しているのだが、楽観は出来ないということだ。

 レイカの横で付き添っていたナツも目を伏せた。

 オレはその女医に好感を抱いた。小難しい語彙を重ねて、安心の言葉で曖昧にされないだけマシだ。

 ただこのひと……色々と問題がありそうだ。

 機器のほとんどが壁向きに設置されているから、部屋の中央は広く開いている。部屋に入ってまずあったのは、引きっぱなしの布団であった。

 彼女は正に部屋の主とも言うべきなのか。しかも照れることなく布団を丸めて端へ押しやった。

 女医らしさは羽織った白衣だけが頼りだ。本当にそれだけだ。

 なんせ、白衣の下にはヨレヨレの黒いTシャツを着ている。更に、黄色い文字で『根性』と大きく書いている。他になかったのであろうか……。

 染めそこなったような茶色い髪の毛はぼさぼさで寝起きを皆に確信させただろう。

 リノリウムの床をすぺたすぺたと鳴らすのは、彼女が履いている雪駄だ。

 口には禁煙パイプをずっと咥えたままだ。それでよく話せるものだ。

 エリカは椅子を持ってきて座れと指示した。

 円を描くように並んだが、叔母さんは部外者だからと加わらず、ガラス板に身体を預けていた。視線はテルコへ向いている。

 見た目からは想像できないほど、その瞳には慈愛が満ちているようだ。

 叔母さんがオレの視線に気付いた。

 一瞬で氷点下の眼差しに変わった。

 やっぱり苦手だ……。

「質問があるんだろ?」

 レイカが足を組んでオレを見た。

 気を取り直し、『コウモリ』と《ゴッドピースメイル》の同化と分化のことを問うた。

「GFMとヒューマノイドの融合なんて普通はできない。そいつが特殊なんだろうな」

 レイカはいきなりそう断言した。

「実例は一件だけでもっと研究したいところだったんだ。連れてきてくれないか?」

 小さいメガネの奥でギラギラした眼がオレを見た。……本気だ。

「元には戻せるのか?」

「GFMとヒューマノイドの分化は可能だが、それはそんなに大事なことなのか」

「《ゴッドピースメイル》はヒューマノイドを捕獲できる。『コウモリ』は同化したことで、その吸収能力を手に入れたんじゃないか」

「GFMのプリズン能力か」

 《ゴッドピースメイル》は、HPをゼロにしたヒューマノイドを取り込み、その能力を使うことができる。これをフュージョン機能といい、取り込まれたヒューマノイドを《プリズナー》と称していた。

 だからフュージョン機能そのものをプリズン能力とも呼んでいる。

 オレの《ゴッドピースメイル》は壊れていて機能しないと、ブレスレットを戻された時に言われている。

 しかし取り込んだ『クモ』がシレルとして出現する。

 人型で具現化する機能。考えると妙なバグだが、これはまだ誰にも言っていない。特にこの女医には言わない方がよさそうだ。喜び勇んで研究材料にするとか言うだろう。

 そんな評価を知らず、レイカはオレに続きを促した。

「『コウモリ』がテルコから生態エネルギーを吸ってHPを回復した時、同化していた《ゴッドピースメイル》が反応していたようなんだ」

「つまり君は、テルコの生態エネルギーはGFMに入っていると言いたいのだな。だからヒューマノイドと分け、GFMを回収することを提案しているのか」

 オレは頷きつつ、ちらりと部屋を二分しているガラスを見た。

 その向こうにいるテルコ。停滞した治療のためにオレたちが出来ること。

 そう。どうすれば助けられるか――。

 観点はそこにある。

 円なので互いの顔が良く見える。

 皆一様にオレの真意が分からないという顔をしていた。

 レイカだけは理解したようで、椅子を回して机へ向き直った。

 メーカー名も分からないコンピューターを操作し、時折、ふむふむ――という声を洩らした。

 正面にいるハナは、指を組み合わせ、床に目を落としたままだ。

 落ち込んでいるようだが、慰めるべきか判断がつかない。

「結論から言って、それは可能だ」

 レイカがいきなり声を上げた。

 本気で驚いた。

 皆もそうだったようで、目を丸くしながらレイカを見た。

「捕まえてくればここで強引に分けることも出来るが、一番簡単なのは、同化したヒューマノイドをキャプチャーすれば良い。そうすれば本体は《プリズナー》となり、GFMが残るから、それを持ってくればテルコを治療できる。うん。そのGFMにテルコの生体エネルギーが入っていることも十中八九間違いないな」

 要は『コウモリ』を倒せ――ということだ。

 となると、制点とセットをオレがやってはいけない。

 『クモ』を取り込んだ時、本体は消散したように見えたから、もしかすると同化したヒューマノイドの外側ごと《ゴッドピースメイル》を破壊しかねないからだ。

 それは他の三人にやらせればいいだろう。

 オレはそう考えて、

「じゃあ、行こうぜ。『コウモリ』を倒しに」

 と、立ち上がった。

「だがな――」

「私はいかない――」

 レイカの声にハナの声が重なった。静かだが強固な意志を込められていた。

「何でだよ」

「これ以上迷惑かけられない。私じゃなかったらゴウトクジさんもああはならなかった」

「本気で言ってんのかよ……」

 ハナは顔を上げることなく頷いた。

「君たち――」

 レイカが止めようとしていた。

 分かってはいたが、慮る余裕はなかった。

「今更、迷惑って言うのか! 迷惑ならずっと前からかかりっぱなしだろうが!」

「アカシアくん、言い過ぎだ」

「命令無視! 策略なしに天井へだけ《トリックシード》を撃つ! 意味分かんないだろ!」

 ここまで言うつもりなんてなかった。

 だがもう口が止まらなかった。

 しかしハナは顔を上げた。

 その表情には不思議と暗さがなくなっていた。

「サエジマはこれでも頑張っておりますわ」

「知ってる!」

 言われるまでもなくハナの頑張りには気付いている。

 むしろテルコを救ったのはハナなのだ。

 誰もそれを評価しない。それどころか彼女自身が認めていない。

 それがオレには悔しかった。

「ハナがやろうとしていることは分からないが、やってきたことは分かってる! お前がいたからテルコはまだ生きてるんだ」

 『コウモリ』に攻撃を受け、意識が飛んでも尚、保健室に入れまいと耐えていたのはハナだ。残弾が無くて二の矢を継げずにいたオレを助けたのも、気絶しながらも《トリックシード》を撃ったハナなのだ。

「迷惑上等だ。お前は一途なアホくらいでちょうどいいんだ」

「Whoops――なんてことを言うんだ!」

「ひどすぎますわ!」

 憤慨するイロハとコマチに対し、言われたハナは嬉しそうな表情を浮かべた。

「おい、君たち――」

 レイカの三度目の声掛けに、オレの足はドアへ向いていた。

「お仲間ごっこじゃ、何も進まないんだよ」

「アカシア・キリ!」

 ナツの呼び声はドアに閉ざされた。


 雨足は弱まったが、止んではなかった。

 正面入口の向こうで、霧雨はレースのカーテンのように音も無く降っていた。

 オレは躊躇いもなく雨へ踏み出した。自動車がまばらに停まる駐車場を過ぎる。どこへ向かうわけではない。頭を冷やすにはちょうど良いと思っただけだ。

 太い木が乱立する林が駐車場の向こうにある。足をそちらへ向いていた。

 励ますつもりだった……ような気がする。

 慣れないことはするものではない。

 唯一の救いはハナの表情が悲しげではなかったことだ。

 一途なアホ――言い得て妙で、オレは薄く笑った。

 その時だ。

 ザン――とアスファルトを鳴らす音が聞こえた。

 顔を上げると、正面の林の前に大きな影がいた。

 黒いフード付きのマントで全身を覆っているが、立っているだけで威圧感がすごい。

 オレを病院送りにした『カブト』だ。

 襲われた理由。宝玉をキリの制服に入れた理由。そしてここにいる理由は全く分からない。

 ただ、怒っている――それだけは感じ取れた。

「ちょうどいい。オレもむしゃくしゃしてたんだ。付き合ってくれ」

 《ゴッドピースメイル》を着装する。

 それを待っていたかのように、マント姿が走ってきた。

 足元で雨水が切られて水柱を上げる。

 怒涛の進撃に臆することなく、オレも自ら距離を詰めた。

 打撃のある柔術――サルノベ柔術。

 今や正当な使い手はじいちゃんだけである。

 オレはじいちゃん直伝とはいえ、アクションスタント用にアレンジを加えていたりする。とても純粋な後継者とは言えない。

 しかし、組み手の足運びと攻撃へのモーションは身についている。

 だからこそ、初めて『カブト』と対峙した時、彼の操る体術がサルノベ柔術と分かったのだ。

 組まれたらアウトである。それほどの手練れなのだ。『カブト』の腕を警戒した。

 だがマント姿は、水しぶきを上げながら体勢を変え、左膝を振り上げてきた。

 オレは右腕でガードした――が、ガードしたまま身体が宙へ持ち上がった。

 マントから突き出た右腕が襟を掴んだ。

 ヤバイ!

 右腕をその太い腕へ叩きつけたが、指は頑なで外れそうになかった。

 ここで怯んでいる場合じゃない。

 掴まれたまま右脇下へ左蹴り、左頭部へ右蹴り――と連続蹴りを見せた。

 やっとわずかに『カブト』が揺らいだ。

 まだ襟は掴まれたままだが、オレは身体を捻りながら着地し、マントの首辺りを掴んで身体を跳ね上げた。

 柔道でいう所の背負い投げだ

 背中から前へ巨体が移動していくのが分かる。

 とった!

 オレの一瞬の思考を読んだのか。

 マントは叩きつけられる直前で体勢を入れ替えた。水しぶきを上げたのはマントの背中ではなく、手足であった。

 四つんばいの状態なら、試合では一本に取られない。

 柔術選手としてもこいつは最高レベルだ。

 だが、まだオレのターンだ。

 向こうの指は離れ、オレはまだマントを掴んでいるのだ。

 ここが攻め時。

 右に振って相手の体重を移動させる。

 当然向こうは意図に気付く。

 振った反対側へ倒れまいとしつつ、その力を利用しようとするオレの動きを待っている。僅かな体重移動から次手を読み、それを越える技で対抗するつもりだ。

 サルノベ柔術は投げだけではない。どんな動きにでも対応できる多彩な攻め手を持っている。

 そんな自信がもたらした間をオレは逆に衝いた。

 前へ押すと同時に頭突きをマントの顔へと打ちつけた。

 ふしゅ――と、空気の洩れるような音で『カブト』はのけぞった。

 間髪入れず、オレはマントが膝立ちになるまで押し込んだ。

 油断で受けた攻撃に、緩んだ『カブト』の筋肉が緊張感を戻す。

 ここまでほんの数秒だ。

 無意識の足さばきで、『カブト』を背負うように内側へ入り込んだ。

 押し返そうとする『カブト』の力を利用し、屈んだ膝と腰を戻す力に乗せて前へ叩きつける。

 二度目の背負い投げだ。

 サルノベ柔術は投げた後にも攻撃が続く。叩きつけた後に自らもその上に落ちるか、放り投げて追い討ちをかけるか。

 その時の状況に合わせて即時に判断をするのだ。

 最速の思考――じいちゃんが鍛えてくれた脳がここで役立つ。

 オレはどの行動にも展開しなかった。

 『カブト』がアスファルトへ叩きつけられなかったからだ。

 やつは背負い投げの途中で自ら跳ねた。

 オレの手にマントだけを残し、水しぶきを上げながら影が遠ざかった。

 彼の姿が改めて晒された。

 今まで会ったヒューマノイドは全て女性のシルエットを持っていたが、『カブト』は完全に男であった。

 それに、『クモ』や『コウモリ』の顔が抽象的で目鼻の区別はなかったのに対し、『カブト』には球形の目があった。

 じっとオレを見ている。

 スリット状の口からフシューと空気が洩らすと、『カブト』はゆっくりと立ち上がった。

 その姿を見て、眉をしかめてしまった。

 蒼を内包する鎧は左右均等ではなかった。

 右肩、右胸、左腕、左腰、右脚――シレルの予測では、《ゴッドピースメイル》のクリスタルを取り戻すために失った部分だ。

 装甲が外れ、その下の筋肉がむき出しになっていた。

 雨や外気が痛そうであった。

 それでも尚オレと一戦交える覚悟。

「何がお前をそんなに掻きたててるんだ――……」

 その時名前が呼ばれた。

 声でナツだと分かった。

 まだ『カブト』と話すことがあるんだ。

 オレは右腕のクリスタルに触れた。

 《エレメンタルテリトリー》――部外者を弾き出すバトルフィールドだ。

 ナツは《ゴッドピースメイル》を『コウモリ』に盗られたから入られない。

 特異空間を形成する波が全身を包んでいく。

 『カブト』も微動だにせず待っているようだ。

 人の立てる音が消えていく…………いや、消えない。

 水音を立てて駆け寄ってくる気配。

「止めるんだ! その人は悪いヒューマノイドじゃない!」

 隣から聞こえたが、位置は低い所から発せられた。

 翡翠色の身体。紫のアイシャドウと長い睫毛。その下の大きな目。額から後へなびく金髪。そして何故か豹柄の水着――『カエル』のシャロンであった。

「え――? お前、どこから――?」

 思わず振り返ってしまった。

 あのタイミングから考えられるのはナツしかいない……。

「アカシア・キリはテルコさんを見捨てたわけじゃない。怒らないで!」

 シャロンは『カブト』へ叫んだ。

 そうか。

 『カブト』もテルコを知っていて、助けようとしている――ということか。

「……それで怒ってたのか」

 『カブト』は呼吸荒く、当たる雨がむき出しの部分で蒸発し、湯気を上げていた。

 オレはマントを『カブト』へ投げた。普通なら届きそうにない距離だが、《ゴッドピースメイル》の能力補正のおかげで彼の手へ渡った。

「テルコは必ずオレが助ける。逃げたり、見捨てたりなんて、絶対にしない」

 言いながら右腕を突き出す。

 サルノベ柔術において、試合前に右の拳を打ち合う行為がある。

 死力を尽くすと約束をする。

 そんな意味だ。

 同じ門下なら分かるだろう。

 『カブト』は頷くと、同じく右腕を突き出した。

 二人の距離は大きく離れていたが、これで約束を交わしたことになる。

 ゆっくりと『カブト』はマントを羽織り直した。

「大丈夫ですか! キリくん! 先ぱ――お!」

 こちらも姿を見ずとも分かる。

 ハナだ。

 しかも言葉尻で転んだ。そこまで想像ついた。

 マントを羽織った『カブト』はちらりとハナの方を向いたが、視線を戻した。

 オレとシャロンに目礼を残すと、徐々に退がっていった。

 その姿が林の奥へ姿が消えた頃、やっと水を撒き散らしながらハナがたどり着いた。

「あれ――? あいつは?」

 二挺拳銃を構えながら、一番後に出てきたのに一番濡れている顔で訊いてきた。

「もう去ったよ」

「そうですか。……あれ? 先輩は?」

「そこだ」

 とシャロンを指差した。

 ハナの視線がシャロンで止まった。

 シャロンが眉間をしかめた。

 ええええ――獣の雄叫びのような声が《エレメンタルテリトリー》の静寂を揺らした。

「この方が先輩?」

 拳銃を向けたい衝動を堪えるように、崩れた笑い顔でハナが改めて訊いた。

「そうだ、ナツだ」

 オレはシャロンの目線の位置へ身体を屈めた。

「まだ隠していることがあるだろう」

 シャロンは目を逸らした。

「協力はする。だが、もう嘘はなしだ。ホントのことをオレたちに話せ」

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