60話ー1 何彁の社


 確か佐藤が、自分が居れば互いにはぐれる事はない、というニュアンスの事を言っていなかっただろうか。


 一体あの自信は何だったのだろうか。結局僕は一人でこの鍾乳洞を歩んでいる。


 ひんやりとした空気が全身を震わせる。今は八月の半ばだという事を忘れてしまうほどにこの洞窟の中は冷たい。半袖で家を出た事を後悔するとは夢にも思わなかった。


 再び雫となった地下水が首筋に落ちる。思わず声を上げてしまう。声は反響しながら遠ざかる。


 時折壁に亀裂を見つけては不安を覚える。僕は閉所恐怖症というわけではないが、この自然が作り出した空間というものはどうにも信用できない。地震が起こったら崩壊したりしないだろうか。


 しかし、この空間で心配するべきは、そんな現実的なものではなかった。しばらく進んだ先で、何かが動くのを見つけ目をやる。


 子供だった。


 数人の子供が大きく育った鍾乳石の陰から僕の様子を覗っていた。


 田中と佐藤が言うには、この子供は生きた人間では無いらしい。未だに信じられない話だが、こんな所で子供が遊んでいる事の方が非現実的かもしれない。


 あの二人が言っている事が本当ならば、この子供は何彁とかいう神様に捧げる生贄を探しているらしい。そして僕はそのターゲットに選ばれているのだとか。僕は子供達を警戒しながら鍾乳石の脇を通り過ぎる。僕の動きに合わせて首を動かす仕草は不気味だが、とりあえず飛び掛かってきたりはしないみたいだ。


 よくよく見てみると、道の先の別の鍾乳石からも子供の影が見える。いや、そこだけではない。先にそびえる殆どの鍾乳石の裏には子供の霊が潜んでいる。


 僕はできるだけ音を立てないように、忍び足でそれらの鍾乳石を過ぎる。音を立てない事に意味が有るのかは分からないが、刺激しないに越したことは無いだろう。


 ふと、足を滑らせる。転ぶことは無かったが、うっかり近くの鍾乳石を蹴り飛ばしてしまう。


 異様な感覚が足を伝う。そして鍾乳石がバラバラと音を立てて崩れる。


 耳をつんざくような子供たちの悲鳴が洞窟の中をこだまする。本来ならあり得ない出来事に困惑しながらも、思考を巡らせる余裕もなく耳を塞ぐ。


 蜘蛛の子を散らすように子供の霊がどこかへと姿を消す。悲鳴も止み、一旦は安堵して自分が蹴り飛ばした鍾乳石を見る。


 あっ、と声が出る。鍾乳石だと思っていた物は長年の自然が作り出した神秘などではなく、人の背丈に届くまで積み上げられた石ころの塔だった。


 あの子供の霊が積み上げたのだろうか。いつぞや漫画か何かで読んだ、子供の霊が三途の川で石を積み上げる話を思い出す。ここには子供の作業を邪魔する鬼は居ないのだろうか。


「……いや、人殺しの鬼は僕たちの方か」


 誰に問なく呟いて、僕は歩みを進める。


 やがて開けた空間に出る。ここが終着点だろうか。その不可思議な光景に僕は思わず息をのむ。


 そこにあったのは地底湖だった。鍾乳洞の中では時折水が垂れていたのだし、それ自体は不思議ではない。問題は地底湖に掛けられた石造りの橋と、その先の小島に見える小さな社のような物だ。


 あの社に何彁の本体が祀られているのだろうか。それでは、八洞という穴はこの地底湖なのだろうか。遥か昔はこの空間に水が溜まっておらず、長い年月をかけて地下水をため込んで地底湖になったのかもしれない。


 そんな想像をしながら、僕は石橋に向けて歩みを進める。


 僕には何彁を何とかする力はない。それは佐藤がやるべき仕事である。鍾乳洞ではぐれたが、きっと何とかしてくれるだろう。


 僕が何彁の社に向けて歩みを進める理由は他にある。その社の背後に知った人物が立っているからだ。


 石橋は古いながらもしっかりとした造りらしく、上に乗ってもきしむ音一つたたなかった。ふと気になって水面に向けて光を照らしてみる。澄んだ水は光をよく通したが、生き物の気配は無く水底の様子を伺い知る事も出来なかった。僕は光を橋の先に向け直して、歩みを再開させた。


 対岸へと渡りきり、社の背後に控える人物へと声を掛ける。


「美麻ちゃん。約束通り来たよ」


 僕が声を掛けると、彼女はニコっと笑みを浮かべる。


「ありがとう。エイジ君ならきっと来てくれるって信じてたよ」


 彼女は社から離れ僕の元へ歩み寄る。僕の照らすライトの光が彼女の手に握られた刃物に反射する。


「君は……僕の知ってる美麻ちゃんなの?」


「何を言っているの? ずっと一緒に生きてきたじゃない。もっとも、ずっと昔にエイジ君と一緒にいた私ではないけどね」


 佐藤が言っていた事を思い出す。ハラサシはその基となる人間と入れ替わるのだと。


 小学生の頃、美麻ちゃんは行方不明になっていた。きっとあの時だ。あの時、本物の美麻ちゃんと、目の前のハラサシが入れ替わったのだ。


 そして、その実行には三家が関わっている。


「もしかして、真治は全て知ってたんじゃないか? そして、美麻ちゃんと真治は裏で今回の事件を手引きしていた。そうじゃない?」


「……本当にバカな人よね。カオリちゃんを殺した私たちが国蒔に戻れば今年の生贄に使われることが分かっていたのに。でも、私が足らない分は彼のお姉ちゃんの命を使うって言ったら色々と協力してくれたわ。ちょっとだけ妨害してきたからお姉ちゃんは殺しちゃったけどね」


 美麻ちゃんは刃物を僕に向けて突きつける。刃は体に届いてはいないが、衣服を通してナイフの重さを感じられるほどの距離だ。彼女が力を入れればいつでも僕の腹は割かれてしまうだろう。僕はじりじりと後ろに下がるが、彼女も合わせて足を踏み出す。そして社のある小島の淵まで追い詰められてしまった。


「何彁……というか、何彁の中に居たカオリちゃんからは、今年の生贄に私以外の六人は必ず捧げる様に指示されているわ。でも、カオリちゃんは私の事も恨んでいたみたいで、指示したくせに優子や真治を自分の手下を使って殺しちゃったの。きっと私が本物のハラサシになる儀式を邪魔したかったみたい。真治を国蒔に呼び出すには凄い骨が折れたのに、横取りなんて酷いよね。まあ、結果的にお姉ちゃんの死体の写真を送ってあげたら、色々と諦めて国蒔に来てくれたけど。でもおかげでノルマの八人にはまだ足りない。私が殺したのはタイくんと風ちゃんと垣谷君、あとマヨイガに居た真治君のお姉ちゃんとお祖母ちゃん。エイジ君を入れてもまだ六人。あとはインチキ霊媒師の二人でいいかしらね」


「どうして……あんなに仲良かったのに……」


「どうしてって……私はアナタ達が言うところの妖怪よ。妖怪っていうのは、特定のアルゴリズムに則って動くシステムでしかないわ。そこに私の意思は関係ない。そもそも私自身、意思があるのかも分からない。仲が良いと思っていたのは、エイジ君の一方的な思い込みなの」


 残念だったね。彼女はそう言って、握る刃物をグッと僕の腹部に差し込んだ。

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