3 売春村のシーマ
六年も七年も昔の週刊誌だった。
ペドファイル(小児性虐待者)に関する記事があって、アジアの少女買春の実態が細かく書かれていた。十歳前後の幼い娼婦には、家畜用のホルモン注射を打ってボディアップさせるという。記事には写真があった。首だけスゲ替えたような不気味な体つきの少女がいた。
これをきっかけに僕は調べ始める。少女買春に関する文献はタイやフィリピンのものばかりだったが、調べた中で、最も強烈かつ人の値段の安い国はやはりインドだった。
古くからインドには、デバァダーシー(神の奴隷)という宗教を隠れ蓑にした売春制度がある。
貧しい家の少女が七、八歳で寺院に捧げられ、思春期に達すると「奉納の儀式」が行われる。儀式に金を出したパトロンが、少女と最初の夜を過ごす権利を持ち、その後少女は僧侶や参拝客のセックスの相手をするが、処女を失うと同時に売春宿へ売られるケースも多いという。
このデヴァダーシーはけっして過去の因習ではなく、現代でも口減らしとして機能している。一九九0年の二月、南インドのカルナカタ州ベルガウムでは一度に二千人の少女が捧げられ、その大半がボンベイの赤線地帯に売られていったという。
ホテルに戻って荷物をまとめ、まだ一泊もしていない部屋を出た。
チェックアウトのサインをするとき、なにかドロドロした世界にはまり込んでいく感覚におそわれた。もう二度と普通の生活には戻れないような不安が沸いた。
旅行社のオフィスに戻ると、サトウィンダーはすでに段取りをまとめていた。
「ジャパニー、明日、すべてOKだ」
顔を近付け、早口で話してくる。
「バタープルの町で、まずホテルを取れ。売春村に行くときは五百ルピーだけ持て。それ以外はいらない。荷物はホテルの部屋に隠せ。部屋のキーはフロントに預けるな。靴下の中に入れろ。あの町で信用できるホテルを言う、まず…」
オフィスにお客や子分が来るたびに密談は止まる。サトウィンダーは適当な会話で誤魔化し、人払いをしてから、また同じ体勢で話し始めた。細かい段取りはさらに紙にも書いて、最後に「わかったか?」と確認をとってきた。僕がうなずくと、彼はその紙を細かく破り捨てた。
「よし、YOUのガイドがきたぞ」
小柄の男がヘルメットを抱えたままオフィスに現れ、握手を求めてくる。彼の名はスラチ。サトウィンダーよりもずっと年上だった。
サトウィンダーは早口のヒンディー語でスラチに説明した。スラチは一度ごと小刻みにうなずいて誠意を表す。
「いいか、彼はバタープルの村に詳しい。明日は、この男が案内してくれる。女を決めて話がついたら電話しろ。すぐ私が行く。そこでペーパーをつくる」
「ペーパー?」
「そうだ。役に立つか知らんが、契約を交わす。YOUはインドにアドレスがない。だから私が代わりにやる」
それは彼もリスクを背負うということか。僕はまだ頭の整理がつかない。
「いいか、女を決めたらすぐ電話だぞ。ネパール女でも構わん。私はネパールへのチケットを用意しておく。二人分だ。ネパーリは国境もフリーパスだ。ノープロブレム」
二人というのは、僕と僕が連れ出す女のことだった。
スラチは「明日九時だ」と二回も念を押され、もう一度僕と握手して帰った。そしてサトウィンダーが言う。
「いいか、明日はあの男がついている。だが、もし一人になったり、トラブルが起きたら、すぐに電話しろ」
サトウィンダーは名刺をくれた。裏には携帯電話の番号が書き込んである。
いつの間にか日が暮れた。
今頃、僕が乗るはずだった飛行機が飛んでいる。
サトウィンダーの家は、コンノートプレイスから車で二十分ほどの住宅地にあった。僕らが帰ったとき、彼の奥さんはリビングでアイロンを当てていた。
白塗りの部屋がいくつも並び、トイレも三つある。リビングには大きなテレビが置かれ、国産のアンバサダーだがマイカーもある。そこそこの金持ちといえるだろう。
両親やサトウィンダーの兄弟とその子どもたちが順番にあいさつにきた。サトウィンダーには二人の兄がいて、この家には三世代の十三人が住んでいた。
「カモン、ここがYOUの部屋だ」
僕は絨毯敷きの部屋をあてがわれた。
「この家に外国人を泊めるのは二度目だ。私は旅行社の客を家に泊めることはしない」
僕は、いままでサトウィンダーの言葉を信用してきたわけではない。だが家に泊まることで、家族にすぐバレる嘘は付かないだろうし、もしも僕が騙されたら、ここへ怒鳴り込めばいいのだ。
「まあ、リラックスしろ」
サトウィンダーは寝転がると、時代劇の役者がかつらを脱ぐようにターバンをとった。
「これ、むせるんだ。けっこうな」
父から受け継いだ金のブレスレットを右手にはめて、肩まである髪を撫でた。
今夜は家族で親戚の結婚式に行く予定だったらしいが、サトウィンダーは僕のために残ってくれて、晩御飯のカレーを一緒に食べ、夜更けまで話した。もう密談はなかった。
「なあジャパニー、この部屋のジュウタンはいいだろ」
サトウィンダーは日本語で「じゅうたん」と言った。
「なぜ知ってる?」
「日本人の客を釣ったときだ。ジュウタンが欲しいと言ってきた。私は間違ってジュース屋に連れていった」
翌朝、サトウィンダーの寝坊で、出発が三十分遅れた。
スラチは車の整備をして待っていた。
僕らが乗り込んだ車は、サトウィンダーの旅行社が所有しているワゴン車で、車のレンタル料は払ったが、彼はガイド料もコミッションも取っていない。これが、彼らにとって希有な例だとはまだ知らなかった。
幹線道路を走る車は、大型トラックがほとんどだ。広大なインドでは、長距離トラック運転手は何百万人といる。
ハーバード大の調査によると、インドのトラック運転手は年間平均二百回の性交渉を持ち、七十パーセントが何らかの性感染症にかかり、三十パーセントがHIV感染者だと見積もられている。運転手の買春が習慣化しているのは、仕事で家をあけがちなうえ、車のエンジンの熱が体に悪いと考える者が多く、セックスをすればその有害な熱が体から取り除かれると信じているからだという。(一九九六年二月三日産業経済新聞)
バタープルに入ると、鳥類保護区の側にあるホテルに部屋を取った。
まず、スラチが売春村をチェックして戻ってきた。
「今日は検問があった。ポリスもいる。様子が変わるまで、村の近くのホテルで待つのはどうか?」
売春村への道路に都合良く検問があるらしいのだ。そこを通る車は買春目的に限られるので、外国人の僕は賄賂が必要だろう。田舎のポリスほど日頃機会がないためか千ルピー、二千ルピーと平気でふっかけてくる。
「とにかく村に入るのは夜だ。いいか?」
「ああ、しかたない」
日が暮れてから、売春村とコネクションがあるホテルに入った。ここも表向きは鳥類保護区用のホテルで、今日は韓国人の夫婦とアメリカ人女性三人組が泊まっていた。
僕は、一人の少女を連れ出さねばならない。そのためには村のことを知り、その少女とよく話をする必要がある。ちゃんと対話ができるようにこのホテルで部屋を確保した。そして、ここの支配人が売春村から女を連れてくる段取りもやってくれる約束だった。
ただ、その支配人は、会ったときから酒を飲んでいた。すぐ用意するからちょっと待てと言っていたが、僕は夜の十時まで待たされた。まあインドではよくあることだ。
バタープルは砂漠が近いためか、夜はデリーよりずいぶんと寒い。息が白くなる。どこにも暖房はない。
ロビーで待っている間、スラチは想像以上に役に立たない男だとわかった。
「おいシゲキ、今夜のコーディネイト料は八百ルピー(約二八00円)になった」
ぬけぬけと言ってきたが、初めの倍の金額ではないか。
スラチは別室で酒を御馳走になっていたが、話しているうちに料金が跳ね上がったという。
「早く金を渡してくれないか」
スラチは車のキーを取り上げられて青冷めていた。ホテルの従業員たちがニヤニヤとこちらを見ている。
仕方なく八百ルピーを払うと、支配人は急に慣れ慣れしくなって、僕にもウイスキーを勧めてきた。
その後、やっと村に入ることになった。
大型トラックが行き交う道路から反れて未舗装のガタガタ道を走る。
真っ暗の道の途中で停車した。途端にいくつものライトで照らされる。
道の向こうに村があった。方々に焚き火があり、原色の服の女たちが暖をとっている。ライトを持った女が合図をして、さらに多くの女が集まってくる。支配人が制するまで騒ぎは続いた。
暗くて全体の様子は掴めないが、たしかに女の数は多い。道の両わきに住居が続いている。どれもスカスカの貧しい家だった。
家の隣の小屋には、ベッド代わりの板がある。生活の場とジキジキ小屋の隣り合わせは、この村も同じだ。
ズカズカと村に入り込んではみたが、僕は最初に何をすべきか迷った。暗くて人の顔も見えない。さてどうしようかと考えていたとき、支配人が言った。
「ポリスに感付かれたかもしれん。出た方がいい」
だが、僕には今夜しかチャンスはない。
「ダメだ。まだ帰るつもりはないぞ」
「だったら、車の中から女を選べ」
僕は粘ったが、スラチに引き戻された。支配人も焦っていた。
「いいか、ベストの女を連れてくる。お前は八百ルピーも払ったから、ベストだ。早く乗れ」
僕らは、逃げるようにホテルへ戻った。
いったい誰を連れてくるのかと考えたが、たしかに支配人の言う《ベスト》は間違っていなかった。
一時間後、ホテルに連れられてきたのは、ダビンチの絵画のような美しい少女だった。
僕はこの少女と会ったことで、スラチやホテルの従業員がしきりに言う「バタープルの女は良い」の訳がはっきりする。そして彼女の存在が、インドという国のとてつもなさを初めて身近に感じさせてくれるのだった。
少女は、バイクの後ろからちょこんと降りて、ロビーに来た。
身長一五五センチくらい、紫色のヘアバンドをして、もちろん荷物は持たず、薄い毛布をはおっているだけ。ノーメイクで、アクセサリー類も着けていない。衣服もただのパンジャビ服だ。
外見は普通の田舎娘だが、背筋を伸ばして上品に微笑み、男たちに囲まれても堂々としていた。この寒さに薄着でゴムサンダルだが震えもしない。あどけない顔に似合わぬ豊かな胸が、服の上からも十分に確認できた。
この少女は美しかった。単に顔形が整っているというだけではない。大きな眼で僕を見て、ゆっくりと瞬きする。いっときも欠かさず微笑んでいる。お客への愛想ならそれはそれで見事だろう。彼女は何か楽しいことがあるようにまた微笑む。GBロードの女とはまるで違った。
そして、彼女は一人で部屋の空気を変えていた。男たちが無駄話をしなくなった。従業員の一人が、彼女に自分のアルバムを見せている。
「カモン、ここを使え」
支配人は酒ビンが転がっている部屋を開けて、僕を呼んだ。少女もすぐ後からついてくる。このとき彼女を一晩買ったのだと実感した。
ネパール語の通訳を探そうと思っていたのだが、彼女はヒンディー語を話すという。
この夜、スラチに通訳を頼んで、僕は時間をかけて話を聞くことができた。高僧のような落ち着きが彼女にある訳をまず知りたかったのだが、すぐにピンときた。それは彼女一人の資質というわけではなく、あの村の歴史がそうさせたというべきだった。
僕は少女と向かい合ってインタビューを始めた。
「名前は?」
「SIMA(シーマ)」
彼女は読み書きができないし、自分の名前も書けないという。
「シーマ、君の歳は?」
「十七歳くらいだと思う」
シーマは自分の歳も誕生日も知らない。本人は十七歳くらいと言ったが、僕からすれば十四、十五歳にしか見えない。
「兄弟はいるの?」
「姉と兄と弟がいるよ」
「兄弟は何をしている?」
「男兄弟は、農場に売られた。姉は、自分と同じ仕事をしてるの」
「母親は?」
「村でいっしょに暮らしてる」
「父親は?」
「スリーピング」
これは名前ではなかった。何のことだと聞き返すと、スラチはベッドを叩いた。シーマの父親はベッドだというのだ。
シーマは母親とお客の子だった。シーマはネパールから売られてきたのではなく、あの村で生まれ育ったのだ。むろん彼女の兄弟も同じだ。
シーマの返事は短いが、質問にはちゃんと答えてくれるし、目が合うたびに微笑みかけてくる。
「毎日の食事は?」
「グリーンベジタブル。たまにカレーを食べるの」
「一日に何人の客を取る?」
「一人か二人」
「村の外へ行くことはあるのかい? たとえば町で買い物したりとか」
「行かないよ」
「なぜ外へ行かないの?」
「用事がないから」
「町に行きたいとは思わないの?」
シーマは首を傾げ、しばらく考えてから答えた。
「思わないよ」
「おこずかいはもらっているの?」
「もらわないよ」
シーマは、生まれてからお金というものを持った経験がないという。たしかに、町へ行かないのだから必要ないだろう。
「いままで、村から出たことはあるの?」
「ないけど」
シーマはまたゆっくりと瞬きした。
村の女たちは町へ出ないが、監禁されているわけではないという。村には学校がないから、読み書きも習わない。ただ娼婦になることが生まれた時から決まっていただけだ。村の女には、父も夫もいない。シーマの父がベッドであるように、彼女たちはあの固い板の上で母親になる。
シーマは選択肢などない極度に限られた人生を歩んでいる。僕は質問を続けた。
「何か欲しいものはない?」
シーマはまた首をかしげて考えた。
「別にないよ。ハッピーだから」
と、本当に幸せそうな顔で言った。
嘘はこれっぽっちもないだろう。他の生き方を知らないのだから、ハッピーにちがいない。たしかにシーマは幸福だろう。少なくとも僕よりは。
「君の村ができたのは、いつ頃か知ってる?」
「知らないけど」
この返事は聞く前からわかっていた。自分の歳も知らないのだから当然である。
「君の村に、新しい女の子がくることはあるの?」
「ないよ」
村の女や子どもはネパール人だが、誰もネパール語を話せないらしい。
「ネパーリのジェネレーションだからな」
スラチが教えてくれた。
昔、この町にネパール人が連れられて売春宿ができたという。それから現在まで、シーマの先祖は母国語を完全に失うまでの年月を、売春だけで暮らしてきた。
女の子は初潮と同時に娼婦となる。村に女が売られてくることはない。だからマフィアとは関係なく、お客の子を産むことで、娼婦は完全自給自足という訳だ。
売春の収入はポリスや地元の有力者に搾取されるが、代わりに生活必需品を受け取り、あくせく働く必要もなく、飢えずに服を着て生活できる。うまくバランスがとれていることになる。
ただ、僕はそんな村の実態よりも、シーマに見とれていた。彼女が娼婦だとも忘れ、心を読まれているような余裕のある笑みに体が動かなくなっていた。
誤解を承知でこれを書くのだが、シーマのような存在感のある子を他にも知っている。
僕は学生の頃から、重度障害児のケアをするボランティアに参加させてもらっていた。その子どもたちはしゃべらないし、手足も動かさない。子どもといっても二十歳前後で、生まれてからずっと車イスかベッドの生活だった。
意外だったのは、その子たちがよく微笑むことだ。とにかく表情が豊富だった。しゃべれない分、顔の筋肉で対話しようとする。細かい表情の変化から、不思議と感情が読み取れる。だから一人一人が独特な存在感を持っていて、いるといないとでは部屋の空気が変わるほどだった。
微笑むことは先天的な能力ではなく、親から学習するものである。狼に育てられた子どもは生涯笑うことがなかったという。
この障害を持つ子たちの絶えない笑みと存在感は、彼らがじつは神聖な人間だとか無垢な魂を持っているとか、そんなことを僕は思ってはいない。単に母親との関係が深いためだろう。二十年間わが子のオムツを換え続けた母親が、与えたものの結晶なのだ。
同じようにシーマも、あの何もない村からどこへ出かけることもなく、勉強もせず、労働にも追われず、ただ家族からの愛と、売春という生きざまをもらい受けるのだ。
「セックスのプロフェッショナル」
とスラチは言った。そしてセックスマシーンとも言った。
シーマは生まれたときから、村の女たちが見知らぬ男と抱き合うのを見て育ったのだから、そこに疑問など生まれようがない。シーマにとって売春は、貧困のために強いられていることではなく、ましてや犯されることでも苦痛でもなく、徹底的な日常であり、むしろ自分を抱きにくる男が唯一の刺激なのだ。
これでは男たちに罪悪感など生まれようがない。フェミニストが束になって売春を否定してもシーマには通じない。もう、僕の価値観すらひっくり返りそうだ。
忘れそうになったが、僕は一人の少女を連れ出してフリーにするためにここへ来たのだった。シーマは対象外ということになるが、もしその話を切り出したとしても、たぶん彼女は村から出ることを望まないだろう。おそらく村の女は一人として望まないだろう。もし町に連れてきたとしても、家族や友達がいないところで幸福なものか。都会で暮らして訳のわからぬものに脅えるだけだ。それは日本の女性がこの村に放り込まれる混乱に等しい。
僕はシーマの前で立ち尽くしていた。このどうにもならなさがインドに横たわるカーストなのか。この国は人間の実験場だとでもいうのか。
スラチが消えていた。
会話がとぎれた間に、シーマはズボンの紐をほどいてスルスルと脱いだ。下着はつけていなかった。
「ふぁっく、ふぁっく」
まるで自分が作った料理を食べてもらうみたいにこう言ったシーマ。床に、彼女のズボンが置かれていた。
シーマは下半身を晒している。明かりのついた部屋のベッドで、堂々と裸になっていた。薄い陰毛が、彼女の本当の歳を示しているようだった。
ジキジキはいらないと伝えたはずだが、彼女にはそれが理解できなかったのだろうか。それともスラチが通訳しなかったのか。
シーマはまた「ふぁっく、ふぁっく」と自分の股間を指差して言った。
「スラチ、車を回してくれ」
僕は大声で叫んだ。もう一度、あの村と村の女たちを見ておきたかった。
シーマの腹には、虎の縞模様のようなひっかき傷がヘソをはさんで五本ずつあった。何の傷か、聞くことはできなかった。
シーマはまだ僕を待っている。お菓子でも持ってくればよかった。
翌朝、改めて売春村を訪れた。早朝に行ったのはポリスを警戒してのことだ。
昨晩はホテルの周辺を歩き回って二時間もスラチを探したが、じつはその間に彼はシーマを買っていたのだ。八百ルピーは二人分だったわけだ。突然いなくなったのは、コンドームを買いに必死で車を飛ばしていたからなのだが、夜だったせいもあって入手できず、ゴムなしでジキジキしたという。
そういえば行きの車の中で、スラチはエイズの知識を僕にしつこく聞いてきた。そして「コンドームを分けてくれ」とこれまたしつこく言った。持っていないと言っても、「一つくれ」とうるさかった。
それに、昨夜ホテルに戻って寝るとき、
「YOUはホモか?」
とも聞いてきた。
「いや、違うが。どうしてだ?」
「ジキジキしなかったとシーマは言った」
僕は「うん、しなかったよ」と答える彼女を想像した。やはり嘘などつかない少女だろう。
それにしても、昨日の八百ルピーはどう分配されたのか。ポリス、ホテルの支配人、バイクの運転手、そしてスラチ。はっきりしているのは、シーマには一ルピーも渡っていないことだ。
ポリスの検問を越え、しばらく走るとアスファルトが切れた。砂利道の両わきに貧しい家々が並ぶ。
本当に何もない村だ。
商店はない。バイクも自転車も見当たらない。文字の看板が一つもない。電話も電気も水道もない。女たちが井戸の水で身体を洗っている。
なにより普通の村ではないことが簡単に知れた。天井の低い小屋が幾つもあり、ベッドばかりが見える。
方々から化粧の女たちが寄ってきた。地面から沸いて出るように女の数が増えてくる。
まばらに住居があって、村の規模は確認できないが、いったい何人の女がいるのだろうか。それに、こんな村がインドに幾つあるのか。
シーマとは会えなかった。
デリーに戻ってから、すべてをサトウィンダーに報告した。彼はあの村の実態を知っていたのか。知っていて僕を行かせたのかわからない。
「あせるな、まだ方法はある。デリーでやる」
「……ああ」
僕が黙っていると、サトウィンダーは机を叩いた。
「YOUはやめるのか、やるのか?」
「まだ答えられない。それに、デリーでできるというのか?」
「トライする。ただし時間がかかる。YOUは私の家にいろ」
「わかった。やる」
「本当か?」
「僕は日本に戻ってもやることなんてないし、待っている人もいない。だから、ここでやり遂げる」
「OK、今日はゆっくり休め」
サトウィンダーは拳を握って「エフォー、エフォー(努力)」と言った。
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