第37話 白い肌
新学期が始まった。
クラスのみんなは日に焼けて真っ黒になっている中、詩だけは相変わらずピアノ漬けの毎日だったこともあり、日焼けとはまったく無縁だった。
だが、このクラスにはもっと日焼けとは無縁の存在——つまり和音がいる。
小さな声で、誰にいうでもなく「おはよう」と呟きながら登校してきた和音に詩がそそくさと近寄った。
「相変わらず白いよねえ。少しは肌を焼いたら?」
詩は半袖から伸びている自分の腕を、机の上で和音の腕と並べていう。人に言えるような自分ではないが、和音にだけは言えるのだ。
「詩ちゃんが、ちゃんとスキンケアしろって言ったんじゃん。だから日焼けしないように、毎日ちゃんと手入れしてんだよ? お風呂上がりはちゃんと乳液とかつけてさ」
学園祭の実行委員になってから、教室の中で詩と和音が話してるのにもみんな慣れたらしい。二人で学園祭の話をしてると思っているようだ。まさか肌のお手入れの話をしてるなどとは思ってもいるまい。
「まあそうなんだけど、音ちゃんのは白いっていうより、青白いって感じなんだよね。健康的とはちょっと真逆な感じ?」
和音が自分の左腕をさすって口を尖らせた。
「だって、僕の肌って日焼けしなくってさ。もう真っ赤になってすぐに皮がむけちゃって、ほとんど火傷みたいになるんだよね」
「まあ、だからドレスとか似合って綺麗なんだけどね」
夏休みの終わり頃、詩がピアノコンクールで着る予定のドレスが仕上がったと連絡があり、仕上がり具合を確認するため、詩は和音を誘って銀座にある手作りドレスを取り扱うドレス専門店へ電車で向かった。
詩にとっては別に珍しい光景ではないが、高級なドレスがズラッと並ぶ光景は和音にとってなかなか圧巻らしい。
「ここはね、ウェディングドレスも手縫いなの。私が結婚するときは、ここでドレスを作るつもりよ。ちゃんと覚えててね」
ドレスのひとつひとつをじっくりと見て回る和音に、出来立てのドレスを着て鏡の前で手直しをしてもらいながら、詩はカーテンの隙間から顔を覗かせて声をかけた。
「最近ね、ショッピングモールとか行っても、音になった時に着る服ばっかり目についちゃってさ。ここにあるドレスなんて、うっとりしちゃうよ。男子の服ってほんとバリエーションがないから。あっ、これ可愛い……」
和音がタタタっとマネキンが着ている淡いピンク色のウェディングドレスに駆け寄っていくのが見えた。
「それだったら、音ちゃんも似合いそうよね」
「こんなドレスなんて、着たことないからどんな感じなんだろ」
和音がドレスの裾をそっと触っている。
「それは、明日から当店のウィンドウディスプレイとして飾る予定のドレスなんですよ。そちらのお嬢様でしたら着丈とかも合いそうですし、もしよろしかったら着てみませんか?」
満面の笑顔を浮かべた店員さんが和音に近づいて声をかけた。
「音ちゃん、せっかくだから着させてもらったら?」
詩が楽しそうにそう言うと、さっき声をかけた店員さんが左の掌を上にして和音に差し出した。
どうぞ、私が試着室へエスコートさせていただきます——
そんな感じだ。
「ほら、遠慮しないで」
ちょうど着付けが終わったので、詩もカーテンを大きく開けて試着室からドレスのまま出て、和音に試着を促した。
「でも詩ちゃん、さすがに僕じゃあ……」
和音が明らかにためらっている。これを着るということになると、当然、着ている服を脱がなければならないからだろう。
「音ちゃん、このお店は大丈夫よ。お客のプライバシーには絶対に立ち入らないから、安心して。私がずっと立ち会うから」
詩の言葉に、隣にいる執事のような店員が、静かに深く頷いた。和音は意を結したように、その店員の左手に自分の右手をそっと載せ試着室へ向かったのだった。
和音が詩に背中のファスナーを下ろしてもらい、着ている服——もちろん母の好みのゴスロリ系——を脱いだとき、その執事のような店員は、詩以外の誰も気がつかないほど一瞬だけ目を見開いたが、すぐに元の穏やかな笑顔に戻り、老舗ならではの完璧な対応を見せた。
艶やかなウェディングドレスは、それこそあつらえたように和音にちょうどよいサイズだった。
「これは驚きました。このドレスはディスプレイ用ですので、ウエスト周りは極めて細めに縫ってありまして、まさかこのドレスを手直しなしで着られるお嬢様がいらっしゃるとは——」
執事のような店員——大鳥さん——が、和音をちゃんと「お嬢様」と呼んだ。
「あら、大鳥さん。ごめんなさいね、私は少し仮縫いのときよりも太ってて」
詩が大鳥さんに笑いながら言う。
「詩お嬢様は、いままさに少女から女性に変わるときです。一日一日体がお美しくなられるその準備をされているんでございますよ」
詩の皮肉にもまったく動じず、大鳥さんは穏やかに笑った。
大鳥さんの指示で髪結の方が呼ばれ、和音の髪を整えたあとレプリカではあるがイギリス王女が使ったものと同じ形のティアラを頭に載せた。
「音さまでしたね。大変お美しうございますよ。いかがですか」
再び大鳥さんが和音をエスコートして大鏡の前へ立たせた。
和音の透き通るような白い肌がライトに照らされて、キラキラと輝いていて、羨ましいと詩は思った。
最後にスタジオで二人並んで写真を撮った。
「さすが、とても仲の良いお友達同士ですね。とてもいい写真が撮れました。これはお店に飾らせていただいてよろしいですか?」
大鳥さんがそう言った。
「もちろんです。ぜひお願いします」
詩はそう返事をする。そして、
「あっ、私たち友達ではなく、婚約してるんです」
詩がそういうと、
「それはおめでとうございます。では、ご結婚の際は、お二人とも当店でウェディングドレスはいかがでしょう」
大鳥さん、なかなかのセールス上手だな。
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