あなたはちゃんと私の弟よ
「弟って……どどどういうことなんだよ。あんた」
相変わらず僕を抱きしめ続ける謎の女にやっとの思いで、そう口を開く。
弟? マジでなに言ってんだこいつ。
「あら、言った通り私はあなたの姉よ。聞こえなかった? ……ぐす」
「え……ええ?」
途端に余裕綽々な表情が子供みたいに歪む。この人僕を抱きしめたまま泣き始めたんだけどぉ……。
彼女は僕の顔を自分の胸の辺りにくるように抱きしめた。そして僕の首のあたりで、ぐすっぐすって……うわなんか首周りに涙が垂れてきたくすぐったい!
え、なに、これは僕どうすればいいの⁉︎
なんでこんな急に情緒不安定になったんだよ! もう意味わかんないよ!
「うぅ……じゅんんんんんんんんんん」
そうしている間にも、この人の僕に抱きつく力が強くなる。うわぁなんかもう号泣だよこの人。
「あ、ああもう⁉︎ なんなんだよ!」
力を振り絞り、僕はその女を自分から引き剥がす。
「なんなんだよあんた⁉︎ 僕の家族は生まれてから父さんだけなんだよ! 僕に姉ちゃんなんて生まれてこの方いない!」
無理やり引き剥がされたその自称姉は、目から涙を流したままで名残惜しそうに僕を見つめていた。口をすぼめてなんだか悲しげな視線になっているのがちょっと良心を痛める。
もうなんなんだよ……そんな目で見るなよ……。
さっきまでの凛々しさというか、胸のサイズについて荒ぶっていた時の激情からは全く違う人間がそこにはいた。
自称姉は、悲しそうに歪めていた口元と顔を一旦直して、居住まいを正す。
「いいえ。私はあなたの姉よ––––天野(あまの)純(じゅん)くん」
「……だ、だからっ!」
「あなたは知らないでしょうけれど、私たちのお母さん。あなたを産む前にも一回妊娠していたのよ」
「っ……は、はぁ?」
自称姉は目からまだ溢れている涙を手で拭きつつ、そう言った。
「まあ、確かにいきなりだもの。そうなるのも仕方ないわよね−−−−私の名前は天野(あまの)宇宙(そら)。本当ならあなたのお姉ちゃんとして、この世に生を受けるはずだったの」
自称姉は、拭ったのにも関わらず未だ涙で潤んだ目を真っ直ぐ、僕に向け言った。
「簡単な話よ。お父さんはあなたに言わなかったんでしょうけれど、私たちのお母さんはあなたを産む前にも一回妊娠していたの。でも、流産してしまった。それが私よ」
はあ?
「いや……お前、何言ってんだよ。突然人の家に忍び込んで……追いかけてきて、人の背後をとるわ頭を踏みつけるわ抱きついて泣き始めるわ……挙句の果てにはあんたが僕の姉?」
こいつは本当に何を言っているんだろう。
相当危険なやつだ。見かけだけはめちゃくちゃいいけど……はっもしかしてそういうタイプの詐欺師だったり⁉︎ い、いやいやいやそういやまだこいつが何者かなんて全然わかってないじゃん!
「––––もしかして、私のこと詐欺師とか思ってるの?」
「っひゃい⁉︎」
「あら……やっぱり図星だったのね……お姉ちゃん悲しい」
「なんでさっきからナチュラルに人の心の声を読めるんだよ!」
よよよと片手を口元にやり悲しいポーズをとる自称姉。そんなこいつは、もう一方の手で僕の口元に手をやる。
「こんな深夜にそんな大声を出すものではないわよ。ご近所迷惑でしょう?」
そうして、にっこりと花が咲くような笑顔と優しい声色で「めっ」なんて言ってきた。彼女の人差し指が僕の額にコツンと当てられる。
「でも確かに、純がそう思うのも仕方ないわよね。普段の私だったら信じざるをないように万全を期して乗り込むのにやっぱり駄目ね。あなたに会えるって思ったら、陰謀策謀根回しとか事前準備を全部ほったらかして、つい先走っちゃったわ」
何やらそんな物騒なことを蕩けるような笑顔と少し高めの声で、こいつは言った。そしてそのまま、自称姉は続ける。
「でも考えてみて。一階で私が牛乳の紙パックをラッパ飲みしていたところと、あなたを2階のここまで走って追いかけたあたりまでは確かに私をただの強盗あたりと間違えても仕方がないけれど、私が普通の人間ならどうやってこの部屋に忍びこめているかが説明つかないでしょう?」
そ、そういえば。
「そ、そうだ! どうやってこの部屋に入ってきたんだよ! 鍵は閉めてたし、ずっと僕はドアを見てたから、誰も入って……これる、わけ……」
自称姉が、にっこり笑った。
淑やかな笑みだった。まるで夏の太陽に向かって堂々と咲くひまわりのように。
––––え……、こいつもしかして。
すぐに僕は彼女の足を確認する。
「あら、私はちゃんと足があるわよ? 確かにこの世界に生きている人間とも違うけれど、幽霊とかとも違うの」
「だ、だからどうしてナチュラルに思考を読むんだよ!」
「今のは何もしなくたって分かったわ」
「やっぱなんかしてたの!」
こいつは確かに足がついていた。
でも、生きている人間とも、違う? どういうことだよ?
「あなたが生まれた時から、今までずっと見てきたのよ。だからあなたの考えそうなことなんて大抵はお見通し。何もしなくたってね」
「見ていたって……は? 生まれた時から? そんなのどこから」
すると、彼女は綺麗にすらっと伸びた人差し指で、上を指した。
「天界よ。あなたたちの世界の人間が言うところの、天国。私はお母さんの流産で本当はそのまま魂ごと消えてしまうところを、どこぞの天使様に拾ってもらったの。そのまま天界で育てられて−−−−あなたが生まれてから、ずっと、あなたを見ていた」
はい? 天界? 天使様? 何を言ってるんだこいつ?
「信じられないって顔ね。じゃあ−−−−ほら」
目の前にいたはずの彼女が一瞬で姿を消した。
「って、き、消えたっ⁉︎」
「うふふ。こっちよ純」
「って、んああああああああ!!!!」
瞬間移動。もはやそう言うことしかできない。
楽しそうな声と共に、僕は彼女に後ろから抱きしめられた
綺麗な人差し指が僕のほっぺを優しくグニグニしている。
「こんなこと、普通の人間にはできないでしょう?」
「な、ナナナなななんななななんあなな」
「あらあら、そんなに驚かれるとなんだか面白くなってくるわね。ナイスリアクションよ純。でも近所迷惑だから静かにね?」
彼女にされるままになりながら、心臓の鼓動を強く感じる。
でも不思議な安心感もまた、感じていた。
−−−−なんで、安心してるんだろう。
僕は自分で言うのもなんだけど、結構こういう脅かしには弱いタイプだ。
昔からずっと色んな人に脅かされ続けてきた。すぐパニックになって、それをみんな面白がって。普通に脅かされてもそうなんだ。今みたいに訳の分からないことが起きたら、僕のことだから失神してもおかしくないのに。
なぜか、僕は心の底から、安心している。
いや、ビビったしわけわかんないし怖いしなんならちょっと泣いちゃってるんだけど。
「いい子いい子。でも純は男の子なんだから、もうちょっと堂々としなさい。でも安心して、これから私がいる間はちゃんと鍛えてあげるから」
そのまま彼女は僕のほっぺをグニグニしていた手を頭に持ってきて、優しく撫で始める。
僕はその手に、さっきよりも濃い、言い知れぬ安心感を感じていた。
どこか心地いい温もりと安心感に、僕はつい瞼を閉じてその安寧に身を任せてしまう。
お姉……ちゃん。
そしてしばらくして、僕は目をゆっくり開けると
「––––宇宙(そら)。そろそろいいか」
「––––んぎゃあやややあああああああああああやあややややっややややややややややっやあややややややっやややややあっやややっやややっやややっっやややっやが!!!??」
真っ白の服を着てゴツいガタイをしたイケメンの金髪男の顔が、僕の目の前にあった。
「なっ……なあ、あっあつおおああああ⁉︎」
突然、なんの前触れもなく[現れた]。
三十センチくらいの目の前で手を顎に当てながら僕を観察しているゴツい金髪マッチョイケメンは、憎らしいほど落ち着いていて、まるで動物園の動物を見物しているかのような目をしている。
「それにしても物凄い動揺の仕方だな。まさか、俺たちのことについてまだ言ってなかったのか宇宙?」
しゃがんだ体勢の金髪マッチョは、僕と目を合わせたまま。
そんな状態のまま、あまりの出来事に目を白黒させながら開いた口が塞がらない僕を、しゃがんで至近距離で眺めている。そんな金髪マッチョから僕を離すように、後ろからグイッとかかった腕の力に僕はされるがままになって。
「一応言ってはあるけれど、まだ理解してはいないわ。それと純が情けなくビビっているからもうちょっとマイルドな登場の仕方をしてくれると嬉しかったわね」
「いやあすまんすまん。だがお前のことだから周到に準備して、今ごろ俺たちの存在やここにきた理由もちゃんと彼が把握してくれているものだとばかり思っていてな」
「………………少し、計画が狂ったのよ」
「ふむ。確かに、純君と会うのは君の長年の悲願だったからな。流石に俺たちの二番隊隊長でも、溢れる弟愛を抑えられなかったと言うわけか」
「何を言ってるのかしら。私が任務にそんな私情を挟んで下手を打つとでもいうの? あなたの言う通り、私は天界でも名の知れた天使兵団のNo.2よ。そんなこの私が」
「そんなに弟君をきつ〜く抱きしめながら言われてもな。それにさっき純君を僕から遠ざけた時の君の顔、普通に怖かったぞ?」
「っ⁉︎」
「それに、君が重度の……下界でいうところのブラザーコンプレックスというものであるというのは、天界ではもう相当に有名な話だ」
「なっ……そそそんなっ……な、きききき聞いてないわよ!」
「そりゃみんな微笑ましく見てただけだからな。宇宙の生い立ちも事情もみんな知っているわけだし。それにお前暇さえあれば純純純純と」
「な、なななななななななななななななななんあななば何を口走っているのかしらそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそんなににに私別に」
「いやいや、これでもかってくらい純君を見てたじゃないか。普段ドSな宇宙の意外な一面というか、いつもとは正反対にデレッデレな姿はなかなか評判もいいんだぞ」
「何よそれ⁉︎」
「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってよ!」
危うく流されるところだった。
僕を無視して会話が進んでいたけれど……。
「ほ、本当に……なんなんですか。これ、もう僕、何が何だか」
精一杯、僕は喉から声を出した。
ふー、と息を一回吐く。依然座ったままで後ろからは優しく抱きしめられている。その温かさに、なんだか僕は力が抜けてさらに彼女に体重を預けてしまう。
そんな僕を見た金髪マッチョは朗らかに笑うと、再び目を合わせる。
「ふむ。とりあえず俺と宇宙−−−−今君を後ろから抱きしめてニヤけている君の姉が、この世界の人間ではないというところはなんとなく察してくれたかな」
僕は、力無く首を縦に振る。
いやだって、目の前で2回も瞬間移動を見せられたら……まあ、それでもいきなり信じろって言われたって正直頭は追いついてないけどさ。
それを感じたのか、金髪マッチョは続ける。
「まだ信じきれていないって顔をしているな。じゃあとりあえず。宇宙、純君についてクイズだ。彼が一番最近に見た夢は?」
僕の後ろにいる存在に、彼は目線を向けた。
次の瞬間なんだか僕の背中に寒気が走る。
「…………突然学校に乗り込んできた人類壊滅を目論む天使兵団『エンジェルシャイン』と学校内で最終決戦をして、死闘の末リーダーのミヒャエルを討ち、七草ゆららと幸せなキスをしてハッピーエンド……ってなるところに私が介入して、地平線の向こうからやってきた膨大な数の力士に七草ゆららごと押し潰されたあの夢のことかしら」
黒くて、若干楽しそうな声が後ろから聞こえた。
……心なしか、首に回されていた腕の力が強くなった気がする。爪がちょっと首元に食い込んで痛い。
これは……少しだけ嗜虐的な感情もあるけど……ほとんどは怒りの感情?`
複雑に入り組んだ何かを後ろから感じて、僕は少し震えた。
でももう僕としたらそれどころじゃない。大事件だ。
心地いい温度を勢いよく振り払って、僕は後ろの彼女を見る。
「なんであんたがそれを知ってるんだよ⁉︎」
ぼぼぼぼぼぼ僕の夢の中の話をどどどどどドッドうしてこいつが⁉︎
今の僕は顔どころか全身がもう真っ赤になってるはずだ。一気に身体中の毛穴が開き、もうめちゃくちゃ汗が出てきた。
「…………言ったでしょう? 私、全部見ていたもの」
「み、見てたって……そっちも?」
声が裏返った。僕を見たままほんの少し頬を膨らませている彼女は、僕から視線を斜め下に外す。さっきのちょっと早口で拗ねたような口調は、大人びた見た目とはギャップがあった。
ただほんの少し冷静になったのか、僕は比較的落ち着いた頭で考える。
確かに、あそこまで正確に僕の夢を当てるには夢を直に見るくらいしないと無理だ。
もし万が一、こいつがあの時の教室で僕の寝言を聞いていたのだとしたって、最後の水平線の向こうから大量の相撲取りの濁流に飲み込まれたシーンまでは当てることはできないはず。
ああもう、なんなんだよ。本当に……
「……あんたらは一体、何者なんだ」
謎の金髪マッチョは立ち上がり、僕を見下ろす。
そして自称姉は座った状態のまま、まるで小さい子に視線を合わせるように僕を見て
「改めて––––私は天野宇宙(そら)。本当はこの世界で生を受けるはずだったけれどそれが叶わなかった––––どんな幸運かたまたまそこの天使に拾われて、半分だけ天使の力を授かり、それからずっととある組織で働いている。何より––––あなたのお姉ちゃんよ」
「俺は天使兵団一番隊隊長、ミヒャエルだ。君には、これから俺たち天使集団の任務を手伝ってもらいたい––––君にしか、頼めないんだ」
もっと意味が分からなくなった。
とりあえず、僕は耳に入ってきた言葉の中で今一番新しい要素を口にしてみる。
「天使兵団?」
「ああ。ちなみに、組織名はエンジェルシャインだぞ」
腕組みをして僕を見下ろす金髪マッチョは、にやっと笑う。
「エンジェルシャインの……ミヒャエル?」
「ああそうだ。よろしくな」
そこまで会話したところで、僕は自分でもわかるくらいに顔が熱くなった。
「ああああっぁぁああああああああぁぁあぁぁあ!!! やめてよ追い討ちかけるの!」
「流石に話が進まないからな。ちょっと失礼。それとふざけているわけじゃなくて、ミヒャエルは歴とした俺の本名だ」
思わず耳を塞いで騒いでしまう。だが、金髪マッチョの尋常じゃない力で無理やり腕を取られて後ろでまとめられた。完全に捕まった犯人の図だ。どれだけジタバタしようとするも全くびくともしない。僕は諦めて押し寄せる羞恥にひたすら黙って耐え始めることにした。もう勘弁してほしい。
そうしているうちに、しゃがんで僕と同じ位置で目線を合わせたままの姉が言う。
「純。あなたにやってほしいことがあるの」
「うぅ…………なんだよもう」
もう抵抗することができないと悟った僕は、あまりの恥ずかしさに目に少し涙を浮かべながら投げやりに言う。
姉は、それに気を良くしたのか頬骨を上げながら
「あなたには、私たちと協力して、数多の災害から世界を救ってほしいの」
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