第7話

「大丈夫か?」

 シャロンがハナを抱えたまま訊いてきた。

「シャロン、ここで何をしてるんだ?」

「それは――」

 巨大ガエルは言いよどんだ。

 保健室からコマチが出てきた。距離を取って回り込むと、近付いてきたイロハに合流した。

 二人ともいつの間にか《トリックシード》を装填している。

 ヘッドセットの中で、疑惑の目はシャロンのみならず、オレにも向いている。

「アカシアくんは、ぼくたちが戦っている相手を知っている?」

「人に害をなすヒューマノイドだろ」

「人ならざる者ですわ」

「そんな一緒くたに考えちゃいない。こいつは病院でオレを助けてくれたんだぞ」

「報告にはありませんでした」

「そんなはずない」

 ナツには全てを話してある。報告書を読めば、理解できるはずだ。

「なら百聞はなんとやらだ。こいつと話してみろよ」

 イロハはちらりとシャロンを見た。

「人間にだって分かり合えない人はいる――」

「だから?」

「分かり合えない人は敵か?」

「違うだろ」

 迷うことではない。

「なら敵を見極める基準はどこにあるのだ?」

「姿だって言うのか」

「分かりやすいですわ」

 二人の意見はこの部の総意なのか? これが正しい姿なのか?

 オレはシャロンを見た。

「いや、違う!」

 視線をイロハとコマチに戻した。

「姿は問題じゃない。せっかく分かり合えるのにもったいないだろ。知り合えたなら、ずっと付き合っていきたいじゃないか」

 オレは立ち上がった。

 コマチが困った表情を隠さず、イロハの横顔をちら――と見た。

「友達になれるチャンスを自ら潰すことはないだろ」

「友達なんて幻想だ。いつか裏切られる。なら先に片付けておいた方がいいだろ」

 イロハは無言でライフルを構えた。

「姿が違うって理由で殺しあうのは正義なのか? 無抵抗でも、悪くなくても、お前は殺せるというのか?」

「信念があれば、出来る」

 オレはシャロンを庇うように銃口の前に立った。

「ならば、まずオレを撃て。オレも信念を曲げない」

「分かり合えないからといっても人は敵になり得ない。そう言ったはずだ」

「オレはこの先も仲間と思える奴とは友達になる。それが人じゃなくてもだ。その友達を傷つけようとする奴は、人間だろうが神だろうが、真っ向から立ち向かう」

 イロハの銃口は揺るがない。

 だがオレだって臆するつもりは無い。

「つまりお前の邪魔してやると宣言したわけだ。オレを排除しない限り、お前の信念は貫けないってことになる」

 イロハの目はまっすぐオレを見ている。青を内包した黒い瞳はやはり微塵も揺るがない。

 それでいながら、常に迷いを抱いているように見える。

 whew――イロハはため息と共にライフルを下ろした。

「その信念を持っているのはぼくじゃないよ」

「そう……なのか?」

「ぼくたちがもし理解しても、他の部員は納得しない。今度は本当にその信念を持った人を相手にする日が来るぞ」

「そんな時には、また立ちはだかるさ。それに――」

 オレはイロハとコマチを見た。

「その頃にはお前たちが味方になって、説得を手伝ってくれるだろ」

 イロハだけじゃなく、コマチまでもが呆れた表情をした。二人とも薄く口が開いている。

 そんな彼女たちに笑顔を見せると、オレはそのままシャロンの方を向いた。

「ハナを預かるよ」

 手を差し出した時だ。

 ――ようやく一段落したネ。

 シレルの声がバイザー越しに聞こえた。

「ややこしくなるから、止めてくれ」

 小声で言った。シャロンにしか届かないくらいの小ささだ。

 ――そういわず、シレルの推理ネ。

「ふむ。聞きましょう」

 ――さっきのヒューマノイド。彼女の狙いは何だと思うネ?

「《彼女》って部分が気になって、思考が働かないんだけど……」

 ――シレルもそうだったんだけど、狙いは《ゴウトクジ・テルコ》ネ。

「そういえば、そんなこと言ってたよな。テルコを殺せば人間になれるって――。本当なのか?」

 ――今にして思えば、そんなわけない気がするネ。

「だよな」

 ――でも人間になるにはそれしかないと思い込んでるヒューマノイドがいるネ。

 シレルの言っている意味が薄々感じ取れてきた。

「さっきの『コウモリ』は諦めてないってことだろ。だが、あいつは逃げたぞ」

 ――他に手があれば、すぐにでも来るネ。

 シレルの言葉尻に力強い羽音が重なった。

「イロハ、コマチ! 延長戦だ!」

 言葉をかき消し、開いた天井の穴から羽音の主が降りてきて着地した。


 ずうん――と地響きを鳴らし、埃を巻き上げた。

 『コウモリ』の姿がさっきと違っている。

 華奢だったシルエットが筋肉質なものに変わっていた。『コウモリ』の要素を残した別物だ。

 鋭い爪を有した腕、翼は盛り上がった背中に移動している。そして頭部には口が現れていた。ぱっくりと割れた口に二本の長い牙が見える。

 ヒューマノイドというより、コウモリのモンスターだ。

「何でこんなことに――?」

 イロハとコマチが呆然としている。

「《ゴッドピースメイル》だ」答えたのはシャロンだ。「《ゴッドピースメイル》と同化したんだ」

「そんなことできるのか?」

「登録前のなら――。一体どこにあったんだ?」

「……トクエダさんの新しいGFMですわ」

「部室にはなかった」

 シャロンが小さく言った。

「ぼくは届けに来てくれた開発局の人を探してたんだけど、どこにも――」

 思いついた。

「案内したのはハナじゃないのか」

「そうだ」

「物置だ。オレもそこへ案内された――」

「そこでこいつはGFMを見つけたか……」

 『コウモリ』が唸りを上げながらこちらを見た。

「同化して、しかもパワーアップするなんて聞いたことありませんわ」

 イロハの言葉を肯定するように『コウモリ』が吠え、そして翼を広げた。

「来るぞ!」

 どん――と床を蹴って『コウモリ』が飛んで来た。

 オレは転がってその下をやり過ごした。すぐに起き上がると、飛んでいる両足を掴んだ。

 『コウモリ』はイロハとコマチを手で捕まえた。首を抑え、片手に一人ずつ少女を抱え、足に掴まったオレを引きずるように廊下を飛んでいく。

「シャロン、ハナを保健室へ!」

 叫びながらも、『コウモリ』の意図を感じ取った。

 このまま二人を突き当たりの壁へぶつける気だ。

 そうさせまいと床に踏ん張る。

 止められずとも勢いがなければ狙いは達成できない。

 世界が反転した。

 いや、投げられたのだ。

 オレは脚を引き付けて体勢を小さくし、回転をした。

 着地したが、しゃがんだまま床を鳴らして滑った。

 視界には『コウモリ』がいない。向かっていたはずの壁。

 気配は背後だ!

 振り返りながら回し蹴りを放つ。

 『コウモリ』も回し蹴りで迫っていた。

 脚と脚が硬質な音を立ててぶつかる。

 力が拮抗し、弾けた脚を戻した。

 『コウモリ『の背後でイロハとコマチが倒れている。放り出されたようだ。

 一瞬の思考を衝き、『コウモリ』が迫る。

 『コウモリ』の右フックを左手で力の方向へと流した。

 『コウモリ』のパンチ攻撃が続く。

 その猛攻を流していなし、直撃を避けても、ぶつかっただけでダメージ判定となる不公平な勝負だ。

 確実にHPは減り続けていた。

 このままでは――。

 がちゃり――と力強い音が伝わった。

 『コウモリ』にも聞こえたようだ。後ろを振り向いた。

 コマチが膝立ちで弓を放った。

 《トリックシード》は『コウモリ』の手前の天井へ浮き上がるように刺さった。

 隣ではイロハがライフルを同じく膝立ちの姿勢で構えていた。さっきの音はライフルのコッキングを引いた音だ。

「《トリックシード》!」

 手に具現化させながらオレは跳び退すさった。

 『コウモリ』が今度はオレに向き直った。

 イロハが撃つ。

 その弾――《トリックシード》が壁に刺さったのと、オレが《トリックシード》を床に投げつけたのが同時であった。

 『コウモリ』が離脱しようと羽を広げたが、オレは既に三点を制点し終えていた。

 セット――宣言し、左腕の空きスロットに触れる。

 ライトマゼンタの三角面が『コウモリ』を捉えた。

 姿が変わったとはいえ、HPがさっきのままだ。

 これで倒せるはず。

 読みが甘かった。HPバーのゲージの減少がさっきより緩やかだ。

「防御力がさっきより上がってるってことか――」

 《トリックシード》を再び呼び出す。

「イロハ、コマチ、連撃だ。ここでこいつを倒す!」

「了解――」

 かろうじてイロハの声がした。

 それも『コウモリ』の雄叫びに掻き消えた。

 三角面が消える瞬間、『コウモリ』はその雄叫びと共に翼を広げたのだ。

 まるで自ら呪縛を破ったように見えるが、タイミングが良かっただけである。

 だが、イロハたちにはどう映ったか。

 攻撃が続かない。

 『コウモリ』がイロハとコマチの方へ向き直って咆哮した。

 コマチの短い悲鳴がバイザー越しに聞こえた。

 オレは『コウモリ』の背中へ跳んだ。右足を槍のように突き出したが、足は空のみを蹴って着地した。

 イロハとコマチがへたり込む横を通り、『コウモリ』は保健室へと入っていった。

「しまった!」

 数秒遅れて部屋へと入った。

 ごっ――と鈍い音が響く。

 衝立が吹き飛んでいた。

 進入の衝撃で備品が飛び散り、書類などはまだ舞っている。

 ハナは床に倒れ、シャロンは奥側の壁へ叩きつけられていた。今まさに落ちる所だ。

 さっきの鈍い音は、シャロンが『コウモリ』に弾かれたものだ。

 視線がベッドで止まった。

 テルコが起き上がっている。いや、違う。上半身を無理矢理起こされていた。その後ろで咬みつく影がいた。

 オレは吠えていた。

 怒りで視界が眩んだ。眩んだままベッドの端を蹴って宙へ飛んだ。

 テルコを越え、その後ろの『コウモリ』へ急降下――足で押し潰そうとした。

 『コウモリ』はテルコから離れ、横へ逃げた。

 窓とベッドの間の床へ着地したオレは、『コウモリ』を追った。

 間髪を入れない速攻に『コウモリ』は避け切れなかった。

 膝が『コウモリ』の頭部を捉える。

 『コウモリ』はドクターキャビネットを突き抜けた。ガラス戸や中の薬瓶などを撒き散らし、奥の壁まで吹っ飛んだ。

 普通なら大ダメージだ。しかし悪魔の巨体はすぐに飛び上がった。

 《トリックシード》を奥側の壁へと投げつけた。

 『コウモリ』は警戒を強めた。

 狙い通りだ。そのために一本を投げたのだ。

 しかし――。

 これが最後の一本であった。

 ヒューマノイドを倒すには《トリックシード》が必要だが、残弾がない。

 二点では面は作れない。イロハとコマチもまだ回復していない。

 さっきの膝蹴りでは微塵もダメージを与えられていない。逆に攻撃したオレのHPが減っている。

 早く行動に移らないと、『コウモリ』の警戒は疑惑に変わり、すぐに攻撃へ転ずる。

 HPも残り少ないオレでは防御もままならない。

 どうする――?

 一瞬の思考を読み取らせないために、《トリックシード》を投げる姿勢を取った。

 『コウモリ』はホバリングで天井近くをふらふらと飛んでいる。動きはゆっくりとしている。警戒が薄れているようだ。

 飛ぶ『コウモリ』に身体の向きを合わせた。いつでも投げられるぞ――そんなハッタリが余りに稚拙すぎる。

 変な汗が背中を伝うが、ポーカーフェイスのまま手札は晒さない。

 『コウモリ』の動きが止まった。

 ニヤリと勝利を確信した笑いを浮かべた――気がした。

 来る!

 そう確信した時、銃撃音が保険室内を埋めた。

 一発ではない。二発、三発、四発、連続で撃っている。

 全弾が天井へ着弾した。

 ハナだ。壁に背中を預けて撃ったのだ。両手のハンドガンから硝煙が立ち昇っている。

 チャンスだ!

 ハナを横目で確認しつつ、最後の一本を足元に突き刺した。

 制点するために手を上げた時、『コウモリ』が身を翻し、窓を突き破って出て行った。

「待て!」

 声を荒げ、壁際へと近付いた。

 『コウモリ』は中庭で二、三度揺れると、空高く飛んでいった。

 校舎の上を遥か遠くへ――

 今度は完全に撤退したようだ。

 バイザーに【Enemy Retreated】と表示された。

 『コウモリ』は《エレメンタルテリトリー》から出て行った。

 小さく壁を叩くと、落ちそこなったガラスが桟へ当たって砕けた。

 そのきらめきに嘘を強く感じた。

「《エレメンタルテリトリー》解除――」

 敗北感で満ちた空間をハナが解き放った。

 遠い運動部の声、近い女生徒たちの悲鳴やざわめきが耳に戻る。

 建物の崩壊も無かったことになり、全身を包んでいた緊張感も消えた。

 窓の外では雨が降り始めていた。

 オレは深くため息をついた。まだ心は幽玄にいるかのように意識がふらふらしている。

「テルコ――」

 悲鳴のような声が現実に引き戻した。

 ナツがテルコに呼びかけていた。

 イロハとコマチが中によろよろと入って来る。ハナも立ち上がった。

 オレもそうだが、皆まだゴッドピースメイルを装着したままだ。

 養護教諭が駆け込んできた。

 見回した後、テルコで視線を止めた。

「救急車を! 早く!」

 ナツの叫び声に、看護教諭がテルコへ近付いた。テルコの手首を取り、首筋に触れた。

 遅れて入ってきた女生徒たちを呼びつけ、指示を出している。

 オレはただ窓際に立ち尽くして、それを他人事ひとごとのように見ていた。

 雨が窓を叩く音がやけに耳に残った。

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