第26話 聖華の彼女?
結局、和音が杞憂したとおりのことが、多数決で決まってしまった。細かいことは夏休み明けから始めるということだが、とりあえずクラスの男子全員がメイドのコスプレをすることだけは決定事項となった。
「今度の火曜日、空いてるか?」
石上君から連絡が入ったのは、夏休みに入ってすぐのことだった。
「うん。大丈夫だよ」
和音がテレビを見ながら返事を入れる。
「県大会があるんだけど、ベンチに入れることになったから暇だったら応援にこいよ」
「りょ♡」
というわけで火曜日、和音は高校総体予選に出場する石上君を応援するため、県立総合体育館へ向かうことになった。
詩はピアノの特訓中のため、行くのは和音ひとりなので普段着でも別に構わないのだが、せっかくバスケットボールの応援なら声を出したい。しかも、高校生の大会で一番目立たない服、まあつまり聖華学園の女子制服を着用して行こうとショッピングモールへ先に立ち寄った。
ロッカーからバッグを出して、男子用トイレへ向かう。ショッピングモールのトイレは数が多く、しかも平日なので、着替えの間に使っても急かされることは少ない。それでもできるだけ手早く着替えを済ませ、ほんのちょっと目元にオシャレを入れた。
タイミングを見て、ササっとボックスから出る。男子トイレは盲点があって、みんな前も向いて立っているので、その後ろを風の如く通り過ぎれば案外気がつかれないのだ。たまに入り口付近で男性とすれ違うが、「間違えちゃった」と独り言を言いながら出ていくと、それ以上咎められたことは今までなかった。
せっかく応援に行くんだから、差し入れを買って行こうと思い、和音は食料品売り場へ向かった。
たぶん飲み物はしっかり用意してると思われるので、疲れている時は甘い物。チョコレートなどのお菓子を何個かと消化のいいバナナを購入しようと果物売り場へ回った瞬間、バッタリと母の冴子がちょうど果物売り場の前に立っていたのだ。
気配がしたのだろう、母が顔を上げたので一瞬目が合ってしまった。
やばっ。そういえば買い物に行ってくると家を先に出てたんだ。逃げるか?
動揺を抑え脳内でコンマ数秒、いろんなことをシミュレーションした和音は、黙ってすれ違うという選択に出た。今慌てて踵を返すなど、もう私は怪しいですと宣言するようなものだと思ったのだ。
目を合わさないように素知らぬ顔をして、和音がバナナに手を伸ばすと、母はすれ違うように野菜売り場の方へ向かいかけた。
よかった——
和音は胸をなでおろし、母に背中を向けた。
「あっ、今日はカレーでいい?」
背中から母の声。
「うん」
つい、つられて返事をしてしまったのだ。
しまった! ハッとして母を振り向くと、もう背中を向けて奥へカートを押して行き、二度と振り向くことはなかった。
じゃあ、さっきのはお母さんの声じゃなかった? 空耳だったのかも。
もう母に合わないように、通路を選びながら買い込んだ物を持って急いでレジへ向かい、和音はショッピングモールを後にした。
電車に乗る。体育館へは一駅なので、座らずに出入り口付近に立っていると、通勤ラッシュも過ぎたスカスカの車内にもかかわらず、中年男性がやけに和音の近くに寄って立った。
和音が一歩離れると、電車が揺れるのを利用するみたいに、さりげなく男性も近くに寄ってくる。
——女の子には普通だよ
前に詩が言ってたことを思い出した。
もう、前にみたいに怯えないぞと強く思ったが、体が勝手に強張ってしまう。
どうしよう。
そのうち男性の持っていた鞄が太ももに妙にわざとらしく当たった。
電車がスッと体育館前のホームへ滑り込んで、扉が開いた。和音は振り払うように電車から飛び出して逃げたのだった。
あー、朝から気分悪い——
気を取り直し、体育館へ入る。すでに試合前の練習に入っている。
(えっと、修徳工業は……)
館内を見渡して、石上君の姿を探す。石上君は背が高いので、普通はどんな人混みでもすぐにわかるのだが、ここには石上君並みの人がたくさんいて探すのに苦労をしたが、修徳工業のベンチでコートを着て座っているのを見つけ、観客席を裏から回って修徳のベンチのすぐ後ろにたどり着いた。
「石上君!」
スタンドの一番前に立って、座っている石上君に向かって叫ぶと、石上君は声が聞こえたのだろう、立ち上がって後ろを向いた。
和音が手を振る。石上君がニカっと笑った。
「これ、差し入れ」
手にした買い物袋を両手で差し出すと、石上君の後ろからダダダっと数人の男子が和音のところへ走ってきて、「ありがとう」と言いながら受け取った。
「あの、それ石上君に——」
「大丈夫。あいつには渡しておくから。で、君はその制服は聖華? もしかして石上の彼女なの?」
「え、ああ。まあ友達ですけど……」
「そっかあ。友達ね。じゃあ、俺と付き合わない?」
「いや、俺はどう?」
数人に言い寄られる。
はっ?
「いえいえ、彼氏は一人で十分です」
仕方がないので嘘をつく。
「あっ、そう」
その人たちはあからさまにがっかりと項垂れながら、石上君に差し入れをポンと放り投げ、ついでに変わるがわる頭を叩いて行ったのだった。
ごめん——
石上君が両手を合わせて謝った。
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