第6話 百雷
「不意打ちとは卑怯じゃねぇかクソガキがっ……!」
「オイ……顎割れてないか……?」
直前の衝撃音は、蒼斗の強烈な一撃によるものだった。
顎に直撃し、完全に意識を失っている。
ぽっかり空いたままの口は、大量の血を吐き出していた。
口内に溜まった血は溢れ続け、もはや外観からでは、どこから出血しているのか把握できない。
蒼斗は残る二人を、怒りを露わにして睨み付けるも、冷静さが欠如していたわけではない。
この状況下で、自身の暴力行為についての違法性を排除しようと考えていた。
正当防衛は他人を防衛する場合にも認められること。
集団暴行による不正な生命権の侵害。
これを阻止するための防衛の意思。
警察を呼んでも間に合わない窮迫的状況。
刺青の男二人が蒼斗に迫る。
「こいつ一人だろ?お前いけよ」
「おう、こいつしばいてから帰ろうか。さっきは女だったからなぁ、あんまり乗り気になれんかったけど、男なら容赦せんとくわ。なんか男前なのも腹立つなぁ」
「お前さっき手抜いとったん?ちゃんとやれや。このガキの顔へこませたらもう一回女の方も本気で殴れ」
「は?俺は男しか本気で殴らんて。紳士だからなぁ」
先程まで行われていた刺青集団によるリンチ後の、この狂った会話に堪えられなくなった蒼斗は、思わず口を開いた。
「意味が分からない……どうしてそんなに残虐なことができるんだ……?やってることが最低だと思わないのか……?ほんと気持ち悪いよアンタら。存在すること自体が気持ち悪い。まごうことなき人外だよ」
言いたいことが山ほどあった蒼斗だが、これ以上の罵詈雑言は控え、冷静さを取り戻すと、男らへの説得を試みる。
「これ以上暴行を続ければ、殺人犯になりますよ。さらに重い罪に問われます、もうこの辺りにしときましょう。もう誰も殴る必要ないじゃないですか?」
この発言が、男らの神経を逆撫でする。
「さっきからマジでイラつくわお前。今さら土下座しようが血祭になるで。」
もはや説得不可能な状況に、蒼斗は身構えた。
先程の冬美香の構えとは打って変わった、蒼斗のムエタイ構えを前に、男らの間で緊張が走る。
一片の隙を感じさせないフォームは、まさに玄人のそれである。
「ハッタリだ……お前なら余裕でやれるって」
「だよな……」
先程まで複数人で集って暴力を振るっていた男らが、一対一で喧嘩を始めようとしている。なぜなら、残った二人のうち一人、最も容赦なく無抵抗になった冬美香を殴る蹴るなどしていた男は、蒼斗に殴られ顎が砕けてしまった仲間を目の当たりにした時から、とうに威勢を失っていたからだ。
「今から顔歪むで」
そう言うと、もう一人の男が右腕の大振りストレートを蒼斗に放つ。
冬美香に振り下ろした拳の三倍に相当する速さで飛んできた。
蒼斗は、右肩を斜め内側に傾けながらストレートを避け、男の伸びきった右腕をかいくぐると、強烈な左フックを男のあばら骨に直撃させ、男はその場でしゃがみ込んだ。
「ひっ、ひっ、息が……息ができねぇ、息が痛ぇ、絶対……あばら折れてるよぉ……帰りてぇ」
へちゃけた表情で涙を流す。
顔が歪んだのは、この男の方であった。
蒼斗はすぐさま、残る一人の男に迫る。
「ひぃっ……見ろ、見ろよこれ!」
男は折り畳み式のナイフを右手に掲げた。
「ナイフなんだよぉ!」
そう叫ぶと、迫りくる蒼斗に勢いよくナイフを振り下ろす。
この瞬間、蒼斗は、男の背後で血を流して倒れていた人物が冬美香であったことに気がついた。
同時に蒼斗は、目にも留まらぬ速さで両腕を突き出し、ナイフを持ち振り下ろされた男の右手首の筋を、左手の裏拳で殴ってナイフを弾き、瞬時にその左手で男の右腕を掴む。
一方、右手で男の顎から左頬を抑えると、男の右腕を左手で引っ張りながら、右手で男の顔を勢いよく傾け、投げ飛ばすように駅左窓の凹凸に男の頭を叩きつけた。
額から血しぶきを上げ、ふらついて地面に倒れ込んだところに、ローキックを加えた。
冬美香は、その場で一人立ち尽くす蒼斗を、驚いた表情で呆然と眺めていた。
そんな冬美香に、蒼斗がすぐさま駆け寄り、しゃがみ込んだ。まるで迷子になっていた子をようやく発見したかのような表情である。
「あぁ……大丈夫!?すぐ救急車呼ぶから!早く止血を__」
冬美香は、死の恐怖から解き放たれ、祝福が降り注ぐかの如く、強烈な安心感に包み込まれた。
徐々にしわくちゃの表情になり、涙を抑えきれなくなると、体中の痛みを忘れ、蒼斗に抱きついた。
「うぅ……恐かったぁ……恐かったよぉ……」
異性に正面から抱きつかれた蒼斗は、一瞬ドキッと恥ずかしくなるも、すぐさま冬美香を、包み込むように抱きしめ返す。
「もう大丈夫、冬美香は頑張ったね。」
それからというものの、救急車と警察が来るまで、蒼斗が冬美香を抱え込んでいた。
「あぁ……痛い……」
冬美香は、苦しい表情で時折涙をこぼす。
ほぼ全身を強打しているため、既に動けなくなっていた。体の何ヶ所からは出血が見られ、特にひどい部分を千切った布で止血している。
そんな中、冬美香が小さく口を開いた。
「ずっと……誰にも伝えて無かったんだけど……」
「うん」
「私ね……多重人格なの」
「……なるほど……でしょうね」
「え?」
「え?」
外から響いてくるサイレンの音と共に、二人は、得も言われぬ空気に包み込まれた。
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