可愛い可愛い、私の弟

失神すらできないほどに驚いてから少したって、やっと僕は落ち着かされた。

そう。落ち着いたんじゃなくて、落ち着かされたんだ。

と言うのも


「全く、しょうがない子ね。いつまでもそんなことだからダメ純なんて言われるのよ」


 僕の正面に回ってきた謎の泥棒女に抱きしめられたから。その抱擁を一度解いて謎の女は告げる。


「でも……でも、やっと会えた。ずっと見てきたの。ずっと見ることしかできなかった。ずっと−−−−こうしたかった」


 彼女はしゃがんで、視線を僕と同じ高さに合わせる。

すると僕の頭を彼女の胸の辺りに押し当て、さらに両の手で僕を包み込んだ。その手は僕の首辺りに回され、肩甲骨の間あたりをポンポンと優しく叩いている。再びの抱擁。

 それは、知らない人間の抱擁だというのになぜだか安心感があって。

 その体温は、柔らかさは、僕を落ち着かせてくれた。

 あれだけ動揺して、半端じゃないビートを刻んでいた心臓が、まるで穏やかな海のように安らかな鼓動に戻っていく。僕と同じくらいの年代の女子に抱きしめられたはずなのに、全くドキドキもしない。

 −−−−不思議だ。なんでこんなに安心するんだろう。


しばらくしてその謎の泥棒女は少し呆れたようなため息を漏らしてから「そこにちゃんと正座なさい」なんて言うもんだから、僕はまるで操られているかのようにその通りにしてしまった。背筋を伸ばして、足を整える。

そう。あまりに簡単に、僕の体から警戒心が一気になくなったんだ。

 不思議な安心感の中で僕は考える。

でも……こいつ、一体どうやって中に入ってきたんだ?

彼女は、すぐ横にある僕のベットに我が物顔で座っていた。薄くにっと笑いながら僕を見つめている。

腰まである長い黒髪が、深夜に煌く僕の部屋の電気の光を反射して輝いていた。

 女にしては少しだけ低めの声と、落ち着いたその容貌。ゆららちゃんとは全く正反対のクール系の少女といった感じだ。年は見た感じ僕より年上だと思う。

 年上黒髪ロング属性…………なんだけど。

う〜ん。

それにしてはなんというか、圧倒的にテンプレには足りない膨らみが、ふたつ。

 さっきの抱擁の余韻が抜けない僕は、ぼーっとそんなことを考えていると


「どこを見ているのかしら愚か者」

「グェっ!」

 目にも止まらぬ速さで、僕の頭は床と激突。

 な、なななんんあななんだ⁉︎ 何が起きたんだ⁉︎

「あらあら、変わった悦び方をするのね。頭を踏まれて潰れた蛙のような声を放ちながら私に平伏して喜ぶだなんてあなたやっぱり生まれついてのドMだったの? ずっと昔から見ていたとはいえそんなことまでは私も流石に分からなかったわ。ねえ何か言ったらどう? そんなに床と熱烈なキスをしていて楽しい? あ、いいえごめんなさい。あなたが愉しんでいるのは私の足に踏まれていることについてよね。それじゃ私は寛大だからこのまましばらく足で頭を踏みつけてあげる。どう? 嬉しいでしょう? いいのよ無様に啼いても。許してあげるわ。ほら、なんとか言ったらどうなの」

「っああぶげふっ! ぶぶウッげふふ! 〜〜〜〜〜⁉︎」


 理不尽すぎる!

 僕は謎の女に後頭部をグリグリと踏まれ、そのお陰で床と唇が親友になっていた。

 というか、何か言ったらどうなのと言いながらこの行動は矛盾してるだろっ……。


 少し胸の辺りを見て……その……小さいなって思っただけなのにっ


「––––何か言った?」

「っあぶぶバウ部アブあbぅぁ武亜bぁうxっばぅbx武あぶあx」


 この状況で何か言える訳ないだろっ!

 一層僕の頭を踏みつけるその力には威力が増して、僕はもう訳のわからない呻き声を上げることしかできない。

 ていうかなんで考えてることがわかるんだよっ⁉︎


「さあ、姉弟だからじゃないかしら? あなたが生まれてからずっと見てきたのだもの。それっぽいことは見当がつくわ……そう、ずっと見てきたんだから」

そうしていると、上からの声はさらに続いて。


「ええ……もし私が生きていたら、あなたと頻繁にこんなことをしていたのかもしれないわね」


 きょうだい……?

 生まれてきてから、ずっと、見てきたって? 何言ってんだこの人。

それと頻繁にこんなことがあってたまるかよ。


 後頭部への圧力がなくなった。

僕は、やっと終わった頭への踏みつけから解放されて、顔を謎の女に向ける。

そして見上げた女の顔は––––少し寂しそうで……それでいて優しげな笑みを浮かべていて。その目の端には、きらりと電気に照らされた雫があった。

 なんなんだ……この人。

 そう思ったすぐ、その謎の女は––––再びに僕の背中に腕を回す。

さっきみたいにまた包み込むように、僕に抱きついてきた。


「純––––会いたかったわ。可愛い可愛い、私の弟」

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