2 三ヶ月太陽を見なかったダージリンの娘
メインバザールから陸橋で駅の線路を越え、アジミーリー門から始まる通りに売春窟がある。娼婦の数は五千人程度だが、カルカッタの赤線地区や、十五万人の娼婦を抱えるボンベイの売春地帯に比べると、GBロードは規模が小さい。おそらくデリーはイスラム教の影響が強いからではないか。
売春街といえば、特別に囲われた地区というイメージがあるが、実際GBロードに入ってみると理解に苦しんだ。確かに囲われてはいるのだが、それが地上より上なのだ。
通りには金物屋や薬屋、便器や水道管の店が並び、商店と商店のすき間に、狭く暗く汚い階段がある。その二階から上がすべて娼館だった。
バルコニーから真黒い肌の女たちが手招きするか、ぼんやり人通りを眺めている。三階、四階にはぎっしりと洗濯物が干してあり、限られた部屋に多くの人が暮らす様がうかがえた。
僕は夜になってから再びGBロードを訪れ、とりあえず全部の部屋を回ってみることにした。
ざっと見たところ、娼館への階段が十数ある。入口には男たちがたむろして、顔を出す女を物色していた。僕も階段を見上げながら、どうやって入ろうかと考えたのだが、ほどなくポン引きが寄ってきた。
ヒンディー語でまくしたてられる。この男がしゃべる英語は数字だけだが、招きに従って登っていった。
女たちが詰め込まれた部屋は、左へ右へ蟻の巣のように分かれ、入口には太ったマダムが立っている。
階段はどこも同じようでも、部屋の中は少しずつ違った。残飯が床に散らばって娼婦の子どもたちが走り回る部屋もあれば、テカテカの床に整然と女が並べられた部屋もある。
お客と女たちがじゃれるスペースのすぐ横にベニヤ板で仕切った小部屋があった。この小屋は不思議とどこの娼館でも同じ造りで、薄い木の扉に針金のカギが付いていた。小屋の中には木の板がある。これは男が女の上に乗るベッドだ。
端から順に回って気付いたのだが、どの部屋でも多くの女が競い合うせいか、残酷な法則といえるものがある。
美しい女ほど化粧はしていなかった。醜い女は皆、子どものいたずらのような、ドギつく憐れな化粧をしていた。素の顔を隠すためなのか、それともこれで少しは美しく見えるというのか。
それと、日本人がいた。お客ではない。女だ。パッと僕の目に飛び込んできた。ネパールの山奥から来ましたという顔の少女だった。それともチベット人だろうか。多くの娼婦はネパーリだから、こんな顔立ちの女がいると知ってはいたのだが、彼女は一瞬、どころかずっと日本の女の子に見えた。日本人がおみやげのサリーを着たようだ。
彼女もまともから僕を見ている。
あの女は十七歳だからエキシペンシブだ、とポン引きが言った。無視して移動すると、そんなふうに日本人と変わらぬ顔の少女ばかりを集めた部屋があった。
あちこちで料金を聞いたが、一回百ルピーから二百ルピー(約三六0円から七二0円程度)だった。といっても、これは外国人料金だろう。通常はその半額程度だ。インドは映画館の座席でさえ一等から六等まであるような国だから、相手さえ選ばなければ、交渉次第でいくらでも安くなる。それと試しに聞いてみたら、処女は八百ルピー(約二八00円)だった。
GBロードに訪れる男たちは低所得の労働者である。ここにも当然カーストは働くようで、金持ちそうな男はいない。
庶民の金銭感覚はいまだによく掴めないが、百ルピーといえば一日の収入くらいではないだろうか。ちなみに僕の一日の食費も、三食とも安レストランで百ルピー程度だった。
もう一つ比べてみれば、インドのエロ本『NAUGHTY BOY(いたずらな少年)』は二百ルピー、『CHASTITY(貞操)』は一五0ルピー、『FANTASY(幻想)』が一五0ルピー、生身の人間がグラビアに負けているのである。
女性学者の鳥居千代香さんの調べによると、GBロードには未亡人も多いという。
インドで女性の再婚はまず許されない。それどころか、いざ未亡人となれば親戚の結婚式にも呼んでもらえないほどに忌み嫌われる。ほんの百年前まで、夫が死んだら炎に身を投じて殉死する因習があったほどで、イギリス統治時代の記録ではラージャスターン州の未亡人は四人に一人が焼身自殺したとある。この因習は完全に過去のものとなったといわれているが、ほんの十年前にも盛大に行われた記録があった。
一九八七年ジャイプル郊外の村で、十八歳の未亡人が四千人もの群衆が見守る中、夫の頭を膝の上に乗せて生きたまま焼かれた。麻薬を大量に飲まされていたとか、三度逃げ出そうとしたが竹竿で突き返されたという証言もあるが、あくまで本人が望んだ儀式だった。彼女が死んだ小さな土壇は即座に巡礼の地となり、死後二週間に五十万人が訪れたという。そしてインドの代表的な新聞には「未亡人としての生活は地獄だから、死を選べて良かった」というコメントが載った。それを書いたのは女性記者である。
パキスタンへのフライトまで三日あるから、小旅行に出ることにした。
あのぼったくり旅行社の経営者に売春窟の話を聞いたときだ。良いことを教えてやるから耳を貸せという。
「バタープルの女はベリーグッドだぞ。そしてチープ。すべてネパール女だからな」
バタープルは、デリーの南一八0キロにある地方都市で、特別な観光地でもない。
「GBロードは、マネーマネーと股ぐらをさらす女ばかりだ。女をドラックで麻痺させているからな。しかし、バタープルは違う。あそこの女はみんな優しい。心がいい。十五歳、十六歳もいる」
初めて聞く話だった。バタープル郊外に巨大な売春村があり、安全でしかも格安だという。
「女の数は?」
「デリーと同じか、それより少ないかだ」
「そんなところにお客が来るのか?」
「トラックドライバーだ。村はアーグラからジャイプルへのハイウェイにある。ドライバーはジキジキを好む」
ジキジキとは、SEXの隠語である。
こんな話を聞いたからには、僕は行ってみないと気が済まなかった。
六時間バスに揺られ、バタープルの町に入った。
砂漠が近いため牛よりもラクダが多い。
最初は典型的なインドの汚い町に見えたが、目を引くものもある。近郊に鳥類保護区があって、町に飛ぶ鳥も原色のきれいな嘴を持っていた。
さっそく街中で聞き込みを始めたが、反応はまったくなかった。誰も売春村なんて知らないと言う。
英語のできる男をガイドに雇って一緒に探したが、唯一案内された売春宿は、バザールの真ん中にある一軒屋だった。二階のバルコニーで娼婦が一人、赤ん坊を抱いたまま手招きしている。まだ昼間だった。
「違う。もっと多くの女がいる村だ。ハイウェイにあるんだが」
僕はガイドに伝えた。
「そんな村はない」
「いや、ある」
「ない」
報酬を倍にすると言っても反応は変わらない。日が暮れて、ガイドの男は家に帰ってしまった。
仕方なく『売春村に行きたい』というヒンディー語のメッセージボードを作り、サイクルリキシャ(自転車タクシー)を雇って幹線道路を走った。
もう夜になった。明かりなどまったくない道路に、大型トラックが猛スピードで駆け抜け、僕らは何度となく轢かれそうになる。
町から五キロほど離れ、リキシャ夫の爺さんが「あったぞ」と言って止まった。暗くてわからなかったが、その直後、ライトで照らされ、男二人が走ってきた。
ここも一軒で営業している娼館のようだ。天井の低い小屋に引っ張られると、二十歳くらいの娘が現れた。
「他にも女はいるのか?」
うろ覚えのヒンディー語で尋ねると、しばらく後に娘の母親が出てきて、私と娘のどっちにするか早く決めろ百ルピーだと詰め寄られた。
その後もハイウェイ上を探したが、何も見つからないまま町に戻った。
夜の十一時を過ぎている。
バザールの真ん中の売春宿では、昼間とまったく同じように、女がバルコニーから身を乗り出して手招きしている。昼間からずっとああやっていたのだろうか。僕を見つけると、狂ったように手を振って下の階段を指差した。ここも金物屋の二階だった。
あの女のことは、昼間の聞き込みで少し聞いている。
「エイズだ。あの女がボンベイから戻ってきたのは、そのためだ」
バザール近くのホテルで、医者と名乗る男がこう言った。どうしてエイズだと知っているのか、検査をしたのかと聞いたが、とにかくエイズだから近付くなと怒られた。
僕は二階に上がってみた。
洗濯物が干してある。若い女性のプライベートな寝室という感じの部屋で、赤ん坊はカゴの中で泣いていた。
女は清潔感のある典型的な美人で、スタイルも良い。赤ん坊の横にある折畳み式ベッドを指差して「早く寝ろ、五十ルピー出せ」と身振りで示した。
彼女がエイズなのか見た目でわかる訳はないが、外国人に五十ルピー(約一八0円)と安い訳が何かあるのだろう。僕がお金を置いて帰ろうとすると、女は五十ルピー札を握ったまま、まったく表情をなくしていた。彼女の赤ん坊は、女の子だった。もう泣きやんで寝ている。
いま、世界のエイズ対策関係者がもっとも恐れているのは、インドでのエイズ大流行だという。ハーバード大研究所によると、インドのHIV感染者は今世紀中に五千万人を超すと見積られている。
町にはエイズ予防の看板があるし、テレビCMもやっているから、男たちはエイズを知らないわけではない。ただ、現場で恐れられている様子は見当たらなかった。彼らは、多くの伝染病と闘ってきた民族の末裔だ。病名が一つ増えたくらいでいまさら何だとでも思っているのだろう。それも、一個数ルピーのコンドーム代をケチるには十分な理屈だ。
結局、売春村の情報は得られないままデリーに戻った。
メインバザール一帯に銀のレーンがかけられ、大道芸人もいて、どことなく街が沸き立っていた。明後日はシーク教のフェスティバルだという。
夜になって、僕は再びGBロードへ向かった。
インド滞在中は、売春地帯を見ておくつもりだった。
GBロードの女は、ネパールやインド各地から売られてきた者たちである。男たちが喜んでこの階段を登って、女たちはせっせと働いている、一見そう映るが、現在の日本では考えられない人身売買によって成立している様だ。
人が売られるということが実感としてわかるように、今夜はインタビューもするつもりだった。英語を話せる娼婦などいないだろうが、探せばどこかに英語ができる者だっているだろう。僕は通訳を雇う金をケチって一人で出向いた。
GBロードにもテント小屋が出来ている。神の像が運び込まれ、通りに沿って電飾もあった。明後日のフェステバルに備えているようだが、なぜかその影響を僕が受けることになる。
ポリスが警棒を持って巡回していた。今夜は取り締まりが厳しいのか、路上で客引きをするマダムも隠れて階段を登り降りしているし、ポン引きもいない。
仕方なく一人で娼館への階段を登ったのだが、部屋に入った途端に視界が消えた。僕は女たちに手足を押さえられ、ベニヤの小部屋に押し込められてしまった。所持金は抜き取られ、力づくで逃げ出すまでの間、理解できる訳のない言葉で怒鳴り散らされた。
外に出てから息を整え、気を取り直した。
彼女たちはプロの強盗ではないので、身ぐるみ剥ぐといっても、隠しポケットまでは漁らない。もちろんパスポートやドル札はホテルに置いてある。僕は胸ポケットに金を移すと、隣の階段を登った。
それが顔を出した瞬間、またしても女たちが総掛かりで飛び掛かってきた。僕はジキジキ小屋に閉じ込められ、力づくで逃げ出したが、やっぱり金は取られた。
一度身ぐるみ剥がれる経験をすると、その後は恐くて何もできなくなる人もいるが、僕はかえって免疫がついて何でもできるようになるタイプである。これくらいなら命までは取られないと感覚でわかる。ただ、国や場所によって、新たに対策を練る必要はある。
まずメガネを取りにくることがわかったから、二度目からはとっさに隠すようにした。ここで袋叩きに遭うことはなさそうだが、ただヒンディー語の「助けて!」をわざわざ覚えたのに、まったく役に立たない。
ちなみにお金をすべて渡した後は、女たちから敵意が消えて微笑みすら見せ、チャイでもご馳走してくれそうな雰囲気にもなる。
僕はゆっくりと階段を降りた。どうして今夜に限ってこんな目に遭うのだろう。前回まったく無事だったのは、ポン引きがいたからだ。ともかくもインドの売春窟は外国人を寄せ付けない所というのは本当らしい。
路上で休んでいると、ポリスの一団がまた巡回にきた。今夜はとことんツキがないようで、僕は通りを行き来するうち、ポリスに警棒で殴られるインド人に混じって一発やられた。
結局、取材らしいことはできなかった。
今夜も、日本人顔の女の子とまたたっぷり目が合った。
それと僕を襲った女たちの中に、事故なのかハンセン病なのか、顔のつぶれた女がいた。形のなくなった唇に口紅を塗っていた。
別の部屋では、高い金を払って女を買ったというのに、ものの数分で小屋から放り出される男がいた。
遠い田舎から売られてきた女たちも哀れに見えたが、性欲の処理のために稼いだ金をはたく男たちも哀れに違いなかった。ここでは刺し違えるように男女が抱き合い、性病を移し合うのだ。
インドの売春地帯や人身売買のことを調べるのは、今回が初めてではない。
つい半年前も僕はネパールとインドにいた。ヴァラーナスで日本人旅行者が襲われ行方不明になる事件が続出していたのだが、僕は行方不明になった男性の情報がカトマンズにあることを知り、確認のため現地へ飛んだのだった。
結局その男性の消息はわからなかったが、旅行者を襲ったり、人身売買の手配などをする者たちの姿がおぼろげに見えてきた。
それはインドのヤクザ連中に違いないのだが、旅行者必携のガイドブック『地球の歩き方』に「おすすめホテル」として掲載されている宿の従業員でもある。
ヴァラーナスでホテル業の許認可を取るには強力なコネと賄賂が必要なので、ホテル経営者にはまっとうな人が少ない。外国人との利権が絡む業界はほとんどマフィアだともいわれ、星の数ほどいるチンピラが宿の経営から麻薬売買、詐欺、人殺し、国境を越えネパールの山奥へいって人身売買の手配もする。要するに悪のなんでも屋だ。掻き集められた女たちは彼らの宿で取り引きされる。
ネパールからインドへ売春目的で一年に十万人の女性が連れられているという。そのうち三十五パーセントが誘拐という報告もあるが、基本的には人身売買だ。貧しい家族にとって唯一の持ち物は、美しい少女なのだろう。また、幼児婚をさせられた後、夫に売られるケースもある。
少女一人が売買される金額は五千ルピーから二万ルピー、貧しい家族にすれば手にしたこともない大金だが、日本円にすれば三、四万円にすぎない。バイクより安く、雌牛よりも安く売られていくのである。
僕はその実態を探ろうと、ここ何日か行動してきた。インドにいる間は、売春窟を回って、なんとか裏社会に入り込むつもりだった。
そのために、いままで売春地帯のルポはほとんど読んできた。どれにも驚くべき悲惨な実態が書かれていた。僕もそんな驚くべきものを書くつもりでやってきた。
けれど、果たしてそれが何なのか。
うまく取材ができたとしても、出てくるのはどうせ救いようのない現実だけだろう。
僕は遠い国までわざわざ不幸を漁るためにやってきたのだろうか。あちこち見学して回って、週刊誌の記事のように結局どうしようもないんですと文章を結ぶのか。
深夜三時を過ぎても眠れなかった。今夜の擦り傷が痛む。
取材ノートをパラパラと捲りながら、ふと思い付いたことがあった。
それは、遠い国の不幸を漁るものではない、何か背筋を通るようなぬくもりを感じられるものかもしれなかった。
わかりきったことだが、よほど時代が変わらぬ限り、人身売買はなくならない。貧困が存在する限り、どれだけ法律が強化されようと形を変えて人が売られていくだろう。
そして、当たり前だが、僕の力では何も変えられない。
しかし、一人の少女なら、あそこから連れ出すことができるかもしれない。
あの中の一人を連れ出すこと。もし本人が望むなら、故郷の村に送り届けること。僕は想像した。もし事がうまく運んだとすれば、その少女は故郷の村へ続く道を歩むとき、どんな顔を見せてくれるのだろうか。
人を救おうとか、幸福や自由を与えたいと思ったわけではない。僕は、誰かと一緒に逆転を体験してみたかった。初日のホテルに味わったよりもっと大きな、人生が入れ替わるほどの逆転を起こせないだろうかと考えた。
もし一人の少女を身請けできたとしても結局、彼女には別の辛い生活が始まるに違いない。だが、あのとき一瞬の逆転さえあれば、何年か先まで笑って過ごせるかもしれない。
しかし、娼婦の身請けなど本当にできるのか。
実際あったケースで僕が記憶しているのはこの二つだ。
――カルカッタのソナガッティ地区にいた娼婦が、常連客に身請けしてもらって結婚した。だが、結局はその男が招待するお客に売春を強いられた(CWIN発行『売春宿から戻って』)。
――ラジャスターン州のドルプール近郊に、インド全国の歓楽街からバイヤーが集まる女性卸売市場があるという。
一九八三年四月、有力英字新聞「インディアン・エキスプレス」の記者が人身売買組織を告発するために、売春宿の経営者になりすまして潜入し、背の低い痩せた三十五歳の女を二三00ルピー(当時のレートで約四万六千円)で買取ることに成功した(中公新書『インドの大地で』五島昭著)。もちろん簡単にできたわけではない。その記者は家族にも同僚にも極秘の取材を繰り返し、銃をかついで現地に乗り込むこと十数回、やっと女性卸売市場に潜入できたという。
こんなことを、ヒンディー語もできない外国人の僕ができるのだろうか。単純に考えたら、無理だ。
けれども、無理であろうと、やってみる価値はあると思った。失敗したとしても、何かが残るかもしれないとも思った。
ただ、そのためにはパキスタン行きのチケットを捨てることになる。旅費の十分の一ものチケットを買ったのはバカだったが、それを捨てるのはもっとバカだ。しかも、まったく宛てのない思い付きのために。
一人の少女を連れ出してフリーにすること。
今夜のうちは、ただの思い付きにすぎなかった。しかし、翌日ともかく情報を集めようと向かった先で、僕はあっさり決断してしまう。初日のホテルでさんざんクレイジーだと言われたおかげか、僕は何をやりだすにも特別な決意を必要としなくなっていた。
チケットをキャンセルできるか確認するため、あのぼったくり旅行社へ向かった。
ビルのテナントのひとつだが、この旅行社のオフィスはビルのトイレよりも狭く、長身の男がデスクに張り付いていた。
経営者はシーク教徒の青年で、胸板の厚さがスーツの上からでもわかり、頭のターバンに威勢がある。よく見れば、けっこう恐い顔の男だった。
「何かあったか?」
男は腕を組んでいた。チケットを買ったときと違って愛想がない。
「このチケットは、キャンセルできるのか?」
「見せろ」
男はチケットを取り上げて睨んだ。
「できる。だが、今夜のフライトだ。すぐにキャンセルしても、たいした額にはならない」
次に僕はまったく話をかえて質問した。
「娼婦を買い取ることはできるか?」
「……なに?」
「売春窟から、一人の女を、連れ出したい。それは可能か? そして、いくら必要だ?」
男は無愛想な顔付きで電卓を手にすると、数字をパコパコと叩いた。
「デリーは都会だ。そして首都だ。なんでも高付く。私が知っているケースが一つある。若いネパール女がこれだ。ポリスへの賄賂込みだ」
男が打った額は、七万五千ルピー(約二十六万円)だった。これが身請け金だという。
安くはないが、知れた額だ。いまの所持金では足りなくとも、国際電話で親に泣き付けばなんとかなる。
この金額はいいかげんなものではないだろう。僕が他の資料で読んだケースでは五万ルピーだった。娼婦一人の稼ぎから計算しても、七万ルピーは妥当だ。売られた額は五千ルピーでも、買い戻すとなると十倍以上になる。それだけ売春業はボロ儲けなのだ。
「だがなジャパニー。これはインド人の場合だ」
「……なんだ?」
「ここはタイやフィリピンではない。外国人は違う。もしYOUが女を買い取ったとしても、莫大な金がいるだろう。そしてその日のうちにYOUは銃で襲われる。女は連れ戻される。あの街はマフィアだ」
「そんなことは聞いていない。できるのか、できないのか!」
僕が詰め寄ったので、彼は少し驚いたようだった。
「ここはインドだ。マネーがあれば何だってできる」
「そうか、わかった」
その後、僕らは真剣勝負の対話を始めることになる。
「OK、今度は私が聞く。答えろ。YOUが女を買い取るというのか?」
「……そうだ」
「YOUには、デリーで決めた女がいるのか? 日本に連れ帰るつもりか?」
「どちらもノー」
「では、誰でもいいのか?」
「誰でもいいという訳ではないが、一人の女を連れ出して、できれば故郷に帰す。それだけだ」
「そうか、わかった」
なんて物分かりの良い男なのだろう。僕自身ですらよく理解してないことに、何が「わかった」だ。
しかし彼はすぐに彼なりの理由を語り出した。
「私は、三ヶ月太陽を見なかった娘の話を聞いたことがある。ダージリンから売られてきた十七歳の娘だ。小屋に監禁されて三ヶ月、一度も空を見なかったという」
彼はその少女のことを詳しく知っていた。雑誌か何かの情報ではなく、人からじかに聞いた話のようだった。僕は何度もうなずきながらその話を聞いた。
「わかった。決めた。このチケットをキャンセルする。手続きしてくれ」
「本当にキャンセルする気か?」
「そうだ」
「どうして?」
「もう決断した後だからだ」
「……そうか」
シーク男は子分を呼んでチケットを渡し、指示を出した。
「手続きをやっておく。一時間後にまた来い」
「わかった。ありがとう」
とにかく可能なことはわかった。あとは段取りだ。これから情報を集めて、じっくり計画を練るしかない。
僕が出ていこうとすると、男が立ち上がって声をあげた。
「デリーはやめておけ。YOUは日本人だ。デリーのことは知らない。私はデリーのことも、裏の社会もよく知っている。間違いなくマフィアが動くぞ」
このときは脅しだとしか思わなかった。無視して出ようとしたが、シーク男はまた僕を止めた。
「私にひとつ案がある。聞くだけ聞いていけ」
僕がもう一度イスに座ると、彼は恐ろしく早口で話し始めた。いろいろ実例を挙げてマフィアの恐さを説明してくる。とにかくデリーで売春婦を連れ出すことはリスクが大き過ぎるというのだ。この男の話すことだから、はいそうかと信じるわけにはいかないが、ただ、これが僕を脅すための嘘だとしても、こうして瞬時に作り話する男が提示する案というものを聞いてみたくなった。
「いいか、ここからよく聞け。しかし、バタープルなら、なんとかなるかもしれない。あそこにマフィアはいない。話し合いが通じる。金もかからない。もしトラブルが起きても、逃げてくればいい」
シーク男は続けて言った。バタープルの売春村へ行った経験はないが、その村に詳しい友人がいるという。
「とにかく安全で可能性があるのは、バタープルだ」
「その村は、僕でも行けるのか?」
「イエス、明日にはできる」
沈黙になった。
このとき僕はいままでの男の言動を振り返っていた。知らないことは知らないとはっきり言う点、提案を述べて次にその理由を話す手順には好感が持てたし、いままで会ったインド人にはないものだった。
男の名はサトウィンダー。ニューデリーに家族で住み、二歳の娘と三ヶ月の息子がいるという。
サトウィンダーはスーツの内ポケットから携帯電話を抜いて僕に見せた。インドで携帯電話といえば、ビジネスマンのステータスシンボルである。
「よく聞けジャパニー。私はここの経営者だ。携帯電話もある。オフィスの家賃も子分への給料も払っている。私には十分なマネーがある」
続けて、携帯電話の契約料やオフィスの家賃、自分の稼ぎを計算機で叩いた。なんとか上流階級に入るレベルだ。つまりこれで彼が言わんとすることは、一切、僕から金を巻き上げる気はないということだった。
「私はYOUに力を貸す。後は、YOUが私を信じるかだ」
彼も全力で話している様が見えた。息使いにまったく余裕が感じられない。ひょっとしてこの男には、僕がフライトをキャンセルまでしてやる決意が伝わったのかもしれない。
「YOUは、どこのホテルに泊まっている?」
「メインバザール」
サトウィンダーは沈黙した。そしてその沈黙の訳はこれだった。
「今夜、私の家に泊まってくれ」
オフィスの電話が鳴った。サトウィンダーは受話器を取る間際に言った。
「これはdifficultなワークだ。しかし、goodなワークだ」
「……ああ」
僕はうなずいただけだった。
三ヶ月太陽を見なかったダージリンの娘
お父さんとお母さんに見送られ
やさしいおばさんに連れられて
ダージリンの娘は
オールドデリーの売春窟
GBロードに売られてきた
いくらで売られたのか知らないまま
自分の値段を知らないまま
ダージリンの娘は
こんなはずじゃなかったと暴れ続けた
箱のような暗い小屋の中で
低い天井を見上げ
ダージリンの娘は太陽を待ち続けた
体を洗ったバケツに用を足し
男たちが痰を吐くグチョグチョの床に
毒グモを放たれ
蛇を放たれ
ダージリンの娘は太陽を待ち続けた
誰もあたしの言葉がわからない
友達なんていない
電話もかからぬこの小屋の中で
この電球の下で
このベットの上で
ダージリンの娘は太陽を待ち続けた
逃げ出せなかった
いつ死んでもおかしくなかった
太陽を待ち続けたダージリンの娘は
いまもGBロードで暮らしている
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