第1話 はじめまして、多重人格大学生です

「横、座っていいですか?他に席空いてなくて……」

出席カード受付の締切時間寸前に、汗を流した男が冬美香に話しける。


「全然、大丈夫ですよ」

笑みを溢してみせる彼女もまた、汗を流している。


「いやぁ…なんとか間に合ったなぁ……」

「私もギリギリでした…多分、寝るのが遅かったんだと思います」


お互い赤の他人同士であったからか、静寂が訪れると同時に、微妙に気まずい空気に包まれ、つかさず男は会話を試みる。


「何年生ですか?」

「私、二年です」

「あ、同級生だね」

「俺は水戸間蒼斗みとまあおと、よろしく」

爽やかな笑顔で自己紹介をする。

「私は碧器冬美香たまきふみかっていいます、こちらこそ…よろしく」

人見知りの彼女は少し照れながら、ぎこちない笑顔で返事する。


そして、一限目のチャイムが鳴り響いた。


【一限目:刑法総論】

「去年の刑法各論で言ったこと、忘れてる人も多いと思うので、まずは事例Xを検討する前に、正当防衛における違法性阻却事由の要件から確認しましょう。まず、窮迫不正の侵害が__」


蒔本まきもと教授が、正当防衛の成立条件を一から話始めた。彼女はここ、都紅島つくしま大学法学部の助教授である。法学部の教員にしては比較的に若く、その外見や人当たりの良さから、学生たちに大人気なのである。


(なるほど、やむを得ず繰り出したパンチ一発が正当防衛だとして、これに疼くまって動けなくなった相手にとどめの一撃的なことをした場合は過剰防衛になると……なぜなら抵抗できない相手へ追撃には窮迫性が否定されるから……)


蒼斗は講義内容を理解しているのだろう、頭の中で自分なりに事例を整理している。


(うんうん、なるほど…?)


冬美香の方は理解しているのか少し怪しい。


【二限目 税法】

「冬美香も税法取ってたんだね」

「本当は取りたくなかったんだけど、主専攻科目だから……」


この講義を担当する神田かんだ教授の採点基準は厳しく、それなりに学習しなければ単位取得が困難であると噂の教授である。


「__所得区分として何種類にも分類されている理由については応能負担原則から導き出せますよね?まず担税力には質的側面の__」


講義進行のペースが早く、蒼斗はノートを取ることで精一杯だ。


「五分休憩取りますねー」


神田教授は引きつった顔でそう告げると、廊下を歩く生徒を突き飛ばすほどの猛スピードでトイレのある方向へと姿を消した。神田教授は重度の腰痛持ちだと聞いていたが、それは本当なのだろうかと疑問に感じながら、蒼斗と冬美香は雑談する。


「さっきの内容、論述で出題されたら覚えられる?」

「いや……どうだろ……実は超過累進課税率の計算からつまずいてて……」


そんな話をしているうちに講義は再開したが、冬美香はすっかり寝落ちしていた。


(寝ちゃったぞ……熟睡してるな…)


唾液が垂れる程に、ぐっすりと眠っている。

その油断しきった可愛らしい寝顔を、蒼斗はぼーっと眺めていた。


(講義内容は後で教えとこう……)


などと蒼斗が考えていた次の瞬間


「それじゃあ寝ている人に聞いてみましょう」


気づけば、神田教授が冬美香の目の前にいた。


(メガネ…メガネ…)


冬美香はカバンの中から取り出したメガネをかけると、

教授に質問内容を尋ねた。


「もう一度説明していただけますか?」

「この箇所です」

教授が持っていたレジュメの該当箇所を見せられると、冬美香は淡々と話し始める。


「そうですね、確かに租税法律主義の具体的原理には不確定概念の排除が挙げられます。にも関わらず不確定概念が用いられる理由として、まず一つは、明確に規定した場合には規定値の限界を狙った租税回避を実施される可能性が__」


室内がざわつき始める。


「__判例では、裁判所が合理的に内容を確定できる場合は租税法律主義の根拠である憲法第三十条や八十四条__」


遂に冬美香は、完璧な回答を教授に突き付けた。


「テキストで説明しようしたこと言われちゃいましたねー……まぁ、彼女の言うように__」


(ちょっ、あんた……)

(さっきまで寝てたでしょーがっ……!?)


蒼斗は心の内でツッコまずにはいられなかった。


そして彼は、ぽっかりと口を開けたまま動かなくなった。









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