第23話 サングラスの向こう

 和音を送り出して、詩は自分も着替えた。春と夏の境目は何を着るか迷うところだったが、日頃はあまり着ないジーンズとのセットアップを選んだ。できるだけ色は抑えて去年ニューヨークで買った日本ではまだ無名なレアなキャップを目深に被る。

 仕上げは大きなマスクとサングラス。サングラスは大好きなグッチにするか迷ったが、飾りがゴージャスすぎるので、キュートなジルスチュアートをチョイスした。

 少し地味かなと本人は思っているが、一般的に見たらかなり目立つ装いである。ただ行き先がレジャーランドなのでまあ許される範囲かもしれない。

 和音が出てから5分ほどだ。たぶん二人はまだ駅にいるはずと踏んでいたので慌てることもないだろう。


 案の定、駅の改札近くで何か話している。少し離れてふたりが改札を通過するのを確認してから跡をつけるように自分も入場し、ホームの一番前に立っている二人の後ろを通って、電車一両分ずらして柱の影に隠れる。

 隣の車両からも二人の姿はかろうじて見えるが、降りる駅は決まっているので無理はしないことにして、たまに覗くといやに楽しそうに話している。

 できればもう少し離れて座ってくださいな。

 詩がそんなことを思っている間に、電車は目的地へ着いた。


 まだ出会ったばかりのふたり。お互いの距離を少し開けて関係者ゲートへ向かっていた。その20メートルほど後ろを詩がさり気なく跡を追う。

 さあて、ゲートはどうする? お互いにどうせそんな勇気ないでしょ?

 詩は自分の仕掛けた嘘を思い出し、クスッと笑いながら二人がどうするか見ていたが、予想外のことが起きてポカンと口を開けた。

 ゲート前で立ち止まって何か話していたふたりは、照れながらもしっかりと指を絡ませたのだ。

 えーっ、嘘!

 自分の嘘など絶対信じないかもと予想していた詩の期待ははるか斜め上に裏切られ、ゲートを過ぎてもしっかりと恋人つなぎのまま通過して行った。

 慌てて跡を追ってゲートをスルーしようとすると、両手を広げた係員に止められた。手を繋いだ二人の後ろ姿が人混みに紛れそうだ。

「早く通して!」

 マスクを下にずらしサングラスを外すと、その顔を認識した昔馴染みの係員が「失礼しました。お嬢様とは知らずに——」とやけにゆっくり言いながら頭を下げた。

「いいから、早くゲートを開けてください!」

 焦る詩にせかされて、やっとゲートが開いて中へ飛び込んだ。

 二人の姿がもう見えなくなっていた。歩きなのでそれほど遠くにいるとは思えないが、どうやら人混みに紛れてしまっているらしい。

 詩は人の隙間をかき分けるように走り出した。ふたりがゲートを通過して迷わず向かった方向から、ビッグエアーマウンテンとあたりをつけた。

 だが、詩がついた時には二人の姿はまだなかった。

 あれ? じゃあ、ほかのアトラクションに——

 思案しながら詩が後ろを振り返ると、あろうことかすぐ後ろにふたりが立っていた。いつの間にか追い越してしまっていたらしい。


 やばい!

 詩は慌てて俯いたが、二人はどうやら詩に全く気づいていない様子で、和音のスマホをふたりで覗き込んで話し合っている。どうやら入場ゲートを確認していたらしい。しかも、歯痒いことに、まだ手は繋がれたままだった。

 いい加減に離しなさいよ! と怒りに任せ、ふたりがまだスマホを見ている間に、さっさと超速ゲートを通過して影に隠れて係を呼び、今から入るふたりを先頭の「恋人シート」へ乗せるように依頼をして、自分はその後ろに座って帽子をさらに深く被った。


 それからは、詩にとっては地獄のような時間だった。

 恋人シートのふたりは隙間もないくらいピッタリと寄り添って、上下左右に揺れ動くゴンドラから和音の嬌声が何度も響いたかと思うと、その度に石上の太い上腕にしっかりとしがみついている。そして、たまにありえないほど接近する二人の顔は、ややもするとそのままキスしてしまいそうだ。

 何よ、さんちゃんもデレデレにやけちゃってさ。

 とても出会ったばかりとは思えないほどの仲のよさを見せつけられた感じ。どこからどう見ても、やっぱり親密な恋人同士にしか見えないのだ。

 そっか。きっとあの日恋に落ちたのはお互いにだったんだね。姿だけじゃなくて、きっと音ちゃんは本当に心も女の子なんだ——

 現実を受け止めて、どうやら詩もとうとう観念せざるを得ないようだ。


 詩は、それ以上二人を追いかけるのはやめ、場内レストランの裏口から西園寺専用ルームのソファで寝転がった。

 私、何をやってるんだろ。

 どっちの性を好きかなんて、理屈じゃない。和音という子が本当に男性を好きだというなら、もう自分に振り向くことはありえない。

 自分があの日、和音に感じた「運命の人」は、ただの勘違いか……


 ガチャっと扉が開く音で目が覚め、詩は慌ててソファーの陰に隠れた。

 和音が部屋を素通りしてトイレに入って、しばらくして出てきた。そして壁に備え付けている鏡の前に立ち止まると、和音は鏡の自分に向かって真剣な顔で「楽しい?」と言う。そして、小さく頷いた。そして、斜めにかけたエルメスのバッグからリップを取り出して綺麗なピンクの唇にあらためて塗り直した。

 そっか。彼も彼で、同性との恋に悩んでるのかもしれない。


 もう一度、詩は和音の後をつけた。彼の恋を見届けようと思ったからだ。

 レストランで再び石上と落ち合った和音は、次のアトラクションに向かい、超速ゲートではなく、建物の外まで続く一般の入場者の列の最後尾についた。

 ここから2時間待ち——

 プラカードを持った係員。

 もしかして並ぶの? なんで?

 わけがわからないまま、詩もさりげなく後ろについたのだった。

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