第28話 ピアノ

 これは先日の下校途中で結愛ゆあに遭遇した後の話である。


 結愛から逃げるように足早に帰っていた拓真は、交差点の信号が赤に変わるのを見て静かに肩を落とした。


「うわー、ここの信号長いんだよなー」


 拓真はそう呟きながら立ち止まると、隣に見知った顔があるのに気付いたが、特に話すこともなかったので気付かぬフリをした。


「あれ、間瀬君?」


 そんな拓真にすぐ気付いてしまうのが莉沙りさだった。


「あぁ、佐野さのさん」

「今絶対私に気付いてたよね?」

「まぁ」

「なんで声掛けないのよ」

「特に話すことないし」

「だとしても、挨拶くらいしなさいよ」

「挨拶した後に何も話さなかったら気まずくない?」

「まぁ確かに」


 莉沙が納得しているのを見た拓真は少し黙ってみた。


「ちょっと、急に黙らないでよ。本当に気まずいじゃない」

「だろ?」

「ドヤ顔されても困るんだけど」

「ごめん」

「ねぇ、ここ青になるまで長いから何か話しましょうよ」

「何かって言われても……」

「あっ、そうだ。間瀬君は帰ったら何やるの?」

「ゲーム」

「いつもゲームばかりね。なのに頭いいってちょっとイラつく」

「ゲームの合間に勉強してるからな」

「普通は勉強の合間にゲームでしょ!」

「いいのいいの」

「もう、間瀬君はお気楽でいいわね〜」


 拓真は莉沙の表情が少しだけ暗くなったように感じた。


「佐野さんは帰ったら何するの?」

「ピアノ教室行くの。実は5歳から習ってるのよ」

「へー、ピアノ弾けるんだ。かっこいいな」

「でしょ? でも最近レッスンが厳しくて行きたくないのよねー」

「あー、それでさっき暗い顔してたんだ」

「うそ、顔に出てた?」

「うん」

「出さないようにしてたのになー」

「嫌なら行かなきゃいいのに」

「親がお金払ってくれてるのにそんな勝手なことできないわよ」

「でも辛いんでしょ?」

「まぁ……でもピアノは好きよ」

「なら現状変えないとね」

「え?」

「辛いまま続けたら好きなものも嫌いになっちゃうだろ?」

「でも……」

「何か気にかかるの?」

「目標があるのよ。それからは逃げたくないの」

「ふーん。じゃあ頑張るしかないね」

「急に適当!?」

「逃げたくないんだろ? なら辛くても頑張るしかないじゃん。今は辛くても、目標達成した時に頑張って良かったって思えるよ」


 莉沙は息を吐きながら目を閉じ、右手で顔をパンッと軽く叩いた。


「間瀬君の言うとおりね。今までやってきたのも無駄にしたくないし……私、もうちょっと頑張るわ!」

「応援しとくよ」

「ありがと!」


 長かった赤信号は莉沙の気持ちの変化とともに青に変わった。


「じゃあゲームやりたいから先帰るわ」

「ええ、さようなら」


 拓真は小走りで横断歩道を渡っていった。


「はぁ、本当に大人なんだか子どもなんだか……」


 莉沙は「クスッ」と笑い、鼻歌混じりで歩き始めた。

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