58話 土疼柊の部屋
「あら、早かったわね。無事に鍵は手に入ったのかしら?」
階段に戻ると、仕事を終えたらしい佐藤が段差を椅子代わりに座り込んでいた。背後の地上へと続く道には、壁中にお札や紐、その他よく分からない装飾が施されていた。
「少しトラブルがありましたが、何とか手に入りました」
僕は手にした鍵を佐藤に見せる。
「トラブル?」
「ああ、ちょっとコイツが変な空間に取り込まれちまってな。だが、自力で脱出してきたうえに鍵も手に入れて来やがった」
「へぇ。運がいいのね。田中は自分の職務怠慢を正直に報告できて偉いわ」
「おい、一言多いぞ。一瞬の事で何も対応できなかったのは認めるが、お前も同じ状況なら手出しできなかっただろうよ」
「私がついて居れば異界に連れてかれるような事はまずあり得ないわ。私の視界の中では、怪異の引き起こす事象も存在も何もかもが否定されるもの。だからこの先は安心してね。さあ、早く出発しましょう」
佐藤は僕に笑みを投げかけると立ち上がる。僕は皆を土疼柊の部屋へ案内するため先頭に立ち歩き始めた。
「ったく、結局この稼業は生まれ持った天性の才能が物を言うってか」
「そう腐らないでちょうだい。田中だって多少はその天性の才能があったからこの仕事が務まっているのだもの。まあ、規格外の私が近くに居たら劣等感を感じてしまうのは仕方ないかもしれないけどね」
「ふん。いちいち一言多い女だな」
暗く不気味な廃墟の地下を行くには何とも緊張感のない会話が背後で繰り広げられる。この二人がどういう関係なのかは知らないが、痴話喧嘩なら他人の居ない所でやって欲しい。
しかし、気の抜けた会話のお陰で恐怖心が少し薄れたような気もする。もしかすると、二人はあえてバカバカしい話をして場を和ませているのかもしれない。
やがて僕達は土疼柊の部屋の前へと辿り着いた。何の変哲もないシリンダー錠のかかった引き戸の扉を前に、いい大人が雁首揃えて神妙な顔つきで並ぶ。
「鍵貰ってもいいかしら? 私が開けるのが一番安全だと思うから」
僕は佐藤に鍵を差し出す。彼女はゆっくりとした手つきで鍵穴に鍵を入れ回す。かちゃりと軽い音がして鍵が開いた。
「扉開けるわよ。気を付けてね」
「衝撃に備えろって事か?」
「つまらない冗談は止してちょうだい。部屋の中に何か怪異が居るかもしれないから、少し扉から離れて。私が中を確認したら怪異が居てもすぐに祓われるから、それまでは部屋の中を見ないように」
「あの……たぶん中には……」
おずおずと僕は言う。この部屋にはカオリちゃんの死体があるはずだ。
「大丈夫。分かっているから。それに、死体の一つや二つにいちいち驚いていたら、この仕事は続けられないわ」
田中はばつが悪そうに顔をしかめる。この人は死体が苦手なのだろうか。
「それじゃあ開けるわよ」
僕と田中は一歩扉から離れ、佐藤が取っ手に手を掛けるのを見守る。彼女は勢いよく扉を開き、中を覗き込んだ。
「……あら?」
「なんだ、問題か?」
「いいえ、概ね想定通り。怪異は居なかったから中に入っても問題無いわ。ただし、予想外な事が一つ」
彼女は振り返って僕の方を見た。
「随分と死体は巧妙に隠したのね」
「えっ?」
僕は扉に近づいて中に光を向けて覗く。部屋中に所せましと置かれた土疼柊の視線にトラウマを呼び起こされそうになりながらも、彼女の言っていた事を理解する。
「……死体は扉の近くに投げ入れたはずです」
しかし、そこにカオリちゃんは居なかった。
「そう。じゃあ誰かが持ち去ったか、或いは……」
蘇ってどこかに歩いて行ったか。
「あと……前はあんなもの無かったと思います」
僕は部屋の奥を指さした。
おぼろげな記憶を呼び起こすと、その壁には何かの模様が描かれていた……思えば何彁と書かれていたように思う。
しかし、その壁は崩れ、その先に道が続いていた。
「あら? 私の認識では、土疼柊の部屋から道が続いている事は想定内だったのだけれど。羽廣神社の資料にもそう書かれていたわ」
「続くって……どこに?」
「八洞よ。知っているでしょう? 昔の生贄を捧げていた穴よ。何彁の本体もそこに有る。ここから先は本当に何が起こるか分からないから、二人はさっきの階段のあたりで待っていてちょうだい。あそこの結界の中なら安全だから」
「あの……佐藤さんは?」
「何彁の本体を叩きにいくわ。その後でハラサシを処理すれば、この国蒔から主要な怪異は居なくなる。アナタも命を狙われる事も無くなるわ」
「……僕も行きます」
「おい」
田中が後ろから僕の肩に手を置く。
「俺たちは戦力外なんだよ。余計な仕事を増やすな」
「……別に構わないわよ」
「佐藤!」
「でも何があっても、何を見ても自己責任だからね。命を落とすかもしれないし、生きて帰って来れても精神がダメになってるかもしれない。それでも行く?」
「ええっと……はい」
「ふぅん。物好きな学生さんね。勝手にしなさいな」
「……ありがとうございます」
僕は佐藤に礼を言った。
「そうか、それじゃあ俺は階段で待たせてもらうぜ。生きてたらまた会おう」
「田中。この流れでそれが許されると思う?」
佐藤は田中に向けて侮蔑を込めた視線を送る。
「……冗談だよ」
「つまらない冗談は止してちょうだい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます