第3話 災いは災いを呼ぶ

 



 僕の根城は『笑路荘わろうじそう』二階203号室。

 六畳一間の風呂なしトイレ共用キッチン完備。

 築年数60年越えで家賃は諸々含め2万5000円。

 至る所にガタがきて隣人たちも頭のネジが外れていて。

 毎日昼夜関係なしにどこかで何かしらの事件が起こる。

 モンスターハウスよろしくのおんぼろアパートである。


 といった具合に、未知との遭遇に対して僕の防衛本能は、何の脈絡もない事柄について、どこの誰とも知らぬ相手に懇切丁寧説明するという、強引に思考をシャットアウトし切り替えるという対処法を選択したようであった。


「──先刻から何をぶつぶつと言っているのだ。気色悪い。こんな危険極まりない男とひとつ屋根の下で生活している私の身が心配だ」


「やかましいは‼ 隣人の家に勝手に乗り込んでおいて、あまつさえとんでもないモノを持ち込んでくれましたねぇ‼」


 ひとつ屋根の下って、あんたの部屋は一つ隣でしょうが。


「淑女をモノ呼ばわりとは感心しないな。実に偉そうな物言いだが、ヒイラギは一体いつからそんなに偉くなったんだ?」


「別に偉そうだなんて、そんなつもりはありませんよ。言葉の綾ってやつですよ、言葉の綾」


 黒さんは僕の返答が気に入らなかったようで、一気に興味を失ったように、普段の澄まし顔に戻った。この人の気分の波は、日経平均株価並みに安定しないのである。

 現在眠っている鳥飼さんの枕元で正座しているこの女性の名を、黒さんという。

 もちろん黒さんというのは名前ではないのだが、正確な名前を、僕を含め笑路荘の住人誰一人として知らないため、通り名という形で『黒さん』と呼ばれている。

 前に一度だけ興味本位で黒さんに本当の名前を聞いたことがあるけれど、名前はまだないだとかなんとか、まともに取り合ってもらえなかった。

 黒さんに関して謎なことは数多く、出回っている情報は皆無に近い。

 せいぜい僕が知っていることは、鳥飼さんの最終進化系であると噂されるほどの美女であること(源流は僕である)、笑路荘の最古参であること、外国人が好きそうな変な柄Tシャツを好んで着ていることぐらいである。ちなみに今日は、胸元に『甲』背中に『乙』という漢字を、見たことのないような奇妙なフォントでプリントされた、黒さん一番のお気に入りの通称『甲乙Tシャツ』を装備していた。


「ところで、どうして僕の布団で鳥飼さんが眠っているのか、詳しく説明してもらってもよろしいでしょうか?」


「詳しく説明も何も、商店街に落ちていたから拾ってきただけだ。特に理由はない」


「一般的に人が道端に倒れていたら、連れて行く先は僕の部屋ではなく、交番か病院って相場が決まっているんですけどねぇ‼ どうしていつも持って帰って来てしまうんですか⁉」


「知らん。お前の短い物差しで一般論を語るな価値観を押し付けるな」


「黒さんに比べたら僕の物差しは短いかもしれませんがね。少なくとも、あなたほどぶっ飛んではいない自信はありますよ、僕には」


 黒さんのは今に始まったことではない。

 週に何度か僕の部屋に不法侵入しては、どこで拾ったのかわからないゴミをお裾分けという名の不法投棄をして帰ってしまうのだ。隣人からの嫌がらせである。

 しかし、たまにネットオークションにて高値で取引されるような代物を置いて帰ってくれるので、僕も寛大な心で大目に見ていた──その矢先に今回の事態である。


「今更もといた場所に運ぶのも意味が分かりませんし、持って帰って来てしまったものは仕方ありません。それに──」


今の鳥飼さん姿では。 

半透明の鳥飼さんの姿では。


「──人の目には映らないんですよね?」


 黒さんは素っ気なく頷いて見せた。

 昼から夕方にかけての商店街は人通りがとにかく多い。

 そんな商店街で、いたいけな美少女が倒れているにもかかわらず、お人好しの通行人たちが放っておくはずがない。

 しかし実際問題、鳥飼さんは。

 通行人の誰一人も助けなかった。

 黒さんに拾われるまで助けられなかった。

 その理由は単純明快。黒さんを除いた商店街を通過した通行人の全員が、からに他ならない。そう考えれば、鳥飼さんは黒さんに拾われて──助けられて、僕の部屋に運び込まれたのは不幸中の幸いだったのだろう。なんたって、僕や黒さんといった──あちら側のモノ以外の目には、半透明になってしまった鳥飼さんの姿は写らないのだから。


「こういうモノはだろ? 私はでな。こういう面倒くさいことは専門外だ。これも何かの縁だろう。どうにかしてやれ」


「専門って言えるほどの経験はありませんけれど……」


「そうか。ならもう知らん。落ちてた商店街にもう一度置いてきたらいい。この子娘一人どうなろうが私には関係ない。ああ、哀れな小娘よ。もし恨むなら、私ではなくそこの間抜け面を恨むんだぞ。ワ・タ・シ・で・な・く‼」


「べ、別にやらないとは言ってませんよ。ただ経験が浅くて自信がないってだけで、もちろんやりますよ。やらせていただきますよ」


「当然だ。私の頼みを断ろうだなんて百年早い」


 黒さん的にあれで頼み文句だったらしい。

 誰か黒さんに、モノの頼み方というものを一から教えてやってくれ。

 

「はいはいそうですね。とりあえず既存のモノから該当するモノを探してみますが、たぶんコイツ名無ななしだと思いますよ」


 僕は六畳間の床面積約半数以上を占有している書籍の数々を掘り起こし、掘り起こし、そして掘り起こすことによって、ようやく一冊の古本を見つけ出す。

 汚れた表紙にタイトルはなく、今にも朽ち果ててしまいそうな分厚い古本。

 僕はこの古本を、愛称を込めて勝手に『』と呼んでいる。

 薄く被っている埃をそっと手で払ってやる。

 コイツを受け取った時……・いや、押し付けられた時から僕の人生図は狂った。

 人の弱みに付け込んで面倒な役目とこの分厚い本を僕に押し付けた張本人は、今頃どこで何をやっているのだろうか──考えただけで腹が立つ。

 掘り出しモノの『モダンちゃん』を眠っている鳥飼さんにを近づけてささっと確認させてみたが、やはり該当するモノはいないらしかった。


「やっぱり名無が憑いているみたいです。それならそれで対処しないといけないんですが、鳥飼さんが目を覚まさないうちはどうしようもないですね」


「この小娘ならすでに起きてるぞ?」


「ほへ?」


 僕は思わず間抜けな声をあげてしまう。

 黒さんと僕の視線が鳥飼さんを交差すると、鳥飼さんは居た堪れなくなったようにもぞもぞと動き出し、借りてきた猫のようにちょこんと布団の上で正座した。

 散らかった六畳間に未だかつて経験したことがないほどの沈黙が訪れる。


 我関せずの黒さん。

 顔を伏せた鳥飼さん。

 僕が動く他なかった。


「えっと、こんばんは鳥飼さん」


「……」


「よ、ようこそ我が家に」


「……」


「おーい、鳥飼さん。起きてますか?」


「……」


 僕の声掛けは鳥飼さんの耳には届かないようで、だんまり俯いたまま。

 黒さんに助け舟を求める目線を送ってもガン無視である。

 いやはやどうしたものかと考えあぐねていると、ようやく鳥飼さんから動きが。


「宗教勧誘はお断りします。その怪しい経典、何があっても買いませんから」

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