1 逆転
空港に降り立ったときの興奮は、これから何度、旅を繰り返しても変わらないだろう。
今回も出迎えなんていないし、ホテルの予約もない。両替したばかりの札を握って空港を出るなり、不安と期待と焦りがひとかたまりとなって体中を駆け抜け、胃や肺や心臓がドラムのように鳴り響く。
僕は、ツアーの観光客でもバックパッカーでもなかった。といってもビジネスマンではなく、外国の珍しいものを文章にしてあわよくば原稿料にしようと目論む、つまりは海外で一発当てにきた若者の一人だった。
今回はパキスタンの辺境地帯に入り込もうと、二ヶ月前から文献を漁り専門家にも会ってきた。できる限り準備はしたが、もし辺境行きに失敗した時のためにも、他の取材企画を何本か用意していた。とにかく僕はウン十万の旅費をチャラにするために、何かを掴んで帰らねばならなかった。
ただ、どれだけ準備をしても、いざ現地に入れば何をやってしまうかわからない。これはもう何度となく経験したことだ。たとえば初日のささいな出来事のせいで、旅の目的をまるっきり捨ててしまうこともある。空港に降り立ったときの興奮が、通常持ち合わせている判断力すら狂わせるのかどうか。
一九九七年十一月二十六日木曜日。
バンコク発デリー行きタイ航空三一五便は、出発が順調に遅れ、この分だと到着は深夜になりそうだった。
待合室で日本人が群れていた。ガイドブックの「空港に深夜着いたら」というページをそろって広げている。
僕はその中の一人に「インドは初めてですか?」と聞かれたのだが、「三回目です」と答えた途端、周囲の日本人に「ホテルは見つかるんですか、どうやって市内まで行くんですか」と質問攻めにあった。
デリーの空港タクシーは、十台に九台が悪徳ドライバーだといわれている。料金前払いのプリペイド制なのに「予約したホテルは満室だ」とか「暴動でそこには行けない」とか言ってグルのホテルへ連れ込むのだ。そのペテンの技と客引きのねちっこさは年々強烈になるともいわれ、頭がパンクして翌日に帰国してしまう者もいるという。こんな話は世界でもデリーでしか聞けない。
「とにかく、タクシーはやめた方がいいと思いますがね」
僕はもっともらしく言った。だが、デリーに着いてから、空港バスに乗った日本人は僕一人だった。
ニューデリー駅で降りたのは深夜三時、安宿街のメインバザールはすぐ側だが、眠くて宿探しが面倒だったから客引きのオートリキシャ(原付タクシー)に乗った。
しかし、これが間違いだった。
運転手はずいぶん遠くのホテルまで運んでくれて、支配人を叩き起こす。一泊の値段を聞くと、わざわざ「100」と紙に書き、さあ部屋を見ろと言う。ベッドがあるだけの汚い部屋だったが、百ルピー(約三六0円)ならこんなものかとチェックインした。
支配人が部屋に帳簿を持ち込んでくるのはおかしいぞと思いつつサインして百ルピーを支払うと、案の定だった。
「YOUはクレイジーか。百ドルだ」
いつの間にか、僕のパスポートは運転手が握っている。部屋の扉もちゃんと閉まっている。
これが噂に聞く夜だけ営業するぼったくりホテルだ。ついさっき日本人に偉そうなことを言った僕が見事にひっかかったわけだ。ともかくも駆け引きで値切るしかなかった。
彼らも眠いのか、腕力を使ってでも早く済ませようとするが、ベッドを蹴ったりするだけで恐くはない。僕は二ドルから交渉を始め、さんざん「クレイジーか!」と罵倒されながら、なんとか五十ドルで決着した。
「よし、ゆっくり寝ろ」
支配人は、僕のドル札をポケットにねじ込んで言った。
「チェックアウトは午前六時だ。過ぎればエキストラを頂く」
この午前六時には、ちゃんと訳があった。彼らが繰りだす言葉の裏に答えがある。
「だが、YOUはスペシャルだから、行きたいところへ無料で連れていってやろう」
「そうだ。さあ、どこへ行きたい?」
リキシャの運転手と主人がそろって言ってきた。暗いうちに遠くへ放り捨てようという魂胆だ。彼らにとってホテルの場所が知れることは致命傷なのだろう。
僕がベッドで眠ったふりをすると、支配人たちはひとまず出ていった。
早いうちに逃げ出さなくてはならないが、真夜中に出歩くのも危険だから、ここで夜明けを待つことにした。朝まで断眠せねばならない。
一時間ほど経って、気分転換にラジオ体操していたときだった。ドアを全開にしていたせいか、ホテルのボーイが寝ぼけながらやってきて、僕のベッドに寝転んでくる。
そして、このボーイを引き戻しにきたのがアマル少年だった。
アマルは十五歳、このホテルの掃除人で、天然パーマの髪に薄い口髭を生やしている。
「彼は酔っ払っています。すぐ連れていきます」
アマルは下手な英語で言った。
「構わないよ。ここで寝かしておく。君もここにいてくれ」
僕は眠気を吹き飛ばすために、アマルと話し込む計算だった。
その後いろいろと尋ねたが、彼は眠いのをこらえながらも、ちゃんと答えてくれた。
「このホテルって、一泊いくらかい?」
「一泊?」
アマルはよく知らないと言う。僕が五十ドル払ったことを怒鳴って言うと、「おつりはもらったの?」と真顔で尋ねてくる。アマルは本当に何も知らないようだ。ホテルのアドレスを聞いたら、すぐに調べてくれた。
その後も用意してきた取材テーマに沿ってなんでも尋ねたが、中でもデリーの売春窟GBロードには詳しかった。アマルのアパートがその近所にあったからだが、彼はネパール人で、よくネパーリの娼婦と母国語で話すという。
こうして、アマルも午前五時まで一緒に眠いのをこらえてくれたのだった。
そろそろホテルから逃げ出そうとしたら、リキシャの運転手が現れた。
「外に行くのか? 危険だから乗せてやる。無料でメインバザールへ連れていってやるぞ」
この男もずっと僕を待っていたようだ。騙す方も必死なのだ。
無視して外へ出たが、まだ暗かった。
僕が歩いていくと、運転手は「早く乗れ、こっちだ」と叫びながらリキシャを横付けしてくる。
「待て。こっちがメインバザールだぞ」
運転手はまったく逆の方向を指差していた。そのとき後ろから付いてきたアマルは「いや、こっちじゃないの?」と正しい方角を言ったのだが、このせいで運転手とアマルが口論になってしまった。僕はぼったくられた腹いせを十五歳のアマルに向けていたのに、彼は僕のために必死で言い返している。
アマルは僕が騙されたことを知らない。もういいんだ。後で君がひどい目に遭う。僕はその間違った方向に歩いていこうとした。アマルはまだ運転手に言い返す。
それが、このときタイミング良く、何の騒ぎだと路上生活者たちが集まってきたので、二人は一旦姿を消すことになり、僕は取り残された。
まだ真っ暗で、歩き回るのは危険だ。僕はホテル近くの通りで朝を待った。十一月のデリーは冷える。僕は夏の格好で来てしまったので、予備のパンツを首に巻いて手足をさすった。
そして、どこかも知らない路上で震えていたとき、この旅最初の逆転が起こる。
「ハロー」
ついさっき激しくやり合ったホテルの支配人が僕の隣にいた。
「待て、行くな」
僕の手に何か置いた。四つ折りの五十ドル札だった。
「これが? なぜだ?」
「早くしまえ。YOUの金だ」
「どうして返してくれる?」
「リキシャドライバーと喧嘩したからだ」
よくわからない理由だったが、お金を返すと言うのだからもらっておいた。さっきのゴタゴタが、どこかに知れたのかもしれない。
「私のホテルでお茶飲まないか? 朝食もごちそうするぞ」
支配人はずいぶん優しくなっている。
しばらくして、アマルがポケットに手を突っ込んだまま歩いてきた。
この金がそのまま戻ったのは、たぶん彼のおかげだろうから、僕はこっそりチップをあげた。アマルは「あれっ」と口を開けてコインを受け取り、自分のアパートへ去っていった。
僕は夜明けと同時に歩き始める。
人影が増えていた。乞食たちが破裂した水道管で体を洗っている。ヒジュラが男と腕を組んで路地に消えていく。
僕にとって旅の魅力とは、ただ歩くこと、何よりもまず歩くことだった。
ときおり空を見上げ、まったく初めての道を歩く。所持金すべてをふところに抱いて歩く。子どもの頃一人でトイレに行けなかった僕が、知らない言葉が飛び交う街をたった一人で歩いていく。
このとき、インドという国と渡り合っているような錯覚も、まともに感じられるのだった。
ただし、それはやっぱり錯覚だった。
ああ、渡り合うとは程遠い。
その日の昼、旅行社でパキスタン行きの航空チケットを手配してもらったのだが、八十ドルほどぼったくられていた。シーク教徒の経営者が陽気に話しかけてくるので、僕は調子に乗って正規料金の倍を払ってしまった。チケットに堂々と値段が書いてあるのにぼったくるのだから、さすがだとしか言いようがない。インドはネタに困らないだけでなく、ちゃんとオチまで付けてくれる。
僕は旅の初日で旅費の一割もぼったくられたというのに、不思議と抗議に行く気も起こらず、今夜の取材に備えてひと眠りした。
そしてこの先僕は、自分の人生すらぼったくられた少女たちと出会うことになる。
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