60話ー3 何彁の社


 腹部に熱い物を押し付けられたような感覚を覚え、自分が刃物で刺されたのだと認識した瞬間に熱は痛みへと変わる。


「じゃあね、エイジ君。今までありがとう」


 美麻ちゃんが……いや、ハラサシが最後のお別れを告げる。気が狂いそうなほどの痛みの中、僕は最後にやるべきことを実行する。


「なっ!?」


 僕は両腕でハラサシを力強く抱きしめた。彼女は驚いて声を上げる。


「お別れじゃないよ。これからもずっと一緒さ」


 彼女を抱きしめたまま、僕は背後に身を投げた。携帯端末の光が途絶える。こんな事ならば、ケチらずに防水の端末を購入しておけばよかった。


 暗闇の中、ぶくぶくとあぶくが吐き出される。身をよじり藻掻く彼女を決して離すまいと腕に力を込める。


 この地底湖は石橋の上から照らした時に底が見えない程深かった。このまま二人とも息を吐き続けていれば、重みでゆっくりと底に落ちるだろう。


 裏切り者は決して許してはならない。今は無きリーダーの言葉に従い、僕は最後まで仲間として彼女を屠る。刺し違える事になったのは残念だが、こうでもしなければ彼女を水底に引きずり込む事はできなかっただろう。


 程なくして彼女の抵抗する力が弱まる。水に入る覚悟を持っていた僕と違い、突然水中に引きずり込まれた彼女は僕よりも先に息が尽きてしまったのだろう。


 僕の身体を伝い、彼女が水底へと落ちてゆく。そこは何もない真っ暗な闇だけが広がっているはずだ。


 ああ、僕もすぐに行くからね。僕は心の中で皆に告げる。


 息が苦しくなり、パニックに陥りそうになりながらも覚悟を決めた刹那、何かが僕の手を握る。


 彼女が水底へ引きずり込もうと手に触れたのかと思い、見えないと分かりながらも目を開く。


 眼前に広がるのは真っ暗な闇のハズだった。しかし、どういう訳だか、僕の手を握るその存在をはっきりと認識する事ができる。


 それは顔の無い少女だった。度々僕の家に現れ、羽廣神社でも姿を見せたあの少女だ。


 触れた手から懐かしさを覚える。


「美麻ちゃん?」


 僕の言葉は水中だというのに明瞭に響く。少女のぽっかりと空いた顔に、表情が浮かび上がる。


 今のハラサシと昔の美麻ちゃんは別の存在だと言っていた。そういう事だったのかと、僕は一人合点する。ずっと見守っていてくれたのだ。


 幼い美麻ちゃんの姿をした何かが僕の手を引く。このまま下へと連れて行かれるのかと思ったが、どうやら水面へ向かって進んでいるらしい。


 パシャリと水の音が聞こえる。何か硬い場所に放り出されたような感覚がする。


 遠退く意識の中、男と女の慌てたような声が聞こえる。止血だとか救急車だとか、なんだか現実味のある話をしているらしい。


 自分は今、視覚や聴覚といった五感で物事を感じ取っている。なんだか夢から覚めたような物悲しさの中、手の中に感じた温かくも冷たい幻想を反芻して、僕の意識はどこか遠くへと旅に出た。

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