第37話 釣り

 夏休みに入って2回目の土曜日、拓真は父親である冬馬とうまと一緒に朝から川で釣りをしていた。


 冬馬は由麻ゆまと同じく今年で31歳。切れ長の目以外は拓真と似ていて整っている。昔から興味があることに対しての知識は豊富だが、興味がないものに関しては知ろうともしない。由麻に負けず劣らずのマイペースである。


 *


「拓真、この川はアジがよく釣れるらしい」

「へぇー、珍しい」

「知ってるか? アジは身が白っぽいから白身魚と思われがちだが、本当は赤身魚なんだ」

「ふーん、そうなんだ」


 拓真は軽く聞き流しながら浮きを見つめている。


 ——ポチャ。


「あ、きたかも」

のがすなよ」

「悪役みたいな言い方だな」


 拓真はリールを巻きながら近づく魚を凝視している。


「今だ!」


 針に上手く引っかかっていなかったのか、魚は一度顔を見せたがそのまま逃げてしまった。


「早かったかー」

「まだまだだな」

「……そういう父さんは釣れたの?」

「いや」

「じゃあ一歩リードってことで」

「小さい一歩だな(笑)」

「初めてなんだから上出来でしょ」

「まぁな」


 その後2人の浮きには数十分以上反応がなかった。


「全然釣れないね」

「そうだな」

「そろそろ場所変えたほうがいいんじゃない?」

「もう少しここにいよう」

「……分かった」


 その会話の後も特に変化は見られなかった。


「ここ本当にアジよく釣れるの?」

「おかしいな。そう聞いたんだが」

「誰に?」

「由麻だよ」

「え、母さん!?」

「ご近所さんから聞いたんだと」

「……それ確かな情報なの?」

「さぁ?」

「・・・・・・」

「まぁいいじゃないか。釣れないなら釣れないで」

「適当だなー」

「はっはっはー」


 拓真は呆れていたが、川の音や葉擦はずれの音を聞いているうちに、心が安らぐのを感じていた。


「まぁでも、自然に触れながらぼーっとする時間もいいもんだね」

「それが釣りの醍醐味だいごみだからな」

「いつもゲームばかりだからたまにはこういうのもありかも」

「んじゃ、来週また来るか?」

「……いや遠慮しとく」

「どっちだよ(笑)」


 それから1時間経ったが、結局2人の釣果ちょうかはゼロ。ただただ時間がゆっくりと流れるのを感じていただけだった。


 *


 家に帰った2人は由麻にアジのことを聞いてみた。


「アジ? なんの話?」

「昨日の夜言ってたじゃないか。あそこの川はアジがよく釣れるって」

「私そんなこと言ってないわよ。味がいい魚とは言ったけど」

「味がいい……」

「父さんが聞き間違えたんだね」

「そうか……まぁそんな時もあるさ! はっはっはー」

「もう、あなたったらうっかりさんなんだから! うふふ」

「はぁ」


 拓真は小さなため息とともに「似たもの夫婦だな」と思った。

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