第29話 義務教育

 日本国憲法第26条や教育基本法、学校教育法などで定められている義務教育。小学校から中学校の9年間、基本的に全ての国民はこれを受けることになっている。


 ***


 7月某日、気象庁が関東の梅雨明けを発表した。約1ヶ月の暗い日々が終わりを迎え、ここから本格的に夏が始まる。

 今日は朝の会が早めに終わったため、拓真は1時間目の授業が始まるまで隣の席の達也とたわいない話をしていた。


「やっと梅雨終わったなー」

「だなー」

「これで存分にサッカーできるな!」

「だなー」

「何から牡丹餅ぼたもちだっけ?」

「棚」

「おっ、ちゃんと聞いてた。さすがクマちゃんw」

「聞いてるよ。てか試し方が天才すぎ」

「だろ?」

「なんか色々応用できそうだな……」


 拓真が腕を組みながら考えていると、達也が神妙な面持おももちで突然話題を変えてきた。


「てかさ、義務教育ってどう思う?」

「……急に何? 文科省の回し者?」

「いや正直さ、廃止してもいいんじゃないかって思うんだよね」

「なんで?」

「だってみんな同じこと学ぶだろ? 好き嫌い問わずさぁ。それってなんか縛られてる感じして嫌じゃない?」

「いや、別に」

「えーーー、クマちゃんなら分かってくれると思ったんだけどなー」

「義務教育受けててなんか嫌なことでもあったの?」

「いや、ないけどさぁ……なんていうか、個性が伸びないじゃん」

「個性?」

「例えば、義務教育がなかったらなんでも好きなことを学べるだろ? そしたら多くの人が個性を伸ばして、いろんな分野が成長してすごい社会になると思うんだよね」

「はあ」

「義務教育はその可能性を消してる気がするんだよ」


 達也が珍しく熱弁しているので拓真は止めなかったが、落ち着いたところで思いを口にし始めた。


「義務教育をしたからって個性が伸びないわけではないだろ」

「でもみんな同じことやるじゃん」

「それは学校だけじゃない? 放課後とか休日とか、個性を伸ばす時間はいくらでもあるよ」

「まぁそうだけど」

「それに義務教育がなくなってもあまり変わらないと思うよ」

「え、どういうこと?」

「義務教育が廃止されたら、親はどうやって教育すればいいのか考えると思うんだよ」

「まぁそうだな」

「それで考えて考えて、結局今までどおりに勉強してもらうことが楽だと気付く。そうなると義務じゃなくても学校に行かせることになる。これじゃ変わらないだろ?」

「でも子どもが学校行きたくないって言ったら?」

「そういう場合に備えて、義務教育でやる範囲を学べるオンライン教室とかが作られると思う。まぁ結局学ぶことは同じだよね」

「なるほど……」


 達也は納得しているような顔をしていたが、新たな疑問が生まれたらしく、すかさず質問してきた。


「じゃあさ、親が完全に子どもに任せるってなったら?」

「うーん、それはこの国が崩壊するんじゃない?」

「急に適当!?」

「いや、結構ガチ」

「じゃあなんで? 好きなことやらせたらそれこそすごい能力を持った子どもが増えると思うけど」

「そんなの氷山の一角だろ。ほとんどは海の藻屑もくずになるだけ」

「言い方www」

「しかもその藻屑は荒波に飲み込まれてどうしようもできなくなる。この超高齢化社会にそんな子どもたちが増えたら……考えただけでも恐ろしいな」

「……なんとか頑張れない?」

「難しいと思う。だって自分の好きなことしかやってないから他のことは何も分からない状態だろ? 何をやればいいのかすら分からなくなるかも」

「なんか怖いな」

「でも教育を受けてたら学んだことを活かせるかもしれない」

「なんの役にも立たない知識とかもありそうだけど」

「どこで役立つかはその人の行く道次第だからそれは仕方ないよ。でも知識を得て損することなんてないだろ?」

「確かにな」

「好きなことだけで生きていけるほど人生は甘くないよ。だからこそ義務教育は廃止しないほうがいいと思う」


 達也は「はぁ」と息を吐き、見えない白旗を振っている。


「降参降参、やっぱクマちゃんには勝てねーわ」

「え?」

「いや暇だからさ、現実には起こらなそうなことを聞いてみたらどうなるかなって思って、ちょっと試してたんだよ」

「知らぬ間に謎の実験に付き合わされていたのか……」

「ごめんって!」

「いや、それにしてもすごい演技だったな」

「当然! 将来めっちゃ有名な俳優になる男だからな」

「そうなんだ」

「おい! その顔は信じてないな? 10年後テレビに出るから見とけ!」


 顔には出さなかったが、意気込む達也を見て本当に出そうだなと思う拓真であった。

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