第5話 ゲーム主人公への嫌がらせを中止しますの その5

 暫く夜道を走らせると、長閑な学園の奥にある古びた倉庫が見えてくる。旧校舎を転用したものだが、ほとんど使われることはないし、人が立ち入ることもない場所だ。ツタが壁を覆っていて、表面がひび割れているとはいえ、基本頑丈なレンガ造りのはずなのだが、明らかに端の部屋だけ壁が崩れ落ちていた。馬車も危険を察知してか、かなり手前で止まってしまう。


「遅かったか……」


 執事が呟いた。私はすぐさま馬車を飛び出し、現場に駆けだしていく。


「お嬢様、お戻りください」


 執事の叫び声は華麗にスルーした。


「貴方達、計画は中止です。今すぐここを去りなさい。手を止めて」


 怪我をしている傭兵と思われる二人組に必死で呼びかける。予定よりは人数が少ない。


(ということは、セバスティアンの中止の知らせは届いていたんだわ。この人達が無視をしていただけで)


 少しだけほっとしながら、なおも呼びかけ続ける。が、男達は私を睨んできた。


「ああ? 貴族のお嬢様だか何だか知らねえが、いきがってんじゃねえぞ、しばくぞオラ」


 片方が見下ろしながら、肩をいからせて歩いてくる。自分より頭二つ分くらい背が高くて、しかもボディビルダーみたいな体型をしている。スキンヘッドに傷跡がついているからか、めちゃくちゃ怖い。映画の悪役みたいな風貌だ。心の中で世界観に合ってないと突っ込みを入れるかしないと、メンタルが保たないくらい。


「私は雇い主よ。報償はきちんと渡すと言っているわ。とにかく、今すぐ撤退しなさい」


 声が震えてしまっている。舐められてはダメよマルガレーテ。と自分を鼓舞するが、震えは止まらない。


 すると、耳をつんざくような銃声がとどろき、その瞬間肉片が宙を舞った。思わず目を瞑る。


(銃って、こんなにもうるさいものなの? 鼓膜破れるんじゃないかと思った。音だけで人を殺せるんじゃないかしら)


 暫く経ってから目を開けると、スキンヘッドの足から血がだらだらと流れていた。


「兄貴」


 もう一人の男がかけ寄ってきて、倒れる体を受け止めた。


「ここは引きましょうや」

「ったく、仕方ねえ……」


 男達はその場を離れていく。崩れた壁の向こうには二人の人影。背の高い、屈強な体つきの女性・ヨハナと小柄な少年・ルッツだ。


「ごめんなさい。貴方達を襲うつもりは無かった……と言えば嘘になってしまうけれど、自分が間違ったことをしていることに気づいたの」


 銃声がとどろく、足元に敷き詰めされている石畳がえぐれた。これが当たっていたら、と思うと心臓が止まりそうになる。


「これ以上近づくな。一歩でも来たら……蜂の巣にしてやる」


 銃を構えて息巻いているのは少年の方。


(で、出た~狂犬ルッツ)


 彼は主人公より三歳年下で、同郷の幼なじみ。ずっと行動を共にしてきた仲間だ。二丁拳銃の使い手で、その腕前は主人公を凌ぐほど。しかも裏社会のボスの戦略によって幼い頃から毒を飲まされ続けたおかげで毒への耐性を持っている、という設定だった。


(確かゲームでは、その体質を生かして主人公の分まで睡眠薬を飲んだのよね。そこが健気で可愛いところなんだけど……)


 攻略対象としての彼は献身的なワンコ系で、初めから主人公に対して好感度MAXなところが特徴。しかしその分ヤンデレ気味なところが扱いにくく、バッドエンドルートでは、主人公が自分にふり向いてくれないのを嘆くあまり、文字通りほぼ「皆殺し」してしまう。つまり、プレイヤーにとっては、頼りになる弟分だけどヤバい奴、という認識なのだ。


(しかも、敵役のマルガレーテからしてみれば、ただの怖い人でしかないのよね)


 一歩も動いていないのに、バンバン響く銃声。しかし、私の体には一つも当たらない。しかし、後ろで私を呼ぶ執事の声もピタリと止んだ。彼らに対する威嚇射撃だったのだ。そのうちに音もしなくなる。弾切れみたいだ。


「ちっ。手元が狂ってやがる」


 引き金を何度も引きながら舌打ちをする少年。するとヨハナが、その腕を掴んだ。


「あれだけ飲んだんだ、多少は毒の類いが回っているのだろう。私がケリをつけるさ」


 イケヴォ~と叫びたくなるような低く、妖艶さのある声は、ヨハナだ。目元に傷があり、うねりのある赤毛を無造作に束ね、制服の上着を肩に掛けてこちらへ歩いてくる。スカートの下から覗くふくらはぎはかたい筋肉で覆われており、小型の銃を片手に歩く様には凄みがあった。ゲームでは痺れたシーンだけれど、間近にすると、恐怖でしかない。私はその場にへたり込んでしまった。


 出かける前に用を足していなかったら、今頃足元はビショビショになっていただろう。などど、レディにあるまじき情景が浮かんできたりする。


「反省しています。二度としません。だから、どうか命だけは」


 レディとしてのプライドなど全て投げ捨て、頭を地面に擦りつける。いわゆる土下座。いざやってみると想像以上に屈辱的なポーズだと思い知らされたけれど、作中最強キャラと狂犬を前にしているのだから、何てことない。


(どうしよう、どうしよう。死ぬ死ぬ死ぬ、もう終わりだわ……)


 耳元でガンガン脈打つ音が聞こえる。銃口が額に押しつけられ、ヨハナの吸い込まれそうな灰色の瞳が私を撃ち抜いた。


「マルガレーテ・ミュンヒハウゼン。公爵令嬢にしてフェリクス王子の婚約者。君が首謀者だな」


(は、はい)


 返事すら声にならない。神様、お願いだから命だけは助けて。自分で招いたこととはいえ、最早いるのか居ないのか分からない神様にすがることしかできなかった。


「何故私達がこんな目に遭わなければならないのか、さっぱり分からないな。だが、大方王子に悪い虫がついたとでも思ったのだろうが」


(まあ、そんなところです)


 勿論、答えることなんてできなかった。しゃべった瞬間に、眉間を撃たれそうな気がしたから。沈黙を貫く私を追求することはしなかった。ただ、銃を持つ腕に力を込め、肩をすくめた。


「君が何者だろうと、野放しにはできない。三つ、選択肢をやろう」


 大きく息を吸い、氷河のように冷たい声が発せられる。


「串刺しにされるか」


(焼き鳥ですね、美味しそう)


「ミンチにされるか」


(ミンチ……確かチキンナゲットって、挽肉あるいは包丁で細かく叩いた肉に卵やマヨネーズ、小麦粉、片栗粉といった材料を混ぜ合わせて整形したのを揚げて作るのよね。つまり、ミンチと言えばチキンナゲット。そういえば、この世界にあるのかしら?)


 ついに私は現実逃避を始める。


「それとも……」


(ハチノスになるか、でしょう? 知ってる)


 ここまでくるともう、命すらどうでもいいや、とさえ思えてきた。どうせ一回死んでるのだから。最後の最後に生ヨハナの顔を見られて幸せだったな、推しの王子にも会えたし。できれば生魔王にも会って、ミキにも見せてあげたかったな……なんてことを考えた。だから、最後の台詞には耳を疑った。


「……あたいの手下として、従うか」

「はい、従います。一生姐御についていきます」


 体が勝手に即答する。台詞を聞き返そうものなら殺される、本能がそう告げていた。姐御は目を見開いている。


「ならば、今ここで猫耳をつけろと言ったら、つけるか」

「はいつけます。謹んでつけさせていただきます」

「そ、そうか、なら」


 ヨハナは武器をしまっているであろう鞄からおもむろに猫耳カチューシャを取り出した。灰色の、アメリカンショートヘアみたいな耳を。そして、私の頭に被せる。恐る恐る手を伸ばして触ってみると、普通にモフモフだった。


「思った通り、中々似合うじゃないか」


 彼女は、にんまりと笑う。ゲームでも滅多に見ないような、少し気味悪さのある笑顔。鼻の下を伸ばしている、というのが近いかもしれない。さっきまで銃を持っていた手で、頭を撫でてくる。恥ずかしかったけれど、抵抗はしない、できるはずない。色々な意味で。


(そ、そういえば、ゲームの公式サイトの裏設定の欄に、可愛い女の子を愛でるのが趣味って書いてあったわ。そんなところまで再現されているなんて、恐るべしゲームの世界)


「姐さん、何をしているのですか」


 ルッツが口をとがらせながらやって来る。


「見ての通り、愛でているのさ」

「仮にもボク達を殺そうとした人ですよ」

「その割にはあまりにも変り身が早かったけどねえ。まあ、良い。できれば学園内に味方を作っておきたいからね」


(そういうことだったのね……)


 なぜか今、ゲームとは違う展開になっている。これは私が計画を中止し、土下座をし、脅しても逃げなかった(逃げられなかった)ことでヨハナが考えを変えたからなのだ。おそらく殺したり敵として戦ったりするよりも、従わせて味方につけた方が得であると。公爵令嬢経由でなら学園や国の内部の情報が手に入りやすくなる。学園での立ち位置も多少はマシになるはずだ。


 たとえ王子との婚約が叶わなくとも、(できればヨハナには諦めてもらいたい)私を脅して裏から操ることだってできる。彼女ならそれくらい考えるだろう。


(まだ安心はできないけれど、ひとまず命は助かりそうね……)


「まあ、いざとなったら殺(や)りようはいくらでもありますからね」


 カチャ、と弾を込める音がする。ホッとして流れそうになっていた涙が一気に引っ込んだ。


(ルッツ~。お前物騒なこと言うんじゃない)


「何はともあれよろしく、マルガレーテ」


 手袋をはめた、ヨハナの手が差し出される。


「はい。よろしくお願いします」


 両手で握り返した。何ならブンブン振った。彼女は


「よほど命が惜しいんだね。小物が」


 と呆れながらも豪快に笑う。第一関門が突破できたことが嬉しくて、私も笑みを浮かべた。小物と評されようとどうだっていい。生きているだけでありがたいことなんだから。


 けれど、まだやることがある。私の、そして公爵家の危機を脱するためには、婚約破棄を阻止しなくてはならない。

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