第28話 おやつの時間

 石上の高校が勝ち上がったその日、和音が家に帰ると母が夕飯の準備をしていて、何を作っているのかすぐにわかって、ハッとした。


 あっ、今日はカレーでいい?


 もしかして、あれはやっぱり——

 僕に気がついていたんだろうか。目の周りはまつ毛を含めてちょっとメイクをしていた。それだけで日頃の僕とはかなり印象は変わっていたはず。

 和音が母の背中をじっと見てみるが、特に何の反応もなかった。

「ん? どしたの?」

 和音の視線に気がついたのか、母が振り向いた。いつもと変わらない優しい母の顔だ。もし気がついていたのなら、何か言いそうなものだけど。

「ううん、別に、何でもないよ。カレー、いい匂い」

 無理やり話を持ってゆく必要もない。

「そう? ありがと。もうすぐできるからね」

「うん。手を洗ってくる」

 やっぱり気がついたわけじゃない。僕が好きだから、きっと偶然だ。


「最近、よく外に出掛けるようになったじゃない。友達でもできたの?」

 ご飯を食べながら母が和音に話しかけた。父はテレビのニュースをじっと見ていた。

「そう。今日は友達がバスケの試合に出るから応援に行ってたんだ」

 和音は今日の石上の試合のため県立の体育館へ行ったこと、最後の最後にその石上君の活躍で逆転で勝ったことを少し興奮しながら母に話をした。

 和音が夢中で話している間、母は嬉しそうに聞いている。

「へえ、いつの間にか別の高校にもお友達ができたのね。もしかして、夢ランドはその人も一緒だったの?」

「うん、そうだよ。ええっとね、夢ランドに招待してくれた友達の、地元の友達なんだ。バスケやってるから、すっごい背が高くて見上げちゃうくらい」

「じゃあ、モテるんだろうね。そんな大きな子、お母さんも見てみたいわあ」

 母は手を高く差し上げながら、上を見上げた。

「モテるかどうかは知らないけど、すっごく優しくて——かっこいいかな」

 二人で「恋人シート」に座ったことは、もちろん言わなかったけど。


 ちょうどそこへ、玄関のインターフォンが鳴った。

「わお。ほんとだあ」

 玄関へ行った母が大声で言った。

「和音、来たよ。おっきなお友達」

 あわてて和音が玄関へ行くと、石上が立っていて、和音の顔を見ると「よっ」と右手を上げた。

「今日は応援ありがとな。おかげで力が沸いたよ。これ、お礼な」

 石上がこの辺りで少し有名なケーキ屋の箱を差し出した。

「僕も面白い試合を見て、すっごい楽しかった。でも、ここがよくわかったね」

「詩子に聞いたんだよ。あいつのとこにもケーキを届けたし」

 あっ、なるほど。

「ええっと、石上君だったっけ? 上がっていきなさいよ」

 その横から、母が石上に上がっていくように言うと、「そうすか?」とまったく遠慮せずに靴を脱ぎ始めた。


 石上は食卓に座っている父を認め、ぺこりと頭を下げ「今晩は。石上です」とちゃんと挨拶をした。さすが体育会系だ。

「おお、和音が言った通りだ。でかいな。何センチだ?」

 父もそのサイズに驚いたようだ。

「今、186ぐらいです」

「えっ、また大きくなったの?」

 先月は確か184センチって言ってなかったっけ。

「なんかな、毎日背が伸びてるじゃないかと思う」

 石上はニヤリと笑った。

「ほらほら、そこへ座って」そこへ特盛りのカレーを持って母がキッチンから出てきた。「はい、とりあえずおやつ。どうせ、ご飯は帰ってからまた食べるんでしょ?」

「うわ、マジっすか。すげえ腹が減ってたんです」

 どうぞ。和音がそう言う前に、石上君は両手を目の前で合わせたかと思うと、スプーンを手にして、豪快にカレーをかきこんで行く。

 上杉家では絶対に見られない石上の食べっぷりを、和音たちは呆気に取られてみていた。

 石上は特盛のカレーをペロリと平らげると、コップの水をググーっと一気に飲み干し、

「ああ、うまかったです。さっきまで腹が空きすぎてて、これでうちで晩飯が食えそうになりました」

と、訳のわからないことをいい、全員が爆笑したのだった。

「ああ、そうだ。音ち——和音は学園祭で歌うんだって?」

 あっ、ばか。それは言っちゃいけないよ。内緒なのに!

 和音が必死に顔の仕草でそれを言うなとシグナルを送ったが石上は気がつかない。

「えっ、ほんと?」

 和音がその話題を止める前に、すかさず母が反応した。

「そうなんです。詩子っていう女と一緒にステージで歌う—— いてっ」

 和音がテーブルの下で石上の足を蹴った。そして、もう一度目で「黙って」と合図を送ったが、石上という男は案外鈍いことを和音はこの日知った。

「えええっ、女とって、もしかして和音、彼女いるの?」

 母の食いつき方は尋常ではない。

「ち、違うよ。同じクラスの西園寺さんって子が、自分がピアノを弾くから歌ってって頼まれたから、仕方なく……」

 曖昧に誤魔化す。

「じゃあ、やっぱり歌うんだね。お母さんも聴きに行こうっと。ねえ、学園祭はいつ? お仕事休まなきゃ」

 立ち上がってカレンダーの前で母は赤いマジックのキャップを取った。

「まだまだまだまだ、ずっとずっと先だよ。それにまだ歌うって決まってないからさ」

「確か詩子は11月の初——」

 今度は思いっきり石上の足を踏んづけた。

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